アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

本「姫神の本~聖なるヒメと巫女の霊力」(学研)

2024-05-07 15:16:57 | 映画とドラマと本と絵画

  しばらく前に読んだ本ですが、ささっと教養を身に着けるにちょうどいい本だとおもいます。

  日本で男女同権となったのは先の大戦後。他の先進国でも女子に参政権が与えられたのは思いのほか後年のことで、世界中の民族が宗教の違いはあれ、おおむね男尊女卑の社会だったというのが、大方の認識だと思います。

  でも、単純に同一視していいのかなとずっと思っていました。山の国、日本では、山の神は女神。こちらに来て一度だけ参加したことのある「山の講」というお祭の際に、集落の山の神の住むという山中に供え物を持っていくのは男性と決まっています。女性が行くと神が嫉妬するから、と言われています。

  最近はいわないだろうけれど、しばらくまえまでは、夫が妻のことを「うちの山の神」と半ばふざけていっていました。夫が恐妻家のふりをしても馬鹿にされないのが日本という社会。そもそも、皇祖神とされるアマテラスオオミカミは女神です。

  もやもやしていたのが、このガイドブック的教養本を読んでちょっと頭の中が整理されました。

  「天照大神を皇祖神に戴くこの国は、「女神の佑わう国」でもあった。女神や巫女たちの大いなる活躍は前章で書かれているとおりだが、その女神たちが零落し、この国が「ほとけの佑わう国」へと変わっていったのは、いうまでもなく仏教の浸透による」

  「女性の地位の著しい後退にくわえて、平安時代からさかんになってくる穢れの思想が、さらに女たちを救いのない境遇へと追いやった」

  「成仏することも自立的に生きることも許されず、「三界に家なし」といわれて世界そのものから疎外された女性の境遇は、そのまま女神の境遇へとスライドされていき、かつて日本各地の海や山に満ちていた名もない女神たちから、多くの聖性を奪っていった」

  女神たちは零落して物の怪へ。もともとは神と同意であった「鬼」ということばは、「醜い邪悪な妖怪の呼称」へと変わり、「女性と近しい妖怪」とされるようになったといいます。山姥とか鬼婆とかは、女神が「魔の世界に住み替えていった」姿のようです。

  しかし、女性が神に近いところにいる、という認識は完全には滅びることなく、神の言葉を伝える巫女やユタ、ノロ、イタコとなって、つい最近まで庶民の根強い信仰にささえられて、大きな役割を果たしていました。

  イスラム教の経典で女性がどう扱われているかは知りませんが、旧約聖書では、イブはアダムの肋骨から神が作った存在。部品なのです。仏教では、女性には「五障」があるため修業の妨げとなるとされ、寺では禁制とされました。ただし、日本の場合は、神道が仏教と習合して生き延びたため、その分、女性はか弱くて男性に庇護されるしかない存在という考えは、西洋ほど強くはならなかったのではないかと想像します。それが幸いだったかどうかはさておき、歴史的経緯はある程度知っておかないと、どこかでまちがえてしまうのではないかと危惧することが多いので、ちょっとだけ紹介しました。

  


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