仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

礼儀作法②

2016年04月14日 | セレモニー
昨日の続きです。まずは徳川氏の言うところです。

妻が他人に向って夫のことを話すには、普通には「主人」「たく」などが用ゐられてゐる。しかし改った場合あるいは目上の人に対しては「山田がどう致しました」といふやうに姓を言ふのがよい。また舅・姑など目上の家族に対しては、「二郎」だとか「三郎」だとか名前を呼び捨てにするのが本当である。
 ところがこういふ例かあった。お嫁さんかお舅さんに自分の夫のことを呼び捨てにして「太郎が斯う申しました」といったところが、お舅さんが怒って「自分の大事な息子を嫁ともあらう者が呼捨てにするとは何事だ」とカンカンになったといふのである。この場合は、言葉遣ひからいへば、親に対して夫を呼捨てにしたお嫁さんに間違ひはないわけだが、た、ただ手落ちか一つあった。それはお嫁さんが婚家の家風に気が付かなかったことである。お舅さんがものを知らないといふことに気かっかなかったのは、やはりお嫁さんの過である。これはお舅さんの方がものを知らず、お嫁さんの方が正しい教育を受けたのだけれども、お舅さんの物知らずに気付かなかったことは、お嫁さんの手落だといはねばならぬ。(以上)

そして著者の言葉が続きます。

現代では、義父・義母に対して夫の名を呼びすてにするというマナーをもっている夫婦は少ないだろう。これも家庭のなかの上下関係が薄くなり、他人が家のなかにいなくなった結果である。(以上)

皆さんの中には、この呼び名の作法を知っておられる方もいることでしょうが、私などは初めて聞くというものです。こうして言葉や礼儀作法が移り変わっていくのでしょう。もう少し強く言えば、礼儀作法を知らない人の方向へと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする