仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

ピー音は念仏せよの警告音

2009年12月17日 | 日記
音のある生活。そう書けば風薫る気候の中で家族団らん、BGMが流れるリビングで朝刊を読む。そんなイメージだろうか。

ところがわが家の音のある生活は違う。音が私を支配している。お歳暮シーズンで宅配が届く。玄関前に少しスペースがあるので宅配の車がバックで入ってくる。そのときピーピーピーとバックの警報音がなるので宅配が来たなーと察しがつく。しかしその宅配業者が家庭用の玄関のチャイムを押したり、お寺の玄関のチャイムを鳴らしたりする。その音と違いによって私が荷を受け取りにいく先が違う。半年前、チャイムを交換してから、どちらがどちらのチャイムかが不明で、少しの混乱が起きる。電話も西原と西方寺では電話番号とベルの音が相違する。これは容易に判断。石油ストーブが2台、これまた3時間たつと、ピーピーとなる。冷蔵庫も閉め忘れで少しでも開放しているとピーピーとなる。湯沸かしポットも沸騰するとピーとなる。炊飯ジャーもこれまた仕事を終えた合図をピーとならす。携帯電話も妻と私、これの音は完全に掌握。車に乗るとピーピーと「シートベルトを締めよ」と警告の音がなる。車から下車するときも「ピーピー、カードを取り忘れています」という。

そうした音に囲まれて、まごまごしていると「あなたは音が聞き分けられないか」と小言が走る。うちの坊守は完全にデジタル対応になっていると思う。さてこのピー音の生活をどう解釈していいか。

ピーと一回なったら500円通帳に入金されるとなると楽しいがなどと思って、昨日からピー音は、「念仏を大切に相続せよ」という警告音とした。そしてピーとなると「南無阿弥陀仏」と称名をしている。これで音に支配されるのではなく、音を支配することになる。でもいつまで続くか。
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