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アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

稲武のヨガ教室

2012-12-20 23:26:00 | 稲武のモノ・コト・ヒト・バ
今年の夏ごろから月一回開かれているヨガ教室が、先週末の15日、今年の最後の講習会を終えました。

   この教室は、隣の恵那市岩村地区から来てくださっている、横光あゆみさんが講師。稲武交流館の自主講座として活動しています。

   私は先月欠席したので、ふた月ぶりの参加。ふだんほとんど練習していないので、あいかわらず体は硬いまま。でも、終わった後は、肩や足のこりがほぐれているのを感じます。

  今月の8日には、横光さんの紹介で、西村和子氏という、尾張旭市を拠点に長年ヨガの普及に尽力している女性のヨガ教室が岩村地区で開かれたので、友人と参加しました。

  講習が始まってまもなく、全員にストローが配られ、1分間の間に何回呼吸ができるか数えてみるよう指示されました。

  吐いて吸う、を一回と数えます。ヨガのベテランだと1分に1回の呼吸ですむのだそう。私は、2回半でした。でも、講習が終わるちょっと前にもう一度試したときは、1回半呼吸しているうちに1分が立ちました。長い呼吸がつかのまでもできたのは、うれしいことでした。

  この西村さんは、72歳くらいの方なのですが、お若く見えます。保育園児に「いくつに見える?」と聞いたら、「35歳」といってもらってうれしかった、と話しておられました。園児の母親と同年齢に見えたのは、西村氏のきびきびした身のこなしや、いきいきした表情のせいもたぶんにあるのだろうとおもわれます。

   ちかごろ寒いこともあって、とみに背中を丸めがち。全身が縮こまっているのを感じます。彼女を見習って、わずかでもヨガの真似事を続け、4月からの教室再開を待とうと思います。

   この教室に関するお問い合わせは、豊田市稲武交流館までお問い合わせ下さい。
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フィンランドの教育

2012-12-20 10:41:57 | 映画とドラマと本と絵画
   先日たまたま、NHK総合テレビで放映していた「地球イチバン」で、フィンランドの小学校の授業風景を見ました。

   フィンランドは、世界のこどもたちを対象に行う学力テストで一番の成績を収めているそうです。この学力テスト、名前を忘れましたが、測るのは暗記力ではなく、考える力。その力を養う教育を、フィンランドでは日常的に行っているのだそうです。

   放映したのは、作文の時間でした。教師がまず、ある写真を児童に見せます。中年のおじさんがもう憂げな表情で写っています。その男について、教師が児童に何でも言わせます。

   男の職業、家族、生まれ、気分、思想、シチュエーションなどなど。思いつくまま、児童はどんどん発言します。それを教師は端からボードに書いていきます。

   さて、それは訓練。ひととおり出尽くしたところで、教師はおもむろに封筒を見せます。「これは、魔法の封筒です」といいながら、彼は、子供たちに一枚ずつ封筒の中から小さな紙切れを引かせます。その紙にはそれぞれ別の人物の写真が印刷されています。表情も姿も様ざまなその写真をみて、その人物の物語をつくるよう、教師は命じます。

   彼は何人かの生徒に自分の選んだ写真の人物について、思うところを述べさせます。そして書かせます。

   時間は20分。挙手した一人の生徒が立ち、作文を読み上げました。彼女が選んだのがどんな写真だったか覚えていませんが、彼女はいきなり、こんな調子ではじめました。「嵐の夜、彼は船を出した」文は違っていると思うのですが、とにかく、小学5年生のこどもとは思えない、面白みのある文が続き、きちんと物語が完結します。

   同席した日本人の大人のタレントも、生徒と同様に授業を受け、作文を発表しました。彼も、いちおうちゃんと物語をつくりはしましたが、中身は先に発表した5年生と同程度。わたしだったら、あんな短時間で彼らのような物語はかけないだろうな、と思われました。

   日本の作文教育は、生活作文が中心。私はこの生活作文で小学校の頃、教師からけっこう評価を受けていましたが、自分では、ほんとうに書きたいことを書いたという満足感を持てないでいました。

   締めくくりに、「いろいろあったけれど、みんなで協力したので成功しました」みたいな、道徳的なことを書けば、たいていいい点がもらえると思い当たり、そういう結末になるような題材を選び、筋を運んでいました。要領のいい罰当たりのこどもだったのです。

   おとなになってから、「生活作文の上手なやつは作家にはなれないものだ」と友人から言われ、私がまさにそういうやつだな、とおもったことでした。

   でも、いまだに日本では作文といえば、生活作文が主流です。国語の授業であれば、不道徳なことでもはちゃめちゃなことであっても、文法にあっていて、論理性や文学性が高ければ評価すべきだと思うのですが、そういう指導はほとんどしないようです。知り合いの小中学生に聞くと、成績のいい悪いに関係なく、ほとんどの子供は、作文はきらいだいいます。書ける子でも好きではない、といいます。

   フィンランドのこどもたちの表情は明るかった。心底楽しんで作文の授業を受けていました。自分の想像力や創造性を全開できる機会をあたえられて、楽しくて仕方ない、といった感じでした。感心する一方、日本の教育との違いを目の当りにして、悲観的な気分になりました。



 
   
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