財津和夫さんは、「言葉(lyrics)」を生かす素晴らしいメロディをつくりだす天才だ。
財津メロディの特徴は、音楽が瞬時に映像となってよみがえり臨場感のある感動を呼び起こすところだ。
①「サボテンの花」の「洗いかけの洗たくもの シャボンの泡がゆれていた 君の香りがゆれていた」(見事に韻を踏んでいる)。
ケンカ別れした同棲の男女なのだろうか、日常の小さな幸せと対極するギリギリのせいいっぱいの思いやりの精神的未熟さのふたりの生活描写を見事に歌いあげた「言葉」を、流れるように揺れてスピード感のある財津メロディが見事に映像となって表現していきます。
②「永遠の日々」の「さよならも言えずに 何度もほほえみ 改札口の階段で手を振り別れたまま」、「美術館へと続く道 木々の香りが少しだけ 空にシルエット 歩道橋 影絵を映すように 永遠が見えたあの頃 そうだね」
都会の人混みの中で、わずかにふたりだけのそこにスポットライトがあたり、出会いと別れの駅の階段と雑踏を見下ろす歩道橋から、次第に消えていくふたりのロマンをずっと見ている光景が、スローテンポからだんだんと刻むように躍動して流れるように揺れる財津メロディが見事に映像となって表現していきます。
これはほんの1例で、財津和夫さんは「言葉」を生かす素晴らしいメロディをつくり出す天才だ。
その財津和夫さんが今年9月からの40周年チューリップコンサートについて、これが最後のチューリップコンサートと意識して、「終わって、チューリップというものが自分の中からなくなってしまうと感じたときに、自分がどう変われるのか」、89年のチューリップ解散は事務手続きで終わった感じで「身体の中にはチューリップが『大きな岩(huge rock as the tulip)』のように存在していた」と語っています。
財津さんが40年前に福岡のミュージシャン4人を誘ってチューリップとして東京に出て、その後、紆余曲折はあっても一環してひとり「チューリップ」を支えてきた責任の「大きさ」と「重さ」を物語る意義、意味のある言葉だ。
「大きさ」とは、財津さんの自作曲でチューリップをニューミュージックをリードする、日本のミュージックシーンを代表するライブバンドに押し上げて自らと4人のメンバーの時代と音楽を切りひらいていった「自負心(self confidence)」だ。
「重さ」とは、当時、東京に出て成功のあてもない音楽活動に若い福岡の4人のメンバーを誘って、リーダーとしての人生設計の重い「責任感(sense of responsibility)」だ。
その両方、両極が、今もずっと財津さんの心の中で「重し」となって『大きな岩』チューリップとなってズシリと残り続けているという心情だ。
財津さんは時折お見かけし、お話する機会があると、責任感の強い常識人、社会人であることがよくわかります。
財津さんが今年9月からの40周年チューリップコンサートにかける思いは、本人がこれが最後と言うように、非常に強いものが決意があると断言できます。成功を願い、用意周到戦略をたてていると思います。
そして、背負い続けた思い様々のその『大きな岩』チューリップを初めて降ろした時に、「何を感じる」のか注目します。
ビートルズは、結局は誰もが制御できないモンスターとなって50年、法廷闘争の空中分解しましたが、残ったポールとリンゴの心の中ではいかばかりなのでしょうか。
そして、財津和夫さんは「その」時、何を感じるのでしょうか。
財津メロディの特徴は、音楽が瞬時に映像となってよみがえり臨場感のある感動を呼び起こすところだ。
①「サボテンの花」の「洗いかけの洗たくもの シャボンの泡がゆれていた 君の香りがゆれていた」(見事に韻を踏んでいる)。
ケンカ別れした同棲の男女なのだろうか、日常の小さな幸せと対極するギリギリのせいいっぱいの思いやりの精神的未熟さのふたりの生活描写を見事に歌いあげた「言葉」を、流れるように揺れてスピード感のある財津メロディが見事に映像となって表現していきます。
②「永遠の日々」の「さよならも言えずに 何度もほほえみ 改札口の階段で手を振り別れたまま」、「美術館へと続く道 木々の香りが少しだけ 空にシルエット 歩道橋 影絵を映すように 永遠が見えたあの頃 そうだね」
都会の人混みの中で、わずかにふたりだけのそこにスポットライトがあたり、出会いと別れの駅の階段と雑踏を見下ろす歩道橋から、次第に消えていくふたりのロマンをずっと見ている光景が、スローテンポからだんだんと刻むように躍動して流れるように揺れる財津メロディが見事に映像となって表現していきます。
これはほんの1例で、財津和夫さんは「言葉」を生かす素晴らしいメロディをつくり出す天才だ。
その財津和夫さんが今年9月からの40周年チューリップコンサートについて、これが最後のチューリップコンサートと意識して、「終わって、チューリップというものが自分の中からなくなってしまうと感じたときに、自分がどう変われるのか」、89年のチューリップ解散は事務手続きで終わった感じで「身体の中にはチューリップが『大きな岩(huge rock as the tulip)』のように存在していた」と語っています。
財津さんが40年前に福岡のミュージシャン4人を誘ってチューリップとして東京に出て、その後、紆余曲折はあっても一環してひとり「チューリップ」を支えてきた責任の「大きさ」と「重さ」を物語る意義、意味のある言葉だ。
「大きさ」とは、財津さんの自作曲でチューリップをニューミュージックをリードする、日本のミュージックシーンを代表するライブバンドに押し上げて自らと4人のメンバーの時代と音楽を切りひらいていった「自負心(self confidence)」だ。
「重さ」とは、当時、東京に出て成功のあてもない音楽活動に若い福岡の4人のメンバーを誘って、リーダーとしての人生設計の重い「責任感(sense of responsibility)」だ。
その両方、両極が、今もずっと財津さんの心の中で「重し」となって『大きな岩』チューリップとなってズシリと残り続けているという心情だ。
財津さんは時折お見かけし、お話する機会があると、責任感の強い常識人、社会人であることがよくわかります。
財津さんが今年9月からの40周年チューリップコンサートにかける思いは、本人がこれが最後と言うように、非常に強いものが決意があると断言できます。成功を願い、用意周到戦略をたてていると思います。
そして、背負い続けた思い様々のその『大きな岩』チューリップを初めて降ろした時に、「何を感じる」のか注目します。
ビートルズは、結局は誰もが制御できないモンスターとなって50年、法廷闘争の空中分解しましたが、残ったポールとリンゴの心の中ではいかばかりなのでしょうか。
そして、財津和夫さんは「その」時、何を感じるのでしょうか。