アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

奄美・加計呂麻島の旅③

2018-12-31 16:30:03 | 小さな旅
    加計呂麻島二日目は、また曇り空。まだ一度も青い海と空の景色を見ていない。海宿5マイルの朝食は、夕食同様、じんわりと身に染みる味のご飯とおかずと味噌汁でした。パパイヤの酢の物が珍しかった。 

    さて、この日は、はじめて海に入る日。little life に向かいます。

    宿のある伊子茂から、little life のある嘉入までは、20分ちょっと。ジェットコースター道路と言いたいくらい起伏の激しい道でした。でも、対向車も後続車もほとんどない道なので、気は楽。
   
    いくつかの山を越えて着いた嘉入の集落は、島のほかの集落同様、数軒の平屋の小さめの家はあるのに、歩いている人や子供は皆無。私の家のあたりも人を見かけることはほとんどないのですが、国道には車が通り、集落はもっとずっと広がっています。やはり、かなりの過疎地です。

     宏美さんと再会を喜び合った後は、いよいよ海へ。嘉入の浜からカヌーで海に乗り出します。

      カヌーというのは総称で、宏美さんご夫婦の指導で私たちがこぎ出したのは、シーカヤック。左右交互にブレードというはねのようなものがついたパドルを使うのですが、水しぶきが上がり過ぎたり、水中にちゃんとオール?が沈んでなかったりと、多分ほとんど用をなさなかったのとおもいます。でも、私の乗ったカヤックには宏美さん、友人のカヤックには宏美さんのご夫君・博之さんが乗って、すいすいこいでくださったので、私たちは彼らが指さす方角にある小さな島や、水中のサンゴ礁をゆっくり眺めることができました。広い海原の散歩、楽しかった。

      30分ほどこいだあと、海からしかたどり着けない浜に到着。浜に近づいたころ、宏美さんが「あ、イノシシだ!」と叫びました。見ると、うりんぼうらしい小動物が、山側の茂みから浜辺に走りでてきました。「うりんぼうがいたらそのあと親イノシシが出てくるから、気をつけなきゃ」と宏美さんが言った途端、同じ方角から大きめのイノシシが走ってきました。大きいと言っても、島のイノシシは少々小ぶりらしい。わたしは、稲武でイノシシの爪痕をいやというほど見ましたが、実物を見たのはこの時が初めてでした。

       浜辺には、サンゴがいっぱい。海宿の浜にも嘉入の浜にもありましたが、こちらはことのほか多い。

       ムラサキオカヤドカリとかいうめずらしい貝も。オカヤドカリは島に多いそうですが、天然記念物なのだとか。
       こちらはビーチロック。コンクリートブロックのかけらが海を漂い、流れ着いたものかとおもったら、自然にできた石なのだそう。

       昨日もあちこちで見た植物。この浜には、ことのほか多い。アダンという植物だそうです。いかにも南国っぽい実です。

       やっと少し、日差しがでてきて、青い海が見られるようになりました。

        博之さんが浜で作ったトマトソースのパスタ。お昼ごはんです。

         満足げなわたしたち。私が加計呂麻島に行きたいと思った最も大きな理由は、宏美さんがブログやフェイスブックで紹介している南の島ののどかな生活の一端を経験したかったから。その一つが浜辺での食事。しかも、わたしたちとあと一組のlittle lifeの常連客の他は、だれもいません。贅沢な時間を過ごしました。

         常連の方は若いご夫婦。奄美が好きになって、移住してきたという彼らは、年にかなりの回数加計呂麻島にわたり、カヤックに乗って素潜りを。魚は彼らが釣ったもの。あとで宏美さんが「上から、アカハタ、スジハラ、アオチビキ、隠れているのはフエダイの一種」と教えてくれました。昨晩の宿で出てきたキホタといい、この魚といい、南の海の魚は色がカラフル。

         シュノーケリングだけなら泳げなくても大丈夫というので、近視用のゴーグルの購入もお願いし、その気満々でいたのですが、いざウェットスーツを着て海に入る段となると、急に緊張。その時のこわばった顔がこちら。シュノーケリング経験済みの友人は余裕の笑顔です。
 
         午後の指導は、博之さん。ゴーグルを海水で濡らしたヨモギで拭き、唾を塗る。曇らないための準備を整え、ひれをつけてもらって、いざ水の中へ。京都にいたころは時々プールに通ってはいたものの、十分に泳げるとまではいえない私。こちらに来てからは1度しかプールに行っていないので、なかなか緊張がほぐれず、ともすればシュノーケル?から水を飲むはめに。でも、博之さんのやさしく丁寧な指導で、何とか沖合に。といっても、浜から数十メートルでサンゴ礁の群生する場所に行けるのが加計呂麻島の特徴だそうなので、そんなに遠くまで行かずに美しい海中の世界に出会えました!
        
         黄色や紫、緑のサンゴのあちこちに、深い割れ目があり、そこは真っ青だったり真っ暗だったり。比較的浅いところにあるサンゴ礁から別のサンゴ礁のあるところまで行くのに、深い海溝のような場所があり、そのあちこちから色とりどりの魚が湧き出るように泳いでいました。

      
      浮き輪につかまって前に進みながら(その浮き輪を博之さんに引いてもらった)、彼が説明してくれたたくさんの魚の名前。ほとんど忘れてしまいましたが、あとで宏美さんから、魚の特徴と名前を教えてもらいました。

    「イソギンチャクに暮らしていたオレンジのお魚は「クマノミ」
白い尻尾で体がやや黒く、手のひらサイズ、たくさん群れていたお魚は「アマミスズメダイ」
岩陰に潜み、目が大きいく赤いお魚は「アカマツカサ」
黄色い体で細長く、群れているのは「アカヒメジ」(黄色いけど「赤い」と名がつくのは刺激すると赤くなるから)
シマシマの綺麗な模様のお魚は「ニジハギ」
浅いところにいた綺麗な模様のお魚は「ムラサメモンガラ」
浅いところの綺麗なブルーの小さなお魚「ルリスズメダイ」」

    クマノミとルリスズメダイはおぼえています。ルリスズメダイはことのほかきれいでした。海蛇が泳いでいるのを見た時は、ちょっとぞっとしました。

     40分ほどで浜に引き返しました。二人が流木を集めて火を焚いて、コーヒーを入れてくれました。想像以上に体が冷えたので、あたたかい焚火はありがたかった。

     陽が傾きかけたころ、浜を後にして嘉入の浜に戻りました。二人の住む小さな古民家の周りは、南国の植物でいっぱい。

      こちらは月桃の葉と思って写真を撮ったら、あとで宏美さんがカルダモンの葉だと訂正してくれました。

      ほんとの月桃はこれ。宏美さんから届いた1月現在の写真です。月桃は、草餅を包むのに使ってあった葉っぱです。

      月桃の実は、このきれいな赤い実。以前、ドライフラワーとして買ったことがありますが、もとはこんなにきれいな赤い実だったとは! 形もおもしろい。
 
      野菜畑にはイノシシの掘り返した跡が。

      バナナはほったらかしでもできるそう。

      パパイヤも。うらやましい。一休みののち、宿へ。

       前夜とは違う魚のお刺身でした。刺身があまり好きでないという友人の分も、平らげました。手前の洋風の煮ものに入っているのは島のタケノコ。

       パッションフルーツの酵素ジュース入りの酎ハイをいただきました。

     

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奄美・加計呂麻島の旅②

2018-12-30 17:47:40 | 小さな旅
   女友達との初旅二日目は、いよいよ目的地加計呂麻島へ。
  
   小さな港ですが、表示盤?の示すところは壮大。

   早めについたので、付設の市場で買い物しました。温州ミカンの類なのでしょうか。厚い皮のこの青いミカンは、黄色くなると酸っぱくなるそう。こちらと逆です。

   ふてぃもちは、草餅。ただし、餡は入っていません。包んである草は月桃。この月桃の薬効はたかく、加計呂麻ではあちこちでみかけました。ほんのりした香りが上品です。素朴なこのもちは、私たちのこの日のお昼ご飯位なりました。

    市場の売り子さん、聞けば大阪から移住した方なのだそう。同僚の地元女性に頼んで書いてもらった地元の言葉がこちら。

      ちなみに、売り切れの商品はサータアンダギーだそうです。

      フェリーかけろまの発着受付所。定刻を過ぎているのに、まだ開かず。

       やっと出発。はじめてのフェリー乗船です。

      古仁屋から加計呂麻島の瀬相港には25分ほどで到着。

      最初に車で行った先は、島尾敏雄文学碑のある公園です。こちらに特攻兵器震洋の格納庫が残されているので、その見学に。

      場所は、瀬相港から10分ほど。でも、私たち以外誰の姿も見当たりませんでした。

     島尾敏雄は、海軍の将校として昭和20年にこの島に赴任。島の人たちは、島を守ってくれる部隊だとおもって歓迎しましたが、実は彼らはモーターボートに爆弾を積んで、敵艦に体当たりするという任務を負った特攻隊。島尾はその部隊長でした。

     特攻艇の格納庫は、岩の崖に作られ、今も残っています。

     モーターボートはレプリカ。彼らは毎日極秘に訓練をし、出発の命令を待つ日々をこの静かな入り江で過ごしました。
 
     しかし、出発命令はついに下されず、8月15日を迎えます。この経緯をつづったのが、「出発は遂に訪れず」。彼は、島の庄屋の娘で小学校教師だったミホとの恋に落ち、ミホは、島尾の出発後自害する覚悟でいました。このふたりはのちに結婚するのですが、ミホは戦後の東京での島尾との生活で、精神を病み、子供二人とともに一家は奄美に移住します。

     入江は静か。敵に知られずボート発進させるのにふさわしい場所と目されたのでしょう。それにしても、ボートは想像以上にちゃちでした。空の特攻機同様のお粗末さに唖然とします。

     加計呂麻島は、奄美大島の南端の瀬戸内町に含まれるのですが、その本島側の瀬戸内町にも、数か所の戦跡があります。加計呂麻島は、現在の人口は1900人ほど。稲武より500人ほど少ない、静かで小さな島なのですが、明治時代から軍事の施設が作られ、戦略上の重要な場所とされてきました。

島の西端にある安脚場もそのひとつ。海辺の細い道を西に向かって進んだのですが、あいにく戦跡のある場所に至る道が通行止めで断念。どこにも、その表示はなく、近くで時間待ちしていた加計呂麻バスの運転手さんに道を尋ねたら、そういうこたえがかえってきました。のんきというかなんというか。

     加計呂麻島は、島のほとんどが山。山と海の間のわずかな平地に集落が点在しています。道を走っていると、目立つのがお墓。立派なのです。家は、どこも小さいのに。

     さて、この日の最後の目的地は、諸鈍。比較的大きなこの集落にある公の施設で、諸鈍シバヤに関する展示物を見ることです。展示室でひときわ目を引くのは、ユタの衣装、芭蕉布です。

     諸鈍シバヤは、諸鈍に古くから伝わる伝統的なおまつり。シバヤは芝居だそうです。源平合戦に敗れた平氏の一族の一人、平資盛が流されたという伝説があるのがこの集落だとか。彼が故郷を懐かしんで、あるいは彼を慰めるために、島人が演じた芸なのだそう。素人が作ったことを強調するためか、へたくそに描かれた仮面をかぶった人たちの所作がユーモラス。

     展示館の外は、デイゴの並木が有名なところなのですが、花の盛りは五月だそうで、いまは、台風26号?のおりに波が運んだ膨大な砂が、遊歩道の脇にうずたかく積まれていました。

     通りすがりの年配の男性によると、「堤防があるからかえって土砂がたまった」とのこと。「魚も堤防のせいでかなり減ったよ」と。

     海辺沿いの廃屋。戸はアルミサッシなので、何年か前までは人が住んでいたと思われます。ブロック塀は島でしばしば見かけました。風や潮をよけるために作られていたサンゴの石垣が、いつからかブロック塀に変わったのではないかと思われます。

     諸鈍をあとに、宿泊先の伊子茂へ。夕暮れ時に到着しました。

     宿は、海宿5マイル。宿からすぐに海岸に出られます。左の白い建物は小学校。学校に通う、宿の子供らし男の子が教えてくれました。

     宿の建物は、黒砂糖の工場だったものだそう。

     いくつかの棟があります。どれも平屋ばかり。

     こちらは、自然食の料理を出してくれそう、とおもって決めた宿。夕飯は、こんなでした。

     お刺身は、たしかキホタ。聞いたことのない南の魚でしたが、新鮮でおいしかった。

     そのほかのいろいろの料理、今はすべて忘れてしまいましたが、どれも味付け、素材ともに満足。

      みそ汁は魚のあらのだしでしたが、臭みを感じず、いただけました。刺身のお醤油が鹿児島特有の甘いお醤油でないのも、よかった。

      
  

       
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奄美・加計呂麻島の旅①

2018-12-30 15:05:01 | 小さな旅
  10月の終わりから11月の初めにかけて、奄美大島に旅行しました。めあては、加計呂麻島。奄美本島の南の港からフエリーで25分ほどのところにある小さな島です。

  この島には知人が住んでいます。彼女の名前は天野宏美さん。little life という名前の海のツアーガイドをご夫君とともにこなしています。8年ほど前、大阪の友人が私宅に彼女を連れてきたことがあり、そのときから、「いつか加計呂麻島に行ってみたい」とおもっていました。

   この、聞きなれない名前の島、実は私はずいぶん前から知っていました。何十年も前のことですが、島尾敏雄の「出発は遂に訪れず」を読み、その後、彼と彼の妻・島尾ミホとの激しいやり取りを描いた「死の棘」そのほか、彼の著書を読み漁ったことがあったからです。知った人が住んでいるなら、いつかいってみたいものだと、ぼんやりおもっていました。

   今年の初夏のころ、同年の友人と話をしていたときに、彼女が「死ぬまでに、一度でいいからスキューバダイビングをしたい」と言いだしました。「死ぬまでにしたいことがあり、そのことが何とかすれば実現可能なら、するべきだ」と、二人の意見がそこで一致。「では、加計呂麻島へ行こう」ということに突然決まりました。

   宏美さんにさっそく伝え、先方の都合と、島の気候の最もいいときに行く、ということになりました。それが10月の下旬から。以来数か月にわたって、ぼつぼつ準備を整え、6泊7日の奄美の旅が実現しました。
 
   10月31日、早朝セントレアを発ち、鹿児島へ。それから奄美空港へ。こちらでレンタカーを借りてまず向かったのが大島紬村。泥染めをする、というのも、今回の旅大きな目的でした。向かう途中、郷土料理鶏飯をたべに、ひさ倉という大きなお店に。白いご飯の上に鶏肉や卵、ショウガなどの薬味をのせ、鶏スープをかけて食べるもの。奄美が薩摩藩の支配下にあったとき、藩の役人をもてなすために供したのがこの鶏飯だそう。といっても、もとは鶏の炊き込みご飯の様なものだったそうで、汁かけになったのは戦後のことだとか。

   いずれにしろ、これがごちそう?とはじめは思いましたが、濃厚なスープをとるのに、ぜいたくなほど鶏肉をつかうのでしょう。ちょっとわたしには重すぎましたが、のこさずいただきました。帰りしな、スタッフに、米の産地を尋ねると、「鹿児島本土からきている」とのこたえ。昔は米作もさかんだったのだそうですが、いまは米を作る人がいなくなったのだとか。そういえば、道中、田んぼはほとんど目にしなかった気がします。

    さて大島紬村は、大島紬の会社が経営している施設で、予約なしでも泥染め体験をさせてくれるところ。20年、泥染めに携わってきたという年配の男性から手ほどきを受け、私はTシャツ、友人はバンダナを染めました。

    泥染めのできる場所は、奄美でも、北のほうにかぎられているのだとか。ずっと昔、本島の北に隕石が落ち、そのせいで鉄分のたくさん含まれた泥のある場所ができたのだそうです。

    大島紬の染色に使う泥染めは、簡単に言うとシャリンバイの鉄媒染。シャリンバイは、このあたりに山野のどこにでも生えている木だそうです。地の呼び名はテイチギ。

    その木のチップを煮だし、出てきた色がこちら。

     染め体験では、模様付けした布を染め液に浸してすぐに石灰の上澄み液に入れ、さらにまた染め液に入れて、石灰の液に。これを数回繰り返します。

     そのあと、泥の池に入って、泥を擦り付けながら染め付けます。

     色留めの薬の入った鍋で数分煮た後、よくよく水洗いをして完成。

     ほんとの大島紬の泥染めは、染めと媒染の全工程が85回! それであれだけ黒い色が出るのだそうです。でも、この赤茶色もいい。ただいまタンスの引き出しで待機。来夏、着ます。

     この木はマンゴー。この秋襲来した大型台風で幹ごとぽきんと折れたそうですが、一月ほどで新しい芽が。自然の勢いの激しいところですが、再生も早いのにびっくり。

     泥の池の全景。南国の風景です。

     染め体験後は、織り工場の見学です。今回初めて知りましたが、大島紬のあの複雑な柄を作るためには、まず木綿糸で捨て織り、ということをするのだそう。目的の模様を作るためには、糸をどのように絞ればいいのかを、その捨て織りの際に、決めるらしい。説明はしていただいたのですが、ややこしすぎて理解不能。とにかくものすごく大変な仕事だ、ということだけは実感しました。

とにかく気が遠くなるような作業の繰り返し。1反織るのに相当の時間がかかります。高価なのは当たり前と納得でした。


 この柄はよく見かける大島紬の典型的な柄のようです。

      何十年も続けてこられたベテランばかりの織り子さん。しょっちゅう直しをしていました。この直しは当たり前の作業のようです。いらした方は皆、ご高齢のかたばかり。でも最近、若い女性がはいってこられたそうで、案内してくれた社員はうれしそうでした。

      工場や泥池の周辺は広い庭。展示館や売店のほか、こんな建物が移築されていました。昔の貯蔵庫だそうです。高床式。

      ススキか何かかやぶきの屋根。こんもり盛り上がっているのが南方風。この形式、加計呂麻島で見た昔の写真集に載っている民家の屋根と同じです。

      ネズミに食われないため、高い屋根裏に貯蔵。

      この大きなカメに、穀物類をはじめなんでも入れていたそうです。

      ところで紬村は空港から車で20分ほどの場所。体験と見学の後は、一路南端の港町古仁屋へ向かいました。途中のコンビニで買ったのが、こちら。ミキです。

      ミキは、「お神酒」。奄美は、薩摩藩の支配に入る前は、琉球王国の属国でした。琉球では「ノロ」と呼ばれる巫女が人々の生活の隅々までかかわっていましたが、奄美でも、この「ノロ」の制度がしかれ、かなりの影響力をもっていたとか。ノロたちが口で噛んで醸した酒がお神酒。神に供えていたその酒を、江戸時代、薩摩藩の下に組み入れられてからはサツマイモを米に混ぜて材料として使うようになり、今のミキになったそうです。奄美の人たちの常飲する飲み物と聞いていたので、買ってみました。

      原材料は、米、米麹、サツマイモ、砂糖。水あめも入っていたかも。甘酸っぱい、素朴なカルピスのような味です。実は、奄美に行く直前、知人から自家製のミキをもらいました。そのミキには砂糖は入っていなくて、こくのある酸っぱい調味料という感じでした。オイルと塩を混ぜてドレッシングにしましたが、こちらのミキはかなり子供向き。コンビニの若いスタッフに「ミキはお飲みになりますか?」ときいたら、「飲みません。あまり好きではない」とのこたえが。稲武の子供たちが干し柿を食べなくなったのとおなじで、ちょっとと複雑な甘さが苦手の若い人が増えているのではないかしら。

      紬村のある龍郷から古仁屋までの道中は、トンネルだらけでした。153号線や257号線をしょっちゅう走っている私でも、こちらのトンネルの多さとその長さに驚きました。そしてどれも、けっこうあたらしい。ということは、けっこうカーブや高低差の多い道だったのですが、つい最近までは、もっと難路がつづいていたということなのでしょう。

      古仁屋の宿についてから食べに行った食堂でのばんごはん。たしか角煮定食をたのみました。モズクのてんぷらも頼んだため、量が多すぎて食べきれず。奄美大島の旅、一日目の報告でした。




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映画「望郷」

2018-12-13 17:05:39 | 映画とドラマと本と絵画
    1936年のフランス映画。まだやせていたジャン・ギャバンが犯罪者ペペ・ル・モコを演じる。舞台は仏領アルジェリアのカスバ。カスバの情景がすごい。表現主義的な部分も随所に。子供のころによく聞いた「カスバの女」は、作詞家がこの映画を題材にしたそうです。日本の女がなぜカスバにいるの?とずっと気になっていましたが、日本人の女をうたったわけではなかった、と初めて知りました。
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なごや国際オーガニック映画祭の共催マーケットに出店します。

2018-12-13 15:48:02 | イベント出店情報とそのほかのお知らせ
  なごや国際オーガニック映画祭は、2年に一度の開催で今回で4回目となるそう。名古屋のフェアトレードショップ風sの土井ゆきこさんが最初から、開催に尽力なさっています。

  昨年稲武地区野入の古民家に移住して、一月の半分以上をすごしていらっしゃる土井さんのお誘いで、今年初めて、この映画祭の共催マーケットに出店することになりました。

  場所は、毎月28日に開催している手作り朝市の場所、東別院。こちらの大きなお寺で、この日開かれる精進マートといっしょに、境内中門付近で、30店舗ほどが軒をつらねます。

   精進マートと共催ということで、乳製品と卵・動物性食品の販売は禁止。それで、いまのところ以下の品を用意している最中です。

   ほうろくやの菜種油のビスケット、きな粉と黒糖のクッキーなど、クッキー、ビスケットは4種類。ケーキ類は、おからのガトーショコラとアニスシードとイチジクのケーキ、ブルーベリーのスコーンなど。パンは、全くこねずに作った玄米ご飯パンと、なんちゃってクリームパン、それに、シュトレン。

   シュトレンは、バターの代わりに、紅玉と甜菜糖、オーガニックのオリーブオイルを入れたリンゴバターを使っています。こちら、お持ちできるのは数本です。ご興味のある方は、早めにお越しください。お取り置きも承ります。

    ところで、アンティマキのブースでは、松平の有機農法家・うさぎ菜園の無農薬野菜や、布マスクをつくっているちかさんの、センスあふれる使いやすいマスクも販売します。稲武大野瀬町の筒井さんのもち米も並べます。除草剤を一回だけ撒布し、あとは無肥料で育てた、おいしいもち米です。ぜひ、のぞいてください。

    ところで、オーガニック映画祭の今年のテーマは「種子」。在来の種子がどんどんなくなり、遺伝子組み換えの種子が市場を席捲する日も近いと言われる昨今、とても気になるテーマです。一枚のチケットで6本の映画が見られ、トークショーもあります。くわしくは、サイトをご覧ください。

    なお、土井さんは、稲武のおうちで風の庭という名のカフェを昨春開業。冬季はおやすみですが、来春営業再開だそうです。

   フェアトレードのコーヒーがおいしい、眺めのいい場所にあるカフェです。

   16日の天気予報は午後雨。冷たい雨でないといいのですが。

   
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映画「ビューティフル・デイ」

2018-12-13 00:37:05 | 映画とドラマと本と絵画
  アメリカ映画。「タクシードライバー」をおもいだす。ヒッチコックの「サイコ」を見ていない人は、まず「サイコ」を見てからこの映画を見ることをお勧めします。
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あした、グリーンママンの朝市に出ます。

2018-12-10 18:16:27 | イベント出店情報とそのほかのお知らせ
  久しぶりに、グリーンママンの朝市に出ます。場所は寺部町の守綱寺の大広間。朝10時から12時までの開催です。

  お持ちするのは、パン3種。米粉バンズと全粒粉入りのクロワッサン。それに、ライ麦入りの全くこねずに作ったパンです。クロワッサン、市販は初めて。先々月、友人の子供の学校給食のパンとして作ったのが初めてなのですが、けっこう好評だったので、明日販売することにしました。特徴は、二つ。全粒粉が2割ほど入っていることと、バターが少なめだということ。バターの多いパイみたいなクロワッサンが苦手の方に、喜ばれました。

   クッキーは、穀物クッキー2種に、オートミールと玄米粉などの入ったザクザクしたクッキー、それに黒糖ときな粉のクッキーです。この二つのクッキーは、市街地の幼稚園のクリスマスに保護者の方たちが園児と先生方に配るプレゼントに添える焼き菓子を頼まれて、作ったものです。乳製品・卵不使用ですが、こくのある味に仕上がりました。

   それから、ケーキはおからカステラ。有機黒糖と稲武中当町の主婦グループの作った豆腐のおからが主材料です。

   ママンの朝市の主催者からのメッセージです。

「今月のカフェはいとカフェさんが来てくださることになりました。
体が暖まる柚子やスパイスの入った飲み物をお楽しみください。

美容院のMorzeさんは、ヘッドマッサージ、アイセラビー、簡単なアレンジをワンコインで出店してくださりことになりました。

年末に向けて、疲れた体をほっと休めにいらしてくださいませ。

ーーーーーーーー
今月のgreen maman朝市のご案内です。

久しぶりのアンティ・マキさんとkiyoさんのこんにゃくもお届け。

午後からは、"紅茶の時間"を開きます。

"紅茶の時間"
子育てのこと、学校のこと、今気になってること…
いつもの友達ではない、その時集まったメンバーで、ゆっくり気ままにおしゃべりしましょう。


…12月の朝市…

12月11日(火)

出店者さん
・農家さん・
いのはな農園
てくてく農園
無門福祉会

・ほか・
しろ(豆腐)
粉灯(スイーツ)
いとカフェ(カフェ)
Maple May(お弁当)
アンティ・マキ&kiyo(スイーツとこんにゃく)
Morze(マッサージやアレンジ)

*出店者さんは、今の時点で決まっているかたです。
当日までに追加や変更があることをご理解ください。

*次回は3月26日(火)を予定しています。1月、2月はお休みです。

*10:30から、守綱寺さんの読み聞かせ会がございます。
こちらもぜひご参加ください。 

……………
 
時間:10:00~12:00頃まで
(紅茶の時間は…12時30分~2時出入り自由です)

場所:守綱寺 広間
(豊田市寺部町2丁目27)

地域の農家さんや生産者さんと、消費者をつなげたい。
顔が見える買い物が広がって欲しい。
そんな思いで始めた朝市。

気がつけば、
出店者さんとお客さんだけでなく、お客さん同士、出店者さん同士までが繋がり、農家さんの野菜を使った商品ができたり、朝市の場でもそこここで話しの輪ができる。

場所をお借りしている守綱寺さんのゆったりした空気も、より一層居心地をよくしてくれています。
みなさんもぜひゆったりとおいしい時間をお楽しみください。

豊田市の寺部町にある守綱寺さんの広間をお借りして開催させていただいています。」

   皆様のお越しをお待ちしています。なお、本堂では10時半から絵本読み聞かせの会がはじまります。
   


   

  
   
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