上野から地下鉄銀座線に乗ると、座先の向かい側のウインドーに「1億円貯められる。月5万円の積立でー…バンク」とありました。貯まるはずはないと思いながら念仏のことを回想しました。
善導大師(中国)のころ、仏教界には、念仏について二つの異なった解釈がありました。
一つは、浄影寺慧遠大師に代表されるもので、念仏で行ける極楽浄土は程度が低い浄土であるという理解と、摂論宗の学僧たちによって主張された念仏別時意説です。別時意とは、遠い未来(別時)に得る利益を、まるですぐに得られるかのように説いて、怠けものを励まし導くときに用いられる方便の教説のことです。要するに、毎日一円貯めれば5億円になるという説です。
それらの異説に対して善導大師は、南無阿弥陀仏のいわれをあらわして、凡夫の称名であっても願と行が具足しているから、必ず往生することができると論定されたのです。
これを先の銀行のたとえで言えばどうなるかなーと電車の中で回想していました。
5万円を積み立てて1億円貯めようとしているが、その考えは間違いで、実はもう1億円貯まっていてそのお金はすでにあなたの上に届けられている。その利息が、あなたの手の中にある5万円です。
あるいは、あなたが5万円と思っているそのお金は、額面は5万円に見えるけど、実は1億円の価値がある。なぜならば、その5万円には、あなたがほしい時にほしいだけの額が使えるようにとの裏書が施してあります。
上記の2説では、もうひとつすっきりしません。
5万円を貯めようと思った、そのお金は、あなたの両親が、あなたをしてお金の大切さに気付かせるために、あなたに届けられたものであり、あなたが両親のその親心に気付くとき、両親のすべての財産は、あなたのものであることを知ることでしょう。
みなさんでしたら、どういう筋書きとなりますか。
善導大師(中国)のころ、仏教界には、念仏について二つの異なった解釈がありました。
一つは、浄影寺慧遠大師に代表されるもので、念仏で行ける極楽浄土は程度が低い浄土であるという理解と、摂論宗の学僧たちによって主張された念仏別時意説です。別時意とは、遠い未来(別時)に得る利益を、まるですぐに得られるかのように説いて、怠けものを励まし導くときに用いられる方便の教説のことです。要するに、毎日一円貯めれば5億円になるという説です。
それらの異説に対して善導大師は、南無阿弥陀仏のいわれをあらわして、凡夫の称名であっても願と行が具足しているから、必ず往生することができると論定されたのです。
これを先の銀行のたとえで言えばどうなるかなーと電車の中で回想していました。
5万円を積み立てて1億円貯めようとしているが、その考えは間違いで、実はもう1億円貯まっていてそのお金はすでにあなたの上に届けられている。その利息が、あなたの手の中にある5万円です。
あるいは、あなたが5万円と思っているそのお金は、額面は5万円に見えるけど、実は1億円の価値がある。なぜならば、その5万円には、あなたがほしい時にほしいだけの額が使えるようにとの裏書が施してあります。
上記の2説では、もうひとつすっきりしません。
5万円を貯めようと思った、そのお金は、あなたの両親が、あなたをしてお金の大切さに気付かせるために、あなたに届けられたものであり、あなたが両親のその親心に気付くとき、両親のすべての財産は、あなたのものであることを知ることでしょう。
みなさんでしたら、どういう筋書きとなりますか。