アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

枡塚味噌の蔵を見学しました。

2011-05-29 16:09:19 | たべもの
  チエ流マクロビオティック料理教室の講師、初田智恵子さんがこの冬、彼女の地元・大阪で豊田市街地の味噌蔵の女将さんと知り合いになりました。女将さんの人柄と味噌のうまさに惹かれたチエさんから、「今度そちらに行ったらぜひ蔵見学に一緒にいきましょう」と誘われていました。

  そんなわけで、今回の料理教室終了後、声をかけたこめこなクラブのメンバーや教室を受講してくれた方たちと一緒に、蔵見学に行ってきました。

  この蔵は、豊田市桝塚西町にある野田味噌商店。岡崎のすぐ隣に位置しています。創業は昭和3年で、地元では枡塚味噌の名で知られています。

  愛知県は豆味噌地帯。味噌汁はたいてい赤味噌を使った赤出しです。岡崎の八丁味噌が有名ですが、ほかに三州味噌、名古屋味噌とも呼ばれているそうです。豆と塩だけで作る味噌は、旨みと渋みが同居しているような独特な味で、好きな人は「味噌汁はこれでなきゃあ」と言います。

  味噌蔵の入り口にある樽。万博で使ったものだそうです。周りにある石は重石にする石。絵や映像で見たことのある昔ながらの仕込み方を、今でもこの蔵では受け継いでいるのです。

  入り口にあったのと同じ大きさの樽やもっと大きい樽が、蔵の中にいっぱい並んでいました。もっとも大きい樽だと、4人家族が朝昼晩毎食欠かさず味噌汁を飲んだとして、約1000年分の味噌が仕込まれている計算になるのだそうです。

  「昔の人たちは、味噌を仕込んだ樽を貯金だとおもっていました」とは、案内してくださった社長の弁。言ってみれば、利子は熟成しておいしくなることなのでしょうか。実際に飢えを満たし、健康を維持してくれる宝が味噌蔵に眠っていると考えるのは、あながち奇妙なこととはいえないように思います。

  蔵が並んでいる古い建物は、戦前の飛行場にあった飛行機の格納庫や兵舎、学校などを払いうけたものだそうです。木材ばかりでできた古い建物には、おいしい麹菌がいっぱい住み着いていそう。

  私がこれまで家で仕込んできた味噌は、大豆と塩と麹の3つをまぜて、その混合の割合と麹の種類によって味噌の種類を区別してきました。でも、この豆味噌は、蒸した大豆と塩だけが原料。ほかに大事なのは呼び水だそうですが、あとは桶の中での熟成にすべてがかかっています。

  蒸した大豆は味噌玉と呼ばれる塊にされますが、この工程だけは近代的な設備のなかで作られています。工場の中でいただいた味噌玉のおいしいこと。つぶれた豆のかたまりにすぎないのですが、クリやサツマイモのような素朴で濃厚な味でした。もちろん味噌の味はまったくしません。この味噌玉と塩と水が1年半かけて桶の中でおいしい味噌に変わるわけですが、そのことをこちらでは「ひとねる」というそうです。「ひとねる」「ひとなる」とはこの地方の方言で、「成長させる」「成長する」という意味です。

  「私たちは味噌を作っているのではありません。ひとねているのです」社長の一言は印象的でした。

  ところで味噌屋の桶は、すべて造り酒屋で使った樽の中古品と、昔からきまっています。30年ほど酒を醸したあとの樽は、アルコールで十分きれいに消毒されていてしかもその桶で仕込んだ味噌は丸みのある味になり、味噌を作るには新品よりずっとふさわしい桶になっているのだそうです。日本は昔から随所でリサイクルが自然となされていましたが、これもそのひとつ。それも、もったいないから使いまわすのではなく、使った後だからこそ、よりいいものに変わっているという点に着目したところが、おもしろい。

  これらの樽は、80年から150年経ったものばかり。でも、もうこの先、同じような木桶は日本では手に入らないのだそうです。なぜなら、今日本で昔ながらの作り方で酒を造っている醸造元はないからです。木桶の需要がなければ桶職人はいません。

  とくに、このたがを作りしっかり締める技が、もう失われているのだそうです。ということは、いまある木桶の寿命が尽きたら、昔からの方法では味噌は作れなくなるということ?

  上の写真の樽は、最近作った樽です。竹ではなく、金属のたががしっかりはめられています。この木桶ひとつで、なんと樹齢90年ほどのスギの大木を80本使ったそうです。桶の材料は、普通の建築材料として使う場合とは異なる切り方をするのだそうで、今ではとてもぜいたくな作り方なのです。
  蔵の一角には、小さめの桶がたくさん並んでいました。

  これは、近隣の人たちが、自分の畑で採れた大豆を持ってきて、こちらの蔵元で味噌を仕込んでもらっている桶なのです。樽にはひとつひとつ名前が書いてありました。昔はこういうことをしてくれる蔵元があったと聞いたことはありましたが、どこでも味噌が買える今でも、この習慣が残っているとは驚きです。味噌は日本人の食生活にとても深く根付いているのだなあと改めて実感しました。

  味噌を仕込むと、表面に液がにじんできます。これがたまり。昭和の早い時期に豊田市郊外の村で育った私の母の話では、高いしょうゆは家庭に常備しておらず、自家製の味噌とこのたまりがおもな調味料だったと言います。

  なめさせてもらいました。かなり濃い! でも旨みがしっかり詰まっている味です。社長のお宅では、正月にこのたまりにつけて焼いたもちをふるまうのだそうで、「これが食べたくて帰るのだ」と親戚に言われるとか。

  味噌が大好きなTちゃんも、満足げです。

  見学がおわった後、女将さんが作った味噌汁が振舞われました。鰹節を削ってとっただしで作ったこの味噌汁、おいしかった! 実を言うと私は、豆味噌の味噌汁はちょっと苦手なのです。あの渋みがどうもいけません。でもいただいた味噌汁には、渋みは感じられませんでした。旨みと渋みがうまく調和しているのか、ふわっと胃に落ち着く感じです。

  帰りに売店で、量り売りの味噌をいくつか買いました。知人に勧められたトロ味噌と愛知産の大豆だけでできた豆味噌、それに麹を入れた麹味噌も買ってみました。新聞紙での包装が新鮮でかっこいい。英字新聞ならおしゃれだけど日本の新聞はダサいだけとおもっていましたが、丁寧にきちんと包んであるせいか、「味噌を包むにはこれこそふさわしい」と思わせるに足る迫力があります。

  稲武から車で約1時間半もかけてやってきたのですが、来てよかった! 毎日のことなので、ついいい加減に考えてしまう味噌汁ですが、大事に作られた味噌のおいしさを十分引き出せるよう、丁寧に扱わなくちゃ、と反省を込めて強く思った一日でした。

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