仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「何もしない」ということ

2016年04月15日 | 日記
昨日(28.4.14)の深夜便「明日へのことば」は、再放送でしたが小堀鴎一郎(往診医)の“「心に響く医の道」を求めて”でした。

「明日へのことば」は、久しぶりに聴きました。最後の部分が印象に残りました。以下

http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2016/01/blog-post_8.htmlより転載です。


10年現場で学んだ事は3点あります。
①社会の患者側にとって、身内の在宅死は最初から想定外。(病院で死ぬのが当たり前)
②医療側は在宅医療には関心が無く、理解が乏しい。(国家試験にそのようなことが出ない
  在宅医療、介護に関する項目の出題率は0.67% 平成25年度医師国家試験)
③患者自身が死ぬと思っていない。

ヒポクラテスの誓い(自らに課した戒め 9つ)
紀元前450年前に生まれたギリシャで生まれた人物。
医学、医療の定義
①病者の苦痛を完全に取り除く。
②病気の暴力を減少させる。
③重病に依って打ち負かされている場合は、私は医療の無力さを知っているがゆえに何もしない。
重病、現代で言うと、老衰と悪性腫瘍の末期。
現代医療、現代医学を別の観点から考えなおすひとつのきっかけになる言葉だと思います。(以上)

“医療の無力さを知っているがゆえに何もしない。”ということが重要です。死んでいく側も、自分の(死に対して)無力さに徹底していれば、現実を受け入れることも容易になります。握りしめているものを手放すだけでいいのですから。でもこれが難中の難なのです。

実は、その自分の無力に徹底せしめんがために、阿弥陀仏の無条件の救いを発動し、無条件でなければ救われない私であることを促しておられるのでしょう。
コメント
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