仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

太陽の運行を支える人たち

2016年04月27日 | 日記
心理学者の河合隼雄氏がご逝去(2007年7月19日 )されて久しい。図書館へ行ったら棚に『私が語り伝えたかったこと』 ( 河合隼雄著・河出書房新社, 2014年刊)があったので借りてきました。先生が過去に語り、また書いたものを集めたものです。この本は、インタビュー、講演、短いエッセイを中心に、構成されていて分かりやすい本ですした。

この本の中で宗教についても取り上げています。具体的には“かくて「般若心経」は、現代人の心を癒す”(プレジデント96.10)と“現代人の宗教―無宗教としての宗教”(季刊アステイオン00.5)です。

後者の節に次のようにあります。

ここに宗教の大切なひとつの役割がある。それは人間に安心を与えてくれる。今生きている生が有限のものではなく。何らかの意味で永続性をもつ。言いかえると、生きている間だけではなく死後のことも保証されるわけである。そんな馬鹿なことはないという人もあろう。死後のことなど自分には無関係と思っている人も現在では多いとも言える。しかし、その大たちは、ほんとうに「安心」して生きているだろうか。

 
スイスの分析心理学者カール・ユングは一九二〇年頃に、アメリカ先住民のプエブロ族を訪ねる。彼が非常に心を打たれたのは、その老人たちの品格のある姿であった。ヨーロッパの老人たちと比較すると、そのたたずまい、容貌などがまったく異なっていて、犯し難い尊厳性を感じさせる。そのうちにその秘密がわかる。プエブロの長老たちは高い山に住んで、自分たちの祈りの力によって太陽の運行を支えていると信じているのだ。彼らの存在意義のスケールは実に大きい。彼らが祈りを怠ると、世界中のすべての人々か太陽を朝に拝することができなくなるのだ。ユングはこの老大たちの品格が高いのも当然だと納得する。

日本人の場合。自分に対する存在としての神、というよりは、自分を包む存在としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでもそれに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。(以上)

カール・ユングの話が面白い。「それは迷信だ」という人もあろうが、大切なものは何か。大きな物語の中にある自分を意識できることが、1つの宗教の恵みなのでしょう。
コメント
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