アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」

2020-05-16 16:26:39 | 映画とドラマと本と絵画
   数か月前に、たまたま本屋で手に取った文庫本「日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか」(講談社α文庫・矢部宏治著)。冒頭の数ページを立ち読みし、これはただならぬことが書いてある、とおもって購入しました。

   ただならぬこととは、「米軍の飛行機は日本の上空をどんな高さで飛んでもいいことになっている」「そういう法的権利を持っている」につづく、こちらの部分。

     「・・・こうしたアメリカ人が住んでいる住宅の上では、米軍機は絶対に低空飛行をしない」
     「(アメリカ国内の基地では)米軍機がアメリカ人の住む家の上を低空飛行することは厳重に規制されているわけです。それを海外においても自国民には同じ基準で適用しているだけ」
     「だから問題は、「アメリカ人並みの基準」を求めず、自国民への人権侵害をそのまま放置している日本政府にあるということになります」

    以前読んだ本で、1959年に出された砂川判決がとんでもない内容だったと知り、おもわずのけぞったことがあります。この判決は、在日米軍の存在が憲法違反かどうかを争った末に出されたものですが、どういう判決かというと、「日米安保条約のような高度な政治的問題については、最高裁は憲法判断をしないでよい」というものなのです。

    つまり、安保条約とそれに付随する取り決めが、国内法だけでなく日本国憲法全体よりも上位にある、と決めたのです。

     だから、基地周辺の住宅地での低空飛行などへのかっぱ。「違法」ではないのです。この裁判は、2008年に機密解除された公文書によって、「検察や日本政府の方針、最高裁の判決までふくめて・・・基地をどうしても日本に置き続けたいアメリカ政府のシナリオのもとに、その指示と誘導によって進行した」と明らかになりました。

    第二次大戦後、ドイツ、イタリアは日本同様、連合国の支配下に置かれ、米軍の占領統治がはじまります。しかしいまだに国内に米軍基地んも駐留を許しているのは日本だけ。サンフランシスコ講和条約締結後も米軍の駐留をのぞんだのはアメリカの一方的な意志ではなく、日本、特に昭和天皇が望んだことだと、著者は記しています。

     1947年に出された沖縄に関しての昭和天皇の提案というのがあり、その中身は「沖縄に対するアメリカの軍事占領は「日本に主権を残したままでの長期リースというフィクション」にもとづくべきだと天皇は考えている」というものでした。この提案があったからこそ、講和条約締結後も沖縄は本土との同時返還がなされなかったというのです。当時アメリカ国内では日本の戦後処理に関して軍部と国務省が対立していて、国務省もアメリカの世論も、「沖縄を非軍事化したうえで日本に返還する」ことを主張していました。

「日本のあまりにもおかしな現状(他国の基地が国内に存在していること)は、国連憲章「敵国条項」の適用としか考えられないことをここまで述べてきました。・・しかし・・より本質的な原因としては、「米軍駐留を日本側から、しかも昭和天皇が日本の支配層の総意として要請した」ところにあったといってよいでしょう」。

    原発についても、基地同様にアメリカ政府と日本政府の間で取り決められた種々の約束事によって、「止められない」ということをこの本を読んではじめてしりました。日本はいまだに「占領下」にあって、政府はそれをよしとし、国民は事態を知らないまま過ごしてきた、という事実に愕然。表紙には「平成を超えて続く、「日本占領」の構造を明かす衝撃の書」とあります。ほんとに、衝撃です。

 

    

    

      

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