拙ブログでは、昨年12月にアップした記事「【衝撃!】国産初のフリッパーゲーム機に従来の説を覆す大発見?」
を発端に、かつて静岡県熱海にあった娯楽場「アタミセンター」の謎を追求する記事を今年2月と4月にアップしました。
2月 幻の「アタミセンター」を求めてシリーズ(全4回)
失われた町、浜町(熱海市)
4月 新・幻の「アタミセンター」を求めてシリーズ(全6回)
これまでの経緯
これにより、「アタミセンター」は遅くとも1961年には存在し、1982年に消滅したことは突き止めましたが、その22年間のどの時期にどのような営業が行われたかまでは明らかにすることはできませんでした。判明している事は、1960年代半ばまでのどこかで「スーパーホームランゲーム」の直営宣伝場であったことと、ある時期から1972年までは空気銃を撃たせる遊技施設であったことの二点のみでした。
しかし、その後の調査により、「アタミセンター」をオペレートしていたのは、熱海地区では老舗のオペレーター、「タイガー娯楽」であることが新たにわかりました。
現在、ウェブ上を調べてヒットする遊園施設の求人広告によると、「タイガー娯楽」の設立は1966年とされています。しかし、コインジャーナル誌78年12月号に掲載された、当時の「タイガー娯楽」の社長のインタビュー記事によると、当時の社長の父が昭和12年(1938)に熱海に射的場を開いたところから始まるそうです。その遊戯場は、射的だけでなく、コリントゲーム(関連記事:「パチンコ誕生博物館」館長杉山氏の新著「コリントゲーム史」のご紹介)、ボットル(標的にボールを投げるもの)、ビリヤードまでそろえた「総合遊戯場」だったとのことです。
コインジャーナル78年12月号に掲載された、当時のタイガー娯楽の社長である速水儀信氏のインタビュー記事。
このインタビューで早見氏は、戦争の敗色が濃厚となる1944年、45年には遊戯業であることから非国民呼ばわりされ、ゲームの標的に敵国の要人の顔を並べたと語っています。アメリカでも「Kill The Jap」などと謳う戦意高揚ゲームがあったのですから、この種のばかばかしさは洋の東西を問わないようです。
第二次大戦中に米国で作られていたゲーム機。「Kill The Jap」、「Smack A Jap」、「Bomb Hitler」などの文字が躍る。
終戦直後の「総合遊技場」は、コインジャーナルのインタビューでは、「(父は)商売の元手を失った」とする一方、「母は元の総合遊戯場跡でふかし芋を売り」とあります。そして昭和22年(1947)に射的場をオープンしたところこれが大当たりしたとあります。その3年後の昭和25年(1950)に「熱海大火」という大災害が発生しますが、インタビューでは「その年に名古屋から来たパチンコ店がオープンしたことに倣って自分もパチンコ屋を始めたところこれがまた当たった(要旨)」とのことです。「アタミセンター」は「熱海大火」をもろに受ける地域であったので、この時の「タイガー娯楽」の前身が経営していたパチンコ店は、「アタミセンター」とは無関係だったものと思われます。
(以下次号)