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骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

北与野・神明神社を骨で聴く

2016-07-25 11:14:11 | 骨で聴く巡礼旅
JR埼京線の北与野駅は高架駅なので、見下ろすような位置に神明神社が鎮座しています。
都市部の小さな神社ですが、立派に上落合鎮守神明宮という歴史を持っています。

上落合という土地は、江戸期を通じて氷川神社社領であったようです。
南東部に東縁高沼用水、西部に高沼排水(通称・霧敷川)が流れる大宮台地の一部にある場所で、現在の風景からはあまり想像できませんが、氷川神社から続く神域の一部を担っていたのかもしれません。

武蔵一宮・氷川神社を骨で聴く



創建年代は不詳で、口碑によると伊勢参宮を行った村人が御師より御祓大麻を受け、これを当地に祀ったことによると伝えられています。

天保7年(1836年)の「上落合村絵図」には、この場所に「神明宮」と記録されているので、その時代には地元に親しまれていたと思われます。
また、「風土記稿」には、「村民の持」とあります。
氷川神社社領であったことから別当寺は存在せずに、上落合村の人々が管理する社で、村の鎮守だったことが分かります。

もともと社殿は、茅葺き屋根の入母屋造りでしたが、現在は昭和58年(1983年)に鉄筋コンクリート作りの社殿に改築されています。都会の神社らしい姿ともいえますが、本拝殿は銅板葺きの神明造りです。

北与野駅の近いせいか、鉄道の音が聞こえます。
都内近郊でよく聞く電車の音とともに、埼京線は新幹線とも並走しているので、リズミカルな新幹線の通顔音も入ってきます。
境内から骨で聴きます。
耳だけでなく、骨から脳へと現代的な音を聞き、かつての鎮守の姿を想像します。
これも骨伝導で体感する巡礼方式といえるかもしれません。

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御花畑(芝桜)駅を骨で聴く

2016-07-21 11:52:28 | 骨で聴く巡礼旅
駅舎が国登録有形文化財になっている秩父鉄道の御花畑駅は、2009年から副駅名が「芝桜駅」になりました。

もともとは1面1線の駅で、改札を抜けた先にあるホームに上下線の電車が発着するだけの駅でした。ところが1989年に西武鉄道の乗り入れが開始されるようになり、2面2線の駅になりました。
対面型の2面2線駅構造になったとはいえ、従来からあった改札先の1番線は秩父線の線内列車専用で、向かい側の2番線は西武線直通列車だけが使用するという変わった使い方になっています。
西武線専用ホームの2番線へは跨線橋で連絡していますが、西武線の電車が発着するとき以外は2番線には立ち入り出来ません。

なぜなら2番線を出た先の連絡線は、西武秩父駅の先で西武線の線路とつながっているからです。
西武線直通電車で、長瀞駅発着の場合、西武秩父駅には停車せず、その代わりにこの御花畑駅が西武秩父駅の代用にもなっています。

逆方向の三峰口駅発着の場合は、御花畑駅には停車せず、西武秩父駅に停車するようになっています。
駅の位置と連絡線の関係を見れば、実に効率的といえますが、初めての人には何だか不思議な感じを抱くかもしれません。

これも西武秩父駅との距離が近接していながら、同一の駅ではなく、一般道を経由しての相互の乗り換え駅ということが関係しています。

秩父市の中心駅としては秩父駅が挙げられますが、この御花畑駅も都市の中心部に近くに位置し、乗降客は秩父駅より多いのが実情です。
周囲は住宅街で、中小商店なども多くあります。駅名の「御花畑」や副駅名の「芝桜」をイメージする要素はありません。
芝桜の丘で知られる羊山公園へは、徒歩20分程度の距離になります。

都内から西武線で秩父観光をする場合、この御花畑駅は利用する頻度が高いといえますが、駅そのものは小さく、かなり地味といえるかもしれません。
それでも秩父観音霊場の巡礼者や観光客も多く利用する駅で、電車の運転間隔もありますので、電車の到着時には雑踏を形成し、喧騒に包まれることもあります。

そんなときは巡礼の安全性確保とともに、骨伝導の利用がお勧めです。
耳を塞がす、骨で聴く、あるいは骨で話すという米軍採用・特許技術の骨伝導製品です。

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秩父の旅の入口「御花畑駅」に、世界最先端の技術を誇る骨伝導ヘッドセット、骨伝導イヤホンマイクが似合います。

松風山陽向寺を骨で聴く

2016-07-20 12:06:10 | 骨で聴く巡礼旅
秩父市荒川白久にある松風山陽向寺は曹洞宗の寺院です。

山里にある寺院で、現代の日本人にはのどかな原風景に似た光景です。




十三堂は別名・閻魔堂で、閻魔像などが13体、安置されています。




特段、観光名所でもなく、地元の人しか訪れない寺院ですが、時にはこんな雰囲気の境内に足を踏み入れるのも良いものです。
ついでに周囲の音声を骨で聴きます。

耳だけでなく、骨からも伝わる音声は、やはりのどかなものです。
のどかな風景に、米軍の爆音でも通信を可能にした骨伝導技術、この対比も興味深いものです。

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三峯神社・遠宮を骨で聴く

2016-07-19 15:09:31 | 骨で聴く巡礼旅
秩父の三峯神社の社務所から山に入ると、お仮屋の遠宮に至ります。
参拝者や観光客も、ここまで足を延ばす人は少ないせいか、ひっそりとしています。



今回はそんな遠宮へ、米軍採用・特許技術の骨伝導音声増幅器とともに訪れました。

三峯神社のお使い神は狼です。その狼を祀る宮で、狼は山に身を潜めていることから、ここを仮の仮の宮として祭事を行うという場所です。




災難から守ってくれる神様としても知られ、三峯神社の御眷属、大口真神(お使い神、お犬さま)ということで、狼というより犬の扱いになっています。だから、ここまで犬を連れて参拝に来る人も多いようです。



以前はこの遠宮のさらに先にロープウェイの駅があったので、馴染みのある場所だったかもしれませんが、現在では本当に参拝者が少なくなりました。
その代わりに神秘的な雰囲気が保たれ、本当に狼が出てくるような感じさえします。

骨で聴きます。
耳だけでなく骨伝導で骨からダイレクトに脳へ音声を伝えても、残念ながら狼の声が聞こえません。
しかし何となく神聖な狼の声が聞こえてくるような気分だけは味わえます。

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三峯神社に来た際は、ここまで足を延ばす価値は十分あります。
骨伝導ヘッドセットやヘッドホンもお勧めです。

武蔵一宮・氷川神社を骨で聴く

2016-07-18 11:26:14 | 骨で聴く巡礼旅
さいたま市の旧大宮は、まさに大きな宮である氷川神社が中心部に鎮座する都市です。
武蔵の国の一宮で、参道は圧巻です。
さいたま新都心駅近くから一直線に市街地を貫いて参道が続いています。きれいに整備された並木道で、市街地でここまでの規模はおそらく全国一位といえるでしょう。





一の鳥居から二の鳥居までは、約1.5km程度で、クルマで移動の場合は本殿方向への一方通行になります。
徒歩ではゆっくり歩いて20分程度です。都市部の参道なので、並木道はきれいに整備されていますが、地元の人の生活道路という側面もあります。



二の鳥居は、旧国道16号線沿いで、この鳥居は日本最大級の大きさを誇ります。
明治神宮から奉納されたもので高さ13m、幅17mの巨大さです。

二の鳥居から三の鳥居までは、さらに約50mの距離があり、その先からようやく境内に入ります。



氷川神社の歴史は古く、社記によると、第5代孝昭天皇の御代三年四月未の日の創立と伝えられます。
この地は、大宮台地の上に位置し、台地の中でも鼻のように高く突き出た場所になります。
そのためこの周囲の地名は高鼻町と呼ばれ。かつては境内の東側には見沼と呼ばれる広大な湖沼があったようです。また、「神沼」、「御沼」とも呼ばれ、豊かな恵みを与えてくれる神聖な水をたたえていたといわれます。

江戸時代には、見沼溜井という貯水池が開発されました。現在でも境内にある神池は見沼の名残であるといわれます。
この沼に流れ込むのが、神域である蛇の池からの湧水です。

蛇の池の神聖な湧水があったらこそ、氷川神社はここに鎮座するようになったともいわれます。
そう考えると、最も氷川神社のパワースポットといえるのは、この池かもしれません。



本殿の西側でかなりひっそりとした場所の湧水は、確かに荘厳な水の調べを奏でている気がします。
ここですぐに米軍採用・特許技術の骨伝導音声増幅器の出番です。

集音マイクで蛇の池周辺の神聖な音をひろい、耳だけでなく骨からもダイレクトに脳へ伝えます。
まさにパワーチャージといった感覚です。

ここで使用した骨伝導音声増幅器は → 米軍採用・特許技術のこちらです。

さてこの氷川神社ですが、第12代景行天皇の時代には、日本武尊が参拝し東夷鎮定の祈願をなされたという伝説も残っています。
さらに第13代成務天皇の時代には、出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となり、氷川神社を奉崇しました。善政を敷かれてからさらに神威は輝き、国内の神社の中でもかなり格式を高めたと伝わっています。



聖武天皇の時代になると、既に武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の時代の延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預かり、また臨時祭にも奉幣に預かる等々といった歴代朝廷の崇敬を厚く受けてきました。

武家の時代になってからは、鎌倉・足利・北条・徳川氏等が尊仰してきました。
明治元年に都が東京に遷されましたが、明治天皇は氷川神社を武蔵国の鎮守勅祭の社と定め、氷川神社親祭の詔(祭政一致の詔)を賜ったという話も有目です。

そんな氷川神社は、都心部からも近く、ぜひとも骨伝導機器とともに訪れてほしい神社です。

秩父札所十三番・慈眼寺を骨で聴く

2016-07-14 11:55:11 | 骨で聴く巡礼旅
秩父観音霊場の札所の中で、おそらく最も電車で行きやすいのが13番札所の慈眼寺でしょう。
秩父鉄道の御花畑駅の駅前というような位置にあり、西武秩父駅からも近いので、気軽に参拝に行けます。

本尊は行基作といわれる聖観世音菩薩で、観音堂は三間四面、表軒唐破風つきの流れ向拝をふした入母屋づくりです。
かなり見事な建築物といえます。観音霊場の他の観音堂と比較して、秩父霊場屈指の存在感と見事な調和といえるかもしれません。
これは明治11年の秩父大火に類焼したため、再建されたものです。



経蔵にも注目です。
秩父市の文化財指定の一切経が奉納されています。経典は輪蔵という、押すと心柱を中心にして回転する六角形の棚に入っています。



日本武尊の伝説も残っています。
東征の際、この地に御旗を立てたことから「旗の下」の地名が生まれたというものです。
そのため、慈眼寺の山号「旗下山」もこの伝説に由来しているようです。



秩父霊場でも都市の中にある寺院のため、霊場特有の「厳格さ」や「荘厳さ」とは無縁かもしれません。
それでも気軽に立ち寄れる気安さから、参拝者は多いようです。

境内で骨伝導機器を試してみます。
都市部での骨伝導といえば、やはり騒音対策です。爆音の中でも通話を可能にした特許技術を使えば、煩わしい騒音の中でも「声」のコミュニケーションが可能になります。

しかし工事がされていない限り、慈眼寺周辺はそこまでの騒音はありません。
純粋に周囲の音声も含めて、耳だけでなく骨から脳へと伝えることで古来より続く観音霊場の雰囲気を感じ取るのが良いかもしれません。

そんな米軍採用・特許技術の骨伝導機器は  → こちらで確認を!

碑文谷八幡宮を骨で聴く

2016-07-13 12:12:06 | 骨で聴く巡礼旅
ニュースで残虐な事件として報道されている碑文谷バラバラ事件ですっかり有名になった碑文谷ですが、ここはもともと悲惨な事件に似合わない目黒区の閑静な住宅街です。

その碑文谷で目黒区内でも屈指の規模を誇る八幡宮が鎮座しています。



創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に源頼朝の家臣・畠山重忠の守護神をその家臣筋で当地に住んでいた宮野左近という人物が祀ったのが始まりであると言われています。
その後、永正8年(1511年)、寛永8年(1631年)、宝永元年(1704年)、明治5年(1674年)と、社殿の再造営がなされたようです。

最後の明治の再造営では、延宝2年(1674年)に造替した社殿のを再建し、明治20年(1887年)に改築したものが現在の姿になっています。




明治の神仏分離令が出るまで、別当寺として近辺にある円融寺の子院の神宮院が置かれていました。
畠山重忠の家臣・榛沢六郎を祀った稲荷社と「碑文谷」の由来となったといわれる碑文石が並んでいます。




この碑文石ですが、高さは約75cm、横は最大で約45cm、厚さは約10cmの呑川の川床の石を材料にした石です。
中央に大日如来を示す梵字が、左には勢至菩薩を示す梵字が、右には観音菩薩を示す梵字がそれぞれ刻まれています。
室町時代頃の作といわれ、当時の人々の信仰を知る貴重な史跡です。



鎮守の森に囲まれ、落ち着いた雰囲気の神社で、この近くで残虐なバラバラ事件が起きたとは思えないほどです。
推理小説で、鮎川哲也の短編「碑文谷事件」がありますが、これは不可能犯罪に挑戦する鬼貫警部の名推理が冴えるシリーズの一作です。
今回の事件との相似はありません。

さて、そんな碑文谷八幡宮を骨で聴きます。

静寂で緑豊かな神域の周辺の音声を耳だけでなく骨からも脳に伝えてみます。
今の季節は梅雨の時期なので、蒸し暑い状態ではあるもの、脳に清涼感ある音が響いていくような感覚も味わえます。
ただしそれができるのは、米軍採用・特許技術の骨伝導機器という性能ゆえでしょう。

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かなりお勧めの神社です。碑文谷は事件だけではありません!

お伊勢の森神明社を骨で聴く

2016-06-13 11:30:20 | 骨で聴く巡礼旅
広大な境内に樹齢300年の杉が鬱蒼と茂り、昼なお暗い森を形成していた場所を「お伊勢地」や「お伊勢の森」とよばれていました。その中心に鎮座していた神明社は、東京都武蔵村山市にあります。
今回も米軍採用・特許技術の世界最先端の骨伝導ヘッドセットとともに向かいました。

新青梅街道沿いなので、ここを走るドライバーにはかなり目立ちます。




神明社なので、主祭神は天照皇大神です。
江戸時代中期の宝暦12年(1762年)に、この地を聖地と定め、創建されたといいます。
伊勢神宮の分霊を祭神として奉斎したことで神明社になりました。

地名も神明社に因み、この地域はかなり広い範囲にわたって中藤村字御伊勢地といわれていたようです。
境内は3,000坪もあり、樹齢数百年を経た杉の巨木が神域を包んでいたようです。





お伊勢の森の北側先には青梅街道の旧道が東西に走り、その先には狭山丘陵があります。
狭山丘陵からの距離は500m程度です。かつてはおそらく丘陵側に民家があり、空堀川を超えたこの周囲は、何もない地域だったと想像できます、現在は新青梅街道によって街道沿いが賑わっていますが、かつてはある意味で辺鄙な場所だったと思われます。

神社は南側に向いて鎮座するのが一般的ですから、当時は青梅街道沿いの住民たちがここに参拝するためには、神聖な森を迂回して遠回りしなければならなかったのでしょう。

かつてのような鬱蒼とした森からすれば大分狭くなってしまったようですが、何とも不思議な神秘性が保たれ、社殿も貫禄があるように感じます。



そんなお伊勢の森神明社を骨で聴きます。
耳だけでなく骨からもお伊勢の森が奏でる音色を聞こうとして、やはり交通量の激しい新青梅街道に目がいってしまいます。
ここでは、ドライバーの方へ、東京都で運転中に携帯電話の通話でつかまらないために、耳をふさがない骨伝導ヘッドセットをお勧めしたくなります。特にトラックの運転手には最適です。

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実際には参道を進むごとに疾走するクルマの音は途絶え、樹木の奏でる神聖な音色を感じながら社殿に進む感覚になります。
お勧め度Aランクの神社です。


中町天祖神社を骨で聴く

2016-06-11 17:10:44 | 骨で聴く巡礼旅
東急大井町線の上野毛駅から玉川警察署の方向に進むと、鳥居と奥に続く緑のトンネルを目にします。
中町天祖神社です。今回も米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに参拝に訪れました。

天祖神社なので、祭神は天照大神です。
相殿として倉稲魂神、いわゆる稲荷神が祀られています。



現在はこの周辺は世田谷区中町になりあmすが、かつては玉川村野良田という地名で、この地域の鎮守氏神として古くから鎮座していたようです。

正式な由緒は不明とのことですが、「新編武蔵風土記稿」に「神明社除地一段歩、字上にあり村の鎮守なり、祭礼は九月二十二日、当村金剛寺の持なり」と記載してあります。




神社の名称としては、慶応4年(1868年)までは神明宮と称していたようです。
改名されたのは明治7年で、天祖神社と明記されるようになりました。

境内の末社には、祓戸神社、阿夫利神社、日枝神社があります。
稲荷神は本殿に向って左側に祀られています。この小さな社の石柱には「奉納弁才天燈明台、為萬民豊楽、五穀成就也」、「宝暦六丙子天二月吉辰、武州荏原郡世田谷領野良田村願主糟谷某、臼井某(各省略)」と刻まれています。

由緒書によると、昭和32年ごろまで本殿の周囲は雑木林や雑草におおわれ、広々とした鎮守の森の姿をとどめていたようです。
現在ではその雑木林と呼べるほどの規模はなく、周囲は住宅地となっています。
それでも緑は比較的多く、都内の神社としては鎮守の森の名残を十分に感じることができます。



境内は広いほうだといえます。
そのせいか車の疾走する音はほとんど聞こえてきません。さすがに静寂とまではいかんなても、十分に神域の雰囲気は保たれています。
そんな周囲の音声を骨で聴きます。

耳だけでなく頭蓋骨から脳へと直接伝える骨伝導により、この鎮守の雰囲気をより堪能することで、何ともいえない癒しが訪れるような気がします。もちろん、骨伝導ヘッドセットは騒音対策や難聴対策に有効な機器ですが、こんな場所でも使うのもお勧めです。




八兵衛稲荷神社を骨で聴く

2016-06-10 11:11:08 | 骨で聴く巡礼旅
ある意味で貴重な神社といえる「八兵衛稲荷神社」に、今回も世界最先端の技術を誇る骨伝導ヘッドセットともに参拝しました。
なぜ貴重なのかといえば、ずばり、祭神です。

人物が祭神になっている神社は多くあります。
例えば、

 乃木神社  → 乃木希典将軍と乃木静子夫人
 東郷神社  → 東郷平八郎元帥
 松陰神社  → 吉田松陰、伊藤博文、山県有朋等の松下村塾の生徒

古くは怨霊が祭神となった例も多く、代表格は菅原道真を祭神とする天満宮です。

古来より日本では人間が死後、神や鬼や妖怪になるというように、人でないものに分類される傾向がありました。怨霊を鎮めるために神として祀る例は、こういった感覚から生まれたのかもしれません。
仏教で、「人は死んだら仏になる」というものと両立するのが、いかにも日本的です。

しかし、さすがに神社に祀られるとなると、上記の例でもわかるように歴史的にも有名な人物がほとんどとえます。
一般庶民が神として祀られる神社など、あまり考えられるものではないでしょう。

ところがここに例ががありました。
それが八兵衛稲荷神社なのです。



神になった八兵衛とは何者なのか?
祭神にまでなった人物としては知名度がありません。むしろ庶民だったといえます。
ではなぜ神になったのか?

拝殿に掲げられた由緒書きより引用しましょう。


「今を去る約二百六十年前 徳川中期の頃 当地に町人八兵衛と云う人が居りました。ある日自分の過失から火事を出してしまいました。八兵衛は近隣に迷惑をかけた事を悔い毎日毎夜町内を『火の用心』『火の用心』と廻って歩きました。
それからといふものこの若松町には大きな火事がほとんどなくなりました。
八兵衛の死後町内有志が稲荷神社を建て八兵衛をまつったのです。この事を伝え聞いた時の町奉行は将軍家に奏上し正一位を贈り八兵衛をたたえたのです。永々貯めた財宝を火事で灰にするよりも八兵衛の今も昔も変らない心を意とされこの社に御参詣下さり尚一層の火の用心をどうぞ」

江戸時代の町人が神になっていた由来です。
かなり珍しい例だとえいるでしょう。改めて思います。

そんな八兵衛稲荷神社で周囲の音声を骨で聴きます。
大久保通りから1本裏に入った路地は、地元の人の生活空間でかなり静かです。路地の曲がり角に、“火防の神 八兵衛稲荷”と赤文字で書かれた社号標もありますが、その先の赤い鳥居は、それほ目立つものではありません。

聞こえてくる音声はあまりありません。
時々風の音が耳だけでなく骨からもダイレクトに脳に伝わってきます。
騒音対策としてよりも、江戸の商人が神になったことを思いながら骨伝導で風の音だけを聞くのも悪くない気がします。

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カトリック碑文谷教会を骨で聴く

2016-06-08 11:52:47 | 骨で聴く巡礼旅
カトリック碑文谷教会というより一般的には「サレジオ教会」として親しまれている教会は目黒区にあります。
この教会が全国的な知名度になったのは、1985年6月24日の神田正輝・松田聖子の挙式が行われた報道によるものでしょう。
さらに1993年8月1日には、当時ヴェルディ川崎主将在任中だった三浦知良と女優の設楽りさ子ももここで挙式でした。



華やかな芸能人の挙式を別にしても、サレジオ教会は36m余の鐘塔を備えたロマネスク様式の大聖堂は圧倒的な存在感を醸し出しています。教会の鐘はミラノの信者からの寄付で、この音色もかなり美しく奏でられます。

カトリック教会の奏でる鐘の音はやはり荘厳な感じがします。
耳だけでなく骨でも聴きたくなります。鼓膜を通さずに直接聴覚神経に伝えられる骨伝導により、耳からあたりまえのように聞いていた音色に変化が生じます。




ただ、骨伝導ヘッドホンといっても、性能差があります。
やはりロマネスク様式の大聖堂には、世界最先端の技術が似合います。米軍採用・特許技術の製品です。

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サレジオ教会は、もともと「江戸のサンタ・マリア聖堂」として建立されたものです。サレジオ会によって建立され、その後は運営も受託したことで、正式名称よりもサレジオ教会が一般的になりました。

法身寺を骨で聴く

2016-06-07 12:44:26 | 骨で聴く巡礼旅
臨済宗円覚寺派の月海山法身寺へ骨伝導巡礼です。東京都新宿区にあります。

別傳碩分座原和尚(寛文8年1668年寂)が寛永8年(1631年)に創建したといわれる寺院で、現在は住宅街の中にあり、特に目立つような感じではありません。





創建した別傳碩分座原和尚は深川寒光寺、亀有祥雲寺を開山し、亀有見性寺を中興した実績のある名僧です。

境内には中興開基小堀家の墓、三代目古今亭志ん生の墓などがありますが、ここが終焉の地となった大和田建樹にも注目です。

『鉄道唱歌』・『故郷の空』・『青葉の笛』などの作詞者として知られている大和田建樹は、安政4年4月29日(1857年5月22日)に生まれた詩人・作詞家・国文学者であり、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の教授でもありました。




大久保通りや外苑東通りに近いエリアですが、かなり静かな場所です。
そんな場所で『鉄道唱歌』を心で奏でるのも法身寺には似合いそうです。ついでに静かな音声も耳だけでなく骨でも聴きましょう。
骨伝導です。

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飯塚町長良神社を骨で聴く

2016-06-03 11:27:08 | 骨で聴く巡礼旅
2013年1月に訪れて以来の長良神社への骨伝導巡礼です。
前回は群馬絵kン太田市の東矢島に鎮座する長良神社でしたが、今回はそこから北へ向かった先にある飯塚町にあります。

東矢島長良神社を骨で聴く

かつて上野国(現在の群馬県)の国主として治めていた藤原長良を主祭神として祀るのが長良神社なので、ここもそういう認識で来ました。しかし拝殿に行くと、賀茂神社と合祀されてるので驚きました。



賀茂神社といえば祭神は賀茂別雷神ですが、おそらくここでは相殿神なのだろうと想像されます。

特に特徴がある境内ではありませんが、実は一番不思議なのは鳥居のそばにある埴輪です。
なぜ埴輪があるのか、全くの謎です。
太田市周辺は古墳も多く、遺跡も多いことから、もしかしたらこの神社も遺跡だったのかとも想像できますが、何の表示もないので分かりません。

また、よく見ると、鳥居も両部鳥居という形式ですが、稚児柱が八角形でした。あまり目にしないので、これも珍しかもしれません。
そんな長良神社を骨で聴きます。



現在ではスバルの企業城下町となている太田市らしく、スバルの車が境内の横を通ります。
その走行音が耳だけでなく骨からも聞こえます。

両耳をふさがないことで道路交通法上で、問題なく使える骨伝導ヘッドセットは、太田市には最適なのかもしれません。

通話をするドライバーに安心の骨伝導ヘッドセット

原町天祖神社を骨で聴く

2016-06-02 17:18:05 | 骨で聴く巡礼旅
新宿区の市谷柳町交差点の近くに原町天祖神社が鎮座しています。
住宅街に鎮座していて、まず目を引くのが寺院のような門です。その門の先に鳥居があるので、印象としてはお寺に入ったのに実は神社だった、という感じです。少し不思議な気分です。




小さな境内ながら真っすぐ伸びた参道の左側に手水舎があり、石桶の横には手押しポンプという何とも懐かしいような風情があります。

境内社には桃祖神社があります。




桃祖神社のすぐ横に由緒書きがあります。

引用させてもらいます。

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桃の神を祀る神社です。古来、中国では桃は邪気を打ち払う霊力のある果物とされていました。『古事記』では、伊邪那岐命が黄泉の国からの帰途、邪鬼に追われ苦境に立たされたときに、桃の実を投げつけて、黄泉の国から脱出しました。そこで、伊邪那岐命は、桃に、感謝し意富加牟豆美命(オオカムズミノミコト)という神名を与えました。以来、桃は神としてお祀りされるようになりました。
さて、何故ゆえに天祖神社の境内に、桃の神が祀られているのか。それは、社伝によると、天祖神社は、天照皇大御神という女神を祀るということから、多くの多くの女性らが参拝しました。その女性達の中には、慶事ではあるが、生命の危機もあった出産の無事を祈願する人もいました。そして神社側も、毎年盛大な安産祈願の祭を斎行し、その際に、『桃の御守』を参拝者に授与し、その御神徳を広めたということです。このお守りを受けて、無事に出産をしたある女性が、桃の神に感謝し、一体の御神像を奉納しました。この御神像をお祀りするためにお社を建立しました。これが、現在の桃祖神社となりました。
以来、安産成就はもとより、子孫繁栄、あらゆる厄難消除などに、御利益ある神様として、信仰されています。
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参道正面に社殿があり、こちらの由来はというと、



江戸時代初期の慶長年間に、諸国で神踊りが流行し、この地域の牛込の里でもかなり盛んだったようです。
そんな時代に、長兵衛という信仰心の篤い里人がいて、ある時、神が夢の中に現われたといいます。

「我ここに住みて諸人の苦難を救わん」と言われ、しかもそれは5晩も続いたようです。

そこで長兵衛は神を祀り、その話を聞いた大橋龍慶という長者が、天照皇大神宮を勧請して祠を建てたといいます。
その後、諸難消除祈願、病気平癒祈願、安産祈願、弓術皆中祈願などで、参拝者が絶えることなかったといわれます。そのため霊験あらたかな神社として知られるようになったという由来です。

都会の片隅の小さな神社ですが、里人の素朴な信仰心から霊験あらたかな神社として知られるようになったという伝説は、よくあるパターンではあるものの好感が持てます。

そんな天祖神社を骨で聴きます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットで、耳だけでなく骨からもダイレクトに周囲の音声を聞きます。
都会の住宅街の音声の他に、何となく長兵衛の祈りが聞こえてくるような気がします。もちろん単なる気のせいでしょうが。

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田園調布八幡神社を骨で聴く

2016-05-29 11:08:16 | 骨で聴く巡礼旅
東京の高級住宅街として知られる田園調布は、すぐ南側に多摩川が流れています。
武蔵野台地が終わり、国分寺崖線によって急斜面で多摩川に至る地形になっています。その斜面に沿って石段が続く神社があります。
それが田園調布八幡神社です。



創建は鎌倉時代の建長年間(1249年~1256年)と伝えられています。



創建当時は篭谷戸と呼ばれる多摩川の水が滔々と打ち寄せる入江があったようです。
その入り江に物資を積んだ舟が盛んに出入りしていました。
段丘の高台部分には鎌倉街道が通っていて、街道沿いの要衝の地でした。

八幡神社が鎮座する場所は、舟の出入りを監視できる港の入口に突き出した台地に相当したようです。
監視場所に祠を建て、八幡神社を勧請して創建となったと考えられていますが、その時代は建長年間(1249-1256年)と伝えられています。以来、この地は特別な聖地となり、今日に至るまでこの地域の人々の心の拠り所として崇敬されてきました。



勧請されたのが八幡神社であったのは、当時の鎌倉幕府が執権の北条氏が実権を握っていた時代で、国内基盤固めを行っていたことから、武士達はもとより村人達も幕府に忠誠を尽くす意味もあり、源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛んだったと思われます。

その後、天正18年(1550年)、小田原北条氏滅亡の後、八王子城主北条氏照の家臣・落合某が当地に移住しました。
その孫である左衛門が、八幡大菩薩を祀り、上沼部村の鎮守となったようです。

明治中期の四村合併まで村社でした。

境内摂社は稲荷社で、赤い幟がこの聖地にはかなり目立つように感じます。




いつものように米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに参拝しました。
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