いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

みんな同じでひとつインクルーシブ社会。 inclusive society

2023-03-01 20:05:14 | 日記
 (1)生まれつき難聴の11才が交差点で暴走してきた重機にはねられて死亡した事故を受けて、両親らが運転者、企業を相手取り事故死した11才少女の将来にわたる「逸失利益」を求めて提訴した裁判は、全労働者平均年収の「85%」(422万円)が相当との判断、判決を下した。

 (2)裁判長は「さまざまな手段や技術で聴覚障害者によるコミュニケーションへの影響を小さくできた」として全労働者平均年収の「85%」相当の理由を述べている。しかし将来にわたる人間の能力発達、成長、活用は多様性があり、そもそも不確定要素のあるものを個別に判断することなど意味がなく、可能性は無限にあるといえるほど高く、両親が求めた全労働者の平均年収(497万円)を基にして算出すべきことが客観性、比較性、妥当性があるといえる。

 (3)裁判所、裁判官が聴覚障害者の能力を限定的にとらえてこれまでの聴覚障害者の平均月収が全労働者の7割というデータをとらえての障害者個別の能力の度合いを一般社会人労働者と区別して判断したのは、「個別」の将来事例を「全般」と区別して判断するといういうなら将来どうなるかわからない不確定要素を確定基準にあわせて判断したもので公平性、公正性、客観性に欠ける。

 (4)裁判所の過去からの公正、公平基準を求める判例、形式主義が出たものだ。時代は障害者が社会労働から疎外されてきた過去社会から国、政府が企業、事業者に対して障害者の雇用を政策として促進して、誰もが共に生きる、みんな同じでひとつというインクルーシブ社会(inclusive society)を目指しており、社会労働基盤、能力活用社会が大きく変化している。

 (5)裁判所、裁判官は過去の判例判断にこだわらずに「みんな同じでひとつ」のインクルーシブ理念社会の中で、あたらしい判例判断の判決をする、示す必要性があった。判例主義は過去からの裁判所、裁判官の公平、公正な判決基準を示すものでそれなりの意味はあるが、社会労働基盤、生活基盤が変われば判例判断も変わることもある。

 (6)ジェンダー自由平等社会とはそういう社会でもある。



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