仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「半」表記はアナログ人間

2009年12月16日 | 現代の病理
昨日の夕刊(読売21.12.15)「いま風」というコナーに“「30分」を「半」と書かない”という題で歌人である穂村弘氏のコラムを書いておられた。

「あーそうなんだー」と思ったことは、下記の内容です。

時刻について、私が子供の頃は「4時半」「5時10分前」「5時10分過ぎ」のような云い方がしばしばされていた。これらはいずれも時計の針のイメージだったと思う。針が半分まで来ている、ちょっと手前にある、ちょっと行き過ぎた、という状態の言語化なのだろう。
 だが、現在は同じ時刻のことを「4時30分」「4時50分」「5時10分」とフラットに表現することが多くなっている。また「16時30分」のような24時開式の云い方も以前より多くなった。(以上)

とのこと。この記事を見て、4時半などと表現する旧タイプの人間と30分と表現するデジタルタイプでは感受性が違う。文化の面にもその影響は及んでいるに違いないと思い、デジタル人間で検索するとあるわあるわ。

大方、“何事も感性に従いアバウトに行動するのがアナログ人間”“うやむやな回答が嫌いで答えをハッキリさせて効率よく行動するのがデジタル人間”という仕分けらしい。

基本的に人間は「右派、左派」や血液型など分けるのが好きです。
「社内コミュニケーションに役立つ デジタル人間vsアナログ人間診断」というネットまであったので、10秒費やして受診してみた。

http://next.rikunabi.com/01/digital_analog/digital_analog_01.html


私の結果は「臨機応変な対応が得意な人情派」とでた。そして細かい診断は下記の通り。

あなたは、人の心の機微がわかるアナログ人間。周囲を盛り上げたり、臨機応変な対応が得意で、仕事でも頼りにされているのではないでしょうか。ただ、自分さえ満足なら評価はあまり気にしない、感情的になりやすい、合理的な判断は不得手というのもアナログ人間の特徴。仕事では、ときには厳しく冷徹な判断が、相手と自分のためにもなるということを忘れないようにしましょう。(以上)

私は現況の時計に象徴される半か30分の相違は、人間性にとどまらずもっと深い病理の源泉になっているように思われます。その1つは、仏教が迷いの根源とする分別が、わがもの顔している社会です。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プレジデントの記事 | トップ | ピー音は念仏せよの警告音 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

現代の病理」カテゴリの最新記事