アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

車座ミーティング「いなかをいなからしく磨き上げる」に参加しました。

2017-02-11 17:43:56 | 田舎暮らし雑感
   2月5日、足助交流館で開かれた車座ミーティングに参加しました。タイトルは「いなかをいなからしく磨き上げる」。豊田市内の都市部と山間部のコーディネート役として活動しているおいでんさんそんセンターの主催です。

   このイベントは、数年前から毎年開かれているのですが、参加したのは今年が初めて。参加した理由は、基調講演の登壇者・石見銀山生活文化研究所の松場登美氏の話を聞きたかったからです。

   松場さんはアパレルメーカー・群言堂の代表。人口500人のかつて栄えた銀山の街なかに、会社を持ち、古民家を何軒も再生して、宿泊施設や店舗などとして利用しています。

   群言堂の洋服は、足助の街中の本屋・マンリン書店で見たことがあります。質のいい生地を、着やすくしかもおしゃれに仕立てた服が並んでいました。わたし好みです。ほしかったけれど、おしゃれにお金をかける習慣のない私には即決する勇気がなく、そのままになっていました。
  
   松場さんが講師ときいておもったのは、行政や地域の力を借りる前に、魅力的な個人や個店や企業があれば人は集まり、経済は豊かになり、地域は自然に活性化するだろう、とぼんやりこれまで私が思っていたことを、まさに体現している方のおひとりではなかろうかということです。

   で、やはりそうでした。

   彼女はいろいろ興味深い話をなさいましたが、なかでもわたしが共感した言葉はこれ。「一企業が地域のレベルを上げることはできる」

   一企業が経済的に地域を豊かにすることは、日本中あちこちでやっています。私がすんでいる豊田市はまさにそう。もともと挙母町という町名だったのを、トヨタ自動車が移転したのにともない、名前まで変えてしまった。いまやたぶん、日本屈指の豊かな市だと思います。

   でも、松場さんが言うのは、少し違います。「金銭も精神も両方を豊かに」し、「継続させるのが目標だ」とおっしゃいます。会社の方針は、100のうち、「文化に51かけ、経済に49かける」と決めているそうです。企業のメセナもさかんですが、それともちがう。なん百年も前の朽ちかけた古民家を再生し続けているのも、その方針から。そして、家を改築するだけではなく、そこに人がすんで家を生き返らせるのが目的だそう。

   そのうちの一軒で、宿泊施設になっている「他郷阿部家」(宿泊施設)の写真が講演中何枚も紹介されました。「今の家は建てた直後が一番いい。でも昔の家はだんだんいい家になる」と、友人がいいましたが、まさにそのとおり、ちゃんと建てられた家は、住むほどに美しくなるのだなと思いました。 

   500人の小さな集落に、彼女の会社の社員は90人。それもほとんどよそから移住してきた20代30代の若い人たち。いまは、服だけでなく、種々の生活用品の開発にも取りくんでいるそうですが、それもみな、松場さんと若い社員たちの闊達なコミュニケーションによって生まれたようです。 
   
   午後は分科会に分かれて、話題提供者の話を聞き、ミーティング。わたしが出席したのは、スモールビジネス研究会。話題提供者の一人は、奥三河Three trees+のメンバーの三木和子さんでした。和子さんも、ほかのふたり~東栄町でdanonというシエアハウスを始めた金城愛さん、旭地区で農家民宿ちんちゃん亭を経営している鈴木桂子さん~も、移住に至るいきさつ、移住後の生活、家族のこと、仕事のこと、近隣との付き合いなどについて気負うことなく紹介。紹介の仕方がしっかりしていて、感心しました。

   その後は、席の近い人たち数名とミーティング。

   たまたま、移住者と都市住民と地元住民が車座になった形だったので、普段は聞けない意見が聞かれ、勉強になりました。

   松場さんは私と同世代。わたしが田舎暮らしにあこがれ始めたころ、人里離れた銀山跡地の集落に移住しました。それからほぼ30年。当時は、あえて田舎を選ぶなど、よほどの事情があるか、相当酔狂な奴に違いないと思われていました。ところがいまや、田舎暮らしは、若い世代の結構な割合の人たちを魅了するくらしかたになっているのだとか。やっと話の合う人たちに出会うチャンスが増えるようになったな、と思うこの頃です。

   
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草刈り考

2011-01-16 15:07:11 | 田舎暮らし雑感
  田舎に移住した人と、いつか移住したいと思っている人の座談会のようなものを、あるブログで見つけました。そこには、移住して何年も経った人のアドバイスが書かれていました。
  
  「田舎の人は草刈りが好きです。草刈りをしないと一人前と認めてもらえない。だから田舎の人とうまくやっていくには草刈りは欠かせません」

   私も、来たばかりのころは、近隣の人々が陰に陽に発する、「草刈りしろ!」攻撃にたじろいだものです。家の周辺の草を私たちがいつ刈るか、見張られているように思ったものです。

   京都のアパートメントの一階に住んでいたとき、ある年からアパートの敷地内の空き地の手入れがされなくなりました。この空き地には、ビワやウメ、そのほかあまり大きくない木々が植えられ、芝生と雑草が混在していました。窓越しに、まず最初に緑が目に映るというのは都会ではかなり贅沢なことで、住居をここに定めた理由のひとつは、この緑地にありました。

   手入れされなくなったときから、緑地の雑草はみるみるうちに伸び、すぐにベランダにまではびこりました。当時は名前を知らなかったのですが、たぶん、カナムグラや洋酒ヤマゴボウだったと思います。

   私は、ベランダの手すりに絡みついたこれらのつる性植物を眺めるのも、また好きになりました。引越しするときまで、切らないでいたように思います。アスファルトの隙間で元気よく伸びるタンポポや桜草にも、心惹かれたものです。

   そんな感覚のまま田舎に越してきたので、田舎の人の、「草すなわち、駆除するべき敵」という感覚には、違和感を覚えたものです。

   下の林に家人が丸太でベンチを作り、地元で知り合った女性と座ってお茶しているときでした。私が「ああ、気持いい!」というと、彼女は目の前にある小川の向こう岸の崖を指差して、「あの雑草がなければね」と言い足しました。一瞬言葉に窮しましたが、私が、都会にいたときは雑草であっても大事な緑だったのだということをぼそぼそ話すと、彼女は怪訝そうな顔したきり、黙りました。

  また聞きした話ですが、昔は崖(このあたりでは「ボタ」といいます)に豊富にあったワラビやゼンマイが減ってきているそうです。草をしょっちゅう刈るせいで、大事な山野草まで絶えてしまったのだそうですが、この話をしたのは地元のおばあさん。彼女は「刈り過ぎたらよくないと分かっているけれど、近所の手前、刈らずにいることができない」と付け加えたそうです。

  こんな話もあります。このあたりは、草を家で刈れない場合はシルバー人材センターに頼んで刈ってもらうのが常です。広い敷地を持っているある人が、敷地内のあちこちの草をシルバーに頼んで刈ってもらいました。きれいに刈り取られた後を見た近所の人が、「あんな北側の、人が見もしない崖までお金を出して刈ることはなかったろうに」と言ったのというのです。

  「雑草の種が、自分の畑だけでなく近所の畑にまで飛んでいくのは申しわけない」とか、「草を伸ばしっぱなしにしておくと、蛇やマムシが増えたり、イノシシなどが出没しやすい環境を作るからよくない」というなら、話はわかります。そうした、切実な理由があるから刈るのであろうと思っていた私は、この二つの話を聞いていささかあきれました。

 雑草が勢いよく伸びだす季節になると、終日あちこちで刈り払い機の音が聞こえてきます。きれい好きの人は、いったん刈り出すと刈った後のすっきりした土地を見るのが気持ちよくて、やめられなくなるのかもしれません。

  この地域の話ではありませんが、ある田舎にすむ知人が言っていました。「周りの人たちは草にも虫にも興味を持たない。虫は、ただ虫と呼び、草はただ草と呼んでいるだけ」と。確かに、刈り払い機を使ってなにもかも一緒に刈っていたら、虫の存在には気がつかないし、草の違いはわからなくなるでしょう。

  江戸時代、幕府や藩は、農民に物を考えさせず、反抗などしないようにひたすら働かせることを考えていたといいます。そのひとつの方法として、草取りを奨励したと聞いたことがあります。もしかしたら、当時の習慣が今に続いているのかもしれません。

  ただし、昔は草は大事な飼料であり、肥料でした。このあたりに多い棚田では、低い「ボタ」を境に、他人の田畑と接しています。その「ボタ」の草は、上下に分けて半分ずつ刈るのが昔からのしきたりだと聞きます。当時は、「半分しか刈ってはいけない大事な草」が、今は、「半分は刈らなければいけない邪魔もの」になっています。

   8年たった今も、私の家とその周辺は、相変わらず雑草と雑木に囲まれています。ほんとういうと、以前より雑草は好きでなくなり、もっと除草に励んで、気に入った植物を育てたいと思ってはいるのですが、なかなか手が回らず、結局あまり変わらない風景のままです。

  とくに、昨年の異常な暑さで草の伸びは例年以上でした。あっというまに伸びて、せっかく育てた野菜が消えてしまうことも。あたりまえのことですが、せめて野菜が生長するまでは、きちんと周りの草を刈ってやらないといけないのだなあ、と痛感しました。今年は、買っただけで使っていない電動刈り払い機を使うことにしようと思っています。

   私の理想の畑(&庭)の姿は、草木染めできる雑草と野菜と花とハーブが共存していること。作物や花は草に負けないで、でも草も元気よく育つ理想の場所に、今年は一歩近づきたいと思っています。

   
    

   

   
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