いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

「ザ・インタビュー」の自由とは。 what a liberty of the interview of comedy movie

2014-12-21 15:30:13 | 日記
 (1)北朝鮮が「どんな」国家であるかはここでは別にして、実在そっくりの北朝鮮金第1書記もどきを登場させてそれを取材に訪れた2人の米国人ジャーナリストが暗殺をたくらむという米国ソニー系映画会社の「コメディー」映画(the interview)に対して、北朝鮮は公開しないよう強く反発してサイバー攻撃を仕掛けた(米国FBIが認定)事件に対して、サイバー攻撃を受けた映画会社は劇場公開を中止した。

 これに対してオバマ米大統領は、米国は表現の自由に対するサイバーテロに屈してはならない趣旨の発言をして映画会社の方針を批判した。
 どちらもどちらの映画を地で行くような「コメディー」境地に思える。

 (2)同映画は公開されていないので具体的な表現方法、描写実体はわからないが、話題として取り上げられた一部シーンでは実在する金第1書記そっくりさんが登場しており、シナリオがコメディー仕立てとはいえその暗殺をモチーフ(motif)にした映画というのはちょっと露骨で度が過ぎているのではないのか。

 オバマ米大統領が言うように「表現の自由」も度が過ぎると中傷、人格(いくら独裁恐怖政治の金第1書記といえどもだ)否定、プライバシー侵害という社会的権力による抑圧の手段(ヘイトスピーチなど)となるものだ。

 (3)現存する金第1書記の実物そっくりさんを登場させ、それが米国と対峙する国際社会から隔絶された北朝鮮指導者の暗殺をモチーフにしているとなると、いくらコメディー(コメディであることが一層北朝鮮を高圧的にしている要素)とはいえ「おふざけ」、表現の自由ではすまないことだ。
 米国社会では北朝鮮のサイバーテロに屈する(劇場映画公開中止)ことに今後の影響を懸念する声もあるが、原因は米国映画会社にあり代償は負わなければならないものだ。

 (4)一方で国営放送でこの問題を取り上げて米国に対して警告を発信してきた北朝鮮ではあるが、映画表現という文化的領域に対してまでいきなりサイバー攻撃を仕掛けるなどとは相変わらず無軌道な国家テロの本質の危険さが、本来は被害者、国であるはずの北朝鮮金第1書記が揶揄(やゆ)されることに対する反撃であっても国際社会からの非難攻撃を受けることになる選択手段だ。

 (5)両国の対応は「コメディ」映画並みにどちらもどちらの「しまり」のない(コメディ映画がしまりのないものという意味ではない)ものに見える。
 やはりこれをテーマ、モチーフにした米国映画会社の作製意図に問題はあり、かりに実行するなら表現の仕方(表現の自由に対する責任)に工夫、演出が必要であった。

 映画会社はオバマ米大統領ほかからの「サイバーテロに屈した」批判に対して劇場公開に代わるDVD、ネット配信などの別の方法での公開(報道)を検討しているといわれるが、これで表現の自由への社会的責任が保たれるということではないだろう。

 (6)かってイタリア映画の「黄金の7人」シリーズで、南米のいかにもいそうな独裁者をモチーフに美女を送り込んで誘惑、誘拐する映画があったが、素材は平和的でかえってエスプリ(esprit)が利いていてこれぞコメディといえるものだった。

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