仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

法話はライブステージのように

2016年04月20日 | 都市開教
今月は珍しく法話をする機会が多い。月曜日(28.4.18)、午前中、仏教婦人会総会で40分法話、午後3時30分から、広島の呉で(株)ミツトヨ・恵範忌で30分の法話でした。懇親会があるのでと宿泊。

昨日、広島からの帰りの新幹線で、『サービスの達人たちー究極のおもてなし』(新潮文庫・野地秩嘉著)を読みながら帰院しました。ちょうど読み終わったこと東京着。面白く参考になりました。

本の中から一点だけ紹介します。

新宿駅そばのもつ焼き屋「ウッチャン」の主人公の猪俣氏が紹介されています。「新鮮なモツをちょんと仕込めばどこでも味はそれほど変わらない」といい、アルバイトの部下に「いいか、お客さんをお前のおふくろだと思え、親友だと思え」と教えて、店を回している達人だとあります。

その猪俣氏の次の言葉は、法話の席でも考え方は同じだと思いました。

「僕、バンドやってるんで、月に一度はライブで歌ってます。ステージにいるとよくわかるんですよ。上手な演奏をしたからといって盛り上がるわけではないことが。お客さんと一緒にライブを作っていく感じにしないと絶対に盛り上がりません。店をやっていても同じです。お客さんを見て、みんなで一体感を出すにはどうすればいいか。そこが大事です。   僕はいまは声を出したり、檄を飛ばしたりしています。たとえば、このままやっていて、70歳を過ぎて白髪になったら、そんなに声を出したりしなくてもいいと思うんですよ。ただ、串を焼いているだけで客が一体感を感じてくれるでしょう。(以上)

法話は盛り上がればいいのいうものではありませんが、「上手な演奏をしたからといって盛り上がるわけではないことが。お客さんと一緒にライブを作っていく感じにしないと絶対に盛り上がりません」という感覚は大切です。私に欠けている分部でもあります。聴衆と説教者が一緒に一座をつくっていく。これは大事です。
コメント
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