アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

<呼吸の写真家>佐伯朋美さんの写真展を見ました。

2019-01-29 15:16:34 | 映画とドラマと本と絵画
   豊田市山間地にある足助病院で、ただいま、病院に入院しているお年寄りと、面会にいらしたそのご家族を撮った写真の展示会を開いています。

   写真展のタイトルは、「家族 時間の交差点」。撮影したのは、写真家の佐伯朋美さんです。写真はすべて、病院で希望者を募り、面会時間に彼女が同席して撮影したもの。ほぼ寝たきりで病床にある患者さんたちが対象です。
   
   多分親子と思われる二人の、手の表情が印象的な一枚。

    ほとんど口を利くのもままならない病人と、意思の疎通ができるのは手だけということなのでしょうか。そのことを佐伯さんは察知して、この写真展では手の印象の強い写真がおおく展示されているように思えます。

     撮影は、病人の周りに家族が集い、和気あいあいとした雰囲気のうちに進められたよう。家族の笑顔が、さわやかです。

     わたしは、7年前に、この足助病院で実母の看護に当たっていました。当時86歳だった母は、ある日突然意識不明となり、救急車で運ばれました。意識は数日で戻りましたが、口はきけず、全身衰弱状態に。前々からの母の希望もあって、一切の治療は施さず、点滴のみでそのまま過ごすことにしました。

     しかし、一月経っても顔色は変わらず、さらに衰弱して死に至る気配が見られません。死を待つことがしだいに胸苦しくなり、親しくしていた友人の医者に診てもらいました。すると、彼は、「胃ろうの措置を施せば、おかあさんはひょっとして元気になるかもしれない。それくらいしっかりしている」と言いました。延命装置をつけることなど、考えてもいなかったのですが、このまま彼女の餓死を待つのがいたたまれなくなり、措置をしてもらうことを決めました。

      胃に穴をあけて管を通す、というのは弱っている病人には大変な負担となるので、その前に、のどを切開して管を通し、経管栄養を与えることになりました。与え始めてじきに母の顔色はバラ色になり、その内表情が出始め、ときには笑顔も見せるようになりました。そのときの笑顔が、すばらしかった。母はあまり快活ではなく、どちらかというと暗い表情が多かったのですが、そのときは誰彼となく笑いかけるようになり、キラキラ輝いて見えました。看護師さんたちの中には、「〇〇さん(母の姓)を見ると癒されるわ。ちょっと休みに来た」といって、母の病室に立ち寄ってくださる方もいました。全く社交的でなかった母が、あんなふうに人から遇されたのは初めてだったのではないかと思います。言葉も少しですが発するようになりました。

      その後、胃ろうを施したのですが、この措置は結局母にはあわず、ほどなく亡くなりました。本人も望まず、担当医もしぶった延命治療を一時的にも施したことは、母にとってよかったのかわるかったのか、今でも時々思い出しては、どちらとも決めかねる思いでいます。それは、あの経管栄養を施したときの、母の笑顔を見ることができたから。私たちは決して仲のいい親娘ではなかったのですが、あの笑顔は今でもはっきり覚えています。

      佐伯さんが撮った写真を見て、あのときのあの笑顔を写真に収めることができていたらなあと何度も思いました。誰よりその写真を見せたかったのは、母自身にですが。

      写真展のちらしには、こう書かれています。「面会時間を目標に昔の思い出が溢れ、その時間がまるで本にしおりを挟んだように忘れがたいものになる。意識していないと大切な時間は、指の先からスルスルと落ちて行く。家族の大切な時間を、写真でおさめました。あなたの交差点を見つめるひとときに」

    写真展は、2月15日まで。足助病院内の玄関ホールと東側エレベーターホールにて開催しています。

    ところで、佐伯朋美さんは、1昨年春、東京から三河山間地に移住した写真家。私の焼き菓子を召し上がってくださったのがきっかけで、交流が始まりました。その彼女が撮ってくれた写真で構成したパンフがこちら。昨年末、できあがりました。

    デザインとコーディネートは、稲武出身のデザイナー松井香澄さん。二人が協力して、わたしにはもったいないような素敵なパンフを作ってくれました。イベントや講習会の折にお配りいたします。

     なお、佐伯さんは、ヨガのインストラクターでもあります。自らを「呼吸の写真家」と名付けるのは、呼吸をことのほか大事にするヨガを深くご存じだからこそ。息遣いまで撮りたいという思いが込められているようにおもいます。フリーのカメラマンとして、記念日や家族写真、大事な友達との思い出のための写真などの撮影もひきうけてくれます。気軽にご相談ください。連絡は、05035881011 kokyu.photo@gmail.com まで。    
    
   
   
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奄美・加計呂麻島の旅~補遺

2019-01-29 01:13:11 | 小さな旅
  昨秋旅した奄美・加計呂麻島。シーカヤックとシュノーケリングを楽しませてもらい、島の生活や食べ物のことなど教えてくださった、little lifeの天野宏美さんから、島の海で撮った魚の写真が届きました。私たちが島で実際に目にした魚の写真もありますので、ちょっと紹介します。前にも書きましたが、浜からほんのちょっと沖に出るだけで美しいサンゴ礁が広がり、色も形も面白い魚が泳いでいるのです。いま、改めて写真を見て、あの海の中の光景を思い出すと、ほんとに貴重な場所だな、としみじみ感じます。鍵カッコ内は、宏美さんのコメントです。

  まずはこちら。「サンゴの隙間に見え隠れする赤いお魚、わかりますか〜? たぶん、アカマツカサかな。暗いところを好むので、お目目が大きいのです」

  私が島で見た魚のうち、もっとも美しいと思たのがこのルリスズメダイ。「この子は撮影が難しくて、あまり上手く撮れていませんが、記念に・・・」以外に目がきついのにびっくり。

  「これは泳いでいてもちょろちょろ見られたニジハギくん。この子もすばしっこいので撮影が難しいのですが、ちょっと上手く撮れたので。うふ」

   「サンゴ礁の上を悠々と泳ぐは、ノコギリダイです。尾の付け根の黄色い点が綺麗です。」

    「黄色いけれど、アカヒメジ」

  「尻尾が白くて群れているのがアマミスズメダイです。
鮮やかな黄色い体に白い顔、黒い斑点があるのがヒフキアイゴ。」

   「おまけのアオウミガメちゃん今回は会えませんでしたが、こうやってサンゴ岩の下でお昼寝したりしています。可愛いですね〜」

    宏美さんのコメントからは、海の生き物をいとおしく思う気持ちが伝わってきます。little lifeのHPには、さまざまの海の生き物や波、木々、空、浜辺などを撮った写真が載っています。彼女のfacebook にも、朝焼けの浜、夕暮れの空、波のしぶき、釣りたての魚の写真が。いつもうっとりして眺めています。

    加計呂麻島の属する瀬戸内町は、奄美本島の最南端を含む町。その瀬戸内町の本島側の西の浜に、5000人が乗れる大型クルーズ船の発着のできる港を作る計画が、進んでいます。中国人の観光客を当て込んでの計画らしいのですが、もし計画が実現してたくさんの人たちが押し寄せたら、ホテル一つない加計呂麻島も、一気に変わってしまうことでしょう。反対している人たちもけっこういるようですが、いまのところ撤回の見込みはないようです。今後の成り行きが心配です。

     先日、やっと夜光貝のペンダントを完成させました。このペンダントは、加計呂麻島の諸鈍の体験施設で材料を購入し、磨き体験したもの。ほんとは1時間半かけて磨き続けるというワークショップだったのですが、10分足らずでギブアップしました。それからふたつき、放置してあったのですが、先日やっと、旅に同行した友人の家に泊まったときに、ふたりしてそれぞれの貝を、2時間ちかくかけて磨きました。ピカピカになった夜光貝、旅の思い出になりました。
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あいちの山里 Entre Store(アントレ ストア)に出品します。

2019-01-24 23:49:21 | イベント出店情報とそのほかのお知らせ
    今週末の26日(土)と27日(日)、名古屋星が丘にある星が丘テラスで、「あいちの山里Entre Store(アントレ ストア)」という催しものが開かれます。

    以下、スタッフのひとり、奥三河調査隊みやびさんのメッセージです。彼女にお誘いいただいて、この街のイベントにアンティマキの草木染めの製品もおいてもらえることになりました。


****
     奥三河のよきものを届ける〜
2019年はもっと街へと飛び出してリアルに٩( ᐛ )و
\あいちの山里Enter Store/
平成31年1月26日(土) 27日(日)
星ヶ丘テラス
.
奥三河を含むあいちの山里と呼ばれる地域のよきものを街の方たちに知っていただけるこの機会に、私も携わらせていただいております。
今回のこのイベントでお伝えしたいこと3つありますー‼︎
まずは1つは、三河山間地域の面白い発見があります◎(きっと!)
女手一つ自然農法で育てる農家やベーグルをきっかけに田舎と街を繋ぐパン屋、海外で育種を学び植物の可能性を奥三河から伝える園芸家、四季の移ろいを草木をつかい表現する山里の達人などなど…
あいちの山里の暮らしとその豊かな自然の中で働くを愉しむ人たちがつくるよきものが揃いますよー!
2つ目は、展示販売スペースの全体的なイメージを設楽町にアトリエを構える木と革aoyama 青山氏がコーディネーターとして携わり、あいちの山里から街へライフスタイルへあいちの山里のよきものを提案していきます。
何でもネットで手に入る時代の中でリアルを大切に、緑豊かな山里でモノづくりを営む青山氏が創る空間をお楽しみに。
そして3つ目が、トークイベント‼︎
雑誌「TURNS」のプロデューサー 堀口正裕氏をファシリテーターとして三河山間地域に関わる人々をゲストに迎え「自分らしい関わり方を山里で見つける」をテーマにあいちの山里での暮らし方や関わり方についてのトークショー‼︎
あいちの山里の今とこれからがリアルに語られるはず。何より色んな地域を見ていらっしゃる堀口さんを交えたお話となると貴重な機会になることは間違いない。(堀口さんの回し者ではなくファンです)関心がある方はよい機会かと思いますので是非ご参加くださいませ。
※こちらのイベントは有料となります。
.........................................
-物販-
星ヶ丘テラスEAST 3F
TT” a little knowledge store
⚫︎木と革aoyama (木と革)
⚫︎9nine plants (植物)※26日のみ
⚫︎Bonheur (布小物)
⚫︎アンティマキ (草木染め)
⚫︎こころざし工房 (手づくり石けん)
⚫︎山の搾油所 (設楽茶油)
-食品販売-
星ヶ丘テラス「THE KITCHEN 」内
イベントスペース
午前10時〜午後8時
⚫︎サムサラ自然農園 (野菜)
⚫︎べーぐる庵 (ベーグル)
⚫︎ふるさと魅力創造舎 (米)
⚫︎山百合荘豊邦直売所 (乾燥椎茸)
⚫︎ TOEI GOOD WITCH PROJECT(ハーブティ&ハーブクッキー)
⚫︎一般社団法人とみやまの里(栃もち)
⚫︎noix-ノワ-(ルバーブドレッシング&ジャム)
.........................................
トークショー
26日(土) 午後7時〜8時
星ヶ丘テラスEAST 3F
TT” a little knowledge store
⚫︎参加費 ひとり3000円
(フリーフード+1ドリンク付)
とこんな感じのぎゅっと詰まった2日間です‼︎
是非遊びにいらしてくださいませ〜
*****
         会場はこちらだそうです。おしゃれ!

    わたしは、26日だけちょっと見学にまいります。いつものイベントとは違う雰囲気のまちでの出店。いささか緊張しますが、たのしみでもあります。



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映画「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」

2019-01-14 23:45:18 | 映画とドラマと本と絵画
    たったいま、NHKBSで、「マッド・マックス」の最新作を見ました。9時から2時間、終始緊張の連続で、気が付くと息を止めてました。CGも駆使されていて、これまでの「マッド・マックス」の中では一番のおおがかりな画面でした。

    核戦争勃発後、大地や大気の汚染で荒れ果てた世界が舞台。「砦」には、「救世主」とされるイモータン・ジョーという人物が君臨し、洗脳された戦士たちを従えて、ぼろぼろの衣服をまとった貧民たちを操っています。そこに連行されたマックス。息をつく暇もないような2時間でした。

    国も企業もすべて機能しなくなった世界。水が枯渇し、大地は砂漠と化し、石油の奪い合いで死闘が繰り広げられるのが常となっています。世界中が通信できて、テレビという機械で同じニュースを見ていた、ということがまるで伝説のように語られていました。

    近頃は近未来SFが、SFではなくて、かなりのリアリティをもって迫ってくるように感じます。よくできている映画ほど、そうおもう。1作目から「マッド・マックス」は近未来の荒れた砂漠を舞台にしていましたが、今作から見るとまだまだ完全にSFと思って楽しんでいました。でもいまは、原発事故による放射能汚染・異常気象・乱開発による水資源の枯渇や土壌汚染などなどが現実のこととなり、SFの娯楽作品と思ってみていられなかった。話の筋は単純ですが、今回は、見ていてヒリヒリするような感覚がありました。2作目か3作目のほうが文学的には感動しましたが。

    久しぶりに興奮する映画を見ました。おもしろかった!
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奄美・加計呂麻島の旅⑦

2019-01-07 11:43:58 | 小さな旅
    翌日は、前夜商店街の食品スーパーで買ったパンや菓子で朝食を済ませ、加世間(かしけん)峠に。加計呂麻島の宿で相客に教えてもらった場所です。

    標識も何もない田舎道と山道を、友人のスマホを頼りに走り、やっと見えたこの景色。二つの海が同時に一望できるのです。右は太平洋。

     左は東シナ海。

     途中の道はこんな山道。ほとんど車に出会いませんでした。

     サトウキビ畑。やっと青い空が見えました。奄美に、この日まで7日間もいたのに、真っ青な海と真っ青な空を見たのがこの日初めて。

     奄美の空港でこんな注意書きが。本土への持ち込み禁止植物があるとは驚きました。

     機内から見た青い海。この日が奄美に向かう日だったら。

鹿児島空港から、つぎのセントレアへの便が出発するまで4時間ほどの間があったので、鹿児島市の繁華街天文閣へ。時間はお昼をだいぶ回ったころ。朝からちゃんとしたものを食べていないので、おなかペコペコ。二人とも食べたいのは、パンとパスタ! 加計呂麻島では、一度も小麦粉食が食卓に上らなかったので、粉食に飢えていました。

     ろくに調べていなかったので、歩きまわって見つけた夜光杯という名前のイタリアンレストランに。ピザとパスタをそれぞれ注文し、半分わけ。どちらも十分満足できる味と量でした。

     夕方、鹿児島空港を出発。この旅行中に初めてみたきれいな夕日です。

     翌日、稲武の戻ってきたら、あたりの山々は美しく紅葉していました。奄美では紅葉はたぶんない。帰宅後早速こちらの紅葉の写真をlittle lifeの天野さんに送りました。

     さて、奄美・加計呂麻の長い旅はおわり。旅行というものをほとんどしたことのない私には、結構な冒険の旅でした。初飛行機搭乗、初南の島、初シーカヤック&シュノーケリング、初レンタカーの運転・・・
友人宅で一泊し、翌日帰路に就いたのですが、足助でいつも見かける道端の数本のバナナの木を見たら、胸が詰まるようななつかしい気分になり、またすぐ島に引き返したくなりました。 

      稲武や周辺の山間地域よりさらに激しく人口が減少していると思われる加計呂麻島。それでも、島の魅力にひかれて、移住してくる若い人も多く、いまは、人口の一割が移住者だとか。でも、地元住民との折り合いが悪くなったり、生業が見つからなかったりで去る人も多いそう。

      島の人は外来者にはとても親切にしてくれるそう。布団を貸してくれたり食べ物を持ってきてくれたり。でも、何事かで移住者たちに期待を裏切られたことのある集落は、人口がどんどん減っているにもかかわらず、今は断固移住者の転入を拒んでいるという話も聞きました。鍵をかけなくても平気で外出できるのは気楽なことですが、反面、それだけいつも隣人たちの目にさらされているということでもあります。若い時にこの島を知ったら、移住していたかもしれないなとちらっと思いましたが、ずっと住み続けられたかどうか。

      ともあれ、島の魅力にはたくさん触れることのできた旅でした。最後に、たくさん買ったお土産(帰りの飛行機に持ち込んだ荷物は、かなりの重量オーバーでした。もっとも拾ったサンゴや貝殻も相当の重量だったと思いますが)の中からいくつか紹介を。

       little lifeの隣家・かけろまの森という名の工房で作っているジャム2瓶。加計呂麻島産のグァバのジャムと同じく島産のショウガのジャムです。

       大島紬村で作っているチョコレート。品質の良いカカオを選び、乳化剤を使わないチョコレートです。包装紙の柄は大島紬の伝統柄。

       加計呂麻島の製糖工場で作っているきび酢は、わりに有名らしい。塩と黒糖も購入。

       本島の宿の近くの久保薬局で見つけた有機黒糖。国内産の有機の黒糖は珍しいと思う。

        真ん中の青菜は、長命草。加計呂麻島では自生しているそう。一週間ほど冷蔵庫に入れっぱなしにしていましたが、まったくしおれることなく青々していました。てんぷらにしたら、パセリみたいな味がして、おいしかった。    
     
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奄美・加計呂麻島の旅⑥

2019-01-06 14:51:55 | 小さな旅
   しびらんか最後の朝食には、なり味噌が出ました。救荒食として食べられていたソテツの実。毒出しして粉にしたものを味噌に混ぜているものだと思うのですが、こちらはかなり砂糖を入れてピーナッツまで入っている甘い贅沢な食べ物になっています。市販されているものだというので、帰りにお土産に買いました。甘すぎて、まだ冷蔵庫に残っています。

    薩川から瀬相港に向かう途中。俵小学校の前には山羊が草を食んでいました。

    昔は、山羊を飼っている家は多かったのではないかしら。

    瀬相港。フェリーがつくと、観光客というより年配の女性が何人も下船。みな手に花束を持っています。どうやら墓参りらしい。先祖崇拝の盛んなこの地では、月に2回、決まった日に墓参りする習慣があるそうです。地元に住んでいるならできないことはないでしょうが、近ごろは遠くに移住した人も多いので、墓参りがままならなくなったそう。それでもまだ、フェリーでわざわざやってくる人たちがいるようです。そういえば、道すがら見たあちこちの立派なお墓には、生花が供えられていました。花が枯れるか枯れないかのうちに、次の墓参りをするのでしょう。

    車の運転、とくに狭いところでの縦列駐車とかバックが苦手の私。今回の旅で最も心配だったのが、フェリーの中の決められたわずかな場所にちゃんと車を入れられるかどうかでした。でも、私同様、心配していた友人が結局難なく、行きも帰りも入れてくれました。    

    加計呂麻島をあとにして、古仁屋港に。港の河口付近にかかっている橋。

     古仁屋から、まず、瀬戸内町の西の端へ。途中、マネン崎展望台に立ち寄りました。

     そのあと、ヤドリ浜へ。こちらの海岸は広い。でも、加計呂麻の浜のどこでも拾えたサンゴが、ここは皆無。

     そこからさらに西に進み、ホノホシ海岸へ。

     ガイドブックで見た、この丸い石に惹かれて訪ねました。丸くてすべすべの石、持って帰りたいところでしたが、ここは禁止。
 
     この海岸は、太平洋に面しています。だから、加計呂麻島の静かな海岸とは様相が違います。
 
     ホノホシ海岸の駐車場のある場所は広い公園になっていて、一面白いイソギクが咲いていました。

      ノギクやミヤコワスレに似ていますが、絶滅危惧種なのだそう。

      移植したのか、イソギクだけを残したのか、きれいに手入れされています。

      でも、「ハブ注意」の立て看が。ぎょっとします。

       ホノホシ海岸を後にして、一路奄美の中心地名瀬へ。行きとほぼ同じ道をたどったので、長いトンネルをいくつも通過しました。

        1時間半ほどで名瀬に。街らしい街ではありますが、人も車もさほど多くはありません。この日の宿はゲストハウス。私も友人もゲストハウスに泊まるのは初めて。1泊3000円という安さに惹かれて選んだのですが、部屋のドアを開けてびっくり。全面ベッドしかない! 

        夕食は、加計呂麻島で知り合った方に勧められた「かずみ」へ。島唄が聞けて、島の郷土料理が食べられるお店です。予約した時間に間があったので、商店街を散策しました。こちらも、そんなににぎわっていません。広い間口のリサイクルショップに入ってみました。値段を見ておどろきました。なにもかも、高いのです。そういえば、加計呂麻の人たちからも、物価は高い、と聞いていました。離島だからなのでしょう。たぶん、最低賃金は低いと思うので、普通に暮らすのは厳しそうです。

       こちらが「かずみ」の料理のほんの一部。次々に盛りだくさんの量が出てきました。カウンター越しに見える、女将のかずみさんと娘さん二人の仕事の手早さがすごい。

     ツワブキの煮もの。フキのように筋を取って煮たものです。筋を取るのに二時間かかったと、女将さん。さて、この女将・かずみさんは島唄の歌い手の第一人者だそう。島では、島唄の歌手のことを「唄者」というようです。

      この日も、お客の所望に応じて何曲か歌ってくれました。揚げ物をする手を休めないまま、太い、響きのある独特の節回しで歌いだし、居合わせたお客を魅了。三線を弾く男性に合わせて、お客として来ていたちょっと年配の女性も歌い出しました。

      こちらの男性は、本職の三線弾き語りらしく、滑らかな口調で次々島唄を紹介しながら歌ってくれました。島唄は、沖縄民謡とは少し違う、もっと哀調をおびているような印象を受けました。

       そのうち、たぶんチヂンという名の太鼓を順番にお客に持たせて、三線の男性のリードで叩くという趣向がはじまりました。最初に持たされたのが私たち。打楽器をたたくのはひさしぶりで、楽しかった。そして最後は、全員立って踊りが始まりました。踊る、というのも久々で、なんだか気分爽快。奄美最後の夜がこうして終わりました。
   
      
  

    
       

    


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奄美・加計呂麻島の旅⑤

2019-01-05 14:52:54 | 小さな旅
加計呂麻島4日目の朝は、雨。海はどんよりとした灰色で、この日予定していた海の遊びができなくなるのではと心配になりました。でも、10時ころには何とか雨がやみ、曇り空に。友人は、念願のスキューバダイビングに挑戦するために、宿の主人と海へ出かけました。奥さんのほうは、隣の薩川小学校で開催されている学芸会に参加するため、早朝から不在。なんと、午前中の2時間ほど、宿に残っているのはお客である私だけ! 室内から外を撮った写真がこちらです。

   稲武でも、いまでもこういうお宅はあるようですが、島の人たちはほぼ全戸が鍵をかけない! 宿のご夫婦は、「フェリーで対岸に買い物に行くくらいでは鍵はかけない。東京とかほんとに遠くまで行くときはさすがにかけますが」とおっしゃいます。奥さんは島の生まれ育ち。ご主人は東京。8年ほど前から、奥さんの出身地に戻って島暮らしを始めたそうですが、最初のころ、鍵をかけて外出したら、隣近所や郵便屋さんからブーイングの連続。「荷物を置いとけないではないか」「ものを持ってきたのに玄関が空いていないと困る」以来、鍵はかけない生活がはじまったとか。little lifeの宏美さんも「島の治安は極めていい」といっています。そんな島だから、平気で赤の他人の私一人を宿に残しても、心配しないのでしょう。隣の小学校からは、島の民謡らしい曲調の歌が、ずっと聞こえていました。

    午後は何とか海に入れそう、というので、お昼前、little lifeの天野宏美さんが私を連れに来てくれました。嘉入までは、彼女の運転で林道らしい難路を通りました。うっそうと茂った森、というより密林に近い南国の植生が珍しい。10年近く前に、宏美さんが稲武にいらしたとき、南信州の昼神温泉に一緒に行ったのですが、道中、彼女が杉やヒノキの山々を見て、「島と全然違う森だ! 杉やヒノキの森、いいですねえ」というのを聞き、こちらが驚きました。言われてみれば、温帯の三河や南信州と亜熱帯の加計呂麻島とは植生が違うのは当たり前なのですが、こちらではいやというほど見慣れた杉やヒノキが貴重に思える土地がある、ということにあらためて気づいたことでした。ちなみに、島で使われている建材は、おもにアカマツだそうです。

    日本で最も大きなシダ、と宏美さんが教えてくれた植物。ヒカゲヘゴというのだそうです。

    こちらはサキシマフヨウというのだそうです。南方独特の種だということです。島のあちこちでかけました。いい花です。

    峠から見える阿多地の浜。

    阿多地の集落の真ん中にある大きなデイゴの木。赤い花が咲く5月頃、来てみたい。木の下に立ってくれたのは、宏美さん。

    デイゴの隣にあるアシャゲ。アシャゲとは、かみごと(神事)をする建物のことです。集落のあちこちに今も残されていますが、実際に使っている集落は少ないようです。

    この日宿で見せてもらった1962年(昭和37年)の写真集に、同じ場所の写真が載っていました。

    この集落の人数は、写真集によると当時200人。いまは二人だけだそうです。

    子供もたくさんいたころ。アメリカからの返還後、4年ほどたってから島の風俗習慣を調査に来た、西洋の民俗学者が撮った写真だそうです。

     俵の資料館でお話を聞いた区長さんが小学校の高学年だったころ。電柱は立っていますが、まだ数は少ない、とかかれています。

    当時の島の家々。南方の人たちの家をほうふつとさせます。こちらで見かける家々、立派な家もたまに見かけましたが、古い家でよく目にしたのが、四角い造りの平屋。宏美さんたちの家も、little lifeという屋号にふさわしい小さな家です。50年前の写真集に載っている家々の屋根をトタンなどに取り換えると、ああいう家になるのだなと納得。
 
     このlittle lifeの庭で、お昼ご飯をいただきました。この日も、関東から常連のご夫婦が。庭にテントを立てて数日こちらの海で素潜りの醍醐味を味わっておられるとのこと。彼らが言うには、「葉山の海とはやっぱり大違い! ここは美しい!」。

      ランチはキーマカレー。食後に出してくれたレモングラスのハーブティーが、抜群においしかった。いつも飲むのとは大違いの強い香りにびっくり。レモングラス単独でも十分おいしくいただける飲み物でした。

      庭には桑や枇杷も自生。桑は昔蚕を飼っていたころの名残。おどろくことに年に二回、実をつけるそうです。

      little lifeの前の道。

      右手は山に。こちら手前に、数軒の小さな古民家が並んでいます。左側は彼らの畑。昔は家があったのかも。

      反対側は海に至る道。  
     
      お昼ごはんの後は、青空が見えてきたので、隣の集落の須子茂の海岸へ。相客はまた素潜りのため沖に出ました。私一人は、宏美さんと海へ。

       二回目のシュノーケリングですが、あいかわらず呼吸の仕方が下手。でもなんとかサンゴの見えるところまで連れていってもらって、またまた色とりどりの魚を見ることができました。宏美さん夫婦の話では、「ハワイなど南のいろいろの海に潜ったけれど、加計呂麻島ほど、魚の種類の豊富な海は知らない」とのことです。リアス式海岸なので、浜によって魚種も違うのだそう。

       浜に戻ると、宏美さんたちと同じ集落に住む男性がサス?で捕ったタコを見せてくれました。
彼も何十年か都会に出て働いた後、こちらに戻ってきたのだとか。

     さて、宏美さんご夫婦とはこの日でお別れ。年に平均250日は海に潜っているという彼ら。ときどき、ハワイやトンガにでかけて、向こうの海でイルカと遊ぶツアーの企画にたずさわったり、遠い国に旅に出て見聞を広げたり。私の生活とはかなりかけ離れた日々を営む彼ら。興味深い人生を歩んでいます。

    帰宅後届いた宏美さんからのメイルにあった次の言葉には、印象深いものがあります。

    「(加計呂麻島ほど)ここまで手付かずの海岸線・海が残っている島は日本にはそう多くないと思います。祈りにもにた気持ちで、この豊かさがいつまでも続くことを願うばかりです」 
    
    この日の晩も、ごちそう。何マグロだったか忘れましたが、盛沢山すぎて、食べきれず。

    こちらは郷土料理の塩豚の煮もの。加計呂麻島では、正月料理はこの塩豚がなくては始まらないのだそうです。冷蔵庫のなかった時代、豚をと殺するとかたまり肉を塩漬けして保存。塩出しして野菜や海藻と一緒に煮ます。いまは、塩分はかなり少なめにして作るそうです。

    塩豚、今度いい豚肉の塊が手に入ったら、久々に作ってみよう。

       


      
   
     
      


     
   
 

   
    
 


 
   



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奄美・加計呂麻島の旅④

2019-01-02 21:55:43 | 小さな旅
    海宿5マイル、最後の朝食も、びっくりするようなおいしさ、というのではなく、しみじみしたおいしさを感じるご飯でした。安心して食べられるご飯って、ありがたいなと改めて思いました。

    このハンモック、なかなか寝心地いい。海宿の前の海ともお別れ。

     宿を出て、集落内にある巨大なガジュマルを見物。成長すると次々に枝らしきものが出てきて、地面に到着し、養分を吸って生き続けるのだそうです。ケンムンという妖怪が棲むという伝説があるののも頷けます。重なった枝は洞みたいになっていて、何かいそうな気配濃厚です。赤い車はホンダのビッツ。7日間乗り続けたレンタカーです。赤い車に乗ってみたかったので、うれしかった。

次いで訪れたのは瀬相港よりもさらに東に行った俵集落の小学校。こちらで、自然布の展示会を開いていると、海宿のスタッフたちにお聞きしたので寄ってみました。

    人口1900人というのに、加計呂麻島にはいくつかの小学校がまだ健在。こちらは6年前から休校になっていますが、再開のめどは立っていないのだそうです。いまは、木工作家や織物作家などがアトリエや展示場所として使っています。

    教室前の土間にいたカニ。この辺にいる沢蟹より大きい。

    芭蕉布の着物です。こちらでは、芭蕉を栽培して紡いで織っている作家・佐田亜矢さんと、麻やくずなど自然の草を採取して布を織っている方とのコラボ展示がおこなわれていました。ひときわ目立つのが、この芭蕉の古い着物なのですが、島の人にとっては古臭くて不要のもの。いまはほとんど捨てられていて残るのはわずかなのだそうです。

    麻と葛の織物。自然の光沢と色がうつくしい。

    こちらも自然布。右は琉球藍で染めたもの。本藍に近い濃紺が出ています。

    芭蕉の糸で織ったタペストリーは佐田さんの作品。島の植物で染色しています。

    芭蕉を採取して糸にする作業は冬行われるそうです。その芭蕉の糸をとるときにうたわれた労働歌がこちら。


    織物創作欲のむくむく湧き上がる展示でした。

    佐田さんの使っている織り機。

    こちらは初めてみましたが、枷にする道具だったかな。ののやというのは、佐田さんの屋号です。

    糸操り機は竹でできていました。


    佐田さんの作品いろいろ。左側のスカーフは、月桃の葉で染めたものだそう。実が赤いから、葉を煮出した液からも赤い色が出るようです。染めてみたい!

     展示見学後、小学校の裏手にある郷土資料館に、佐田さんが案内してくれました。館を開けてくださったのは、この地区の区長さん。彼は、この集落で生まれ育って、中学校卒業後集団就職で大阪へ。40年ほど働いたのち、10年くらい前に戻ってきたそうです。両親の面倒を見るため、彼のように退職後帰島する人もけっこういるということです。

     大きな籠の背負い方を、佐田さんが見せてくれました。

     編みめがうつくしい。この編み方のざるは、諸鈍の施設でもたくさん見かけました。

     籠好きには、うれしい展示。

     あるもので利用の精神、すばらしい。自転車の車輪でできた糸紡ぎ。

     桶を浮かせて水中を見る道具。

     昭和30年代まで使われていたというランプ。区長さんは、私たちと同年の生まれ。その彼が小学校の低学年の頃、やっと島に電気が引かれたのだそう。奄美大島が日本に復帰したのは1958年のこと。「本島から徐々にインフラ整備が行われたので、離島は後になった」と区長さん。石油ランプの掃除はこどもの仕事だったそうですが、「いやだったあ!」と。

     愛知の片田舎で大正末年に生まれた私の母からでさえ、ランプ掃除の話など聞いたことがありません。たぶん、彼女が生まれたときから電灯はあったとおもいます。戦後、インフラ整備が遅れた、という話を島で何気なく聞いていましたが、いま思い返してみると、戦前にも電気が全くひかれていなかったということです! この島は(たぶん沖縄やほかの島々も)、中央からずっと放っておかれたのでしょう。軍事拠点にするなどの利用はさかんにされたのですが。

     薩摩藩に支配されていた時代、奄美全域はサトウキビ栽培が強制され、島民の食糧を作る場所が次々にサトウキビ栽培地に替えられていたそうです。ひとびとは、薩摩藩の役人の目の届かない、山奥の密林のような場所でひそかに米や雑穀の栽培を続けていたそう。区長さんによれば、黒糖をちょっと舐めただけで罪人の刻印である入れ墨をされたとか。「植民地にはなるもんじゃないよなあ」とおっしゃいました。飢饉の折に食べられたのがなり粥。「なり」とは芭蕉の実を解毒して粉にしたものです。それで仕立てたおかゆは「まずかった。二度と食べたくない」と彼。  

      この地方の独特の行事「浜下れ」などのおりに持っていった、いわばピクニック弁当箱。これ、ほしい。
    
      昭和の中ごろまで作られていた、島の典型的な民家。屋根はかやぶきですが、この辺りより小さめで傾斜が急に見えます。

      こちらが内部。暖かい土地ですが、囲炉裏はあったそうです。この囲炉裏で煮炊きをしていました。それにしても狭い。江戸時代の落語に出てくる長屋の一軒分くらい。

      家の建築方法が写真で解説されています。台風の襲来を真っ先に考えての建て方でしょうから、全体は小さめで平屋があたりまえだったようです。

      区長さんや、8年前に島に移住した佐田さんから聞いた話は、なかなか興味深いものがありました。区長さんのように他県に出て働く島の人は昔から多いのですが、他の地方出身者のように、「〇〇県人会」というのはないのだそうです。かわりにあるのが「〇〇(学区)人会」。集落ごと、あるいは学区ごとの結束がつよく、鹿児島県人会はあるのでしょうが、みんな入っておらず、奄美大島出身者の会や加計呂麻島出身者の会はないのだそうです。ないからといって、郷土を思う気持ちが少ないのではなく、非常に狭い地域の「郷土」に対する思いが半端でないのだそうです。

     加計呂麻島は、集落一つ一つが離れていて、集落ごとに風景が違い、文化が違うのだそう。山を隔ててそれぞれが自給自足していた土地だろうから、集落ごとの特色が際立っているのかもしれません。

     俵集落を出て東に。瀬戸内町のガイドブック「まんでい」に載っていたドラム缶桟橋があるのは、木慈。ここで車を止め、森の中へ。ガジュマルを見に行くためです。

途中で一緒になった地元の女性が教えてくれたイチジクの原種。以前、アフリカにあるイチジクの原種、というのをテレビで見たことがありますが、かたちはそっくり。

      森の中のガジュマルはさらに幻想的。

      大木が二本、枝をさしかわしています。

      サトイモそっくりの葉の植物はガガイモ。芋がなるそうですが、かなりの毒だそう。


      ガジュマルのある森に行く途中の広い敷地は、何十年か前の台風でひどい痛手を被り、数軒あった家がすべて立ち退いた場所だそう。一見すると、土砂災害にあったというわけでもなさそうですが、立ち退かないといけないほどの理由が一個だけではなかったのではないかな、と思われました。離島にいることの不自由さが極限に達して退去を決意したのではないかと。

     さて、薩川を過ぎ、西端の集落実久に。こちらは諸鈍と反対に、源氏にゆかりのある土地だそう。日本の南の端の小さな島に、源氏と平家の流離譚がそれぞれ残っているとは、おもしろいことです。

     実久の海は、「実久ブルー」と言われるほど特別に美しい青色なのだそうです。島に到着以来ずっと曇り空しか見ていないわたしたち。ここで、ようやくかろうじて、青い色の海をみることができました。

     実久の集落には、サンゴの石垣があちことに残っています。


     よくできていて、うつくしい。

     石垣にたてかけてある長い棒は、サンゴの中にひそむハブをよけるためだそう。怖くて石垣のそばには近づけませんでした。

     実久の海を後に、薩川にもどり、この日と翌日の宿になるしびらんかに到着。こちらは、こじんまりした普通の住宅です。家の手前の低い石垣に貝がならべられていました。

     道を隔てたところに船着き場が。

   隣は薩川小学校。次の日は学芸会だと、宿の主人から聞きました。

   なんと校庭には奉安殿が。戦後取り壊さなかったのが不思議。

    小学校の斜め道向かいには中学校があります。

    こちらは閉校しているらしい。

     海から山に向かって流れているように見える川。


     海宿でテーブルに飾ってあった植物です。珍しい。

     この花もよく見かけました。

     宿の料理はもりだくさん。

     新鮮な魚料理を満喫しました。

     島で育ったシイだそうです。香ばしくておいしかった。

     


    




          

    



    








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NHK BS 「衝撃の書が語る未来」

2019-01-02 00:57:00 | 映画とドラマと本と絵画
    昨年1月7日に放映された番組の再放送だったらしいのですが、イスラエルの歴史家ユvゥアル・ノア・  ハラリの「サピエンス全史」を紹介する番組が、元旦の夜NHKBSで放映。

    この本、ベストセラーだそう。知らなかった! 途中から見たのですが、何千年?も前に人類が始めた農業を、彼は、「詐欺だ」と断定。おどろいた! 

   「人類が小麦に家畜化されている」
    人間は、農業を行うことで豊かになり、人口をふやした。でも、そのせいで貧富の差が生じ、働く時間が増えた。小麦の側から見たら、小麦の種を増やすために、人間が家畜になっている、というわけです。疎外が生まれ、現代にいたる。はじめは驚きましたが、この視点、大事だと思う。働かされている、という感覚を持ち始めたのは、農業が始まってからかもしれない。続編も出ていて、タイトルは「ホモ・デウス」。こちらは人類の未来編。彼によれば、人間のミライは人間が神にとってかわると。AIの発展、遺伝子操作はまさに、これまで人間が想像してきた神の領域にかかわることだとおもいます。どちらも読みたいな、とおもいましたが、かなり長い。読み切れる自信は、いまのところありません。テレビで垣間見られてよかった。
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