オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

IR汚職事件で思ったこと

2019年12月29日 23時32分09秒 | その他・一般
拙ブログをご高覧下さった皆様、今年一年、どうもありがとうございました。拙ブログが幾分なりとも古いコインマシンに関する情報の拡散に役だっているのであれば、これに勝る喜びはありません。

さて、今年も終わりに近づいたところで、にわかにIR(Integrated Resort)関連の政治的なスキャンダルが持ち上がって参りました。汚職は当然のことながら糾弾されてしかるべきことでありますが、これを機に噴出しているIR推進反対派の主張は、カジノ及びギャンブルは絶対の悪であると決めつけているように見え、たびたびラスベガスに行ってはカジノでギャンブルを楽しんでいるワタシなどは、彼らにかかるとまるで反社会的な人物ででもあるかのようです。

◆ワタシにとってギャンブルとは何なのか
これでは不本意なので、この機会にギャンブルに対するワタシのスタンスを説明しておこうと思います。まず、ワタシにとってギャンブルとは、お金を払ってスリルを楽しむ娯楽であり、消費行動です。この点においては、お金を払ってローラーコースターに乗ることと本質的な違いはありません。スリルを得るための質草が、ギャンブルでは自分の小遣いであり、ローラーコースターでは自身の身の安全であるという点が異なるだけです。

お金が増えたか減ったかは、スリルを楽しんだ後にゲームの成功の度合いを示す結果に過ぎません。もちろん成功すれば嬉しいですし、失敗が大きければ落胆もしますが、それはスリルを求めた結果として受け容れなければならないものです。お金を失って「そんなつもりじゃなかった」とか「カネ返せ」などと言う人は、スリルで遊ぶ資格がそもそも無い人です。

◆ワタシはなぜギャンブルをするのか
カジノのギャンブルゲームの殆どは1回のゲーム時間が短く、スリルが次から次へと提供されるので、続けることが苦痛になりません。更にカジノのギャンブルゲームでは、ゲームが始まってから結果が出るまでの間にサスペンスが生じます。特定のゲームが面白いかつまらないかは、そのゲームにサスペンスを感じるかどうかで決まるとワタシは考えています。

つまるところ、ワタシがギャンブルで遊ぶのは、スリルとサスペンスが連続して楽しめるからです。「ばくち好きは遊んでお金を稼ごうとする人間のクズ」という言説を良く耳にしますが、メダルが何万枚増えようと金品と交換できないメダルゲームが日本のコインマシン市場で50年近くも主要なジャンルの一つとして確立できているという事実からも、それはごく限られた一面しか見ていない批判だと言わざるを得ません。

余談になりますが、どこにサスペンスを感じるかは人それぞれです。例えばワタシは、バカラにはサスペンスを感じないのでやりません。また、パチンコもやめて20年くらい経ちますが、やめた理由は、ゲーム開発者がサスペンスを感じさせようとするあまり、内部のプログラム的には既に当たりかハズレかの結果は出ているくせにプレイヤーの気を持たせるためにわざと結果を出し惜しんでつまらない演出で延々と引っ張り続けるようになって、感情を弄ばれているような強い不快を感じるようになったからです。サスペンスもなかなか難しいものではあります。

◆カジノ(IR)は打ち出の小槌ではない
カジノやIRの推進を反対する勢力がよく口にする、「カジノは負けた人のお金で成り立っている」とか「IRとはすなわちカジノでしょ」という言説は、反対の理由としては感情論的で脆弱な理論だと思います。今回の前半で述べたように、ギャンブル遊びは消費行動ですから、カジノがそれで成り立つのは、ローラーコースターの搭乗料金で遊園地が成り立つ理屈と変わるものではありません。また、IRとは「複合リゾート施設」の意味であって、カジノはその中の一施設に過ぎません。何となれば、カジノなど無くてもIRは(理屈の上では)成立し得ます。

ただ、このようなお粗末な反対論が出てくる責任の一端は、推進論者側にもあると思います。IR構想とは、海外からの訪日客を増やして国内でお金を使って行ってもらうための仕掛けを作ろうというものであったはずです。しかし、マスコミに流れるニュースはほぼカジノ一点に集中してしまっているにもかかわらず、推進論者側からIR構想の丁寧な説明を積極的に行う努力は殆ど報じられません。

IRには「MICE(マイス)」というキーワードがあります。これは、企業などのミーティング(Meeting)、企業などの褒賞・研修旅行(Incentive)、国際的な機関が行う会議(Convention)、見本市、トレーディングショウ(Exhibition)の頭文字を取ったものです。つまり、これらのイベントによって世界中から人を呼び込んで、産業や学術その他の情報の集約・発信の中心にしましょうと言う構想です。

しかし、IR施設(もしくはカジノ)を作ったからと言って、自動的にそこがMICEの会場になるとは限りません。MICEには主催者がおり、その主催者に日本のIRを会場として使ってもらうためには、主催者から見てそこがイベントを行うに魅力的でメリットを感じるようにアピールする必要があります。カジノはそのための仕掛けの一つにすぎないもののはずなのですが、ワタシは今まで推進論者からそういう説明があったという話を、新聞やテレビなどで聞いたことがありません。いや、多少はあったのかもしれませんが、知られていなければやっていないのと同じことです。そもそも、推進論者の中にもこのようなIR構想の理論をどこまで理解しているのかが疑わしいと思われる人も多く見受けられるように思います。今回、収賄で捕まった国会ギーンもそんなうちの一人ではなかったかと感じます。

MICEの主催者たちと交渉して、例えば何年後にはこれだけのイベントが開催できる見込みとなるよう努力を続けているなどと言った説明ができないようなIR構想であれば、それは日本の為政者が得意とする単なるハコモノ行政に過ぎず、カジノやギャンブルに寛容なワタシだって賛成できません。

あまりにもタイムリーだったため、年の最後に滔々と語ってしまいましたが、年明けからは平常運転に戻るつもりですので、どうぞ来年もご指導、ご鞭撻いただけますようよろしくお願い申し上げます。