仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「当たり前」を疑う100の方法

2024年07月12日 | 日記
『「当たり前」を疑う100の方法 イノベーションが生まれる哲学思考』(幻冬舎新書・2024/3/27・小川仁志著)、
「知っていることを知らないと思ってみる」(ソクラテス)、「答えを出さない方がいいと考えてみる」(キーツ)等、古今東西の哲学から、マンネリを抜け出し、ものの見方が変わる具体例を、フッサール、メルロ=ポンティ、レヴィ=ストロース、フーコー、デリダ、ハイデッカー、キーツなどなど、臨床心理の分野でも引用されたり、応用されている人物の哲学をコンパクトにまとめている。

1つピックアップしてみます。以下転載。

72 -お金なんて貯めない方がいいと考えてみる
ジンメルの貨幣の哲学

〈解説〉
 誰もがお金は貯めた方がいいと思っているはずです。でも、ドイツの哲学者ゲオルク・ニジンメル(1858-1918)にいわせると、必ずしもそうではありません。参考になるのは彼の貨幣に関する考え方です。ジンメルによると、貨幣とは最終的な価値への橋渡しに過ぎません。
 つまり、お金はそれ自体が目的ではなくて、お金をどう使うのかが重要だということです。この点ジンメルは、「しょせん人間は橋の上に住みつくことはできない」といっています。
 お金は橋と同じで、自分が行きたいところに行くための道具に過ぎないという意味です。だから橋がいくらあっても、私たちは橋の上に住み続けるわけにはいかないのです。いつかは渡る必要があります。
 ただジンメルは、お金のことを「精神的なものの器」であるとも表現しています。精神的なものを活発に働かせるためには、そんな器が必要だということです。たしかに、いくら心の中に何か訴えたいことがあっても、それが物理的な形にならないことには、表現のしようかおりません。
 たとえば、とてもおいしい料理をふるまってもらったとしましょう。そしてその感謝の気持ちを表現したい時、相手に渡すお金の額で表現できれば非常に便利です。自分も思いを伝えることができてすっきりしますし、相手も満足することでしょう。つまり、お金の価値が反映しているのは、私たちの気持ち、心にほかなりません。
 結局、お金を貯める行為自体には何の意味もなくて、貯めたお金で何を実現するかという目的こそが重要なのです。


(こんな感じで使ってみよう〉
・-お金は橋だとすると、お金とどのように付き合うようになるでしょうか?
・お金が橋のように手段だとすると、ただお金を貯めようとか節約しようとかいうのではなくて、まず何がしたいか、目的思考になると思います。お金を使って何を叶えたいのか、夢は何かといったように。必然的にそれは、自分に向き合う機会になることでしょう。お金を所有することを目的にしていると、自分か見えなくなりますが、お金は目的地に向かう橋だと思えれば、自分と向き合えるようになるのです。
コメント
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