








でも、40年かそこら前に、京都で何度か見たアンデパンダン展ほどの衝撃も面白さがなく、次の会場へ。移動の途中、階段の盲人用の突起部分の集合や、非常用ランプのある部分など皆、それぞれがアートに見えました。この逆転のような感覚が狙いめ? そうではなかろうけれど、「はちゃめちゃはいいな。なんでもいいのだ! 表現すればいいのだ! やっちゃえば勝ちだ!」と思える展覧会ではありました。元気がちょっと出た。
初めて美術館から博物館へ。広々していて、気持ちのいい場所です。博物館では現在、和食展が始まっています。次はこちらへ。
豊田市足助地区すげの里にある石窯を使って、来月、石窯で遊ぼう、の会を開きます。
2月15日(土)10時~15時
場所:すげの里(足助地区)
参加費:4200円 *家族に限り、フォカッチャとスープのみ1000円で追加を承ります。
インストラクター:村田牧子(アンティマキ主宰)・オクダキヨミ
定員:7名
最少催行組数:3組
豊田産の木材を使った体験施設すげの里で、冬の一日をご一緒に過ごしませんか?
かわいい石窯では、こねないフォカッチャと卵乳製品不使用のアンティマキの焼き菓子を焼き、調理室では、野菜と豆をたっぷり使った重ね煮スープを作ります。
お昼ご飯の後は、薪ストーブのある暖かい部屋で、マキ&KIYOの山里暮らしにまつわるあれこれを話題に、楽しくおしゃべりしましょう。田舎暮らし、山里暮らしに興味のある方、石窯のことを知りたい方、どうぞお越しください。
この企画は、とよたまちさとミライ塾+のプログラムの一つです。お申し込みは、【となりのとよた】フォカッチャとスープランチ&おやつ&山の暮らしにまつわるおしゃべり | とよたまちさとミライ塾へ。
村田牧子
2003年に現豊田市稲武地区に移住。移住後、草木染めと焼き菓子・パンの工房アンティマキを開く。
豊田市内、岡崎市内の数店舗に納品するほか、近隣のイベントでも販売。「アンティマキの優しく易しい焼き菓子とパンの会」と名付けた講習会も開く。地元にある体験施設どんぐり工房で、定期的に草木染の講習会も開催。昨春から、KIYOさんと組んで、草木染めと石窯パンの会も不定期に行っている。
Instagram@auntie_maki
facebook Auntie maki
blog https://blog.goo.ne.jp/nihonkamoshika
広島から長野を経て、豊田市へ2010年に移住。生活のベースを山に置き、生産・循環的暮らしを楽しみながら、たまには都会へ繰り出す暮らしを満喫中。おおらかに使える銅鍋・銅具の伝道師⁈
会では、石窯の焚人を担当。
Instagram@luckiyo_ok
すげの里 〒44-4-2505 愛知県 豊田市 新盛町中洞67
車場:有
バンダルダイまたはエコプリントまたはミディアムプリント。昨秋、初の講習会を開きました。
こちらは、友人たちと実験した時のバンダルダイ。花や葉、スパイスや染め材料、そのほかいろんなものでできる染め。エコプリントともいわれ、数年前、海外で話題になり、日本でも徐々にはやり始めました。いつかやってみたいとお思っていた時、たまたま昨春、WSに参加したのを機に、見よう見まねで作ってみたのがこれ。葉っぱが必ずその形になって色が出るとはもちろん限らず、あれこれやってみてとりあえず、色の出やすいもの、出にくいものの見当をつけました。
当日のために集めた材料は、セイタカアワダチソウ、キク、ヨモギ、ドングリの葉、百日紅の葉、タマネギの皮、、ゴバイシの他たくさん。葉っぱは、タンニンを含む樹種が染まりつきやすいと聞いたので、庭先に実生で育ったカシ?の枝を切っていきました。
布は、絹スカーフ、絹のハンカチ、濃染処理済みの綿のバンダナの中から選んでいただきました。こちらは絹スカーフ。
葉や花のほか、ターメリックやアカネ、マスタードの粉、蚕紗交じりの乾燥桑の葉など、必ず色が出そうなものも散らしました。選び方、置き方に、それぞれの方の趣味や個性が出ます。でも、この通り染まりつくとは限りません。
端から布をぐるぐる巻いてから、さらに巻貝のように巻き、しっかり縛ります。
こちらは巻いて止めただけ。芯にはラップやクッキングペーパーの芯がちょうど使えます。
蒸している間、ピザづくり。どんぐり工房の庭にあるピザ窯で焼きます。
レンコンに塩ダラ、キノコ、ブロッコリーのピザ。熱いのをほおばった後、蒸しあがった布を広げ、草や葉を取り除いてから媒染に入ります。
媒染は、アルミと銅、鉄の3種を用意。こちらはアルミ媒染で出来上がったスカーフです。
紫はごバイシかな。あざやかです。
左は鉄媒染。
こちらも鉄媒染。写真では不鮮明ですが、それぞれみないい。ただし、葉の形がうまく出たのはわずかでした。もっとたたいたりこすったりするとよかったかも。
バンダルダイ、思った通りにはなかなかいきませんが、とにかく楽しい。初夏から夏にかけて、花や葉が最も旺盛な時に、また会を開きたい。5月か6月ころに告知します。ぜひお越しください。
第5巻目、読み終えました! 江戸時代から第二次大戦後に至る庶民の歴史。タイトルは「近代の暗黒」です。
「急激な「近代化」は、その真っ只中に巨大な暗黒を抱えて進んだ。都市のスラム、使い捨ての女工たち、タコ部屋や坑内の重労働・私刑・死・・・・ その暗黒を生きた人々。忘れられた私たちの隣人の多様な生」
昭和11年、秋田県の警察が調べたところによると、この年故郷を離れた女性の数は2824人。「総数の五十五パーセントが女工であり、十八パーセントがいわゆる「醜業婦」」だったという。最初から「醜業婦」つまり、芸妓、娼妓、酌婦、女給として村を出て行った女性もいるけれど、女工として離村した後、過酷な仕事がつらくて転落していった女性も多いとのことです。
当時の女工の就職先はほとんど繊維業界。明治30年代には、24時間操業が当たり前になっていて、女工たちの労働時間が18時間、というところも。寄宿舎併設の工場がほとんどだったので、徹夜業も簡単に課すことができました。「募集人の甘言」によって村から連れてこられた女工は、当初から支度金、旅費と称して借金を背負わされて就業。あまりの過酷さに逃亡を試みても、つかまって「懲罰を受けるものが多かった。殴打されたり、裸体にして工場内をひきまわされたりする者もあった」。
都市の片隅で貧困にあえいでいた失業者達は、やはりおなじく「募集屋」によって「タコ釣り」され、北海道の鉄道敷設工事に駆り出されました。彼らは「商家を追われた徒弟だとか、都会にあこがれて離村した農民だとか、苦学生といった、ほとんどが土木労働の経験のない失業労務者」でした。「募集屋」は「誘拐」も辞さず、自暴自棄になった酔っぱらいを身ぐるみ剥いでどこかの家に放り込み、監禁する。そして人数が集まると汽車に乗せて北海道へ。彼らを待っていたのは覚えのない借金。それを警察官と「監獄部屋の幹部」たちによって恫喝され、「タコ部屋」へ送り込まれます。
「(タコとは)これはすなわち自分で自分の身を食い詰めるタコの習性からきた名称で、おのれの不了簡や一夜の酒食で骨身を削る苦役の世界へ落ち込んでゆく、その境涯があたかもタコの習性に似ているというのである」
「北海道の道路網はもちろん鉄道の敷設、築港、治水、灌漑工事、または鉱山開発にいたるまで、官営、民営を問わあらゆるず土木工事は、監獄部屋の人夫たちの血と汗、酷使と虐待と死傷の上になしとげられたのである」
炭鉱夫の話もすさまじい。当時の産業の根底を担うエネルギー源だった石炭。その石炭を掘る仕事もまた、最下層の人たちが担っていました。九州では、親戚に炭鉱夫がいることは恥とされ、ひたかくしにしていたという話も載っています。
小作争議、米騒動などの詳しい記録も、初めて知りました。在日朝鮮人と結婚したため、戦後だいぶたったっというのに、身内の結婚式に列席させてもらえなかったという女性の話も。
数か月かけてやっと読了できた「日本残酷物語」。つい60~70年くらい前までの日本の姿を活写していますが、「タコ部屋」の話には今問題になっている「闇バイト」を、女工の過酷な労働は、ブラック企業の存在を思い出させます。決してなくなったわけではない「残酷」な「物語」。いまも私たちの一見不自由のない生活のすぐそばで、どんな悪質な事態が進行していることか。そう思うとぞっとします。
1930年代にできたアメリカ映画。https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=10884 脱獄物の走りだと言われているそう。よくできた映画でしたが、みているのがつらくなるほど、いやな場面が続きました。
主人公は戦地から帰還して故郷に戻り、出征前に務めていた地元の工場での勤務に就きます。しかし彼の望みは土木の仕事に打ち込むこと。戦争中の工兵としての経験を活かしたいと考えています。で、兄の反対を押し切って出奔。アメリカのあちこちで進められている大型土木工事の仕事に就きたくて、転々としますが、思わしい仕事は見つかりません。ほぼ文無しになったときに知り合った浮浪者らしい男に連れられて入ったバーで、浮浪者は突然店の主人に銃を突きつけ、強盗を働こうとします。戸惑う主人公に金庫から金を盗むよう指示しますが、やってきた警察官に殺されます。主人公は金を懐に入れて逃亡を試みますが、こちらも逮捕されます。
前科なし、人を傷つけてもいないというのに、彼はなんと懲役10年という厳罰を科され、刑務所に送られます。その刑務所で、彼は他の囚人同様、両足に鎖をつけられ、重労働に従事させられます。重労働はつるはし一本で硬い岩盤を割るという作業。あるときは古い線路を壊す、という作業もさせられているので、囚人は当時のアメリカにとって重要な労働力だったのではないかと思われました。この過酷な労働の場面がすさまじい。
主人公は耐えかねて脱獄。名前を変えて都市で土木建設会社に入り、頭角を現します。ジャンバルジャンみたいに、優良な市民になりつつあったその矢先、密告によってあえなく逮捕。そのあとがすさまじい。題名の「仮面の米国」とはこういうことだったのか、とおどろきます。
本作は、この映画のモデルになった実在の人物(当時も逃走中だったそう)の証言によって作られたそうです。上映後、この人物が逮捕され重労働を科せられたジョージア州は、映画会社を訴えたそうですが、数年後には、チェーンギャングシステムと呼ばれる、囚人を鎖で拘束するシステムは廃止になったということです。暗くて苦しい映画でした。
香港が舞台の現代劇。「日帝時代の生まれ」という桃さんは子供のころから、ある金持ちの家の使用人として働いている。時代が変わって、雇い主の家も大きく変化しているらしいのですが、桃さんは香港でマンション暮らししている当家の息子のために、家事全般をこなしています。桃さんのしあわせ - Wikipedia
映画関係者らしい息子は、桃さんがきれいに洗濯してクリーニング屋から戻ってきたかのように丁寧にたたんであるシャツを着ることにも、桃さんが作った多彩の料理にも、一つ一つ感謝するとか驚くとかほめるとか、そういうことは一切なく、ただたんたんとあたりまえのように受け取っています。桃さんも、彼の生活にときには干渉しますが、台所で自分は立って食べ、決して雇われ人としての分を外すことはありません。
息子はあるとき、桃さんを連れて映画の試写会へ。彼女は精一杯おしゃれをしているのですが、それが上着もアクセサリーもすべて「奥様」たちからのおさがりらしいと、なんとなくわかる。桃さんのはにかみ方がかわいい。桃さんはアメリカに住んでいる雇い主一家の子供たちにも人気があるらしい。老齢となった彼女の面倒を見るように、というのは死んだこの家の主からの遺言です。
桃さんには血縁はおらず、つながりはこの家の家族だけ。でも、どちらの側も、雇人⇔雇われ人の位置から外れるつもりもなく、取っ払おうとすることもありません。この淡々とした関係が「桃さんのしあわせ」なのだろうな。
脳梗塞か何かで倒れた桃さんは、養護老人ホームへ移ります。しばしば面会に来る雇い主の息子は、彼女には自慢の種です。息子にとって桃さんは実の母親より気やすい仲のようなのですが、そのことはさしてこだわりを持っては描かれず、ただ、死期がちかづいている老メイドを、やさしく見守る様子がつづられます。
先月中頃、豊田市交流館と社会福祉協議会稲武支所共催の「子育て講座だっころん」のプログラムのひとつとして、3年前からアンティマキの優しく易しい焼き菓子の会がどんぐり工房にて毎年一回開かれています。
今年はその3回目。今回は甘いおやつではなくて、小腹がすいたときのごはん代わりにもなるおかずスコーンと野菜スープを作っていただきました。
いつもは平日の開催なので、参加者は就園前の小さなお子さんとお母さんだけ。でも今年は家族にも一緒に参加してもらおうと、土曜日開催となりました。集まってくれたのは、就園前のお子さんとお母さんのほか、小学生のお兄さんお姉さん、おばあちゃんやお父さん、総勢26人ほど。
メニューは、キャベツとちりめんじゃこのスコーンと、ニンニク塩こうじと野菜ジュースの重ね煮スープ。ひよこ豆を入った野菜たっぷりのスープです。重ね煮の順番を飛び越しそうになった私に、しっかり指摘してくれた小学生のお兄ちゃん。
毎年この会でだけ出会う稲武の小さな子供たちと若いお母さん。ものすごく少子化になっていますが、それでもまだこうして集まってくださる方たちがいるのが、うれしい。
お父さんも参加してくださったご家族。あとでお母さんからメイルをいただきました。この日の翌日、お子さんが、「今日もスコーン、作ろう」と言ったそう。で、作ったそうです。読んでて思わず微笑みました。
右の男の子は、スープを二杯もおかわり。どの子も、野菜だけのスープをほぼ完食してくれたようです。
油や砂糖、塩などの調味料の大切さや、食品添加物の話など、お子さんたちの食事をつかさどるお母さんたちが相手と思うと、いつもよりついつい、熱が入ってしまいました。