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アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

映画「ザ・フォール 落下の王国」

2024-08-29 14:13:58 | 映画とドラマと本と絵画

 イギリス・アメリカの合作の冒険ファンタジー「落下の王国」。落下の王国 - Wikipedia

 家族とともにオレンジ農園で働いていた少女が、木から落ちて入院。病院内で知り合ったスタントマンの語る嘘話をたのしみに、彼の病室に通う。彼は半身不随の上に失恋。人生に絶望し自殺を図り、少女を使ってモルヒネを手に入れようと考え、彼女をてなづけるために冒険物語を語り始める。

 舞台は1915年。映画冒頭の何シーンかのシュールな映像にすぐに惹きつけられました。冒険物語に登場する男たちは、みな何らかの悲しみを抱いていて、決してかなうことのない敵に立ち向かう。砂漠の落日、トルコかどこかにありそうな不可思議な堅固な城、どれも青年の語るファンタジーなのですが、幼い少女はいつしか男たちとともに物語の中で戦いをはじめます。物語を語る青年も、聞く少女も、しだいに物語によって癒され、成長していきます。

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本「日本残酷物語2忘れられた土地」

2024-08-27 10:26:10 | 映画とドラマと本と絵画

 第1巻「貧しき人々の群れ」「日本残酷物語1~貧しき人々のむれ」 - アンティマキのいいかげん田舎暮らし (goo.ne.jp)につづく2巻めは、離島、へき地、北海道など、開発の遅れた土地や開拓の始まった頃の土地に住む人々の、想像を絶する苦労の記録になっています。

「離島、マタギ・木地屋などの住みなす山間の地、「新天地」北海道など、かつて粗かった交通・通信の網の目をこぼれ落ちた地域が、列島中に散在していた。そこには、過酷な自然を相手に黙々と闘う人々の暮らしがあった」

島だからといって漁業が盛んなわけではない。港湾の整備がなされていない島では、船の離発着ができないから島の発展は望めない。故郷で食い詰めて島に移住したある男性は、整備に力を尽くし、小学校の設立にも寄与した。でも、島ではよそ者に土地は譲ってもらえず、朝鮮で田畑を買うことができてやっと食うための道が見つけられたと思ったら、結局敗戦で無一物に。島に戻りあばら家で妻と二人で暮らしている。

「みんなよう働き、苦労をして、しかも妻子にも手を取られずに死んだ者が多うござりました。わしゃァ、そいつらの冷とうなってゆく手を何百というほどにぎりました。こんどはわしが手を握られる番でありますが、わしにしてもじぶんらのことを聞いてくれるお人があるとは夢にも思いませなんだ。けれど、話しておるうちに、やっぱり聞いてもらいたかったんだなァということに気付いたのでござります。それでのうて、どうしてこんな書きつけやら証文やらしもうておきましたかのう」

「やっぱり聞いてもらいたかったんだなァ」のくだりに、胸を打たれました。

ある山村では、村の若者の楽しみは、みんなで山に薪取りに行って、そこで肌脱ぎになってお互いのからだに住み着いている虱を取り合うことだった、といいます。男女入り乱れて、虱取りという名目でのいちゃつきが、つかのまの慰安のひとときだったのです。「どぶろく飲んでみんなとしゃべる、楽しみといえばそれだけだったな」といった古老も登場。

山のへき地では、交通が途絶えて塩の供給がなくなると、囲炉裏端に敷いてあるござを刻んで干して、干し柿と混ぜて塩分補給していたという壮絶な話も。「若い嫁の座っていたござはとりわけうまい」(!)という冗談のような話も載っています。

1巻目同様、つい70~80年前ころ前までの日本の、片隅に追いやられた人々の暮らしがいかに過酷なものだったか、ひしひしと伝わる記録集です。さて、3巻目は「鎖国の悲劇」。続いて読もうかどうしようか、思案中です。

 

 

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「日本残酷物語1~貧しき人々のむれ」

2024-08-14 11:22:24 | 映画とドラマと本と絵画

  本書は1959年から61年にかけて刊行された全7巻が初版。第2版は1972年刊行し、1979年の第8冊を底本として1995年に平凡社ライブラリーに収められました。最近、この本の存在を知り、図書館で借りました。監修は宮本常一、山本周五郎ほか。執筆者は宮本常一を含む22名。

  「これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語である。自然の奇蹟に見離され、体制の幸福にあずかることを知らぬ民衆の生活の記録であり、異常な速度と巨大な社会機構のかもしだす現代の狂熱のさ中では、生きながら化石として抹殺されるほかない小さき者の歴史である」(刊行のことば)

  日本は長い間貧しく、足利時代に訪れた朝鮮の外交使節は、乞食や廃疾者の多いのに驚いているそう。明治にはいって、ヨーロッパの王族が日本を訪れることになり、政府は慌てて東京市中にあふれかえっていた乞食をどうするか頭を悩ませ、その解決策のひとつとして渋沢栄一が養育院を建てたのだそうです。

  「海辺の窮民」の項には、驚くべき話が載っています。国内のあちこちの島や本州の海辺、大きい河川の岸辺の村では、船の難破によって得る食糧、材木、その他の積み荷を頼みにしていたというのです。人の不幸がわが身の幸せになる。それくらい、村が窮していたということです。

  いくつかの村では、まるでその年の米の豊作を占うのと同じように、難船が来るかどうかを占う行事がありました。ひどいところでは、助けを求める乗組員を村人たちが殺し、積み荷を村の収穫物として奪い取ったという記録も残っているそう。

  日本地図を見れば日本という国は山ばかりで中央はほぼ茶色。残りの平地に米を作り、畑を作り思い年貢を納めてかつかつ生きてきたのだなとわかります。こちらに引っ越してしったのですが、大概の家は山にへばりついたような場所にあり、陽当たりはよくない。土地の人がいうには「一番いい土地は田んぼに、二番目にいい土地は畑に、最後に残ったところが家になった」。

  中世から近世にかけての何百年かの間、日本の人口はほぼ横ばいだったといいます。生産は上がらず、食べ物がないので、子どもは育てられない。間引きや幼児殺しはあたりまえに、貧しい人々の間で行われていました。

  それでも、飢饉がくればさらに食べ物はなくなります。人肉嗜食も公然の秘密になっていました。女は女郎屋に売られ、子どもは子守に雇われる。それでもあぶれた人たちが乞食の群れになる。

  ある村で、村の若い衆が一人の女乞食を始終いじめているのを見かねて、おなじ村の正義感の強い青年がいじめをやめさせようと若い衆を説得。そのためいじめはなくなったのですが、そのかわり、女乞食への施しもパタッと途絶えたといいます。女乞食はその青年をなじり、いつのまにかその村から消えたとか。

 映画「福田村」でも描かれていることですが、下層の人たちは、さらにその下に貧しい人がいることが気持ちの救いになっている。貧しい村人にとっては乞食や非人がそのたぐいで、そして非人と呼ばれる人たちにはさらに下の身分としての朝鮮人がいることが気持ちの安定につながっている。この、女乞食をいじめるエピソードの中の若い衆たちも、いじめることによって自分たちが得ている満足感の代償として、彼女にものを与えていたということなのでしょうか。単純に善悪で測れない複雑な心の動きが、垣間見える話でした。

 耕作しやすい狭い平地の田畑では到底足りず、山間地では谷間や山陰の小さな土地を開墾し、代々少しずつ農地を広げてきました。こちらに来てよく見るようになった山陰にひっそりと一枚だけあるもと田んぼ。みな、昔の人たちが鍬や鋤を使って耕した場所なのでしょう。この本を読んで、当時の人たちの苦労がいっそう身に沁みました。

 2巻目は「忘れられた土地」。こちらも読み始めています。

 

  

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映画「コスタリカの奇跡」

2024-07-01 00:54:19 | 映画とドラマと本と絵画

  1948年に軍隊を廃止した中米の小国コスタリカ。この国の稀有な歴史を、多方面から描いたドキュメンタリーです。監督はアメリカ人。

  軍事費が不要になったお金を、社会福祉や教育に回し、国民の幸福を目的にした政策がつぎつぎに実施されました。自然保護も政策のうちの重要な課題です。

  コスタリカが軍隊を廃止するに至った経緯には、驚きました。社会民主主義的制度がほぼ整ったのは戦前。その後、最初の民主的体制を整えた大統領が選挙に敗北したにもかかわらず政権に居座り、国は混乱。そのときに武装ほう起した人物が、のちにドン・ペペと親しみを込めて呼ばれるフィゲーレス。彼は民主主義革命を志す他国の兵士たちと共に戦い、政権を奪取します。そして武装解除へ。

  その後のコスタリカは、アメリカからさまざまな圧力をかけられます。アメリカ側につく政治家も当然ながら現れ、政権はたびたび揺れました。でも、たゆみない外交努力により、軍隊を持たずして中立を保ち続けました。数々の国際条約に加盟し、国際的な信頼度も増しています。

  ウクライナ戦争が始まって以来、戦場の映像を見るたびに、悲惨とか残酷とかどちらが悪いとかいう気持ちや考えとは別に、「とにかくもったいない!」という気持ちが常にわきます。弾丸一発いくらかわからないけれど、お互い一回の戦闘でものすごい費用が吹っ飛んでいるはず。そのお金を有用に使う方法はいくらもあるのに、土地を蹂躙し、建物を壊し、人々を不幸に追いやる。戦争はなんてもったいない行為なんだとおもいます。ましてや、抑止力という名のもとに、国民の幸福をさておいて軍拡競争に血道を上げるなんて、さらにもったいない。

  映画を見て、私の素朴な気持ちを政府の方針として実現した国がこのコスタリカなんだな、とおもいました。すごい国です。映画の制作時は2015年。他国同様に、多国籍企業の進出による富裕層と貧困層の格差はどんどん拡大していることも、映画はきちんと取材しています。いまはさらに国際情勢が複雑になり、軍備を持たないことへの不安が国民の間に増大することも懸念されます。でも、映画の中で描かれたこの国の人達は、自国の歴史に誇りを持ち、行きとどいた教育の成果が大きいと私は思うのですが、議論をいといません。理性的な話し合いのできる人々なら、きっとよりよい道を探すことができるのではないかな、と期待を込めて思います。

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本「国民は知らない「食糧危機」と「財務省」の不適切な関係」森永卓郎・鈴木宣弘著

2024-07-01 00:02:05 | 映画とドラマと本と絵画

  本書の3分の2は二人の対談。あとの3分の1は鈴木氏の文章という構成。帯には、「アメリカの言いなり 「ザイム真理教」が 日本人のほぼすべてを 餓死させる 悪夢のシナリオ!」「資本主義の限界、記録的猛暑、国際紛争・・・そして、日本で最初に飢えるのは東京と大阪!」・・扇情的な文言が踊っているように思えますが、読み進むにつれ、大げさな文句などではなく、これが今の現実なのだと、ひしひしと感じます。

  「鈴木 日本でわざわざ食糧を生産しなくていい。海外の安い農産物を輸入するほうが効率的なんだと、そういう考えの人が政府の議論を仕切っています。実際には中国の爆買いや、円安の悪影響で、輸入も簡単ではなくなってきている。・・・・本当に有事になれば、有事立法を作って、食糧の配給制などを実行することになるでしょう。机上の計算では、お花畑を潰してイモを作り、一日三食芋を食べていれば、なんとか一日二○○〇カロリーは賄えるはずだと。

森永 お花を育てている農家が、「そんなことできるわけねえだろ! 農水省はバカじゃねんのか?」と怒っていましたよ(笑)。」

  政府の方針で、水田を潰して畑地にしていることにも言及。でも、日本の備蓄米は他国に比べるととても少なく、やっと20日だったか2か月だったか国民が食いつなげるしかないそう。それでも、24年ぶりに改定する(された?)「食料・農業・農村基本法」の「議論の内容を見て驚いた。・・・食糧自給率という言葉すらでてこないのである。」と鈴木氏。続けて、上記の、悪い冗談のような政府の考えに対して、鈴木氏は具体的に持論を展開しています。

「政府が何を言いたいのかというと、このままの状況が続けば、日本国内での食糧生産業者はどんどん潰れていくが、それに対して抜本的に何かを変えようという議論はしたくない。「平時」は輸入でいい。だが平時ではない状態「有事」になると輸入はできない。だから有事に対応する法案だけは新たに作るということだろうか。」

  それが、花き農家に、いざとなったらサツマイモを植えろ、ということになるらしい。農業にド素人の私でも無理な話と思うことを、官僚や政治家たちが法律として施行しようとしているとは、嘘寒くなるはなしです。

「日々一生懸命に食料を作っている農家には何の支援もしない。食料は輸入し、農家はどんどん潰れればいいという政策を取っておきながら、有事には国の命令に従ってサツマイモを作り、国のために供出しろというわけだ」

 本はだいたい寝る前に読む習慣なのですが、この本を読んでいると、つい苛立ちや怒りで目が冴えてしまい、困りました。

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福田村事件

2024-06-21 16:37:45 | 映画とドラマと本と絵画

  関東大震災のあと、東京のあちこちで起きた朝鮮人虐殺事件。朝鮮人が混乱に乗じて井戸に毒薬を投げ込んだ等の流言飛語が、千葉の片田舎までとどき、讃岐から来た日本人の一団を朝鮮人と思い込んで村人たちが殺したという実話を題材にした映画。福田村事件 (映画) - Wikipedia 監督の森達也はドキュメンタリー映画専門の監督だそうですが、この映画は彼の初の劇場映画だとのことです。

  昨年、震災100年目にできた映画です。映画の性格からマイナーで、あまり話題にならないかもしれないと思ったのですが、あにはからんや大きな劇場でも上映され、話題になりました。それでもわたしは、題材は衝撃的でも、日本映画にありがちな、焦点のぼやけた映画なのではないかと、あまり期待していませんでした。

  ところが、違っていた! よくできていました。

  しょっぱなから描かれていたのは、村の中の複雑な差別構造。在郷軍人の水道橋博士は、主人公の井村新や村長(ロンバケで杉崎さんを演じた人)に対するコンプレックスを、当時軍人に与えられた公式非公式(!)の権力で消そうと躍起。在郷軍人たちは、軍服を着る必要がないのに着ていた、ということをこの映画ではじめて知りました。軍服が彼らのステータスシンボルだったらしい。後家であっても当然ながら婚家先に縛られる。船頭の東出昌大は、村の最下層に位置するらしいのだけれど、軍隊経験があることで少し上位に見られ、「徴兵逃れ」で大学へ行ったと揶揄されるインテリ村長は、その分、引け目を感じながら村政をつかさどる。

  こういう村に遠方からやってきたのは、部落民たち。穢多と呼ばれ、明治以降は新平民として形は一般と同じ身分になったのですが、差別は変わらず。水平社宣言が出たばかりのころらしい。彼らは薬の行商をしながら四国各地から関東までやってきたのですが、部落民が行商などをして各地を渡り歩くこともあったということを、わたしは、知りませんでした。

  彼らは故郷の村で差別にあい続けていたと思われるのですが、その彼らも、朝鮮人に対しては差別者として接します。より下の身分があることで、彼らはかろうじて矜持を保てる。そういう構造が、きちんと描かれていました。

  いい映画でしたが、難点がふたつあります。ひとつは、日本語が聞き取りにくいこと。字幕はほしい。

  もう一つは、端折り過ぎではないかと思われるところがいくつもあったこと。ある程度当時の状況を知っていないと、わかりにくかったのではないかと思えます。

  それにしても有名な俳優がたくさん出ていました。友情出演かな。状況劇場の大久保鷹まで、ほんの短い場面でしたが出演していたのには驚きました。ちょっとうれしかった。

  ところで、この映画を見た着物好き仲間の友人から、「映画もよかったけれど、登場人物たちが着ている着物が素晴らしかった。ぜひあれを見てほしい」と言われていました。それで、いつもより気にして村人や部落民の人たちの貧し気な衣装を観察しました。たしかに、藍染めの縞柄布がつぎはぎだらけになっている、いわゆる「BORO」に近い衣装が美しかった。船頭と恋仲になっている後家さんの着ているものが、一番印象に残っています。朝鮮飴を売る少女の服も、素材や染料、形が気になりました。

  

  

  

 

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映画「お嬢さん乾杯」

2024-06-19 17:57:17 | 映画とドラマと本と絵画

  「安城家の舞踏会」に続く、斜陽族もの。お嬢さん乾杯! - Wikipedia 昭和24年にできた木下恵介監督の作品です。そしてやはりヒロインは原節子。

   相手は佐野周二。冴えないけれど正直で金儲けはうまい貧農出の男。一家を救うために身分違いの結婚を決意する原節子に対し、彼女に一目ぼれした佐野は、彼女のこころが彼になびかないことに苛立ちを覚えます。しかし、しだいに・・・

   予想通りの結末なのですが、当時の日本映画としてはたぶん珍しいラブコメ。もしかしたら、初なのかも。佐田啓二が佐野修二の弟分で登場。痩身で額に垂らしている髪型は同じですが、まだ冴えません。

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映画「安城家の舞踏会」

2024-06-19 17:56:42 | 映画とドラマと本と絵画

  昭和22年の日本映画。安城家の舞踏会 - Wikipedia 主演は原節子。監督は吉村公三郎。原節子は家族の令嬢。戦後のいわゆる斜陽族一家を描いています。

  一家は元華族。主の滝沢修は世間知らずのお殿様。成金らしい男に騙され、家が抵当にわたり一家は没落寸前。お金がないのに、最後の舞踏会を開きます。元運転手が成功し、憧れのお嬢様(原節子の姉)のもとに求婚するも、彼女はプライドが許さず拒絶。森雅之扮する放蕩者の兄は、一家の凋落をシニカルに受け止めます。次女の原節子だけが冷静に時代の推移を受け止め、新しく人生をやり直そうとしています。

  脚本はステロタイプですが、当時は旧華族に対する同情もあれば、成金に対して喝采を送る向きもあったのではないかと思われます。殿山泰司が執事役で登場。まだかなり若かったと思うのですが、後年と同じく、禿げ頭としょぼくれた風情で演技しています。

 

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本「マイクロカプセル香害」(ジャパンマシニスト社)

2024-05-16 10:31:35 | 映画とドラマと本と絵画

  7,8年ほど前、私のパンと焼き菓子の会に参加した方から、はじめて化学物質過敏症の実体験の話をお聞きしました。

  彼女は、合成洗剤や柔軟剤を多量に使っていて、ある日突然、体調不良となり、まともに生活のできない状態になったといいます。でも、何が原因なのかまったくわからず、あれこれ調べてみてようやく病の原因が合成洗剤や柔軟剤にあることを知ったのだそうです。

  発症するまで、彼女は洗剤や柔軟剤そのほか合成香料の入った商品につけられた匂いが物足りず、どんどんきつい匂いのするものを探すようになり、行きついたのはすべてアメリカ製品だったといいます。

  原因を突き止めた彼女は、洗剤や柔軟剤のみならず、消臭剤そのほか類似の商品をすべて廃棄し、洗剤はシャボン玉石鹸の製品に替えました。「変えた途端、家族みんなに味覚がもどったのです」つまり、知らないうちに味覚も鈍感になっていたらしいのです。

  その会は、自然食品店の店内で開かれたものでしたが、件の参加者は、自分が化学物質過敏症とわかってからずっとその店の顧客となり、食生活にも気を配るようになりました。そして家族全員が健康になったとのこと。

  私自身は、ずいぶん前に石鹸洗剤に切り替え、柔軟剤は面倒ということもあって一度も使ったことがなく、消臭剤もたぶんほぼ買ったことがありません。でもはっきりと体に害が生じるからとは思っておらず、環境への負荷を気にしていただけなのですが、この話を聞いて、これはかなりたいへんなことがおきているぞ、と危惧を持ちました。

  この本「マイクロカプセル香害」は、200ページほどの変形の新書判なのですが、半分は香害被害者からとったアンケート結果を紹介しています。その内容は上述の、私が出会った人以上のひどさで、唖然とするばかり。

「ある瞬間から、すべての合成洗剤が使えなくなりました。現在も数十メートル先の公園からの柔軟剤臭で、家の中でさえ苦しい。まっすぐ歩行できず、呂律が回らなくなり、計算や文章や言葉の解読できなくなり、感情的になり家族に当たり散らしたこともありました」

「発症後は、全く別の体になったというか、普通の暮らしができない。香料で倒れます。筋肉硬直です。・・・全身に症状が50種類以上出ました。大量の鼻血が出たときは、ものすごく不安でした」

「夫や実家や義理の両親からの理解が得られず、夫婦喧嘩(過敏な私にうんざりした夫から離婚届を突き付けられた)が増えています」

「医者からは原因不明の「腸閉塞」の診断。ただし、胃腸の検査では何ら問題なしと。・・・症状は、喉のかすれ、痛み、めまい、鼻水、頭痛、胃腸の不調が月日を重ねるごとにひどくなっています」

「病気を公表してからママ友だったと思ってた人たちはだんだんと離れていきました。・・・(子供は)一緒に遊んでくれるお友達もほぼいないので、子どもはいつも「死にたい、もっと早く生まれていたらこんな病気にはならなかった」と漏らしています」

  小学生の子供から老人まで、発症の年齢はまちまち。それぞれ多種類の症状を抱えて不自由を囲っています。そして皆一様に周囲の理解が得られないことでさらなる苦痛を強いられています。

  ここ数年前からとみに増えてきた柔軟剤のテレビCM 。きれいな若い女性が海辺で立っているとそこに花びらがひらひらと散り、若いハンサムな男性が引き寄せられる、という映像もあったのではなかったかな。あの匂い、かなり強烈だと私は思うのですが、「いい匂い」と思うように、もう鼻が慣らされているのだろうと思います。

  柔軟剤も合成洗剤も消臭剤もみんな石油製品。香りを長持ちさせるためにマイクロカプセルなるものに香りの成分を閉じ込め、空中に飛散するようしかけてあるのだそう。そのカプセルの壁に使われている化学物質に、イソシアネートという「ごく希薄な吸入でもアレルギー性喘息や中枢神経系・心臓血管系の症状を引き起こす毒性化合物」があります。

  このイソシアネート、80年代に農薬の効果を持続させるために開発されたマイクロカプセルの中からこの毒物が生じたことがあったらしく、被害を訴える人がいたそうなのですが、確定的な証拠がないことを理由に、そのままに。ただし今は、もしかしたら危険性を知った消費者の声に製造会社が敏感に反応して、ほかの物質に替えている可能性もあるかもしれないとのことです。でもだからといって、危険性がなくなったわけではありません。

  農薬といい、こうした化学合成剤といい、日本は先進国の中ではかなり規制が緩いこともかかれています。

  嗅覚というのは、五感の中でもっとも原始的な感覚だと言われています。味覚や聴覚、視覚が現代人はかなり衰えていますが、そこにもってきて、さらに嗅覚までだめになったら、身を守ることができなくなってしまう。土をいじることから遠ざかっているので、触覚も駄目になっていそう。

  私の友人たちのなかにも、仕事先で支給された制服の匂いに耐えられなくて仕事を続けられなくなった人や、整髪料などの香料の匂いに耐えられなくて頭痛に悩んだといった経験を持つ人がけっこういます。この本は表紙に、「緊急出版」とあります。さらに「明日、あたらしいマスクが必要になる だれか、助けろ あの子をいますぐ」とも書かれています。

  過敏症になった人には、毒ガス用のマスクでも付けないと、つらくて生きていられないほどの事態となっている現実を、多くの人に知ってほしいものです。

 

 

 

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本「姫神の本~聖なるヒメと巫女の霊力」(学研)

2024-05-07 15:16:57 | 映画とドラマと本と絵画

  しばらく前に読んだ本ですが、ささっと教養を身に着けるにちょうどいい本だとおもいます。

  日本で男女同権となったのは先の大戦後。他の先進国でも女子に参政権が与えられたのは思いのほか後年のことで、世界中の民族が宗教の違いはあれ、おおむね男尊女卑の社会だったというのが、大方の認識だと思います。

  でも、単純に同一視していいのかなとずっと思っていました。山の国、日本では、山の神は女神。こちらに来て一度だけ参加したことのある「山の講」というお祭の際に、集落の山の神の住むという山中に供え物を持っていくのは男性と決まっています。女性が行くと神が嫉妬するから、と言われています。

  最近はいわないだろうけれど、しばらくまえまでは、夫が妻のことを「うちの山の神」と半ばふざけていっていました。夫が恐妻家のふりをしても馬鹿にされないのが日本という社会。そもそも、皇祖神とされるアマテラスオオミカミは女神です。

  もやもやしていたのが、このガイドブック的教養本を読んでちょっと頭の中が整理されました。

  「天照大神を皇祖神に戴くこの国は、「女神の佑わう国」でもあった。女神や巫女たちの大いなる活躍は前章で書かれているとおりだが、その女神たちが零落し、この国が「ほとけの佑わう国」へと変わっていったのは、いうまでもなく仏教の浸透による」

  「女性の地位の著しい後退にくわえて、平安時代からさかんになってくる穢れの思想が、さらに女たちを救いのない境遇へと追いやった」

  「成仏することも自立的に生きることも許されず、「三界に家なし」といわれて世界そのものから疎外された女性の境遇は、そのまま女神の境遇へとスライドされていき、かつて日本各地の海や山に満ちていた名もない女神たちから、多くの聖性を奪っていった」

  女神たちは零落して物の怪へ。もともとは神と同意であった「鬼」ということばは、「醜い邪悪な妖怪の呼称」へと変わり、「女性と近しい妖怪」とされるようになったといいます。山姥とか鬼婆とかは、女神が「魔の世界に住み替えていった」姿のようです。

  しかし、女性が神に近いところにいる、という認識は完全には滅びることなく、神の言葉を伝える巫女やユタ、ノロ、イタコとなって、つい最近まで庶民の根強い信仰にささえられて、大きな役割を果たしていました。

  イスラム教の経典で女性がどう扱われているかは知りませんが、旧約聖書では、イブはアダムの肋骨から神が作った存在。部品なのです。仏教では、女性には「五障」があるため修業の妨げとなるとされ、寺では禁制とされました。ただし、日本の場合は、神道が仏教と習合して生き延びたため、その分、女性はか弱くて男性に庇護されるしかない存在という考えは、西洋ほど強くはならなかったのではないかと想像します。それが幸いだったかどうかはさておき、歴史的経緯はある程度知っておかないと、どこかでまちがえてしまうのではないかと危惧することが多いので、ちょっとだけ紹介しました。

  

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