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パチンコ誕生博物館オープン(2)展示内容

2020年07月05日 20時29分21秒 | 歴史
今回は、前回に引き続き、神奈川県横須賀市にオープンした「パチンコ誕生博物館」の記録を、というつもりではあるのですが。

普通なら、展示の内容と、そこで得た新たな知見とか認識とか自分なりに感じたことなどを文章と写真で残せば良いのですが、今回はそれだけでは済まない、別のミッションを得てしまったように思われ、はたしてどう書き進んで行ったものか、たいへん悩んでおります。

館長である杉山一夫さんが「パチンコ誕生博物館」を作った目的は、大きく二つあるそうです。一つは、パチンコの歴史について世間に広く流布されている「誤った」認識を正すこと、もう一つは、パチンコのルーツを突き止めたいとの一心で長い時間と多大な費用をかけて収集した歴史の証拠品であるコレクションの継承者を探すことです。

従って、普通に展示品の紹介とともに杉山さんが結論を得るに至るまでのご苦労を賞賛するだけでは不十分だと思うのですが、だからと言ってどうすればよいのか、名案がなかなか思い付きません。とりあえず、まずは「普通」に「パチンコ誕生博物館」で見たものを記録しておこうと思います。

「パチンコ誕生博物館」は、杉山さんの個人宅を改造して作られています。何しろもともと住居を目的として建てられた建造物ですから、博物館とするには不向きであるところを、展示室を7つに分け、さらには外壁も利用するという工夫を凝らすことによって実現させています。


パチンコ誕生博物館の外観。館長である杉山さんの自宅を改造し、7つの展示室のほかに、建物の外壁も利用している。

【「パチンコ誕生博物館の構成】
◆第1室:ガレージ
戦後間もなくからおよそ50年間に製造されたパチンコ台30数台を展示。1銭パチンコから、連発式、連発式禁止後の台、半ゲージ、正村ゲージ、チューリップ台、連発式、セブン機などが展示されている。また、初代のオリンピアやスマートボールも置かれている。


第1室の様子。(1)入り口から室内右側を見たところ。 (2)部屋の奥から(1)の側を見たところ。映っている人物はワタシと同じ時間帯に観覧した人。下段奥に、わずかにオリンピアが見えている。 (3)(2)の反対側の展示。単発式、連発式を経て下段のセブン機に至る。 (4)(3)の上部には年表が掲示されている。

◆第2室:倉庫
倉庫は、ピンボールの元とされているバガテールとコリントゲームの展示とその歴史に関する資料が展示されています。杉山さんの調査によると、フィンランドの「フォルトゥナ」が英国の「コリンシアンバガテール」になり、それがさらに「コリントゲーム」へとつながっているとのことです。

一般的には、パチンコの原型はコリントゲームとされていますが、杉山さんはその認識は誤りであり、19世紀末に英国に現れた、バガテールを立てた「ウォールマシン」がパチンコの原型と言う結論を導き出しています。


第2室の様子。(1)バガテールテーブルと杉山さん。ピンボールの歴史を語る際に良く使われている、アメリカの大統領リンカーンが興じているゲームの絵の元である。余談だが、背後の本棚に「ガロ」の背表紙が見えたのがうれしい。 (2)テーブルの背後にはコリントゲームのコレクションがたくさん陳列している。 (3)1900年頃の英国製ピン・バガテール。殆どコリントゲーム。 (4)第4室の壁に掲示されている、バガテールが世界でどのように発展していったかを示す系統図。日本においては、江戸末期に「玉転がし」というゲームに発展したほか、バガテールから派生したピンボールを元にスマートボールができたとされている。

◆第3室:アトリエ前
アトリエ前には、パチンコの進化の境目となる2台が展示されています。1台は「二十ノ扉」という、当時の人気ラジオ番組のタイトルをパクった機種です。この頃のパチンコは、玉がセーフ穴に入ると払い出される賞球はいちいち人の手で補充されていましたが、1950年、長崎一男という人が、賞球を自動的に補充するメカを発明し、「オール物の長崎」と呼ばれました。「オール物」とは、どの入賞口も同じ数の球を払い出すというものです。


アトリエ前の様子。(1)旧来期の「二十ノ扉」(1949頃)。盤面に見える「200」の文字は、賞球が2個であることを意味している。センターケースには「2000」と描かれており、「大当」に入賞すると20個の賞球が払い出され、空になったセンターケースには人力で賞球を補充していた。 (2)賞球を自動的に補充する機構を発明し、「オール物の長崎」と呼ばれた長崎一男の肖像。 (3)パチンコ大明神(1950)。この機種から、払い出す賞球が自動的に補充されるようになった。 (4)パチンコ大明神の背面。杉山さんの自作のターンテーブルに設置されており、背面の賞球補充メカが簡単に見られるようになっている。

◆第4室:アトリエ
アトリエでは、主に戦後のバラ釘から正村ゲージが成立する手前までのパチンコ台と、おもちゃのパチンコやスマートボールがたくさん展示されています。また、杉山さんのもう一つの興味の対象である映画と、それに関連するパチンコの展示もありました。


アトリエの様子。 (1)本来は版画家である杉山さんのプレス機の前で。背後には正村ゲージ以前のパチンコ台や映画関連資料が並ぶ。この写真には写っていないが、おもちゃのパチンコやスマートボールが手前にある。 (2)オール10の「赤い靴(鈴富商会、1950)」。当時ヒットした同名の映画をテーマに取り込んでいる。これにより、長崎一男のオール物がこの年代に既に搭載されていたことがわかる。 (3)バラ釘の「OLYMPIA(メーカー不詳、1940頃)。賞球はポケットにより5,4,3,2個と異なっていた。 (4)子供パチンコ自動菓子販売機(メーカー、製造年不明)。アウト穴が無く、どこかのポケットに入って菓子を払い出すまで遊べたようだ。バラ釘から正村ゲージまでの間の機種と思われる。

◆第5室:2階玄関
2階玄関には、僅かなスペースにスマートボールのおもちゃや、「モダンタイプ」という珍しい機種が展示されていました。


2階玄関に展示されている「モダンタイプ(メーカー不明、1952年頃)。正村ゲージだが、50年代とは思えない、曲線を多用したモダンなデザインになっている。しかしフレームをよく見ると木製のようで、玉受け皿と併せてやはり時代を感じさせる。輸出用として作られたと言われているが、観光ホテルの娯楽室にあったものとのこと。

◆第6室:2階
2階は、正村ゲージの成り立ちについて、実際の正村ゲージのパチンコ台のほか、正村を騙る偽物の正村ゲージ台などの展示とともに、詳しい説明パネルが展示されています。ここで杉山さんは、過去に出版されたパチンコの歴史関連の書籍に、実際には存在し得ない正村製品が掲載されていることを指摘し、是正を求めたが聞き入れられていない現状を訴えています。この辺は、杉山さんが苦労して私設博物館を作った動機である部分なので、伝えるワタシも慎重にならざるを得ないところですが、次回にこの件に関するワタシの思うところを述べたいと思います。


左が「地獄の閻魔大王(1951頃)」、右が正村商会による「オール15(1951年以降)」で、現存最古のオール15とされている。

上図の2台はほぼ同じゲージですが、天穴付近の部分が異なります。「地獄の閻魔大王」は、天穴付近がヨロイ釘で覆われた中に風車が1個あるところ、正村のオール15では、ヨロイ釘と風車の代わりに天釘4本が打たれています。正村ゲージは、これによって打ち出す玉の最初の狙いどころを誘導した点が画期的でした。

ところで、正村の台をよく見ると、天穴付近に釘を抜いた痕跡があります。これはあたかも「地獄の閻魔大王」のゲージからヨロイ釘と風車を除去した跡であるかのように見えます。


正村のオール15の天穴付近(左)と地獄の閻魔大王(右)の天穴付近。正村のオール15には「天四本」の釘が打たれ、地獄の閻魔大王に見られるヨロイ釘と風車を除去したかのような釘の痕跡と思しきものが見える。

しかしこの痕跡は、盤面のセル板(木の板を覆っているセルロイド製の板)にのみ開いているもので、その下の木の板の部分には穴が貫通していません。つまりこれは、正村商会が「地獄の閻魔大王」のころに一般的だったゲージを改良したものであることをアピールするために敢えて付けた痕跡であることを示すとともに、天穴付近を除いた他の部分、すなわち6穴と6風車、及び釘の配置は、正村ゲージが確立する前に既にあったことを示す重要な証拠となっています。

◆第7室:屋根裏部屋
最後の展示室となる屋根裏部屋に展示されているコレクションは、「現存する最古のパチンコ台」、「現存する最古のスマートボール」、「現存する最古の国産ピンボール機」、「現存する最古の国産ウォールマシン」など、これまで見てきたもの以上に極めて資料的価値の高いものが多いです。また、杉山さんは現存最古のパチンコ台のレプリカを作成し、見学者が実際に体験できるようにしてくださっています。


現存する最古のパチンコ台「岡式自動球遊機」(岡製作所、1929から1933年頃まで)とその背面。「自動球遊機」を標榜しているが、裏面のひもを引っ張ってボールをリセットするなど、オペレーションの殆どの部分は人力で行っていることがわかる。

第7室では、この岡式自動球遊機の他、現存する最古の国産ピンボール、スマートボール、米国のトレードスティミュレーターなどが展示されています。


第7室の様子のごく一部。(1)スマートボール類の展示。 (2)現存最古の国産ピンボール機「BASEBALL」(相浦遊戯器製作所、1930~1932頃) (3)「スマートボール」(帝国発明品商会、1935~1938年頃) (4)「GORUFU」(才田、1937頃)。

相浦遊戯器製作所の「BASEBALL」は、明らかに米国製ゲーム機のコピーです。同社は、このゲーム機のフライヤーの裏面に、日本国内のみならず「満州」における販売代理店を募集する広告を掲載しています。

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今回はちょっと長くなってしまいましたが、これでもずいぶん駆け足で記録してきたつもりです。このシリーズはもう1回、その他の展示の記録とともに、冒頭で申し上げた「重要なミッション」に関する、遊技機の歴史愛好家にとって重要なお知らせをしたいと考えております。

(つづく)

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2 コメント

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Unknown (tom)
2020-07-05 21:30:56
貴重なレポート有り難うございます。

コロナ騒動が落ち着いたら、是非訪問してみたい聖地の一つとなりそうです。

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Unknown (nazox2016)
2020-07-06 20:54:59
何しろ改造した自宅の中を見学させてもらうこともあり、館長が付き添って説明してくれますので、一度に見学できる人は3人に限られていることと、ウェブサイトからの予約が必須となっていますのでご注意ください。
公式ウェブサイトはコチラ↓
http://www.pachinko-tanjo.com/

もしこちらにいらっしゃることがありましたら、ぜひワタシにもご連絡ください。
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