オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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初期の国産フリッパー・ピンボール機:サッポロ(セガ、1971)

2021年07月04日 20時34分14秒 | ピンボール・メカ

新宿駅南口の広場で、最新式のピンボール機を多数展示して自由に遊ばせるというイベントが行われているところをたまたま通りかかり、近くにあった1台を見ると、筐体の右半分はビデオモニターでエレメカ時代のフィーチャーを再現し、左半分がメカのプレイフィールドとしているかつてない形式の最新機種で、ワタシが見たのはセガの「サッポロ」のリメイクでした。

・・・と言う夢を見たのが先週の水曜日でした。現実に戻って思い返すと、夢の中の「サッポロのリメイク」は実在する「サッポロ」とは似ても似つかず、そもそもピンボールにすらなってない機械のはずなのですが、夢の中ではそれは確かに「サッポロのリメイク」だったのです。とまあそんなことがあって、今度のブログのテーマはセガの「サッポロ」にしようと決めました。

A3判を二つ折りにして4ページにしてあるサッポロのフライヤーの表紙側(上)と、中側(下)。

重要部分の拡大図。

セガは、1971年から1973年までの3年間に9機種のEMピンボール機を売り出しており、「サッポロ(SAPPORO)」は、そのうちの最初期である1971年に発売された3機種のうちの一つです。フライヤーの表紙に「冬季オリンピック記念フリッパー!!」とある通り、翌1972年に札幌で開催される、日本での二度目のオリンピック(冬季)にぶつけた企画だったことは明らかです。

「サッポロ」のプレイフィールドには、二つのウィンタースポーツをテーマとしたフィーチャーがあります。一つは「スラローム(アルペン競技の回転)」で、フィールド左上の穴に入ったボールはリフターで持ち上げられて左側のスラロームレーンを滑降します。

スラロームレーン。

もう一つは「スキージャンプ」です。レーンを遡ったボールが「SKI JUMP」と書かれたロールオーバーボタンを押すと、レーンに仕込まれた「ジャンプ台」を左のフリッパーボタンで操作できるようになります。レーンを下ってくるボールのタイミングを見計らってジャンプ台を跳ね上げると、ボールの飛距離が伸びてより高得点のロールオーバーボタンを踏めるようになります。

スキージャンプレーン。


ワタシは過去記事「「パンチング・バッグ」(sega, 1962)のフライヤーから思ったこと」で、「セガは昔から「何か一つヘンなことをしないと気が済まない」という性状があり」と述べていますが、このスキージャンプもその例の一つと言えましょう。「何か一つヘンなこと」は、その後のセガのピンボール機のほとんどに見られます。

また、この「サッポロ」には、2ボールのマルチボールフィーチャーがありました。マルチボールを初めて採り入れた機種がなんであるのかはまだ調べていませんが、71年の時点では珍しいフィーチャーでした。マルチボールとなっている時にスラロームレーンにボールを通すと、エクストラボールのチャンスとなりました。

ところで、フリッパー・ピンボールには「ナンバーマッチ」というフィーチャーがあります。これは、ゲーム終了後にバックグラスに表示される一桁(または二桁)の数字が、得点の下一桁(または二桁)と一致すると1回フリープレーとなるもので、下手なプレイヤーにとってはありがたい最後の望みした。しかし、EM機時代のセガのピンボールにはこれが装備されていませんでした(76年以降、SS機になってから装備されたが、それも「ヘンなこと」と言える変則的なルールだった)。そのため、ワタシにはセガのピンボールはソンだという印象があり、あまり多くは遊んでいません。でも、「サッポロ」は、当時珍しかったマルチボールと言うフィーチャーがあったのと、楽しみにしているオリンピックテーマと言うこともあって、比較的良く遊んだ機種でした。

思えばこの頃の日本はまだ夢と希望に溢れており、オリンピックも純粋に楽しめたものでした。ワタシはスポーツ観戦オタク(関連記事:RIO五輪に因んだ(こじつけた)スロットマシンの話)であるので、今回の東京五輪が決まった時も楽しみだったのですが、エンブレムの盗作騒ぎから始まり、スタジアムのデザイン変更やどんどん増える開催費用といった騒ぎを見るにつけだんだんとこの五輪の意義に疑念が生じ、このたびのコロナ禍でも強引に開催させようとする政治家たちの言動に呆れ切っており、今回の五輪は観なくてもいいやと思うようになってきてしまいました。東京五輪、ホントにやるんですかね。