いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

国の予算枯渇。 to run dry the national budget

2012-09-05 19:50:10 | 日記
 (1)国の予算はいうまでもなく政府の行政執行の最重要項目だ。その中身の40%(44兆円)が赤字国債の発行(借金)でまかなっているから、借金の工面(くめん)ができなくなると途端に財源不足(枯渇 to run dry the national budget)に陥(おちい)って行政機能の停止状態になる。

 その財源の裏付けも含めて、一旦国会審議で可決成立された国の予算が年度内に再び野党の非協力で執行停止の状況に追い込まれるなど、理不尽で不条理、不整備な制度はない。
 このままいけば今年秋には国の予算が財源不足(枯渇)により、国の予算は執行完全停止の異常事態だ。
 財政金融危機のギリシャ、イタリア、スペインなどの国家的危機をひと足早く追い抜いてしまって、国家破たん状態を迎える。

 (2)国の予算の財源を赤字国債発行に頼っている財政構造上に問題があるのだけれど、それも含めた国の予算が一度は国会審議で可決成立しているわけだから、その時点で財源の裏付けも含めての財政収支承認という理論政治、制度をとらないと、予算執行の計画性、即時対応性、効果性、執行性も保障されないことになる。

 国民、経済、社会の生活、活動、権利、人権に直接的に不利益となって影響することになるから、国家の目的を実行(履行)できない大変な不測の事態というべきだ。

 (3)現在の支持率は低くとも一度は国民が選択した政府なので、その行政執行の最重要項目の予算執行権(編成、執行 right of execution budget)は制度としてまずは無条件で政府に認めるべきことだ。
 選んだ政府に自由な予算編成執行権を認め、行政にそれぐらいの特典、権利があってもいい。毎年のように財政財源裏付け法案を人質に国会、行政の停滞を招く政治手法にこそ問題がり、国民の政治不信を招いているのだ。

 予算執行に偏向や欠落があるとすれば国民が認めれば(国民の予算検証権の確立)、返還、再編成のシナリオ、シバリがあっていいだろう。

 (4)赤字国債発行は次世代、将来の国民への借金の押し付け、つけまわしで、安易に恒常的にとるべき、とられるべき手法ではないとして、毎年、予算編成とは別に関連法案を国会審議して歯止めとしてきた。
 現実には毎年予算財源の40%が赤字国債の発行でまかなわれて、累積国家財政赤字が1000兆円を超える膨大な額にふくらんでいる。
 
 09年の民主党政権誕生では、事業仕分け、ムダ削減、公共事業見直しなどによる予算財源の捻出を保障、優先した政策理念を打ち出したが、結局は政策準備、理論不足が露見して政権自らの自己否定論の末に消費税引き上げに頼るしかない言行不一致の政治不信に導いた経緯がある。

 (5)安易に財源を赤字国債発行に求めるのは財政収支バランス欠如で適当ではないが、政治情勢からそれも含めて予算編成されたものを国会が可決成立させたならば、それを裏付ける予算執行権も同時に制度上保障すべきものだ。

 そのための最重要政策課題、予算編成の国会審議ではないのか。今のようにねじれ国会であきらかに法案成立、政局の人質となるべく制度、仕組みでは、最低国民の生活、経済、人権を守る行政機能を保障するものとはなっていない。

 (6)首相が1年単位で交代して失政の中、衆院選の結果のその後の公約違反の裏返し効果が参院選の結果反映としてねじれ国会は解消されない中で、国の予算執行権(right of execution budget)は国民生活の保障としてせめて制度として政府に保障すべきものだ。

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