仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

世界でもっとも正確な長さと重さの物語

2016年04月18日 | 日記
昨日の続きです。ミツトヨ(28.4.8宇都宮)での法話の中で『世界でもっとも正確な長さと重さの物語』( 2014/11/20ロバート・P・クリース著, 吉田 三知世翻訳)から引用した話がもう1つあります。何を拠り処とするか関連の話です。以下転載を図書館で切りてきましたが、専門書のようで、まったく歯が立ちませんでした。その中に興味あるエピソードが掲載されていました。 (以下転載)

遠い異国の、鄙びた海辺の村でのこと。海辺に近い、丘の上の基地の砲台で、毎日きっかり正午に号砲が鳴り、誰もがそれで時間を合わせるのが何百年もの慣わしになっていた。インターネットはおろか、テレビもラジオも登場するはるか以前のことだ。村にとって正午の号砲は、日の出や日の入りと同じく一つの自然現象で、一日を祝福し、午前と午後を区切る、規則正しい出来事だった。正午の号砲のおかげで人々の生活は安定し、一定の速さで進み、仕事の打ち合わせから浮気に至るまで、あらゆることを計測するのに使われた。
さて、この古い伝説はこんなふうに展開する。一人の十代の少年が、ふと疑問を抱いた。「あの大砲はいったいどうやってちょうど正午だとわかって、その時刻に鳴るんだろう?」ある日、彼は丘を登り、砲兵に尋ねた。「どうやって毎日ちょうど正午に号砲を鳴らしているんですか?」砲兵はにっこり笑って、「隊長の命令で鳴らしているんだよ。一番正確な時計を見つけてそれを手に入れ、その時計の時間がいつもちゃんと合っているように管理することも、隊長の仕事なんだ」と答えた。それを聞いた少年は隊長のところへ行ってみた。隊長は、精巧に作られ、正確に時を刻むその時計を、誇らしげに見せた。「じゃあ、この時計はどうやって合わせるんですか?」「週に一度、町まで散歩するときに、いつも同じ道を行くんだ。すると必ず町の時計屋の前を通る。そのとき立ち止まって、時計屋のショーウインドウに飾ってある立派な古い大時計に、この時計を合わせるんだ。町でも大勢の人が、この大時計を使って時間を合わせているんだよ」。
次の日、少年は時計屋を訪れ、「ショーウインドウの大時計の時間は、どうやって合わせてるんですか?」と尋ねた。時計屋はこう応じた。「そりゃあ、このあたりの誰もが使ってきた一番確かな方法だよ。正午の号砲で合わせるのさ!」(以上)

良い寓話です。私たちの常識を連想します。常識に合わせての生活が、新しい常識をつくっていくということです。
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