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映画「典子は、今」

2020年06月22日 | 日記
昨日(2010.6.21)の『読売新聞』に、「あれから」というテーマで1981年に公開された映画「典子は、今」(松山善三監督)の主人公であった白石典子さんの記事が掲載されていました。

 断片的に転載します。

サリドマイド薬害のため両腕がない状態で生まれた女性の日々を活写した映画「典子は、今」(松山善三監督)は、1981年に公開された。 主人公の典子さんは、熊本県に暮らす実在の人物。足を使って冷蔵庫を開け、お茶を飲む。足の指で書をたしなみ、ミシンで洋裁もこなす。
本人にとっては、普通のこと。そこにちょっとした冒険を織り込み、典子さん自身が主演した映画は大評判となり、当時の皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)もご覧になった。
 女優体験は心地よかった。あの時代、自分がありのままの姿で映画に出た意味もあったと思う。ただ、あまりにも大きな反響によって、「ああ、自分は障害者なんだ」と思い知らされた。’
 あれから40年近くがたった。典子改め、「のり子」と名乗る白井のり子さん(58)は、今―。


熊本市の職員採用試験に合格してから1年余り。1981年、白井のり子さん(58)=当時は辻典子さん、19歳=のもとに、プロデューサーと名乗る人物から電話があった。

完成した映画は、大ヒットした。日本映画製作者連盟(東京)によると、この年、「典子は、今」の配給収入は13億円に上り、年間第5位。高倉健さん主演の「駅 STATION」 (7位)など人気映画を上回り、全国の学校でも次々と上映された。
 「時の人」を一目見ようと市役所には大勢の人が詰めがけ、山のような手紙も届いた。
いつも「普通でありたい」と思い、行動してきたのに、主人公の典子は「障害を抱えて頑張っている特別な女性」として、一人歩さしてしまっていた。
 そんな「典子」と決別するため、映画の公開から5年ほどたった頃、「のり子」と名乗ることにした。映画を観たのは、当時の皇太子ご夫妻とともに鑑賞した完成試写会の1回のみ。その後1回も観ていない。
 
 結婚して2児に恵まれ、入庁以来、福祉畑で仕事にまい進した。だが40歳を超えて責任ある立場となり、会議や外出が増えた。たくさんの書類を持参して庁舎内外を回るには助けが必要だ。同僚に迷惑をかけることが、何よりも許せなかった。
  「キャリアウーマンに憧れていたけど、現実とのギャップを感じた。潮時だ」。2006年春、26年間勤めた熊本市役所を、44歳で退職した。退職後、講演活動を始めた。映画を観てくれた人への恩返し、そして、障害者の家族が抱える肩身の狭さを減らすことができないかと考えた。「典子」と決別したつもりだったが、年を重ね、「典子」のおかげで多くの人に話を聞いてもらえると自覚していた。
 

 2012年の夏。ロンドンパラリンピックのニュースを見て、のり子さんは過去の大会との違いに気づいた。障害は一つの個性と捉えられ、選手たちは派手な音楽つきで紹介された。「障害者も自分をアピールし、力を発揮できる社会になった。私の役目は終わったかな」。8年間でおよそ40都道府県を訪れ、14年に講演を終えた。
 今、のり子さんは熊本県合志市でIT関連の個人事業所を構え、仲間とソフトウェア開発などを手がける。目下、取力組んでいるのは、西南戦争の激戦地・田原坂(熊本市)を紹介するホームページの作成。地元の歴史家から依頼された。足指でマウスを操る。
 仕事を終え、仲間や家族とお酒を飲み、焼き肉を食べるのが至福の時だ。子どもたちは独立し、夫の政広さん(63)と2人暮らし。母の英子さんが暮らす家には、足で運転できる改造車で向かう。
 映画「典子は、今」のラストシーンでは、小舟から海に飛び込んだ。海で泳ぐのはこの時が初めてだったが、やればできた。

坂本早希記者
(以上)
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1 コメント

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Unknown (さくら)
2021-08-03 13:26:15
白井さん本人のブログを読むと夫が全く登場しなくて、事務所の「ゆうさん」という人しか出てこないのですが。夫とは離婚されて、ゆうさんという方と再婚したのでしょうか?ブログを読んだら気になってしまって。
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