20年ぶりに九條武子さまの『無優華』を読みました。何日か前、武子さまの言葉を引用したので、原本は、どうなっているかという興味からです。
その本の中に、“褒姒(ほうじ)の笑み”というタイトルのついた一説があります。褒姒(ほうじ)とは、絶世の美女だったといわれ、西周を滅ぼす元凶となった女性です。
ウィキペディアから引用します。
…捨て子が褒国(陝西褒城にあった姒姓の国)の貧しい商人に拾われたことから、後に褒姒といわれるようになった。
その後、褒国が周の怒りを買い、褒国の王は、周の罰を逃れるために、彼女を幽王の元へと献上した。当時幽王の正室は申后であったが、褒姒の美しさに惹かれた幽王は彼女を溺愛するようになった。その後、申后及び申后の子である太子宜臼を廃して、褒姒を后に、褒姒の子の伯服を太子とした。
だが、褒姒はどんなことがあっても笑顔を見せることはなかった。幽王は彼女の笑顔を見たさに様々な手段を用い、当初、高級な絹を裂く音を聞いた褒姒がフッと微か笑ったのを見て、幽王は全国から大量の絹を集めてそれを引き裂いた。そしてそれにあわせて褒姒が微かに笑うのだが、次第に笑わなくなった。
ある日、手違いで烽火(のろし)が上がり、諸侯が周の王宮に集まったことがあった。有事でもないのに諸侯が集まったことに褒姒が笑ったのを見た幽王は、褒姒の笑顔を見たさに、有事でもないのに烽火をあげ諸侯を集めるといった行為を始めた。それによって、褒姒は笑顔を見せるようになったが、幽王の愚かな行為に、諸侯は次第に彼を見限りはじめた。
そして、后の座を追われた申后の父、申候ら申一族が、周に不満を持っていた諸侯と、蛮族と手を組み、周に反乱を起こした。幽王は有事の烽火を上げたが、いつもの戯れと見た諸侯は駆け付けなかった。幽王は捕えられて殺され、周(西周)は滅びた。その後、褒姒は殺されたとも、幽王の後を追うため自殺したとも、敵の捕虜となったとも云われているが、定かではない。(以上)
九條武子さまは、この話を引用して「最後の審判を経るまでたち得るあさましい人間の愛着に、そぞろおののかずにはおれない」と記しています。
私たちは煩悩という褒姒(ほうじ)をうちに抱き、その褒姒(ほうじ)が喜ぶことに日々、奮闘している。褒姒(ほうじ)の逸話は他人ごとではないと感じた九條さまの感性に頭が下がります。
その本の中に、“褒姒(ほうじ)の笑み”というタイトルのついた一説があります。褒姒(ほうじ)とは、絶世の美女だったといわれ、西周を滅ぼす元凶となった女性です。
ウィキペディアから引用します。
…捨て子が褒国(陝西褒城にあった姒姓の国)の貧しい商人に拾われたことから、後に褒姒といわれるようになった。
その後、褒国が周の怒りを買い、褒国の王は、周の罰を逃れるために、彼女を幽王の元へと献上した。当時幽王の正室は申后であったが、褒姒の美しさに惹かれた幽王は彼女を溺愛するようになった。その後、申后及び申后の子である太子宜臼を廃して、褒姒を后に、褒姒の子の伯服を太子とした。
だが、褒姒はどんなことがあっても笑顔を見せることはなかった。幽王は彼女の笑顔を見たさに様々な手段を用い、当初、高級な絹を裂く音を聞いた褒姒がフッと微か笑ったのを見て、幽王は全国から大量の絹を集めてそれを引き裂いた。そしてそれにあわせて褒姒が微かに笑うのだが、次第に笑わなくなった。
ある日、手違いで烽火(のろし)が上がり、諸侯が周の王宮に集まったことがあった。有事でもないのに諸侯が集まったことに褒姒が笑ったのを見た幽王は、褒姒の笑顔を見たさに、有事でもないのに烽火をあげ諸侯を集めるといった行為を始めた。それによって、褒姒は笑顔を見せるようになったが、幽王の愚かな行為に、諸侯は次第に彼を見限りはじめた。
そして、后の座を追われた申后の父、申候ら申一族が、周に不満を持っていた諸侯と、蛮族と手を組み、周に反乱を起こした。幽王は有事の烽火を上げたが、いつもの戯れと見た諸侯は駆け付けなかった。幽王は捕えられて殺され、周(西周)は滅びた。その後、褒姒は殺されたとも、幽王の後を追うため自殺したとも、敵の捕虜となったとも云われているが、定かではない。(以上)
九條武子さまは、この話を引用して「最後の審判を経るまでたち得るあさましい人間の愛着に、そぞろおののかずにはおれない」と記しています。
私たちは煩悩という褒姒(ほうじ)をうちに抱き、その褒姒(ほうじ)が喜ぶことに日々、奮闘している。褒姒(ほうじ)の逸話は他人ごとではないと感じた九條さまの感性に頭が下がります。