先夜、NHKBSプレミアムで、1962年の日本映画、「にっぽんのお婆ぁちゃん」を放映しました。監督は今井正。主演はミヤコ蝶々と北林谷栄です。どちらも実年齢は40代くらいだと思うのですが、かなりの老婆を演じています。
ほかに、原泉、飯田蝶子、東山千栄子、浦辺粂子といった、若い頃からおばあさんばかり演じてきたような女優や、伴淳三郎、三木のり平、殿山泰司、田村高廣、十朱幸代、市原悦子などなど、当時の有名な俳優たちが続々登場します。
さて、ふたりの老女は浅草の繁華街で出会います。気があって、一日行動を共にするのですが、しだいに2人は、お互いがこの日を最後に自殺するつもりで街に出てきたことを知ります。
ふたりは自分の境遇を相手に明かさないまま、一緒に交通の激しい往来に出て、轢死しようとします。でも、すぐに挫折。北林谷栄は老人ホームの住人、ミヤコ蝶々は実は団地に住む息子一家と同居。どちらも同居人とうまくいかなくて死を決意したのですが、結局、ふたりとも住処にもどります。
北林谷栄は、ホームのお誕生会で、取材に来たテレビの記者にインタビューされ、そのようすをミヤコ蝶々が見て、北林の素性を知ります。そして、気に染まない嫁と争いをくり返しながら暮すよりも、ホームで暮らすほうが幸せだと思い、息子たちに家を出ることを告げます。
すると、息子たちはそれまでさんざん彼女を邪険にしていたのに、ホーム行きをしぶります。「世間から、母親を捨てたように思われるから」ということらしい。ホーム暮しという新しい生活にちょっと希望をもち、寝床に入ったミヤコ蝶々の隣の部屋で、渡辺文雄扮する息子が一人、腕組みして考え込むところで、この映画は終わります。なかなか味のある佳品でした。
東京オリンピックを目前に控えた60年代前半、高度成長時代に突入する頃の話です。地方から都会に出る人が増え、核家族化が急速にすすみ、それまでの日本の家族の形が、どんどん変わっていかざるを得ないことを、社会派の監督がコミカルに描いています。
無理して体裁だけ家族の形をとって同居するよりも、他人ばかりだし、揉め事も絶えないけれど、境遇が似ている同士助け合って生きるほうが幸せだよ、というメッセージを送っているようでした。
この映画は50年も前の作品ですが、つい20年ほど前でも、田舎では、ホームヘルパーに来てもらって同居している舅や姑の面倒を見てもらうことすら、はばかれる風潮がありました。嫁姑の仲はとても悪いのに、家の中に他人が入るのを嫌がるのです。
ましてや、老人ホームは姥捨て山という認識があり、よほどでないと入所はさせなかったと記憶しています。当時、アメリカでは、宇宙飛行士クラスの親でもホームに入っていると聞き、文化の違いを強く感じたものです。
だから、そういう時代に制作された映画としては、かなり先進的な考え方を打ち出していたものではないかと思われます。
いまは、ずいぶん変わり、ヘルパーさんに来てもらうこともホームへの入所も、隠し事ではなくなりました。楽な時代になったな、とおもいます。
ところで、映画のなかのミヤコ蝶々は65歳、北林谷栄はたしか72歳と言っていました。ふたりともものすごく齢を取って見えるのですが、いまの感覚から行くと、まだ若い。でも、当時の60代、70代はあんな感じだった気もします。
私の祖母も、私が子どもだったころはたぶん60歳前後。地味な着物を着て、ひっつめ髪にして、控えめな口しか聞かなかった祖母を、私はたいへんな年寄りのように思っていました。
考えてみれば、昔の老人は貧しい時代が長かったので、働きすぎや栄養不足の人が多かったと思います。平均寿命も短い時代でしたから、年寄りくさく見えて当然だったのかもしれません。
あれから半世紀。暮らし方も環境もなにもかももっと変わり、家族のあり方も老人の居場所も生き方も、ずいぶん変貌しました。元気で、いつまでも意欲的な年寄りになりたい、と願うこのごろですが、さてどうなることでしょうか。
ほかに、原泉、飯田蝶子、東山千栄子、浦辺粂子といった、若い頃からおばあさんばかり演じてきたような女優や、伴淳三郎、三木のり平、殿山泰司、田村高廣、十朱幸代、市原悦子などなど、当時の有名な俳優たちが続々登場します。
さて、ふたりの老女は浅草の繁華街で出会います。気があって、一日行動を共にするのですが、しだいに2人は、お互いがこの日を最後に自殺するつもりで街に出てきたことを知ります。
ふたりは自分の境遇を相手に明かさないまま、一緒に交通の激しい往来に出て、轢死しようとします。でも、すぐに挫折。北林谷栄は老人ホームの住人、ミヤコ蝶々は実は団地に住む息子一家と同居。どちらも同居人とうまくいかなくて死を決意したのですが、結局、ふたりとも住処にもどります。
北林谷栄は、ホームのお誕生会で、取材に来たテレビの記者にインタビューされ、そのようすをミヤコ蝶々が見て、北林の素性を知ります。そして、気に染まない嫁と争いをくり返しながら暮すよりも、ホームで暮らすほうが幸せだと思い、息子たちに家を出ることを告げます。
すると、息子たちはそれまでさんざん彼女を邪険にしていたのに、ホーム行きをしぶります。「世間から、母親を捨てたように思われるから」ということらしい。ホーム暮しという新しい生活にちょっと希望をもち、寝床に入ったミヤコ蝶々の隣の部屋で、渡辺文雄扮する息子が一人、腕組みして考え込むところで、この映画は終わります。なかなか味のある佳品でした。
東京オリンピックを目前に控えた60年代前半、高度成長時代に突入する頃の話です。地方から都会に出る人が増え、核家族化が急速にすすみ、それまでの日本の家族の形が、どんどん変わっていかざるを得ないことを、社会派の監督がコミカルに描いています。
無理して体裁だけ家族の形をとって同居するよりも、他人ばかりだし、揉め事も絶えないけれど、境遇が似ている同士助け合って生きるほうが幸せだよ、というメッセージを送っているようでした。
この映画は50年も前の作品ですが、つい20年ほど前でも、田舎では、ホームヘルパーに来てもらって同居している舅や姑の面倒を見てもらうことすら、はばかれる風潮がありました。嫁姑の仲はとても悪いのに、家の中に他人が入るのを嫌がるのです。
ましてや、老人ホームは姥捨て山という認識があり、よほどでないと入所はさせなかったと記憶しています。当時、アメリカでは、宇宙飛行士クラスの親でもホームに入っていると聞き、文化の違いを強く感じたものです。
だから、そういう時代に制作された映画としては、かなり先進的な考え方を打ち出していたものではないかと思われます。
いまは、ずいぶん変わり、ヘルパーさんに来てもらうこともホームへの入所も、隠し事ではなくなりました。楽な時代になったな、とおもいます。
ところで、映画のなかのミヤコ蝶々は65歳、北林谷栄はたしか72歳と言っていました。ふたりともものすごく齢を取って見えるのですが、いまの感覚から行くと、まだ若い。でも、当時の60代、70代はあんな感じだった気もします。
私の祖母も、私が子どもだったころはたぶん60歳前後。地味な着物を着て、ひっつめ髪にして、控えめな口しか聞かなかった祖母を、私はたいへんな年寄りのように思っていました。
考えてみれば、昔の老人は貧しい時代が長かったので、働きすぎや栄養不足の人が多かったと思います。平均寿命も短い時代でしたから、年寄りくさく見えて当然だったのかもしれません。
あれから半世紀。暮らし方も環境もなにもかももっと変わり、家族のあり方も老人の居場所も生き方も、ずいぶん変貌しました。元気で、いつまでも意欲的な年寄りになりたい、と願うこのごろですが、さてどうなることでしょうか。