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アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

映画「清作の妻」

2025-03-30 22:28:28 | 映画とドラマと本と絵画

  若尾文子主演の、1965年の映画。清作の妻 (1965年の映画) - Wikipedia

  時は明治。日露戦争開戦前夜。貧乏で村から夜逃げした一家は、都会のあばら家で暮らしている。一人娘のヒロインお兼は、呉服屋のご隠居の妾になって、一家は何とか糊口をしのいでいます。

  殿山泰司ふんするご隠居は、妾にも遺産を残して突然死します。父親の病死を機に、母とお兼は村へ帰りますが、妾だったというだけで村八分に。そこへ、「模範兵」として表彰された?青年、清作(田村高広)が村に戻ってきます。彼は恩賞金?で鐘を作り、丘の上につるして毎朝叩き、村人たちを起こします。真面目過ぎて敬遠される彼は、村人が毛嫌いするお兼にも誠実に接します。

  惹かれあうようになった二人は夫婦に。でも、清作の家族は大反対。母の死後ひとりとなったお兼の住む小屋で暮らし始めます。

  日露戦争がはじまり、清作は出征。一人になったお兼は周囲の白眼視と寂しさに耐えられない。清作は負傷して病院で治療を受けたあと、いったん帰郷を許されます。しかし、彼はすぐに戦場に戻らねばならない。そこで、お兼がとった行動は・・・・

  清作を再び見送るための宴会の席上、乃木大将の203高地での惨敗について取沙汰されていました。明治のころはまだ軍部の悪口を言っても許されていたのでしょう。一方、「死んで来い!」と言い放つ村人も。太平洋戦争のころならともかく、日露戦争時にすでに「死にに行け」などと言っていたのでしょうか。ちょっと気になりました。

  反戦映画なのですが、元妾というだけで村八分のように扱ったり、ひどい障がい者になったにもかかわらず、清作を徴兵忌避者のように糾弾したりする村人たちが、私には頑迷で狭量で、映画が終わったあとも、しばらくいやな気分になりました。

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映画「キクとイサム」

2025-03-28 01:13:36 | 映画とドラマと本と絵画

  今井正監督の1959年の作品。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%A0

  終戦直後、進駐軍の兵隊たちを相手に、街にはパンパンと呼ばれる娼婦たちがたむろしていました。その彼女たちが身ごもり、産んだ混血児たちは、日本の社会で奇異の目で見られ、差別されていました。アメリカ白人との間でできた子でさえ、ひどい差別を受けていた時代、ましてやアメリカ黒人との間に生まれた子への差別は、相当なものだったろうと思われます。

  この映画の主人公、キクとイサムは、ともに黒人とのハーフ。当時は混血児と呼ばれていましたが、映画の中のセリフには「混ざりっこ」という言葉が使われていました。二人の父親は別なのですが、母親が結核を患って病死。東北の寒村に住む年老いた祖母のもとに引き取られ、村の小学校に通っています。キクは体格が並外れて大きくスポーツ万能。彼女をからかう男の子たちに負けじと立ち向かいます。

  北林谷栄ふんする祖母は、野菜を作って街に売りに出て、ほそぼそと現金収入を得ています。家の藁ぶき屋根は傾いているようで、どこもかしこもぼろぼろ。着ているものも、ぼろで、常食しているのは稗飯を湯漬けにしたものらしい。

  祖母の悩みは、二人の将来。イサムの方は、アメリカの金持ち?夫婦に養子としてもらわれることになるのですが、キクはその当てがない。「手に職をつけるようがんばれ」と女教師に諭されるのですが、彼女はキクの絶望的にしか思えない将来をおもうと、口ごもりがちに。

  キクもイサムも、普通の小学生から抜擢されたのだそうですが、それにしては演技がうまい。とくにキク役の女の子は、タップもできるし、歌も歌える。磨けば相当芸達者になりそうなのに、その後彼女がどうなったかは、ウェブ上ではわかりませんでした。イサムのほうは、70歳のときに、新聞「赤旗」のインタビューに答えたという記事を見つけました。彼は映画出演の後、事情があって関東から関西に転校したのだそうですが、彼が転校する前、学校側がこの「キクとイサム」を全校生徒に見せたそう。そのおかげで、彼は一度もいじめにあわずに済んだそうです。大人がちゃんと手当てすれば、子供は普通に接することができるのだなとおもいました。

  当時まだ40代だったという北林谷栄は、80代の老婆を演じるために、何本?も歯を抜いたそうです。そのせいで、ものすごく老婆に見える。70年代か80年代ころ「楢山節考」という映画で、坂本スミ子が前歯を折るシーンがあり、ほんとに折ったと知って驚きましたが、実はもう先例があったのだと知りました。

  ところで、このころの日本映画は、録音が悪いのか、フィルムが古いからなのか、ものすごく聞き取りにくい。おまけに東北弁らしい方言と相まって、さらにわかりにくい。この映画、実をいうと半分以上、聞き取れなかった。さほど複雑な筋ではないので、大体想像して理解しました。日本映画にも、ぜひぜひ字幕を付けてほしい。

  おまけ。「キャスト紹介」を開けたら、三国連太郎の写真の下に「滝田修」とありました。間違いです。今井正の紹介も簡単すぎでした。

 

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映画「グリーン・ブック」

2025-02-16 00:06:17 | 映画とドラマと本と絵画

  1960年代のアメリカでの黒人差別の実態を描いた、実話をもとにした映画。グリーンブック (映画) - Wikipedia

  主人公はイタリア人の中年男。美しい妻と一人息子を愛する男なのですが、働いていたキャバレーの用心棒?の口が、改装のため途切れます。ギャングとしての働き口はあるのですが、それはしたくない。

  ようやくありついた仕事は、黒人のピアニストの運転手。主人公は大の黒人嫌いなので躊躇するものの、ほかにうまい口はなく、このピアニストの演奏旅行に、運転手兼用心棒兼マネージャーとして同行することになります。

  演奏旅行先はアメリカ南部。いくつかの州にまたがって演奏を続けます。

  ピアニストは、ドン・シャーリー。実在の人物で、学位を取得し、ピアニストとしては最高位にあったらしい。南部へのツアーは、彼があえて望んだもの。案の定、彼は特別の賓客待遇で金持ちたちの音楽会に招かれ、熱烈な歓迎を受けるのですが、演奏会以外ではただの黒人として扱われ、トイレもは外にある粗末な仮小屋のような場所で用を足すよう指示される。高級ホテルでの演奏会の前に食事をとろうとしても、ドンだけ許されない。車での移動をしている最中に、警官に呼び止められ、黒人は夜間外出禁止という規則を犯したかどで逮捕されます。

 金が目的で彼に同行した主人公は、徐々にピアニストに親しみをおぼえ、差別の実態のすさまじさも肌身にしみるようになります。二人はそれぞれがお互いを理解し、次第に打ち解けていきます。

  この映画はアカデミー賞作品賞を受賞したそうですが、批判も多く、その批判は「(主人公のイタリア人が)「黒人を差別から救う救済者」として誇張された伝統的すぎるキャラクターだったこと」が理由だろうと上記ウィキペディアに書かれています。

 たしかに、ハートウォーミングな、のんびりした映画といえなくもないのですが、二人が体験した当時の黒人差別のつじつまのあわなさにはおどろきます。

  徹頭徹尾、黒人を軽蔑し付き合わない、というならはなしはわかる。そうではなくて、ドンのピアニストとしての技量には称賛を惜しまないくせに、差別の「ルール」に従うことに何の違和感も持たない白人の金持ちたち。この矛盾に気が付かないことにぞっとします。

  「グリーン・ブック」とは、黒人専用のホテルなどを記した旅行ガイドブックの名前。ドンが各地で引くピアノ曲は、毎回ジャンルが変わります。たぶん、ドンの気構えとか心の内とかを表しているのではないかなと思いました。この日はどんな曲を弾くのだろうかと、それもちょっとした楽しみでした。

 

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映画「グリーンゾーン」

2025-02-07 13:54:44 | 映画とドラマと本と絵画

  イラクにある大量破壊兵器を探し出すという名目で始まった、アメリカ軍のイラクへの進駐。しかし、結局破壊兵器は見つからず、イラクを混乱に陥れたまま、アメリカ軍はイラクを撤退。その「兵器が隠されているとされる秘密情報」がもたらされるたびに、命がけで現場に急行し、そのたびにスカを食らった軍人が、マッドデイモン扮する主人公。彼は次第に、大量破壊兵器の存在自体を疑い始めます。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3

  アメリカのジャーナリストのノンフィクションが原作。大量破壊兵器の存在は、アメリカの高官とフセインの配下にある将軍?の間で取り交わされた密約?によって、フセイン政権をこわすために捏造された嘘だった?

  どこまでが事実で、どこまでが虚構かわかりませんが、もしかなりのところまでが史実だとしたら、大変なことです。この映画、興行成績が悪く、大赤字だったとか。でも、いつもいうけれど、こういう、「アメリカの恥部」をアメリカ映画は堂々と暴くところがすごい。

 

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映画「アラビアの女王」

2025-02-05 14:43:45 | 映画とドラマと本と絵画

  まったく知らなかった人なのですが、かなり有名な女性探検家、考古学者。アラビアのロレンスより20歳も年上の当時の中東通のイギリス人女性の伝記映画。アメリカ映画です。アラビアの女王 愛と宿命の日々 | あらすじ・内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー

   ガートルード・ベル。イギリスの大金持ち?の令嬢。当時の女性としては珍しい大学卒の経歴を持ち、頭脳明晰の才媛だっため、同じ階級の男性たちからは敬遠され、また彼女自身も自分にふさわしい男性を見つけることができず、勇躍中東へ旅立ちます。

   当時(1910年代~)イギリスは、オスマン帝国瓦解後の中東に深くかかわっていました。アラビアの文化、習慣、住んでいる人々に深く魅了された彼女は、アラビア人の従者とともに西洋人の行ったことのない奥地へも足を延ばし、部族の長たちの信頼を徐々に勝ち得ていきます。

   同じイスラム圏でも、宗派が違い、習慣が違い、文化が違うことでお互い相いれない部族も多く、小競り合いの絶えない中、彼女は勇敢にあちこちの部族の居住地に足を延ばします。ハーレムに入れられそうになったり殺されそうになったりと波瀾を巻き起こしながら進む彼女。どこまで史実かわからないのですが、当時のイギリス諜報部の情報員のような活動もしていたようなので、かなり信ぴょう性が高そうです。

   今に至っても解決しない中東問題が最初に勃発した頃の話。部族長たちの信頼を得た彼女の意見に沿って線引きを決め、できた国もあるそう(ネットで紛れてしまったので、国名を忘れました)。とにかくかなりの仕事をやってのけた人らしい。

   彼女より、20年以上前の人だと思いますが、同じくイギリスの女性、イザベラ・バードという女性探検家の伝記漫画「ふしぎの国のバード」を愛読しています。あの頃のイギリスの女性、活動的だったんだなと思いましたが、ガートルードは、ケンブリッジ入学は許されはしても、特別の女性の枠?でしか入学できなかったとか。卒業時は首席だったそうだけど。

   ほんの100年ちょっと前なのに、西洋の女性差別はすごい。「ファーストレディ」という習慣は、女性を大事にしているというより、「女性はか弱いものだから、男性が率先して大事にしてやらないといけない」という考えであって、男性と伍して生きて行こうと考えている女性に対しては、相当風当たりが強かったのではないかと想像されます。

   ニコール・キッドマンが主演。あまり好きではない女優なのですが、年齢のせいかきつさが減り、ほどよくしなやかに、でもやることはきっぱりやる男性的な女性役がぴったりに思えました。

 

 

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豊田市民芸館「おいしい民窯-食のうつわ展」と蔵カフェ・ケ・セラ・セラでランチ

2025-01-26 14:11:39 | 映画とドラマと本と絵画
  豊田市民芸館へ、「おいしい民窯-食のうつわ展」を見に行ってきました。
 
  民窯とは、茶器など高級な焼き物ではなく、庶民が普段の生活に使う器を焼く窯のこと。民藝運動の代表柳宗悦が名付けたとか。
博物館で始まった「和食展」に合わせての展示なのか、お皿や飯茶碗、それに酒器をたくさん観賞できました。
                     
   遠くから見た時は、「うわあっ、立派な花瓶!」と思ったものはすべて徳利。一升は軽く入りそうな大徳利がいくつもありました。酒屋や酒造元で買ってくるときに入れてもらった大徳利なのでしょう。とても立派です。花瓶にしてもよさそうなものばかり。でもあくまで実用品。
ところで、見渡したところ、いわゆる花器はひとつもありませんでした。食の器展だからなのでしょうが、そもそも花を生けるという行為は、茶道や禅宗、そのほか寺社にかかわることで、日本では一般庶民の生活には無縁だったのかも。家具をほとんど使わなかった日本の家屋で、花を飾る場所と言ったら床の間。貧しい農家や長屋に、床の間なんてないものね。
  
   写真手前の三つの四角い器は、会津の郷土料理、身欠きにしんの山椒漬けを入れて置く容器だそう。何だかおいしそう。検索出来たら作ってみたい。
   津軽のこぎん刺しの衣装もありました。「古い布の有効利用」「布を丈夫にするための技」とはいうものの、まるでレース編みみたいな精巧さに驚きます。たぶん、晴れ着ではなかろうに、時間も気持ちも砕いてここまでやってのける意欲がすごい。
 
   民芸館訪問の前は、豊田市産業文化センター隣にある「蔵カフェケセラセラ」へ行ってみたい、という友人たちと食事会。こちらへは、2年前からアンティマキの焼き菓子を置いていただいていることから、私は何度目かのおにぎりランチをいただきました。いつもながら、おかずの品数の多さに脱帽。どれも素材の持ち味がよく出ていて、ゆっくり味わえました。お膳もお皿もお椀もすべて、こちらのお蔵にしまってあったもの。写真にはないけれど、ほかに、おでんにいぶりがっこの和え物も登場。黄色い蓋物のなかは、おからの煮もの。総菜っぽくない上品な一品になっていました。
   私は、この日の三日前に、焼き菓子を納品。蔵カフェに隣接した子ども食堂・山二食堂前に置かれているお楽しみ自販機用のクッキーもお持ちしました。で、この日のコーヒーのお伴は、アンティマキのクッキーでした。
   こまごましたかわいいものがあちこちに飾られていて、行くたびに新たに発見。今回は、木製のおままごとセットを見つけました。お雛様のお道具とは違って、普段っぽい鏡台や箪笥なのが面白い。お膳もありました。おしぼりは昔のデパートの手ぬぐいだそう。何か催し物があるたびにお客さんに配布していたものなのか、カラフルで楽しい図柄です。
   室内でひときわ目を引く大きなオルゴール。
   店名の由来となったシャンソン「ケ・セラ・セラ」が鳴ると、プレゼントをいただけるのですが、残念ながらこの日は鳴らず。
   今のところ、カラスに狙われずに済んでいる干し柿。
   
   豊田市駅近くの、ビルの建ち並ぶ中にあるのですが、喧騒とは無縁のカフェです。営業日は水曜から日曜まで。フードロス軽減のため、完全予約制。ご予約は、℡0565478177まで。
 
   なお、蔵カフェ&子ども食堂山二食堂主催の映画「シルク時空を超えて」は、まだ空席があるそうです。前売りだと500円安くなります。日時は2月8日12時半開場、場所は産業文化センターです。こちらも、上記℡番号にてお申し込み・お問い合わせください。
 
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豊田市美術館「しないでおくこと。

2025-01-26 14:02:40 | 映画とドラマと本と絵画
  「しないでおく、こと。芸術と生のアナキズム」展を見に、久々に豊田市美術館へ。
   好きなもの、嫌いなもの、必要なもの、必要でないもの、その選択するのすらやめたという事を表したいのか、とにかく片付いていない場所があちこちに。表現そのものを「しないでおく」ということなのか。要するに、私の机の上と一緒だ、などと親近感をちょっと覚えながら見て回りました。じっと止まって見出したらきりがないくらい、「なぜ、ここにこんなものが?」と考え続けそうなのですが、一目見て魅力だ!とお思うほどのことがなかったので、ついささっと通り越してしまいました。時間があればだらだら滞在できたかもしれません。

   でも、40年かそこら前に、京都で何度か見たアンデパンダン展ほどの衝撃も面白さがなく、次の会場へ。移動の途中、階段の盲人用の突起部分の集合や、非常用ランプのある部分など皆、それぞれがアートに見えました。この逆転のような感覚が狙いめ? そうではなかろうけれど、「はちゃめちゃはいいな。なんでもいいのだ! 表現すればいいのだ! やっちゃえば勝ちだ!」と思える展覧会ではありました。元気がちょっと出た。

   初めて美術館から博物館へ。広々していて、気持ちのいい場所です。博物館では現在、和食展が始まっています。次はこちらへ。

 

 
 
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本「日本残酷物語5」

2025-01-11 17:17:18 | 映画とドラマと本と絵画

  第5巻目、読み終えました! 江戸時代から第二次大戦後に至る庶民の歴史。タイトルは「近代の暗黒」です。

  「急激な「近代化」は、その真っ只中に巨大な暗黒を抱えて進んだ。都市のスラム、使い捨ての女工たち、タコ部屋や坑内の重労働・私刑・死・・・・  その暗黒を生きた人々。忘れられた私たちの隣人の多様な生」

   昭和11年、秋田県の警察が調べたところによると、この年故郷を離れた女性の数は2824人。「総数の五十五パーセントが女工であり、十八パーセントがいわゆる「醜業婦」」だったという。最初から「醜業婦」つまり、芸妓、娼妓、酌婦、女給として村を出て行った女性もいるけれど、女工として離村した後、過酷な仕事がつらくて転落していった女性も多いとのことです。

   当時の女工の就職先はほとんど繊維業界。明治30年代には、24時間操業が当たり前になっていて、女工たちの労働時間が18時間、というところも。寄宿舎併設の工場がほとんどだったので、徹夜業も簡単に課すことができました。「募集人の甘言」によって村から連れてこられた女工は、当初から支度金、旅費と称して借金を背負わされて就業。あまりの過酷さに逃亡を試みても、つかまって「懲罰を受けるものが多かった。殴打されたり、裸体にして工場内をひきまわされたりする者もあった」。

   都市の片隅で貧困にあえいでいた失業者達は、やはりおなじく「募集屋」によって「タコ釣り」され、北海道の鉄道敷設工事に駆り出されました。彼らは「商家を追われた徒弟だとか、都会にあこがれて離村した農民だとか、苦学生といった、ほとんどが土木労働の経験のない失業労務者」でした。「募集屋」は「誘拐」も辞さず、自暴自棄になった酔っぱらいを身ぐるみ剥いでどこかの家に放り込み、監禁する。そして人数が集まると汽車に乗せて北海道へ。彼らを待っていたのは覚えのない借金。それを警察官と「監獄部屋の幹部」たちによって恫喝され、「タコ部屋」へ送り込まれます。

   「(タコとは)これはすなわち自分で自分の身を食い詰めるタコの習性からきた名称で、おのれの不了簡や一夜の酒食で骨身を削る苦役の世界へ落ち込んでゆく、その境涯があたかもタコの習性に似ているというのである」

   「北海道の道路網はもちろん鉄道の敷設、築港、治水、灌漑工事、または鉱山開発にいたるまで、官営、民営を問わあらゆるず土木工事は、監獄部屋の人夫たちの血と汗、酷使と虐待と死傷の上になしとげられたのである」

   炭鉱夫の話もすさまじい。当時の産業の根底を担うエネルギー源だった石炭。その石炭を掘る仕事もまた、最下層の人たちが担っていました。九州では、親戚に炭鉱夫がいることは恥とされ、ひたかくしにしていたという話も載っています。

   小作争議、米騒動などの詳しい記録も、初めて知りました。在日朝鮮人と結婚したため、戦後だいぶたったっというのに、身内の結婚式に列席させてもらえなかったという女性の話も。

   数か月かけてやっと読了できた「日本残酷物語」。つい60~70年くらい前までの日本の姿を活写していますが、「タコ部屋」の話には今問題になっている「闇バイト」を、女工の過酷な労働は、ブラック企業の存在を思い出させます。決してなくなったわけではない「残酷」な「物語」。いまも私たちの一見不自由のない生活のすぐそばで、どんな悪質な事態が進行していることか。そう思うとぞっとします。

 

   

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映画「仮面の米国」

2025-01-03 22:24:37 | 映画とドラマと本と絵画

  1930年代にできたアメリカ映画。https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=10884 脱獄物の走りだと言われているそう。よくできた映画でしたが、みているのがつらくなるほど、いやな場面が続きました。

  主人公は戦地から帰還して故郷に戻り、出征前に務めていた地元の工場での勤務に就きます。しかし彼の望みは土木の仕事に打ち込むこと。戦争中の工兵としての経験を活かしたいと考えています。で、兄の反対を押し切って出奔。アメリカのあちこちで進められている大型土木工事の仕事に就きたくて、転々としますが、思わしい仕事は見つかりません。ほぼ文無しになったときに知り合った浮浪者らしい男に連れられて入ったバーで、浮浪者は突然店の主人に銃を突きつけ、強盗を働こうとします。戸惑う主人公に金庫から金を盗むよう指示しますが、やってきた警察官に殺されます。主人公は金を懐に入れて逃亡を試みますが、こちらも逮捕されます。

  前科なし、人を傷つけてもいないというのに、彼はなんと懲役10年という厳罰を科され、刑務所に送られます。その刑務所で、彼は他の囚人同様、両足に鎖をつけられ、重労働に従事させられます。重労働はつるはし一本で硬い岩盤を割るという作業。あるときは古い線路を壊す、という作業もさせられているので、囚人は当時のアメリカにとって重要な労働力だったのではないかと思われました。この過酷な労働の場面がすさまじい。

  主人公は耐えかねて脱獄。名前を変えて都市で土木建設会社に入り、頭角を現します。ジャンバルジャンみたいに、優良な市民になりつつあったその矢先、密告によってあえなく逮捕。そのあとがすさまじい。題名の「仮面の米国」とはこういうことだったのか、とおどろきます。

  本作は、この映画のモデルになった実在の人物(当時も逃走中だったそう)の証言によって作られたそうです。上映後、この人物が逮捕され重労働を科せられたジョージア州は、映画会社を訴えたそうですが、数年後には、チェーンギャングシステムと呼ばれる、囚人を鎖で拘束するシステムは廃止になったということです。暗くて苦しい映画でした。

 

 

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映画「桃さんのしあわせ」

2025-01-02 23:47:19 | 映画とドラマと本と絵画

  香港が舞台の現代劇。「日帝時代の生まれ」という桃さんは子供のころから、ある金持ちの家の使用人として働いている。時代が変わって、雇い主の家も大きく変化しているらしいのですが、桃さんは香港でマンション暮らししている当家の息子のために、家事全般をこなしています。桃さんのしあわせ - Wikipedia

  映画関係者らしい息子は、桃さんがきれいに洗濯してクリーニング屋から戻ってきたかのように丁寧にたたんであるシャツを着ることにも、桃さんが作った多彩の料理にも、一つ一つ感謝するとか驚くとかほめるとか、そういうことは一切なく、ただたんたんとあたりまえのように受け取っています。桃さんも、彼の生活にときには干渉しますが、台所で自分は立って食べ、決して雇われ人としての分を外すことはありません。

  息子はあるとき、桃さんを連れて映画の試写会へ。彼女は精一杯おしゃれをしているのですが、それが上着もアクセサリーもすべて「奥様」たちからのおさがりらしいと、なんとなくわかる。桃さんのはにかみ方がかわいい。桃さんはアメリカに住んでいる雇い主一家の子供たちにも人気があるらしい。老齢となった彼女の面倒を見るように、というのは死んだこの家の主からの遺言です。

  桃さんには血縁はおらず、つながりはこの家の家族だけ。でも、どちらの側も、雇人⇔雇われ人の位置から外れるつもりもなく、取っ払おうとすることもありません。この淡々とした関係が「桃さんのしあわせ」なのだろうな。 

  脳梗塞か何かで倒れた桃さんは、養護老人ホームへ移ります。しばしば面会に来る雇い主の息子は、彼女には自慢の種です。息子にとって桃さんは実の母親より気やすい仲のようなのですが、そのことはさしてこだわりを持っては描かれず、ただ、死期がちかづいている老メイドを、やさしく見守る様子がつづられます。

  

  

  

  

  

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