オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

プライズの上限価格、21年ぶりに改訂

2022年03月05日 21時51分53秒 | その他・一般

*毎週日曜日更新を目指す拙ブログですが、次の日曜日はお出かけの予定があるので、今日のうちに更新しておきます。

業界誌「アミューズメント産業」1975年10月号には、ゲームセンターのオペレーターの業界団体である「日本娯楽機械オペレーター協同組合(略称JOU・ジョウ)」によるプライズ機の景品の広告が掲載されています。

アミューズメント産業1975年10月号に掲載されている、JOUによるプライズ機の景品の広告。今ではメジャーとなったベビースターラーメン(この当時は10円だったと記憶している)も見える。

この頃、ゲームセンターのプライズマシンが提供できる景品の市価は、「ゲーム料金の3倍」とされていました。当時のゲーム料金は10円が相場でしたから、景品は30円が上限と言うことになります。

しかし、ゲームの結果によって景品を獲得するという遊技は風俗第7号営業(現在の4号営業≒パチンコ店)に限られているはずで、ゲームセンターのプライズ機は風営法違反となりかねない営業です。この矛盾を解消するため、プライズ機が風俗7号営業とされていた時代が70年代の前半頃にあったはずなのですが、その具体的な時期や風俗営業から外された理由などの詳細は判明しておらず、ワタシにとって究明すべき謎として残されています。この件についてご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひお話をお聞かせください。

プライズ機の景品の上限価格は、その後200円、300円、ワタシの思い違いで、300円時代はどうもなかったようです(3/9追記))500円と時代に合わせて上がり続けてきましたが、それらは警察庁から口頭で業界のトップに伝えられるのみで、明文化されたのは2001年に通達された解釈運用基準からです。この時に「物品の市価」は「おおむね800円」とされ、長い間これが上限とされ続けてきました。

それが去る3月1日、警察庁生活安全局は、プライズ機が提供できる物品の小売価格を「おおむね1000円」に引き上げる通達を各都道府県警察などに送りました。

3月1日に通達された風適法解釈運用基準から、プライズ機が提供する物品の市価に言及している部分。

規制が緩むこと自体は歓迎できますが、しかし、この200円アップによりどの程度の変化が現れるのかはなんとも見当が付きません。日本の経済は長いあいだデフレと言われており、最近は所得は伸びない(むしろ下がっている)のに物価は上がるというスタグフレーションの様相を呈しつつあります。そんな中、アジア諸国の所得は伸び、既に日本と同等もしくは超えている部分もあるそうです。今回の規制の緩和が、上限価格800円では景品のレベルを維持できないことの現れではないかと言う不吉な懸念を感じますが、どうかこれが杞憂でありますように。