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アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

アイヌの美しい手仕事展

2024-12-30 23:33:37 | 映画とドラマと本と絵画

  12月の中頃、豊田市民芸館で開催していた「アイヌの美しい手仕事」を見に行ってきました。

  厚司のみ撮影可能。点数が多く、様々な模様と素材の衣装を見ることができました。

   厚司といえばオヒョウ、と思っていましたが、オヒョウだけではなくイラクサで織った素材も。チェーンステッチのようなステッチが施されています。

  藍染の布は、本州からもたらされたもののよう。農業には携わらなかったアイヌにとって、木綿布は暖かくて柔らかい貴重な素材だったと思います。

  撮影はできなかったのですが、同じアツシでも、袖口とか、肩あたりにだけ、花柄のも綿か絹の端切れが使われているものもありました。それも、本州や大陸との交易品として入手したもので、たぶん若い女性たちの衣服になっていたのだとお思われます。布だけでなく当然糸も、赤や青の染め糸が使われていました。

   女性たちの手によって生まれた衣装の数々。美しい。刺繍の模様にはそれぞれ祈りや呪文が込められているそうなのですが、模様の配置や選ぶ布、糸などは女性たちの好みに任せられていたのではないかとおもう。パッチワークのようなアツシは、きっとセンスのいい女性が部落内にいて、彼女のもとにみんな相談に行っていたのではないかしら。木綿や絹の端切れはものすごく大事なものだったに違いないから、どの布をどの部分に持ってくるかについては、きっと悩んだと思います。

   撮影はできなかったけれど、酒箸もたくさん展示されていました。神との供食の折に使われたという長い立派な木箸。アツシ同様、様々な模様が彫り出されていますが、なかには、狐の顔とか動物の頭が浮き彫りされたものも。作る人の技の見せ所として競って派手なものになっていったのかも。

   面白かったのは、首飾り。大きくて丸くあざやかな色の石は、ロシア圏や中国からもたらされたものらしいのですが、中央のペンダント?部分には、刀の鍔とか箪笥の金具が使われているのがありました。貴重な金属に精巧な細工を施したものなのだから、飾り物にしたくなって当たり前かも。

   数か月前から「日本残酷物語」全5巻をちょうど読み進めているところだったので、北海道開拓にまつわるアイヌの人たちの悲惨な歴史に触れたせいもあって、彼らの日常生活に使われていた衣類や道具類が、単なる興味深い工芸品ではなくて、悲劇の色合いを帯びたものとして一つ一つが胸に迫りました。

 

  たまたま、最近読んだ学習漫画。中世以降、和人の力が北海道に徐々に及ぶようになり、何度も大きな抵抗運動が起きました。明治政府の世になってからは「北海道旧土人保護法」の成立によって強制的に日本人化させられました。彼ら独自の風習や儀式の禁止、狩猟やサケ漁なども禁止され、そして強制移住も。アメリカンネイティブと同じ運命をたどっています。

  この日のランチは豊田市駅近くのミネットで。友人に勧められていたフランス料理屋さんです。

   コールラビと大根のポタージュ。

   ポテト、生ハム、チコリのグラタン。

  カモロースのロティとヤマゴボウピュレ。

  どれもおいしかった。バターや生クリームがきつく感じはしないか心配でしたが、そんなことはなく完食。店内の雰囲気も感じがよくて、帰り際には、店主であるシェフが奥様と二人で見送ってくれました。いつもこうらしい。

  野菜料理のおいしいレストランはうれしい。また行きたい。

 

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映画「山の教室」

2024-12-27 14:33:53 | 映画とドラマと本と絵画

   「国民がみな幸福になること」を国是としているブータンの映画。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3_%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%95%99%E5%AE%A4冒頭は草原で歌う女性のうしろ姿。草原に広がる歌声が美しい。

  主人公は、まったくやる気のない若い男性教師。ブータンの首都に住んでいます。奨学金をもらうための義務なのか、教師として5年勤めなければならないのに、4年でギブアップ。教師には向いていないとあきらめ、オーストラリアへの移住に夢をはせています。家族は年老いた祖母だけ。

  しかし政府の要請には逆らえず、残り1年の教職の仕事は勤め上げるしかありません。そんな彼に与えられた任務は、ブータン一小さくて貧しい村、ルナナの学校に冬がくるまで赴任すること。長時間バスに乗りガサという村につきます。そこで村の村長の代理だという男性とその助手らしい男性が、ラバ?に荷物を積んで待っています。主人公は、彼らとともに、この場所から7日間かけて村まで歩きます。

  峠で行われる、旅の無事を祈るためのささやかな祈りの儀式。村人が敬虔な祈りをささげるのを主人公は意に介さず、先に進みます。道なき道を進んでようやくたどり着いたのは、標高4500m、人口56人?の寒村です。村人総出で出迎えて、新任の教師を歓迎するのですが、当の本人にはありがた迷惑。長いこと使われていなかった教室は汚く、窓ガラスの代わりに「伝統紙」が貼られています。教室に併設された彼の住居も同様に粗末。近代的な生活が当たり前の都会で暮らしていた彼には到底耐えられない環境です。すぐに、彼は村長に職を退くことを申し出ます。

  村長たちは、教師を「未来を拓く(だったかうろ覚えですが)人」として尊敬しています。子供たちに教育を施すことが、村の明るい未来につながるとかんがえるのでしょう。その教師に村を出ると言われた村長たちは、落胆しますが逆らわず、彼を町へ送る手はずをと整えます。

  ところがその後、子供たちとかかわるにつれ、彼らの純朴さに次第にひかれていき、彼は冬が来るまでこの村にとどまることにします。ノートすらないので、窓ガラス代わりの紙をはがして、子供たちに配り、街の友人に頼んで、教材や遊び道具、歯ブラシなどの日用品まで送ってもらいます。こうして村になじみ、子供たちとの交流を重ねるうちに、貧しいけれど素朴で心豊かな山の生活が次第に彼には大事なものになっていきます。

   冒頭に出てきた女性は、村一番の歌い手。彼女は彼に、「ヤクに捧げる歌」を教えてくれます。西洋の音楽しかしらない彼には、伝統的なブータンの旋律がしだいに耳に心地よく響き始めます。

   学級委員の女の子が、とてもかわいくてほほえましかった。村の女性たちのはにかみ方、笑い方が素朴で、好感が持てました。もしかしたら彼らはほんとにルナナ村の住人なのかも。昔の日本の女の人たちも、こんなだったと思われました。

   映像がしっかりしていて、退屈するところがありませんでした。必要最低限の内容だけをお互い口にし、あとは表情やしぐさで補っているところが、環境は過酷ではあるけれど、刺激の少ない穏やかな暮らしをし続けてきた村人たちならではの態度なのだろうな、と思わせてくれました。

   ただし、村を囲む山々は温暖化の影響で雪がぐんと減り、村人がじわじわと危機感をもち始めている様子も、ちゃんと描かれていました。秀逸な映画でした。

 

   

   

  

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本「日本残酷物語4~保障なき社会」

2024-11-05 23:13:38 | 映画とドラマと本と絵画

  「日本残酷物語」第4巻は、明治維新前後の世の中の激変に翻弄される庶民の記録です。

  表紙に書かれた文言は、「「血税」という語に、生血を搾り取られる恐怖を聞いた人々、経済・社会の急激な「御一新」の中で、脆くもさびれ崩れる町、村、家、かつて働いていた保障のしくみを失い、巨大な群が流離の境涯に落ちる」。250年続いた幕藩体制が壊れた後の動揺は、一朝一夕には終わらなかったことがこの本を読んでよくわかりました。

  「村八分の実態 藩政時代の下の農村は、一つ一つの村がみずからの手で自分たちの村を守らなければ、そのなかに住む一戸一戸の生活をすらあやうくする場合が多かったから、人々は自分たちの家を守ると同時に、また自分たちの村を守った。だが明治になって、納税の責任も連帯制を解かれ、人々もまた職業選択の自由がみとめられることになると、村のなかの古い秩序もこわれてきはじめる。村の共有林や共有山野が個人に分割されて、村全体の支えはしだいに影をひそめ、血縁中心の家がその支柱と変ってくる。しかし同族結合の要である本家も、連帯保証の重荷に耐えかねて没落するものが多くなると、村の秩序は混乱をかさね、家と家の対立ははげしくなっていく。そうした過渡期の混乱をもっともよく伝えるのが、村はずし、村八分という現象である」

  本書の中で、わたしがもっとも驚いたのが、この部分。村八分は、江戸時代からずっとつづいているものだと、なんとなく思っていました。ところが実態はそうではなくて、「むしろ共同体的な部落から近代的な部落へと変わってゆく過程で生じたものである」というのです。その理由は「生産プランを中心とした共同体ではその成員をみだりにふやしたり、へらしたりすることはできなかった。それはただちに生産にさしつかえることだったからである。したがって村八分などおこりようはなかった」。

  ところが、幕末から明治にかけて、部落内に新勢力が勃興し、旧勢力との間に対立が起きると、これまで続いていた共同体が完全に壊れた部落だったら、新勢力が勝っておわり。でも、「生産内容にかかわりある面は失われてゆくが、その形式的な側面すなわち冠婚葬祭などの行事慣習がなお保存されているのがほとんどであった」。たとえば、祭りの役割分担とか、葬儀の際の共同作業とかは昔のまま残されており、そうした方面で、気に入らない家をつまはじきすることで、「心理的に十分に苦痛を与えることは可能である。だから村八分は共同体の崩壊過程においてだけ生まれるもので、明治の村などにもっとも生じやすいものであった」。

  余談ですが、現在、共同体としての村がほぼ消えているはずの田舎でも、この記述のように、「擬制的な共同体が形式」として今も残っていると感じることはしばしばあります。わたしはこちらに来て、「村の法律と田舎の法律は違う」と言われ、別の人物からは「郷に入れば郷に従え」と言われました。「八分にしてやる」と脅された移住者もいると聞きます。「形式」すら存続できなくなった集落だと、やっと移住者は半端ものにされることなくすごせる、という皮肉めいた話もしばしば聞きます。こうしたことが、日本の農村の昔ながらのあり方ではなく、崩れかけた共同体だからこそ起きたことがらだという視点は、とても興味深い。

  本書には、なんと20年もの間ある新興の一家が八分にされ続けた話が載っています。八分がなくなったのは、この部落に小学校を作ることになり、小学校の建設費?をすべてこの家が出資してから、とのことです。村に多大な恩恵を施してもらって、いいかえると多額の出資を引き出して、やっと溜飲が下がったということなのでしょうか。ひどい話です。

  禄を失った士族たちの末路もすさまじい。私の父方の曽祖父は、いわゆる「士族の商法」で失敗して食い扶持をなくし、屯田兵として北海道に渡ることを決心した矢先、地元名古屋でなんとか仕事を見つけることができたので、遠い地に旅立つことはしないで済んだと聞いています。屯田兵、北海道開拓というと、見たことのない曾祖父のことをおもいだしていましたが、その実態をはじめて知ることができました。

  封建社会から近代社会へ。前時代と比べたら、住所も職業も選べるようになり、人々の自由度は増したように思えるのですが、内実は、簡単ではなかった。例えば村の共有物がなくなり、個人のものに帰すことで、山に住みながら勝手に薪を取ることができないとか、漁村に住みながら海草を自由に採取できないといった事態が起きました。また、職業選択の自由によって、それまで、下層の人たちが独占できていた仕事を他人に取られることになったりといったことも生じました。

  周防大島で生まれた民俗学者、宮本常一の、曽祖父から彼の父までの三代にわたる一家の辛苦の物語は、圧巻でした。決して平たんでない彼の生い立ちが、後年、彼独特の民俗学を産んだのだな、と納得できる一文です。

  第4巻も、多方面から見ないと物事がわかったとはいえない、ということを痛感する書物でした。次は最終巻。「近代の暗黒」です。

  

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映画「女ひとり大地をいく」

2024-10-29 15:48:07 | 映画とドラマと本と絵画

  「戦フ兵隊」、戦後のニュース映画「日本の悲劇」の監督・亀井文雄の劇場映画。戦後の作品です。

   1930年代、東北の寒村で極貧の生活をしていた一家。宇野重吉扮する夫が、路銀もほとんど持たずに、北海道の炭鉱に出稼ぎに行きます。でも、炭鉱でのひどい扱いに耐えかねているところに落盤事故が起き、彼は行方不明に。

  一方、主人のいない留守宅ではもちろん貧困の度合いはさらに進み、山田五十鈴が演じる美しい妻は、借金取りからしきりに身売りを勧められます。ついに、彼女も夜逃げ。夫が働いていた炭鉱に身を寄せ、炭鉱夫として働きだします。戦時下、男は次々に徴兵され、彼女たち一家に親切にしてくれていた男性も戦地へ。強制連行されたらしい朝鮮人労働者と女性たちが主となり、炭鉱主やその中間管理職たちにひどい扱いを受けながら終戦を迎えます。

  戦後も変わらず、「朝鮮戦争の特需に応じるため」(ウィキペディア)労働者たちを酷使する炭鉱主たちに対して、彼らはようやく反旗を翻します。

  当時の映画で、下層の人たちや戦場を描いた作品のリアリティはやはりすごい。家の中の荒れ方はすさまじいし、着ているものはぼろぼろ。「炭住」と呼ばれていた「炭鉱労務者住宅」は当時の建物そのままを使ったと思われます。

  この映画は、「日本炭鉱労働組合北海道地方本部加盟の炭鉱労働者が1人33円ずつ資金を出し合い、300万円の資金で製作された」そうですが、「シナリオと完成フィルムについては、映画倫理委員会から朝鮮戦争を連想させる箇所はすべて削除か改訂の希望が出され、日本炭鉱労働組合が抗議するなど、対立したが、1953年2月20日、全国で公開された」(鍵カッコ内、ウィキペディア)とのことです。

  ところで、山田五十鈴がこういう社会派の映画に出演していたとは全然知らなかったので、ちょっとびっくり。検索してみたら彼女はこの50年代に「人民女優」とのレッテルを貼られ、レッドパージの対象になったといいます。そのころの代表作がこちらだったようです。

 

 

 

 

 

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映画「モーリタニアン~黒塗りの記録」

2024-10-12 00:05:21 | 映画とドラマと本と絵画

  アメリカの9.11事件の後、700人もの容疑者が捕まったそうです。そのうちの一人に、モーリタニア人がいました。彼の、実話に基づく映画です。ttps://ja.wikipedia.org/wiki/モーリタニアン_黒塗りの記録

  彼は自国で家族と過ごしているところを突然連れ去られ、アメリカ軍に引き渡された後キューバの米軍の収容所に入れられます。彼と連絡が取れない家族は、国際的に活躍する人権団体の弁護士に救いを求めます。それがジョディ・フォスター。彼女の説得に応じて、彼がつづった記録には、すさまじい拷問と脅迫によって自白を強要されたことが書かれていました。

  一方、米軍の内部から調査を始めた軍人で弁護士のベネディクト・カンバーバッチ。彼はこのモーリタニア人を犯人として証拠立てるために動くのですが、得た結論は、ジョディ・フォスター同じ。逆の立場でありながら、偏見を排して事実を追っていったら、想像を絶する人権侵害による冤罪事件があきらかになります。

  当時の政権は、犯人を仕立て上げてでも「成果」をあげたがっていた、ということを明らかにした映画でした。やったことはとんでもなくひどいのですが、事件の後、こういう映画にして、自国の恥部を描いて見せることができるのも、アメリカのすごいところだな、と思いました。

  

       

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本「日本残酷物語3 鎖国の悲劇」

2024-10-10 00:05:27 | 映画とドラマと本と絵画

  「日本残酷物語」シリーズの3冊目。今回も、1冊目、2冊目に劣らず、過酷な世を生き抜いた人々の記録がつづられています。

  「外に向かう自由なエネルギーを封じられ、抑圧と束縛の中を生きた人々、禁教下のキリシタン、漂流民、流刑者、また身分制の重石を一身に受けた者ら、そしてその苦闘は、近代の幕開きとともに終わったのではなかった」

  

   「中世の終りごろの日本では、武士をふくめた民衆のエネルギーはすばらしいいきおいで爆発をつづけていた。政治的な支配力が弱まり社会秩序がみだれると、民衆はそれぞれの生活環境のなかで放恣無頼な生き方をはじめた。」そこに到来した西洋文化。キリスト教の考え方とは相いれない権力者にとって、はじめは貿易による利益が優先されたが、それではお追いつかなくなり、一部を除いての鎖国状態が始まる。

   「しかしそれまで沸騰しつづけていた民衆のエネルギーはどうしてしずめられただろうか。それを冷却させなければ鎖国をながく維持することができない。幕府はその手段として民衆の前進しようとするあらゆる芽を摘みとろうとし、また民衆の生活をきびしい枠の中にはめた」

    刑罰は重く、長崎から江戸まで旅したオランダの使節たちがしばしば見たのは、道すがら磔になった罪人やさらし首。当時の西洋では、そうしたことがあったのかなったのか知らないけれど、記録に残されているくらいだから、異様なものと映ったのでしょう。

    本書を読むまで考えてなかったのですが、国内に戦争がなくなり、鎖国によって他国に侵略することも、貿易によって富を得ることもなくなったということは、「日本の土地はもはや大きくなる気づかいはなかった」だけでなく、各藩それぞれも、同様に国盗りができなくなったということになります。ということは、国内あるいは藩の中での年貢の取り立てを厳重にすることによって、幕府及び藩の財政を整える必要があったということになります。

    そして「やり場のない民衆の憤り」は、外へ向かって噴出することは不可能にさせられ、自分より抑圧された下の階層への差別意識を増大させることになります。キリシタン宗徒への弾圧に被差別部落民をつかい、反目しあうよう仕向けるなど、為政者は互いの分断を意図的に進めたようです。

    キリシタンだけでなく、日蓮宗の一派不受不施派、浄土真宗の一派?かくし念仏に対する弾圧もすさまじく、薩摩藩に至っては、なんと浄土真宗そのものが禁制になっていたそうです。それでも、虐げられたの農民たちにとって念仏の教えは心のよりどころとされ、禁を犯して信じられていたとのことです。

    「南部三閉伊の一揆」は圧巻。想像を絶する圧政に苦しんだ百姓たちが何万人も参加した一揆。その指導者の老人「弥五兵衛」がすごい。一揆勢の統制ぶりはすばらしく、ある藩の家老をして、「まことに武士にまさって鎮まりかえって控えたること、これ古今稀なる強訴なるべしと諸人肝魂を失い、恐をなしぬ」といわせています。この老指導者は、17年の間、領内を説得して歩き、歩いた村は総数636か村に及んだといいます。この一揆は一揆勢の成功となるものの、彼は本当の解決にはならないことを見越し、再起を勧めるためにさらに領内の村々を説いて回ったのだそうです。志半ばで彼は非業の死を遂げますが、その遺志は次の指導者に受け継がれます。

    被差別部落民、百姓だけでなく、士族の生きづらさも記録に残されていて、なかでも土佐藩の執政野中兼山の娘えんの話には、胸がふさがります。

    この巻もまた、知らなかったことばかり。日本の歴史の裏面を多方面から探求したこのシリーズ、やはりとても興味深い。ただし、あとがきにもあるように、刊行されたのが70年代なので、それ以降研究が進んだ分野も多く、間違いも指摘されています。中身を読むひまがなかったら序文だけでかなり全体像がつかめますが、あとがきも読むことを勧めます。

    

    

 

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本 おーなり由子「空からふるもの」「ひみつブック」

2024-09-22 17:13:09 | 映画とドラマと本と絵画

  「ひみつブック」

  女の子は秘密が好き。

・・・・・・・・・・・・・

    ふいに突然ーー

    ひとりっきりのきもち

    自分の居場所が

    きえてしまったよう

    「あなたなんて

    いらない」

    誰かにそう言われた気がして

    心がちりちりいたい時

    とりだして

    月あかりの下

    ひとりで

    そっと

    なぜる                                               (ひみつの箱Ⅰ)

  こういう箱を、多分女の子はきっとひとつはもっている。ときどき、突然小さな女の子がぶわっと飛び出てくるおばさんやおばあさんも、たぶんきっともっている。

   「空からふるもの」

・・・・・・・・・・・・

   ゆうやけが   

   ひろがる部屋で

   このところ

   おばあさんは

   ねむれない

   友達が

   みんな先に

   いなくなってしまう気がして

   明日もあさっても

   変わらない気がして

   自分がいらないもののように

   思えて

   ねむれない           (episod1)

 

    そんな孤独なおばあさんに、三人の天使は花を降らせます。

   明日になったら

   花束にして

   誰かにあげようか

   誰をよろこばそう

   誰を驚かそう        (episod1)

「ある日悲しかった時に、いいもの、いいもの、うつくしいものーーが、空からふってくるといいな、と思って、このお話をつくりました。」(あとがき)

   「いいもの」がなにかは、天使の気まぐれ。

   

 

 

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本「しあわせな葉っぱ」おーなり由子

2024-09-12 11:55:55 | 映画とドラマと本と絵画

 おーなり由子の漫画は結構好きで、昔よく読んでいました。でも、絵本作家になってからは、たまに買うだけで、ほとんど読んでいなかった。久しぶりに読んだ「しあわせな葉っぱ」。やっぱり、彼女いいなあ。

「ある朝目がさめると 頭に芽が でていました」からお話は始まる。

 女子高生らしい女の子が主人公。みんなに自慢しようと勇んで登校するけれど、誰も気づいてくれない。

 そのうちこの女の子は、孤独を感じ始めます。

「私の事なんて だれも 見ていないのかな」

 そして、

「夢を見ました からだじゅうが 葉っぱになってしまう夢ー」

 と続きます。

 葉っぱに振り回される日々。でも最後は、巻頭に「かみさま どうか どうか ハッピーエンドに してください」とあるとおりになります。思春期の少女の気持ちが表現されているようで、フフッとほほえみたくなる本。30分もかからず読めます。気分がまいっているとき、つかのまでもうれしくなりたいときにお勧めです。

 

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本「本当は戦争の歌だった 童謡の謎」

2024-08-30 23:33:55 | 映画とドラマと本と絵画

  シンガーソングライターとしてデビューし、音楽業界で多彩な仕事で「異才を発揮している」という合田道人の「童謡の謎」(表紙カバー)シリーズの一冊。

  「童謡や愛唱歌とされる歌たちの背景に戦争が見え隠れしているものが実は多い。戦争の中で作られたり、戦後の苦しみの中から生まれたりした童謡が今も息づいている。兵隊や戦争といった直接的な言葉や詩がなくても、その裏側に戦争が潜んでいた歌を知るたびに、正面から向き合う必要性を感じた」(まえがき)

  たとえば、「うみ」。「海は広いな 大きいな」で始まるあの歌は、昭和16年に教科書に掲載されたという。真珠湾攻撃の年です。この年から、小学校は国民学校という名に変わり、国民学校の一番の目標は、「皇国民の錬成」。その国民学校の一年生が習う歌として登場したのが「うみ」でした。

  この歌のどこに戦争が隠されているかというと、3番。「海にお船を浮かばして(当時は「し」だった) 行ってみたいな よその国」

  「ここにしっかりと男の子たちの夢が描かれているのだ。・・・早く大きくなって男の子たちは、兵隊さんになりたかった。日本のために戦争に出向きたかった。・・・・海を渡って敵国、よその国に乗り込んで勝利を収めたい・・、そんな心がこの歌を大きく支援していったのである。」

  指摘されて初めて、この歌の1番、2番と3番の間に飛躍があることに気付きました。1番、2番の主語は「海」、でも3番は「ぼく」。突然変わっているのです。

  明治43年に発表された「我は海の子」も同様。ただしこちらは、実は堂々と戦争を前面に出した歌だったのです。今は3番までしか歌われていませんが、終戦までは7番まで歌詞がありました。

   「7 いで大船を 乗出して 我は拾わん 海の富 いで軍艦に 乗組みて 我は護らん 海の国」

  「「我は海の子」の本質の意味は、海で毎日泳いでいる元気な子供というものだけではない。海国日本、海軍日本の子こそ「我は海の子」なのである。」

  「汽車ポッポ」も出征する兵隊を見送る歌として作られたのだそう。ほかにも、戦中戦後に歌われた有名な童謡の「謎」がいくつも解きほぐされています。

  子供たちの心に、じわじわと忍び寄るようにして、戦争を身近なものとさせるための道具に使われた童謡(学校で歌われたものなので、唱歌といったほうがいいかもしれません)の数々。戦後生まれの私たちも全く知らずに歌っていました。

  今は、昔の唱歌が音楽の教科書から消えたと聞いて久しい。なんだか寂しいなと思っていましたが、戦争にまつわる歌は少なくとも教科書からは消えたほうがいい。また「じわじわ」来られるのはいやです。ただし、新しく教科書に載った歌が、またまた「国策」に則った歌でないと言い切れるのかどうか、知りません。

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映画「スキン」

2024-08-29 15:36:08 | 映画とドラマと本と絵画

  全身入れ墨を施した青年の実話。SKIN/スキン - Wikipedia

  彼は幼いころ親から虐待を受けて捨てられ、白人至上主義の男に拾われる。男は、「バイキング」と名乗る集団のリーダー。彼ら夫婦のもとで、筋金入りの白人至上主義者として育てられ、黒人、移民、異教徒に対する憎悪に燃える青年になる。全身の入れ墨は、彼の憎しみを象徴しているかのよう。暴力的な集会にも積極的に参加し、テロ行為も辞さない。

  しかし、三人の娘を持つシングルマザーと恋仲になり、しだいに人間的な感情が芽生え始めます。その彼を更生に導くのが、偏見で凝り固まった人たちに公平な目を持たせるべく地道な努力を重ねているプロジェクトの黒人男性。当然ながらもとの団体から危険な目に何度もあわされます。

  何とか逃れた後、彼は全身の入れ墨を除去。そしてやっと生まれ変わります。

  白人至上主義者たちはどんな主張をしているのか、「バイキング」とは何のつもりなのか、彼らはどこから金を得て生活できているのか、といった疑問が残り、描き足りないなと思われるところもあるのですが、アメリカのプアホワイトの現状を多少なりとも知ることができました。

  狂気に思えるこの集団のリーダーが、うろついている少年に声をかけ、自宅に連れていきます。少年はそこで、彼らの主張を吹き込まれ、髪を丸坊主にされ、忠誠を誓わせられます。集団に疑問を持ち始めた主人公が、この少年に「なんでついてきたんだ」と聞いたときの答えに驚きました。少年の答えはこうです。

 「腹が減っていたから」

  アメリカは大変なことになっているなと再認識。そして、これは、子どもの7人に一人が貧困だという日本も、他人ごとではありません。

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