アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

今年の醤油を絞りました。

2020-11-22 17:27:14 | 稲武醤友クラブ

  5年めか6年目になる自家製醤油づくり。今年は初めて11月のうちに絞り作業をしました。

   仕込んだのは3月。8か月醸造した醤油です。長野県阿南町のさわんど主宰・井上時満さんにお越しいただいて作業開始。まず、醸造したもろみを適度の濃さにお湯で薄めます。撹拌したものを、袋に入れ、絞り機に積んでいきます。

  出てきたのがこちら。今年の醤油です。

   濃度を測りながら作業続行。このとき、出てきた生醤油をなめるのがこの日の一番の楽しみ。今年は、Covid-19感染拡大が心配だったので、醤油醸造にかかわっている2グループのメンバーだけの会としました。そのため、いつものように、小さな子供たちが醤油がおいしいといってなめ続ける姿をみることはできなかったのが、ちょっと寂しかった。

   最初絞ったのは私たちとは別のグループのもろみ。同じ麹を同じ時期に仕込んでいるのに、毎年私たちとは違う味の醤油に仕上がります。こちらのほうがいつもなんとなくやわらかい味がします。今年もそう。

   塩と水が違うほか、大きく違うのは置き場所。管理の仕方によってももちろん違います。

   去年の私たちの醤油と、麹を分けてくれている麹屋さんの3年醤油、去年同じ麹で別の土地で仕込んだ友人たちの醤油、それに今年の私たちの醤油と、別グループの醤油を舐め比べました。

   今年も私たちの醤油は味が強い。私たちのもろみを見たとき、絞り師の井上さんは、かなり熟成が進んでいる、と思ったそう。カビが出るのを心配して、数年前から早めに冷暗所から外にある蔵に移動し、高温の状態を長く続けているからのようです。

   一方もう一つのグループは、周年半日陰の場所に置いています。味がやわらかく感じるのはそのせいかもしれません。

   別の土地で仕込んだ去年の友人の醤油は、まるでだし醤油のようにおいしい。置いた場所は、初めの数か月風通しのいい軒下、その後夏になってから外に出したそうです。はじめ置いた場所の風通しのよさと、夏になってから急激に高温の環境に変えたことが、私たちの醤油との大きな違いのようです。自分たちの育てた醤油には愛着はありますが、よその醤油と舐め比べると、さらなるおいしい醤油を目指して工夫したくなります。

  お昼ご飯は、地元のうどん屋さんで買ってきた白玉うどんと汁だけ。生醤油と薬味をかけてシンプルにいただきました。汁は鍋に持ち寄り野菜をいれて醤油仕立てにしました。いつものもちよりおかずは中止。なんだかさびしかったけれど、簡素なご飯だからこそなのか、今回はことのほか、醤油のうまさや野菜のうまさをきちんと味わえたような気がしました。

    最後は加熱。88度まであげるのですが、急激な上昇は禁物だそうで、徐々に温度を上げていきます。

   さて、これで数家族の1年分の醤油ができました。しばらくはまず生醤油をあじわい、友人たちにおすそわけ。春になったら、また来年の醤油を仕込みます。

   いつもは冬の寒い時の仕事となる絞り作業ですが、今年は秋の、それも暖かい日の続いているうちに実施できました。気の焦りが少なかったせいか、この日は、しみじみ晩秋の一日を楽しむことができました。

 

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六所山を歩きました。

2020-11-22 11:14:19 | 小さな旅

   ほぼ半年ぶりに山歩きをしました。豊田市松平地区の六所山です。

  標高は600mちょっと。私の家のある場所とほぼ同じです。このところ、暖かすぎるほどの気温なので、薄着にして臨みました。でもふもとの青少年センターの駐車場を降りた途端、空気の冷たさにおどろきました。

   登山口に至るまでの車道の崖には、灌木がいっぱい。香りのいい葉や枝をいくつも見つけました。木や草に詳しい友人の説明を聞きながら歩きます。

   かわいい花はキッコウハグマ。目を凝らさないと見過ごしそうな雑草です。

   六所山は中世以前に山頂近くに神社ができ、その後、このあたり一帯を治めることになる松平氏の初代親氏が東北から新たに神を勧請し、もうひとつの神社を建立。新旧ふたつの神社がいまにのこる山なのだそうです。六所神社 (豊田市) - Wikipedia

   江戸時代までは山全体が神と目され、山は手つかずの原生林となっていたそう。

   ところが、明治以降、所有権の不明の場所ができ、山は荒らされ、今に残る原生林は全山の一部になってしまったのだということです。

   私たちが入った登山口は、その原生林の残っている地域にあるもの。だから、初めてみるような植物があれこれ見られました。

    まるで姫リンゴ。オオウラジロノキという木の実だそうです。豊作だったらしくわんさと落ちていました。渋いそうだから、動物が食べないのかしら。

    通称は百万両という名の真っ赤な大きな実。一両もそこかしこに見られました。

 

   冬イチゴです。稲武では見たことがありません。葉っぱもかわいいので、植えたいのですが、育つのかしら。

   入ってしばらくすると小さな滝が。戦中には戦勝祈願の滝行も行われたそうです。

   こういう葉を見つけるとわくわくします。

   この山は比較的暖地にあるのに、自生したブナの木もあるそう。

   頂上までのコースはいくつかあって、私たちがのぼったのはいのししコース。

   ふたつの神社までの道のりは、わたしにはけっこうきつく、友人の説明を聞くことも写真を撮ることもままならないほど息が上がり、膝が思うように伸びず、滑らないよう注意して歩くのに精一杯でした。

  帰りはキツネコースをたどりました。展望台と書かれた看板立っている場所では何も見えず。ちょっといくと開けた場所があり、恵那山が遠望できました。

   この場所は、樹齢4~500年もありそうな赤樫が何本も切り倒されていました。展望台を作ろうという計画なのでしょうか。

   放置された立派な木々。ここまで成長するのにものすごい時間がかかっているのに、薪にすら利用されることなくこの場所で朽ちる。ああ、もったいない。

   キジョランという蔓草だそうです。アサギマダラの幼虫が好む植物だとか。

   下山も急坂が多くて、意外につらかった。同行した友人の子供(年長組)は遅れがちなわたしと、先を歩いているほかのメンバーとの間を何度も走って行き来していました。すごい脚力! 

  休憩も含めてほぼ3時間あるき、ふもとの駐車場に到着。センター近くのベンチでお昼ごはんにしました。暖かい日差しがうれしかった。途中で拾ったコハウチワカエデ。美しい着物の柄みたい。自然の妙に感心します。

   ふもとの集落にある六所神社。道向かいに明治5年に建てられたという農村舞台があります。茅葺の立派な建物で、立て札には、「建材として使った栗などの木々は、みな村人が六所山から運んだ」と書かれています。運び出す際に材木が石にあたってつっかえて先に進めないときは、石を削って通した、とありました。苦労して建てた建物のようです。

   舞台背後の木々の紅葉がきれい。

   そろそろ秋は終わり。来週は急に冷え込むようです。冬になるとますます運動不足になりそう。次の山歩きまでに、階段上りを日課にして、せめてみんなについて歩けるようにしたいとおもいます。

 

 

    

 

    

 

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