仏教では人間のことを「機」(き)という。仏さまの教えを被る相手という意味です。「機」には「可発の義」(可能性がある)、「変」(教えによって変化する)、「機関」(伝道を表現する機関となる)があると言われています。逆に縁に触れたらばいかようにもあるということでもあります。
『尼崎事件 支配・服従の心理分析』(2016/1/5 村山満明, 大倉得史 、 稲葉光行 (著) を、読んでいませんが、ある意味、「縁に会えばいかようにもある」という人間の本質を示しているようです。
アマゾンの内容紹介
尼崎事件とは、角田美代子が、1970年から2011年までの間、実に約40年間にわたって、いくつもの家族を取り込み、金銭的に搾取し、崩壊させていった事件である。その過程で、少なくとも9人の人が殺されているが、美代子が直接に手を下して殺すのではなく、取り込んだ家族員相互に暴力を振るわせるなどして、激しい虐待を繰り返し、その結果として死においやっているのが特徴である。なぜそのように支配され、犯行するにいたったのか。一人の被告人への聞き取りなどから、美代子との出会いから犯行まで、その心理過程を解明する。 (以上)
Jbpress(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46393)から転載します。
「人間をいとも簡単に奴隷にさせる戦慄のメカニズム」
著者は、被告人Aの弁護団から依頼され情状鑑定を引き受けた、心理学者および情報科学研究者のグループ。実際に、裁判で提出した情状鑑定の報告書を加筆・修正したうえで、刊行された。
被告人Aとは、2006年から尼崎事件の主犯であった角田美代子と同居し、尼崎事件として総称される事件の一部へ関与した岡島泰夫(仮名)。岡島は2件の殺人のほか、監禁、死体遺棄など4件の事件で起訴され、懲役15年の判決が下されている。
事件の謎と2つの心理学実験
それにしても、暴力団等の組織に属していたわけでもない一人の中年女性に、これほど多くの家族が巻き込まれ、壊滅させられてしまったというのは、一体どういうことなのか。これまでほとんど類例がなかったと思われる事件の謎を、心理学的なバックボーンから紐解いていく。
本コラムはHONZの提供記事です
ちなみに、ここで使用される心理学とは主に「ミルグラムの実験」と「スタンフォード監獄実験」の2つを指す。
「ミルグラムの実験」は、ごく普通の一般人たちが、科学の発展に資する実験の実行者という役割を与えられ、研究者の指示にきちんと従うよう要請されただけで、通常自分からは決して行わないような残虐な行為をいとも簡単に実行してしまった実験のことである。
一方、ジルバルドーの「スタンフォード監獄実験」は、スタンフォード大学に模擬刑務所を造り、心身ともに健康な男子学生の被験者24名を無作為に囚人役と看守役に分けて、看守に囚人の監視をさせたものである。開始後数日のうちに、看守役が行動をエスカレートさせ、囚人役に病的兆候を示すものが出てきたため、わずか6日で実験中止になったことでも知られている。
これら2つの実験から導かれるのは、「個人の人格」よりも「状況の力」が優位に立つことにより、権力構造の中では、いとも簡単に特殊な心理状態へ移行するという事実である。しばしば人の行動を決めるのは、その人がどういう人物かではなく、どういう状況に置かれるかということに依存するのだ。事実、岡島のパーソナリティ分析の結果からも、大きな偏りはなかったことが明らかになったという。
三度味わう恐ろしさ
本書の恐ろしさは、三度に分かれてやってくる。まず最初に訪れるのは、本書に描かれた凄惨な記述による畏怖だ。尼崎事件に関しては、あまりにも事件の全貌が複雑すぎて、理解するだけでも難しい。しかし巻き込まれた加害者・岡島康夫の視点にフォーカスを絞ることで、様々なターニングポイントがクリアになってくる。
夜を徹して家族会議を行い、なぜか角田美代子への忠誠を誓い合う。命じられるままに、他人の見ている前で夫婦がセックスをする。逃げても逃げても、毎回必ず連れ戻される。家族同士で殴り合いをさせられ、やがて殺し合いへと発展する。その後は死体の解体作業までもを、表情一つ変えずに行う。思わず目を背けたくなるような情景が、学術的なトーンで淡々と綴られていく。
次に訪れるのは、このような服従のテクニックに対して、世の中があまりにも無知で無防備であるということへの恐怖感である。いわば「サイコパス」と称されたり、「社会の闇」と形容されることで片付けられがちであるが、この凄惨きわまりない行為が「状況の力」や「服従の心理」に精通すれば、スキルとして身につけられる類のものであることが見えてくる。
最後は、これだけ状況の力が支配的であるならば、もし自分が同じ立場になった時にも同様の行為を実行するかもしれないという恐怖である。パーツ、パーツだけを眺めていけば、荒唐無稽な行為をしているようにしか思えないが、それは日常という高みから眺めているからにすぎない。この悪魔の階段は、途中まで階段とは気づかぬほど緩やかで、気づいたときには既に逃れることが難しい。
奴隷化は小さな一歩から始まる
本書の後半では、岡島の置かれた状況を時系列に並べながら、その時々における岡島の心理状況が分析されていく。キーワードは、「無力化」と「断絶化」である。
始まりは、たった20万円の借金からであった。角田美代子がまず恩を着せ、貸しを作る。タイミングを見て難癖をつけ、恫喝する。さらに親分的な役割に徹し、社会生活の場から切り離していく。その後は異常な執拗さで、何度も迫る。誰も気づかないところで無力化と断絶化のプロセスが開始し、徐々に相手に対する優越性が確立されていく。
これを著者は、以下のような図式にまとめている。
“優しさ・しつこさ・難癖 → 恫喝 → (虐待 → 無力化)n × 断絶化
→ 心理的支配・ロボット化”(以上)
『尼崎事件 支配・服従の心理分析』(2016/1/5 村山満明, 大倉得史 、 稲葉光行 (著) を、読んでいませんが、ある意味、「縁に会えばいかようにもある」という人間の本質を示しているようです。
アマゾンの内容紹介
尼崎事件とは、角田美代子が、1970年から2011年までの間、実に約40年間にわたって、いくつもの家族を取り込み、金銭的に搾取し、崩壊させていった事件である。その過程で、少なくとも9人の人が殺されているが、美代子が直接に手を下して殺すのではなく、取り込んだ家族員相互に暴力を振るわせるなどして、激しい虐待を繰り返し、その結果として死においやっているのが特徴である。なぜそのように支配され、犯行するにいたったのか。一人の被告人への聞き取りなどから、美代子との出会いから犯行まで、その心理過程を解明する。 (以上)
Jbpress(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46393)から転載します。
「人間をいとも簡単に奴隷にさせる戦慄のメカニズム」
著者は、被告人Aの弁護団から依頼され情状鑑定を引き受けた、心理学者および情報科学研究者のグループ。実際に、裁判で提出した情状鑑定の報告書を加筆・修正したうえで、刊行された。
被告人Aとは、2006年から尼崎事件の主犯であった角田美代子と同居し、尼崎事件として総称される事件の一部へ関与した岡島泰夫(仮名)。岡島は2件の殺人のほか、監禁、死体遺棄など4件の事件で起訴され、懲役15年の判決が下されている。
事件の謎と2つの心理学実験
それにしても、暴力団等の組織に属していたわけでもない一人の中年女性に、これほど多くの家族が巻き込まれ、壊滅させられてしまったというのは、一体どういうことなのか。これまでほとんど類例がなかったと思われる事件の謎を、心理学的なバックボーンから紐解いていく。
本コラムはHONZの提供記事です
ちなみに、ここで使用される心理学とは主に「ミルグラムの実験」と「スタンフォード監獄実験」の2つを指す。
「ミルグラムの実験」は、ごく普通の一般人たちが、科学の発展に資する実験の実行者という役割を与えられ、研究者の指示にきちんと従うよう要請されただけで、通常自分からは決して行わないような残虐な行為をいとも簡単に実行してしまった実験のことである。
一方、ジルバルドーの「スタンフォード監獄実験」は、スタンフォード大学に模擬刑務所を造り、心身ともに健康な男子学生の被験者24名を無作為に囚人役と看守役に分けて、看守に囚人の監視をさせたものである。開始後数日のうちに、看守役が行動をエスカレートさせ、囚人役に病的兆候を示すものが出てきたため、わずか6日で実験中止になったことでも知られている。
これら2つの実験から導かれるのは、「個人の人格」よりも「状況の力」が優位に立つことにより、権力構造の中では、いとも簡単に特殊な心理状態へ移行するという事実である。しばしば人の行動を決めるのは、その人がどういう人物かではなく、どういう状況に置かれるかということに依存するのだ。事実、岡島のパーソナリティ分析の結果からも、大きな偏りはなかったことが明らかになったという。
三度味わう恐ろしさ
本書の恐ろしさは、三度に分かれてやってくる。まず最初に訪れるのは、本書に描かれた凄惨な記述による畏怖だ。尼崎事件に関しては、あまりにも事件の全貌が複雑すぎて、理解するだけでも難しい。しかし巻き込まれた加害者・岡島康夫の視点にフォーカスを絞ることで、様々なターニングポイントがクリアになってくる。
夜を徹して家族会議を行い、なぜか角田美代子への忠誠を誓い合う。命じられるままに、他人の見ている前で夫婦がセックスをする。逃げても逃げても、毎回必ず連れ戻される。家族同士で殴り合いをさせられ、やがて殺し合いへと発展する。その後は死体の解体作業までもを、表情一つ変えずに行う。思わず目を背けたくなるような情景が、学術的なトーンで淡々と綴られていく。
次に訪れるのは、このような服従のテクニックに対して、世の中があまりにも無知で無防備であるということへの恐怖感である。いわば「サイコパス」と称されたり、「社会の闇」と形容されることで片付けられがちであるが、この凄惨きわまりない行為が「状況の力」や「服従の心理」に精通すれば、スキルとして身につけられる類のものであることが見えてくる。
最後は、これだけ状況の力が支配的であるならば、もし自分が同じ立場になった時にも同様の行為を実行するかもしれないという恐怖である。パーツ、パーツだけを眺めていけば、荒唐無稽な行為をしているようにしか思えないが、それは日常という高みから眺めているからにすぎない。この悪魔の階段は、途中まで階段とは気づかぬほど緩やかで、気づいたときには既に逃れることが難しい。
奴隷化は小さな一歩から始まる
本書の後半では、岡島の置かれた状況を時系列に並べながら、その時々における岡島の心理状況が分析されていく。キーワードは、「無力化」と「断絶化」である。
始まりは、たった20万円の借金からであった。角田美代子がまず恩を着せ、貸しを作る。タイミングを見て難癖をつけ、恫喝する。さらに親分的な役割に徹し、社会生活の場から切り離していく。その後は異常な執拗さで、何度も迫る。誰も気づかないところで無力化と断絶化のプロセスが開始し、徐々に相手に対する優越性が確立されていく。
これを著者は、以下のような図式にまとめている。
“優しさ・しつこさ・難癖 → 恫喝 → (虐待 → 無力化)n × 断絶化
→ 心理的支配・ロボット化”(以上)