仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

慈しみは智慧に導かれてこそ

2013年03月13日 | 日記
11日から本13日まで京都へ念仏奉仕団、西方寺設立20周年を記念して、御門主様へお礼言上の上山でした。11日はくしくも東日本大震災の3回忌追悼法要でした。


11日の前日、夜、布団の中で“こうしている今が、最後の夜であった、それが大震災ということ”と、震災で亡くなって逝かれた方のことを思いました。そして本願寺の法要の折に思ったことは、九条武子様の『無優華』の中にある言葉です。記憶にある言葉なので正確ではないのですが「本当の慈しみは、真実の智慧に導かれたのでなければならない」という言葉です。


私が、あるいは後に残された人が、いくら感傷に浸ろうとの、それは感傷であって、そこからは本当のものは生まれていかないということです。感傷は涙を誘い、人間的な無常観に近い感慨ですが、それな流れゆく感情の一コマであって真実に結びついたものではないということでしょうか。少しこれは、自分の中で深めていく必要があると思っています。

写真は本願寺東日本大震災3回忌追悼法要
コメント
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