アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

農山村交流まつりが開かれます!

2011-03-23 10:23:28 | イベント出店情報とそのほかのお知らせ
   今月末の日曜日、3月27日に、豊田市足助地区の杉本町にある旧杉本保育園で、「農山村交流まつり」が開かれます。

   このイベントは、旧杉本保育園を活用する会と農山村交流まつり実行委員会の主催によるものです。

   旧杉本保育園は、足助地区と旭地区の境の辺りに位置しており、民家は点在していますが、周りは静かな山里の風景が広がっています。この施設は、いま、とよた都市農山村交流ネットワークの事務局になっていて、都市と農山村の交流や、山村の活性化に関わるさまざまなグループの中継センターとしての役割を果たしています。そのセンターのおひろめのイベントとして、早春の山里でこの日おまつりが催されることになりました。

   私は、このネットワークの会員でもあることから、おまつりに出店することになりました。販売するのは、穀物クッキーと冬のオカキ、米粉のリンゴケーキ。もしできたら、こねずに作る玄米ご飯パンも初めての商品として出品したいと思っています。

   最近組んだばかりの私たちのユニット・奥三河Three trees+も出店します。KOKOROZASHI工房のゆきえさんは天然石鹸、みきさんは低農薬栽培のラ・フランスのジャムと、同じ農家の紅玉のジャムを出品します。このユニットについては、先ごろ、三河の山里便りで紹介してくださっています。Kaochan35さんが撮ってくださった写真が素敵です。ぜひご覧ください(コチラ→)。
  
おまつりでは、会員たちのイベントがいろいろ目白押しです。下山地区の「山遊里」のイノシシハムの試食、もちつき、旭地区の伊藤美寿代さんの甘酒のふるまい、豊森なりわい塾の椿油しぼり体験、小原地区の西村自然農園による大豆できなこを石臼で挽く体験、薪割り体験などなど。私は、椿油しぼり体験が楽しみ!

   手作りみその豚汁や焼きそば、ピザなどのお店も出る予定だそうです。当日は、できれば環境に配慮して、マイ皿、マイカップ、マイ箸などを持ってきてほしいとのことです。音楽隊の演奏やクイズとゲームもあり、静かな山里がこの日はにぎやかになりそうです。時間は3時間だけの開催なので、はやめにお出かけください。

  場所と時間は次の通りです。
*旧杉本保育園  豊田市杉本町三斗成1-3 とよた都市農山村交流ネットワーク事務局 電話0565-68-1113
  豊田方面からは、国道153号線足助地区の新盛交差点を左に折れ、県道19号線をまっすぐどんどん走ります。最初の信号 (ずいぶん向こうですが)を左に折れると小学校があり、少しいくと杉本こども園が見えてきます。その手前の駐車場の上が旧  杉本保育園です。
*日時:3月27日(日) 午前11時から午後2時まで
  
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KOME KONA CLUB(こめこなクラブ)が誕生しました。

2011-03-20 17:03:32 | こめこなクラブ
  豊田市稲武地区大野瀬町の大桑という集落で、20年以上ほとんど農薬や化学肥料を使わず米栽培をしてきた方がいます。お名前は筒井重之さん。私はここ数年ずっと彼のお米を食べているのですが、とにかくおいしい。おいしい理由は、単に栽培の仕方によるだけでなく、はざかけという昔ながらの天日による乾燥方法を取っているからでもあります。

  この筒井さんのお米は、有機栽培米の認可も特別栽培米の認可も受けていません。許可を受けるには、煩雑な手続きとたくさんの費用がかかるからです。そのこともあって、せっかくおいしいお米を作っても、彼のお米を大量に引き受ける店は少なく、私のようなごくわずかの消費者が個別に彼のお米のファンになっているだけです。(彼に関する記事はコチラでも→)
  
  そこでこの春、稲武内外に住んでいる友人知人に呼びかけ、彼のお米を食べ、農作業をちょっとだけ応援する会を立ち上げることにしました。ささやかな産直の会です。

  参加することになったのは私を入れて9人。どんな活動が無理なく出来るかわからないので、1年目はこれだけのメンバーに限定し、まずは発足会を開きました。
  
  発足会では、筒井さんの米をみなさんに食べてもらうことにしました。右が玄米、左が5分搗き米のおにぎり。みんなで握りました。

  おかずは持ち寄り。写真手前は昨年干したタケノコ(コチラ→)の煮物、その上はCさんのユズ胡椒風味ニンジンサラダ、左はOさんが自分で作ったこんにゃくです。そのほか、「みそスープの素」(コチラ→)で作った具沢山の味噌汁に、Mさんのグルテンミートの煮物と金山寺みそ、Aさんのしぐれみそなどなど、滋味あふれる豊かな食べ物が並びました。

  デザートは、Sさん作のクラッカーとKさん作のカレンズのケーキ、それにAさん作のリンゴのくず溶き甘煮。お米の味もさることながら、どれもみなおいしくて、おもわず顔がほころびました。

  ところで、筒井さんはこの会の発足を喜んで、素敵な提案をしてくださいました。あり余っている休耕地を使って小麦栽培も手がけてみたいというのです。彼は以前、ビニールハウスの中で育てている野菜のために、緑肥となるよう小麦をまいたことが何度もあり、とくにその小麦がよくできた年、こころみに粉に挽いたことがあります。分けてもらったその地粉はとてもおいしく、いいものでした。その経験があるので、春蒔きの小麦を育てようと思い立ったのです。

  米だけでなく良質の粉が近い土地で手に入るなんて、とてもありがたいことです。そういうわけで、会の名前は、「KOME KONA CLUB」と決定しました。「こめこな」は、漢字で書くと「米粉」。これではビーフンのクラブに間違えられそうなので、ローマ字またはひらがなを使うことにしました。

  援農については、6月の除草、11月のはざかけの仕事を応援に行くと決まりましたが、小麦畑に関してはまだ決まっていません。筒井さんの栽培スケジュールにあわせ、私たち素人が応援できる仕事を探すつもりです。

 この会では、ときどき集まって稲武の大きな石窯を使うことも決まりました(関連記事はコチラ→)。いずれ、近隣で生産されている無農薬米、低農薬米などの食べ比べ会も開きたいと思っています。ご飯もパンも大好きな私たち。同好の士が集まって、食欲と知識欲を満足させて、楽しいひと時が過ごせたらいいなとおもいます。活動の様子は、おってこのブログで報告します。 

 
  

    
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4年前の耐震改修記録

2011-03-19 18:31:19 | 耐震改修の記録
 東北関東大震災が起きて1週間がたちました。続々と放映される災害の映像は、想像を絶する自然の猛威を、これでもかこれでもかというように私たちに見せ付けました。この間、東海大地震発生の不安もあって、熱に浮かされたような落ち着かない日々を過ごしました。

 そんなおり、4年前に書いたある記録を思い出しました。今住んでいる家を耐震改修した記録です。いつかHPに載せようと思いながら、日々にまぎれて忘れていたものです。

 改築前のこの家は、とんでもないぼろ家でした。解体後明瞭になっていった、手抜き工事の数々。人の命がかかっているとわかっていながらずさんな建築をした業者の感覚をおもうと、いまでも強い憤りを感じます。たまたま機会があって改修に踏み切ることができましたが、もし何の手立てもしていなかったら、とおもうとぞっとします。地震が起きて、このあたりで私の家だけ倒れるという事態になっていたかも知れません。もしそうだとしたら、天災にあったというより人災にあったといえそうです。

 阪神淡路大震災のおり、最も倒壊したのは、昭和40年代・50年代の高度成長期に急造した住宅だったと聞いたことがあります。古くはあっても、伝統的な工法でしっかり建てられた家や、建築基準法が見直された後の家はわりに大丈夫だったというのです。私の家はそのもっとも倒壊率の高い時代の、昭和50年に建てられたものでした。
 
  今回の震災を機に、耐震改修に踏み切ろうとお考えの方も多いとおもいます。その方々に何かの参考になるかもしれないとおもい、当時の記録を若干修正して載せることにいたしました。煩雑な部分も多々ありますが、ご了承ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*耐震強度0.25
 2006年春、豊田市の「無料耐震診断」に申し込んだ。
 6月4日、検査員が訪れる。畳を上げて床の下に入ったり、縁の下に潜ったり、天井裏に上ったりして検査。写真も何枚か撮る。「強度は低いようだ」と、診断員。ただし、あくまで、「非破壊検査」なので、正確なところはわからないという。
 7月、市から検査結果の通知が来る。耐震強度は0.25。「倒壊の可能性が高い」というランクになっている。姉歯建築士の耐震強度偽装が問題になっているが、彼の設計したマンションで、もっとも強度が低いのが0.59だとテレビのニュースで報道していた。その半分も満たない強度だ。唖然とした。低いといってもそこまで低いとはおもわなかった。診断員と共に訪れたMaさんは、「名古屋市の基準だともっと低くなる可能性がある」といった。
 耐震工事をした場合の、豊田市の補助は60万円。8月末までに申し込めば、今年補助が受けられると聞き、急遽、業者に見積もりを依頼。補強工事に踏み切ることにした。

*でっかいぼろ家
 この家は、前の持ち主である私の父が、20年ほど前に手に入れたものだ。でっかいだけでみるからにみすぼらしい家だったが、一階は売主が改修するというので、土地とあわせて入手した。一階は112.62㎡、2階は107.65㎡。南正面と東の壁はモルタル。北と東には汚いトタン板が張ってある。

 家は、もともと大正時代に建てられ、稲武市街地にあったものを、昭和50年に今の場所に移築。5年ほど飲食店を営業していたが廃業。数年間放置してあったものだ。それでも、建築してまだ10年もたってはいなかった。二階は、移築しただけで、中は住めるようになってはいなかったので、父が業者に頼んでリフォームした。家の代金とリフォームの代金を合わせると、けっこうな金額になったが、家の大きさに比べたら安い、と父は判断したらしい。でも、近頃見かける田舎の物件情報と見比べると、この家は決して安い買い物ではなかったことがわかる。
 移住したあと、父が地元の人から聞いたうわさによると、この家は、国道の新経路が検討されていたときに、新しいルートにかかりそうと踏んだ上で建てられたものだという。どんな家であれ居住または営業してさえいれば高い立ち退き料がもらえるというのでできた家だというのだ。だから、はじめから長いこと住むために建てられたいえではなかったことが、後になって推測できたわけだ。
 真相は分からないが、こういううわさがあながちうそではないと思えるほどの、ちゃちな家だったことは確かだ。結局、新経路はそれまでの国道よりもっと向こう側に作られ、この家は経路にかからなかったどころか、新しい国道からはさらに不便な場所になったため、飲食店ははやらず、しかたなく売りに出されたと取りざたされていた。
 引っ越してから、この家を建てた業者に納屋と車庫が一体になっている建物の建築を依頼した。そのおり、工事に来た大工さんが、両親に、「この納屋のほうが母屋よりよっぽど安全に作られている。年を取ったら、こちらを改造して住んだほうがいい」と勧めたという。

*湿気屋敷
 湿気屋敷とは、こちらに来てはじめて聞いた言葉だ。稲武は山が多く、日陰が多い。山を背負っていたり、沢に面していたりする家が多いため、十分な日当たりが望めない。それで、こんな言葉が当たり前に使われるのだろう。
 うちも立派な湿気屋敷だ。南側は道下のがけになっていて、日があたらない。北側の真下は小川が流れている。昼でも暗く、二階の南側だけが昼間の電灯をつけないですむだけだ。台所に、ホームセンターで買った木製ワゴンを置いたところ、数ヶ月もたたずに全体にカビが生えた。流しの引き出しに入れた木のしゃもじやトングはかならずカビだらけになる。家のある場所もいけないのだが、つくりも悪い。飲食店時代土間だったところに、板を張っただけの台所だからだ。

*焼け石に水の修理
 10年前、西側に2DKの24坪ほどの平屋を建て、両親はこの家で生活するようになった。そして3年前、私達がこちらに引っ越すことになったとき、母屋を若干修理した。
 まず、屋根。コンクリート瓦が乗っていたのだが、あまりに古く、雨漏りするのも時間の問題のように思えたので、トタンに変えた。瓦でなくトタンにしたのは、コストが低いこともあったが、軽くしたかったということもある。瓦は5トンもあったそうだ。
 2階は、歩くと大きく揺れる。うちに来る子供たちがおもしろがってどんどんと跳ぶと、振動がすごい。それで、2階の畳の部屋だけ修理することにした。ほかの部屋は板の間なので修理が大変だからだ。ゆれは初めからあり、父が売主に告げると、「この家は2階で昔養蚕をやっていたので、蚕部屋は人の住む家より床に敷く板が少なくしてある。どこの家でもそうだ。だから心配ない」と、わけのわからない答えが返ってきたらしい。でも、人がすむことになってリフォームした時点で、床板を増やすことは可能だったはずなのに、そうしなかった。
 たしかに、床をあげてみると梁が半間ごとに入れてあるだけで、間がかなりあいている。揺れるはずだ。それを倍に増やし、細い梁には木で補強してもらう。さらに、あちこちに柱を立てた。といっても、敷居から鴨居までの高さに立てただけなので、たいした用はなさない。それでもないよりましだとおもって、頼んだ。
 さらに一階の居室の下には炭を入れた。また、細長い台所を広げるために、玄関の土間を半分に仕切り、板で壁を作った。壁があるだけでも耐震になるかもしれないという思いもあった。
 また、やたらに多いガラス窓を少しでも減らしたくて、古いトタンを張り替えるついでに、北側のガラス窓半分を、トタンでおおうことにした。
 このとき、修理に来た人たちが、一階の居室の南側に柱が少なく、しかも鴨居のあるべき場所に何も入っていないようなのにおどろき、かなり手抜きの建築がなされているようだと、言っていた。部屋を仕切る障子の横幅の広いのにも驚いていた。

 この3年前の修理より、さらにさかのぼって、今から10年ほど前、父は一階の床を修理してもらっている。踏むとふわふわし、床が抜けると怖いと思ったからだ。
 このように、あれこれ、この20年近くの間に手をかけはしたが、いずれも対処療法に過ぎず、根本的な修理をしなかった。しかし、知らない間は仕方のないことだ。知ってしまった今となっては、一日も早く改修をしないと、不安はぬぐえない。

*業者の選定
 8月末、豊田市の「耐震改修費等補助制度」の、平成18年度分の締め切りにあわせて、設楽町の小松建設に見積もりと書類作成を依頼する。小松建設は、うちを診断したMiさんが所属する会社。診断の折同行した一級建築士のMaさんが経営者。地元に建設業者がいないわけではないが、建築診断をしてくれたところが安心できるとおもい、依頼した。
 小松建設が出した見積もりは当初の予想よりはるかに多額だった。ほとんどなされていない基礎工事を一からおこなう。土台も作る。壁をすべて壊し、外から筋交いを入れ、部屋の内部のあちこちに耐力壁を設ける。大雑把にいってそれだけの工事だが、とにかく一階はすべて建前のときと同じ状態にいったん戻してから仕事を始めるので、費用はかかるわけだ。壊して建て直したほうが良いのではという知人たちも多かったが、今のように広い家を建てるには二倍以上の費用がかかる。小さな家なら現在すでにあるので、同じような建物を作るのもったいない。使いやすい広い家で、仕事の枠を広げたいという思いもあって、改修に踏み切ることにした。
 9月半ば、豊田市から、申請許可の通知が届き、一階の片づけを始めた。

*補強工事の概要
 補強工事は、一階を中心に行うことにした。基礎と土台を作り、一階をしっかりさせれば、2階は基本的にいじる必要がなくなるというわけだ。耐震補強を部分的にするというだけの修理ではないので、どっちみち、家のしつらえは作り変えなければならない。そのため、ついでにリフォームもすることにした。2階では、いままでどおり、工事中も生活を続けることになった。
 工事の流れは以下のとおり。
 一階の建具、床、壁、天井をすべて取り除き、柱だけにする。ここまでは、解体屋さんの仕事。解体したあとすぐに、大工さんが仮の筋交いをあちこちに建てる。極度に耐震強度が減った建物を、強くするためだ。
 そのあと、曳き家業の人たちが家を持ち上げ、持ち上げている間に、基礎工事を施す。
 基礎が出来たら、家を元通り下げる。
 そして、外壁工事が始まり、外壁に筋交いを入れ、サッシも入れていく。そうして、内装にかかる。
 ついで、隠居所との接続をしなおす。ここまでで、ほぼ4か月かかる予定だ。

*工事の実際

10月12日 
 11日から始まった解体工事は今日で二日目。まずは一階だけ外壁をすべて取り除き、柱だけにして、持ち上げ、基礎工事を行った後、下げて外壁工事が始まる。しょっぱながこの解体だ。主要な柱、梁はほとんど古材が使われている。
 工務店は新城の「泰匠」のNoさん。Noさんに、骨組みだけになりつつある家の前で、どこがどうおかしな建築か尋ねる。以下、彼の話。
  「建物の南側には両端にそれぞれ二本、すこしはなれて二本の計四本の柱がある。横幅が広いのに柱が少ない。もともとはそれぞれ二本目の柱の真ん中に一本ずつ、計六本あったとおもわれる。だが、玄関口を広くするため、柱を上で切った名残がある。柱が減ったため、上部のコンクリートに亀裂が入っている。
 両側に筋交いはいちおう入っている。東側には、古材の太い柱が入れてあるので、こちらは良いが、西側は厚さ3センチほどの薄い板が入れてあるだけで、東側とのバランスが悪い。幅も短い。この厚さの板を使うなら、バッテンの形にしなければ役に立たない。
 断熱材は北側にしか入っていない。南側も東側も入っていない。土壁もないから、かなり寒かったろう。
 南西角の柱は、下のほうが朽ちている。雨が入り込んだためだ。コンクリート壁はたいていこうなる。2階の西側の窓のあたりにも亀裂が入っていて、コーキングが施してあるが、あれは、水が内部に入ったため、手当てしたのだろう。風を受けただけでも振動するので、亀裂は深くなる。それに、地面が基礎よりも高いので、水が入るのは当然。」



10月13日
 解体工事はきのうで終わる。壁も戸もなくなったがらんどうの一階で、あちこちを見て回る。
  南西角の柱は、下から30センチほどの高さのところでついである。それも、ただ、直角に切った木どうしがくっついているだけだ。野村さんの話では、つぐなら、斜めにして、臍穴もあけ、動かないように固定するもの。現状では、横揺れが来たら、簡単に折れてしまうという。よく見ると、ほとんどすべての柱で同じ継ぎ方がしてある。
また、すべての柱は、古材。古いことはかまわないのだが、臍穴があいた柱が使われている。この穴は、昔は、壁土を塗るために使われていた。壁塗りはしていないので、穴はただそのまま開いたまま。柱そのものは現在使われている柱より太いのだそうだが、実際、力がかかっている部分は、穴の周りだけなので、非常に細くなる。その上、柱が載っているのは、それぞれコンクリートブロック、それも普通の大きさのブロックの半分の大きさのものだ。昔の家なら、ツカ石と呼ばれる大きな石の上に柱を載せていた。工法が同じなのに、使っている石はこの半分のブロックなのだ。
コンクリートは割れやすい上に、湿気を持つ。小さなブロックに柱が載り、しかもその柱は20センチくらい上で、ほんとの柱に替わっている。積み木を積んだだけのような建築だ。横から力が加わったら、ぽきんと折れそうなことは、素人でもわかる。
 梁にはちょうなのあとがみえる。大正時代に建てられたものを使ったと聞いたが、使われている材料はそれより古いものかもしれない。でも、古い建材を使用するのは、別に問題はないという。

 梁の数も少ない。4m50センチの長さに対して、30センチの厚さの梁が使われている。
昔は、鴨居に太い木を使い、持たせた。全体に梁が細い。そのせいか、すべての梁に亀裂が走っている。
 さらに、東西の梁は極めて少ない。だから中央でたわんでいる。
 Maさんは、「たわみを修正すると、2階に狂いが生じる。そうすると2階を直さなければならなくなる。だから、たわみはそのままに補強します」という。
 
10月25日(水)
 来週になると聞いていた、曳き家業の人たちがやってくる。家の前に車を入れ、荷台に載せたユンボで、積んでいたレールを何本も降ろす。四人の人たちがもくもくと仕事。ひとつ間違えば、重いレールで怪我をする。慎重だ。レールのほかに、枕木よりすこし大きめの木材を何本もおろした。

 そして、各柱ごとに地面から40センチくらいの高さのところまで枕木様の木材を積み、上にレールを置いて、柱に縛り付けた。長いレールを東西、南北に格子状に置き、しばりつける。
 先に大工さんが取り付けた筋交いは、レールを置く邪魔になるので、いったん、切り取ってしまう。
 朝、10時ころから始めた工事は、午後3時半には終了した。
 次の週、また曳き屋が来て仕事続行。夕方、親方に呼ばれていくと、1センチ上げたとみせられる。なるほど、すべての柱が1センチほど上がっている。家は枕木とレールでたもたれているだけで、実は宙に浮いている状態なのだ。
 この翌日、Noさんたちがやってきて、柱を切る。下に基礎を敷くためだ。ますます宙ぶらりんの状態になる。

11月初旬 
 基礎工事が始まる前に、再度、解体屋が来て、ブロックをはずした。今までの家の周りにブロックが並べられていたからだ。そして、基礎屋さん登場。
 レベルを計りながら、周りを掘る。若い職人さんが、「回りはブロックだけ。柱の下にはブロック一個。あれでよく持っていたものだ。」といった。
11月13日
 雨模様だったが、生コンを入れる。地元の業者が入り、基礎の業者が作った枠内に流し込む。午前中で終わる。


11月24日
 23日に型枠をはずす。早く強度が増すコンクリートを使ったので、早めに型枠をはずすことができるのだそうだ。つづいて、曳き家の人たちが3人やってきて、柱に縛り付けてあった線路のレールを取り外す。1センチだけ持ち上げた柱がきちんとまっすぐ降りるよう注意しながらの仕事。レールはおろしたときと同じようにクレーンでつり、トラックの荷台に載せる。曳き屋の仕事はとび職。地下足袋を履いた職人が中づりになったレールに手をかけてひょいと荷台にのった。その身軽さに驚く。
 Noさんたちもヒノキの建材を持ってやってきた。いよいよ建設だ。柱にシロアリ防除材を塗り、木を寸法どおり切る。すべて土台にするのだそうだ。今までの家は、基礎もなかったけれど、土台もなかった。
 この日も、また、家の不具合を知らされた。3年前に作ったベランダと母屋の間のガラス戸の下の梁が、雨に入られて腐りかけているのだ。それまで腰窓だったところを掃きだし窓に変えたため、つなぎの部分に不始末があったためらしい。同じような不備は、古い家の梁にも見受けられる。「きのこが生える寸前でしたよ」と、Maさんに言われる。

11月末
 この一週間で一気に工事が進む。柱の数は、元の柱の数の3倍以上入れたという。まだ増えるかもしれない。


基礎と土台の間は、すべて1センチほどのすきまが開いている。風通しをよくするためだという。10年前に作った隠居所は、某ハウスメーカーに依頼したものだが、母屋同様、台所の水屋の奥などにおいたものにうっすらカビが着くことがある。「ちゃんと作った家でもカビが生えるのだから、この土地はよっぽど湿気ているのだな」とあきらめていたら、MaさんやNoさんは、「家のつくりによる。隠居所のほうも、風窓が三つほどしか開いていない。それだと、風が回らず、縁の下で滞ることになる。だから、しけるのは仕方ない」という。今度の家は土台の下全面に風が通ることになるので、安心だ。
みるみるうちに筋交いも入る。一方で、基礎工事のうちに入るのだろうが、基礎の枠の内側、土がむき出しになっているところに、砕石を敷く。その上にビニールシートを敷いた。湿気除けだ。その上に、また生コン車が来て、コンクリートを入れた。この一連の作業を施したコンクリートを「防湿コンクリート」というのだそうだ。
12月3日
母屋に敷設したトイレの改修。この家が飲食店だった時代からあったトイレなので、タイル張りで広い。とくに男性用は広々している。トイレに関してはとりたてて危ないともおもわずに使ってきたが、母屋の一階を取り壊して、トイレのずさんなつくりが明らかになる。タイルの下はなんと板張り。そうとはしらず、タイル張りなのであんしんだと思って、ときには水で床を洗うこともあった。縁の下は、ブロックどころか土にじかに木の柱が接しているところもある。腐り始めているところもある。不定形の小さな石に載っている柱もあるにはあるが。おまけに柱の横に渡した木はたてに下りた木の内側に釘で止められているだけ。横木を支える縦の木はない。なかったり腐ったりしているため、トイレを支える柱はたった一本。それも半ば腐っているものだ。
補修としては、周りにブロックを敷き、モルタルで固め、風穴を二箇所開けてもらう。
しかし、奥のほうは弄れない。隠居所とのつなぎの廊下の床を壊さないと修理できないからだ。人間が3人も乗ったら、壊れたかもしれないと言う言葉に、ぞっとする。

12月4日
午後、豊田市の建築相談課の職員二人が、「中間検査」を行うためにやってきた。時間にして15分ほど、Maさんの説明を聞きながら、チェック。「だいぶ丈夫になった。これだけすればいい」と評価したと言う。一箇所だけ、隅の梁が途中で切られていることに着目。鉄骨で補強することになる。


12月5日
今日は2階の窓をはずし、壁を取り除く作業が始まった。解体途中、Maさんに呼ばれて出て行くと、彼は西側の一角の、2階と1階の間の横木を指差した。なんと、かなり腐食が進んでいて、「きのこがはえている」状態だという。南角も同様だ。この部分は、数年前にベランダを作るために手を入れた箇所だ。最初から乾燥していない悪い木を持ってきて使ったのかもしれないとのこと。つくづくいやになる。

12月初旬から末日
 外から筋交いを入れ、南と東西には入っていなかった断熱材をすべての面に入れる。
ボードを張り、外壁のトタンを張る。トタンは「ガルバリウム」という合金で、強いものだそうだ。二重ガラスをすべての窓に入れ、二階の仕事は終了。専門の業者により組まれた鉄骨の足場は、中旬ころはずされ、外から見るとまったく新しい家に生まれ変わった。
 床下のボードが張られ、ついで、天井の下材も張られる。急ピッチで工事は進み、ほぼ家としての形が出来上がる。
 あとは内装や電気工事など、リフォーム関係のみの仕事となる。レベル0.25がレベル1に上がれば倒壊の心配がなくなる、というわけにはいかないが、かなりのレベルアップが出来たことは事実だ。工事の終了まであとひとつきかかるが、耐震補強のための工事はほぼ終了した。
 

総監督の一級建築士を中心に、工務店、基礎工事業、曳き家業、とび職、鉄骨業、板金業、足場組み立て業など、さまざまな専門の職人さんたちの力で、工事はスムーズに進められた。3ヶ月の間、素人の質問に、気持ちよく答えてくださった業者の方々に、心より感謝します。
 
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こんにゃく療法のこんにゃく

2011-03-14 22:46:27 | アンティマキ風自然的生活
  家人が胃の痛みを訴えるので、久しぶりにこんにゃく療法をすることにしました。

  こんにゃく療法は、あたためたこんにゃくを患部に当て、痛みを和らげて、滞ったからだの循環をよくする働きがあります。

  たいていいつもこんにゃくを買い置きしているのですが、質のいい値段の高いこんにゃくなので、もったいなくて近くのミニスーパーまで買いに行きました。買ったのは2丁100円ちょっとの破格値のこんにゃく。どんぐり横丁でいつも買うのは、一丁240円程度の設楽のこんにゃくなので、ほぼ4分の1の値段です。

  こんにゃくは熱湯で約10分ほど煮ます。このとき、ものすごい異臭を感じました。なんだか昔のトイレのような、非常なくささです。でも、食べるわけではないのだから我慢すればよかろうと、熱いのをタオルに包んで家人の胃の辺りに乗せました。

  載せてしばらくして、家人は「臭い! やめてくれ」と言い出しました。確かにひどい臭いです。私は風邪気味で鼻がちょっと悪かったのと、少々臭くても背に腹は代えられないと思ってやり続けるつもりでいたのですが、病気で敏感になっている家人には我慢できなかったみたい。私も、おちついてゆっくりこんにゃくを鼻に近づけてみて、あまりの臭さに驚きました。いやなにおいは体の芯から萎えさせるようです。値段が安いと、こんにゃくはここまで質が落ちるのか、と驚くやらあきれるやら。

  その日はこんにゃくシップは取りやめ。翌日、以前使っていた残りの千年灸が見つかったので、肩や腰や腕など、痛がっている箇所にすえました。ちょっとした胃潰瘍だったようですが、玄米粥と玄米クリーム、それにこの灸で何とか当座は乗り切れました。

  それにしても、あのこんにゃくの臭いはすさまじかった。2丁一組を二組も買ったので、まだ残っています。もしかしたら、あの臭いこんにゃくだけ、製法に問題があったとか何かかもしれないとおもって、念のため封を切ってお湯で煮てみました。ところが、あのときほどの異臭はないのです!

  ここまでしてみて、気がつきました。療法に使ったあのこんにゃくは、ブロッコリーのゆで汁で煮たのです。もしかしたら、ゆで汁に含まれているブロッコリーのある成分と、こんにゃくの凝固剤が微妙に反応して、あのものすごい臭いにおいが生まれたのではないのでしょうか? だから、質のいいいつも食べている高い値段のこんにゃくでも、ブロッコリーのゆで汁で煮たら、やはり同じような異臭がしたかもしれません。化学に弱い私は、こう想像するだけです。だれか同じ経験をお持ちの方、あるいは化学的に解明できるかた、情報をください。
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稲武でらら体操教室始まりました!

2011-03-09 17:28:42 | アンティマキ風自然的生活
  チエ流マクロビオティック料理教室が終わった後、どんぐり工房の和室で開催していたらら体操教室が、稲武で月1回、定期的に開かれることになりました(らら体操についての記事はコチラ→)。
   
松嶋富貴さんの指導を直接受けているときはすんなり理解できて、体も芯からほぐれているのがわかるのですが、一人でやろうとすると、どうもできません。一般の体操のように決まった型がないからです。だから、稲武での定期的な開催は願ったりかなったり。すぐに申し込みました。

   教室が開かれたのは旧稲武町の保健センター。第1回めはあえて宣伝はしなかったとのことで、集まったのは私を入れて3名でした。
   
   らら体操を創始した松嶋さんは、「体のあちこちの痛みやゆがみは、もともと動きたがっている方向に体を動かしてやらず、無理やり使ってきたために生じた」と考えます。

   とにかく体が行きたい方向にまず行かせてやること。それからどこに力が入っているか感じ取り、ゆっくり体をゆるめて元に戻す。簡単に言えば動きの基本はそれだけ。でもどこに体が行きたがるかは、決まっていません。感じ取ること。それがこの体操のすべてのようです。

  上の写真は、いすに座って両手を背もたれにかけ、リラックスした後力をどこにも入れないで、ゆっくりいすから下りる動作をしているところ。体の傾き加減によってどちらに動くか決まりません。人それぞれです。傾いたほうの逆の足を自然に上げたくなり、そうすると体がいすからずり落ちる姿勢になりました。向かって一番左が、松嶋さん。

  笑うと体がゆるみます。緊張するとカチカチに。ちょっとだけ腕を上げる動作でも、手のひらがどの方向を向いているかによって、力の入り具合が変わってきます。緊張した部分がここにあると知ると、さすってやりたくなります。マッサージでもなく、軽くさするだけなのにとても気持いい。

  従来のどの体操とも違うこのらら体操。松嶋さんの話を繰り返し聞き、体の変化を感じながら動かしていると、今までまっすぐだと思っていたからだが実はくねくね曲がっていたことに気がつきます。不思議で心地よい体験です。

  らら体操教室は、月1回、水曜日に行われます。向こう2ヶ月の予定と申し込み先は以下の通りです。
*4月6日(水)午後2時~4時ころ
*5月11日(水)午後2時~4時ころ
*場所:豊田市稲武地区旧保健センター(稲武支所隣)
*参加費:500円
*申し込み先:ファーストハンド(松嶋) 
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玄米パスタに米粉ソース

2011-03-06 11:08:51 | たべもの
   昨年紹介した米粉パスタ(コチラ→)と同じ会社の製品の玄米パスタを食べました。原材料は、玄米・米ぬか・水。玄米にぬかが入っているのですから、さらに栄養価の高い食べ物です。

  ゆで時間は15、6分。腰の強さが期待できます。前に白米バージョンを食べたとき、食べ終わってからHP上にレシピがいろいろ載っていると知ったので、玄米パスタを食べるときはちゃんとチェックしようとおもっていたのに、すっかり忘れて、またまた我流でソースを作りました。

  小麦粉の全粒粉パスタは、普通のあっさりめのソースでは全粒粉の味がきつすぎて、どうもなじみません。それで私は全粒粉パスタを料理するときは、たいていホワイトソースか、ベーコンなどを少し加えて濃いめの味付けのトマトソースにしています。

  だから、玄米パスタも濃い目のソースにしたかったので、ホワイトソースで絡めることにしました。でも、せっかくの玄米オンリーのパスタなので、バターや油、動物性食品はなるべく使いたくありません。それで、米粉を使ったホワイトソースにすることにしました。小麦粉と違ってバターや油でルーを作る時間がいらないので、かなり短時間で簡単に出来上がりました。

  パスタは玄米ビーフンの太いのと同じはずなのに、太さが違うとこんなに味も違うのかと驚きました。普通のパスタとも米粉うどんともちがいますが、おいしい。ソースは、材料も分量もいつもやるとおりいいかげんなのですが、パスタとの相性がとてもよく、それでいて、さっぱりしています。成功です! ソースの作り方は以下の通りです。

  玉ネギ、ニンジンをいためた中にきのこスープの素を大さじ1杯加え、パスタのゆで汁で伸ばしてから豆乳を注ぎ、ぐつぐつ煮えてきたら水で溶いた米の粉を入れます。とろみを見ながら、ゆで汁、豆乳を加え、オリーブ香草塩海塩、胡椒で味を調えます。

  米パスタに米粉ソース。米尽くしのイタリアンランチでした!  
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きのこスープの素

2011-03-03 12:12:21 | 手作りのたべもの
  このところ、自分で言うのもなんですが、私が作ったスープが好評です。肉なし魚なし、もちろん市販のスープの素も入れないのにコクがあると言ってもらっています。

  実はこのおいしいスープには秘密があります。家で作った「きのこスープの素」が入っているのです。

  たいした手間は要りません。まず、3種類以上のきのこを用意します。こちらはきのこが豊富。信州産や稲武産のけっこう鮮度のいいものが低価格で手に入ります。今回用意したのは、エノキダケ、生シイタケ、エリンギ、シメジ。生シイタケは稲武産の原木栽培のもの。これだけあって400円くらい。あとはみんな信州産です。あわせて1200gそろえました。

  米油大さじ9杯とニンニクのみじん切り9片分を中華なべに入れ弱火で加熱。香りと水気が出てきたら強火にして、食べやすい大きさに切ったきのこを何回かに分けて入れていきます。

  次第にしんなりしてきて、水分が出てきたら弱火に。最初の量の3分の1くらいになるまで、ゆっくり炒めます。

  そこに、日本酒大さじ12杯、しょうゆ大さじ6杯、海塩大さじ4.5杯加えて炒め続け、水分を飛ばします。

  荒熱を取ったら瓶につめ、冷蔵庫に。3日くらい経つと、味がなじんでくるので使えます。私はこのスープの素を、野菜や穀類、豆のスープに最初から入れます。スープの味だけでなく、塩やニンニクとよくなじんだきのこもとてもおいしくなります。先回の草木染め&こねないパンの講習会で、参加者の皆さんから好評をいただいた野菜スープには、この素が入っています(関連記事はコチラ→コチラ→)。
  
   このきのこスープの素は、「にっぽんのパンと畑のスープ」(白崎裕子著・WAVE出版刊)に載っています。私は書いてある量の3倍をまとめて作っています。また、本では菜種油を使っていますが私は米油。ほかにも、植物だけの素材で工夫を凝らしたスープの素がいろいろ紹介されています。作るのにたいした時間はかけないし、作っておくと、私の場合、2ヶ月は持つので、忙しいとき面倒なときにたいへん重宝しています。

  いまのところ、このきのこスープの素以外には、みそスープの素、ドミグラスソースルウしか作っていませんが、どれもおいしい! でも「にっぽんのパン」つまり日本の地粉を使ったパンは、一度だけ試みてみましたが、温度をきちんと測りながら作らなかったせいで失敗しました。そのうち、再挑戦するつもりです。

  著者の白崎裕子さんは、神奈川県の葉山でマクロビオティック料理教室を開いている方ですが、彼女の料理教室白崎茶会はとても人気があって、なかなか予約が取れないことで有名なのだそうです。「情熱の料理発明家」と、たしか本の帯に書かれてあった白崎さん。最後にこんなことを書いています。

  「この本には(中略)、”秘密のストック”がたくさん載っています。毎日の生活は、大変なときもあり、ずっとよいものばかりを選びつづけられるわけではありません。あまりの忙しさ、心の余裕のなさに、「まあ、いいか」「しかたないさ」と、たいして必要としていないものに手をのばしてしまうこともあるでしょう。そんなときにストックたちは、あなたを助けたり、励ましてくれるはずです」

  はい、そのとおり、助けられたり励ましてもらったりしています。

  
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