オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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「メダル」と「メダルゲーム」という呼称についての備忘録(3)メダルの種類

2017年01月15日 22時26分11秒 | 歴史
現在、メダルゲームのメダルには、だいたい2種類あります。

ひとつは、メダルゲームの先駆けとなったsigma社がゲームに使用していたメダルで、径は米国の5¢硬貨とほぼ同じで、現在「5¢メダル」と呼ばれているものです。



sigmaのロケで使用されていた5¢メダル(表裏)。海外の現金のデザインを模しているらしい。

sigmaはその後紆余曲折を経て2000年にアドアーズ社となり、店舗で使用するメダルの仕様を変えましたが、5セントメダルは現在もナムコ社とタイトー社のメダルゲーム場で使われています(同じ会社のすべての店舗が同じ仕様のメダルであるかどうかは確認していません)。

しかし、sigma社に追随した同業他社のほとんどは、5¢メダルよりも径の大きい、現在は「25¢メダル」と呼ばれるメダルを使用していました。その名の通り、径は米国の25¢硬貨とほぼ同じです。


1972~73年ころ、メダルゲームに新規参入したロケ-ションでよく見られた25¢メダルの表裏(ただし別の個体。「Bally」の字体が微妙に異なる?)。中心に米国Bally社のロゴが見られるのは、当時のメダルゲーム機のほとんどがBally社製であったことと無縁ではないと思う。「ONLY FOR AMUSEMENT」と「NO CASH VALUE」の文言は、その後国内で作られたメダルの多くで見かけた。

25セントメダルは現在の殆どのメダルゲーム場で採用されています。大資本による大型ロケーションであれば、店舗や会社ごとにオリジナルのメダルのデザインを持つ余力がありますが、個人営業で資金力が弱い店舗は、メダルの鋳造会社が予め用意した出来合いのデザインを刻印したメダルを使うことが良く行われていました。

5¢メダルにしろ25¢メダルにしろ、米国の硬貨を元に作られているらしいところは共通しています。これは、初期のメダルゲームの主流機種が米国から輸入したスロットマシンであったため、付属のコイン識別機をそのまま使用できるようにしたためではないかと推測されますが、真相はわかりません。

しかし、25¢硬貨は、実は日本の10円硬貨とほぼ同じサイズであるため、メダルゲーム機の中には10円硬貨も受け付けてしまう機械が散見されました(実際、アメリカのパーキングメーターに10円硬貨を投入したことがあるというけしからん人に出会ったこともあります)。これは、メダル単価が1枚20円だった時代では、半額で遊べてしまうことになるだけでなく、投入された10円硬貨がコインチューブやコインホッパーに溜まれば、ゲームの結果で現金が払い出されることになり、警察から賭博とみなされてしまう可能性もあるため、業界にとっては迷惑なことであったでしょう。

そんなわけで、昔のメダルは、一般の自販機で偽貨として使われないよう、現行のどの通貨よりも大きい30㎜φ以上とするか、さもなくば強磁性体であること(つまり、磁石にくっつく素材であること)が求められたりもしていました。現在は、コイン識別機の精度が格段に向上しており、他店のメダルを使用したり、メダルを自販機で使用することはまずできません(精度が上がりすぎて、逆に正規のメダルなのに受け付けてくれないというトラブルを招くことさえあります)。

ところで、オリンピアゲームで使用されていたメダルの径はさらに大きく、米国の50セント硬貨とほぼ同じです。


オリンピアで使用されていたメダル。

オリンピアを運用するメダルにこのサイズが選ばれた理由はわかりません。オリンピアが稼働を始めた1966年、アメリカでは50セント硬貨を投入するスロットマシンというものはほとんどなかったと思います。しかし、当時、セガは自社のスロットマシンをヨーロッパに多く売っていました。そして、英国で1970年まで使用された1ペニー硬貨の径もまたほぼ同じ(むしろ50¢硬貨よりもより近い)であるところから、もしかするとそれが理由なのかもしれません。

手に持ってみると、5¢メダルは25セントメダルよりかなり小さく感じるのですが、実際は3㎜程度の差しかありません。オリンピアのメダルは25¢メダルよりも6.5㎜ほど大きく、これだけのサイズならメダルと呼んでもあまり違和感は感じない気もします。


小さい順に5¢メダル、25¢メダル、オリンピア用メダル。

◆メダルギャラリー1:オリンピアのメダル
(1)
(2)
(3)

(1)は、ワタシが中学生のころ、大岡山のオリンピアセンター(関連記事:スキル・ボール(初の国産ピン・ビンゴ)と大岡山のオリンピアセンターの記憶)で遊んだときに使われていたメダルのデザインです。現在ワタシの手元にいくらかあるオリンピア用メダルのほとんどがこれです。

(2)は両面同じデザインです。SEGAの刻印が見えます。ワタシの手元にあるこのデザインのメダル数はあまり多くありませんが、レアと言わなければならないほどでもありません。

(3)は、片面に守礼門、片面に沖縄が刻印されています。ひょっとして沖スロに関係しているのでしょうか。ワタシの手元では、まだこれ1枚しか発見されていない、レアなメダルです。「ユニバーサル」の刻印も気になります。パチスロメーカーのユニバーサル(またはアルゼ)社と同一である可能性は高いと思いますが、裏は取れていません。

◆メダルギャラリー2:ジョイパック25¢メダル


「ジョイパック(JoyPack)」とは、映画館、パチンコ、キャバレー、ゲームセンターなどを運営する企業である恵通観光のブランド名です。同社は現在はヒューマックスという名で娯楽提供企業の大手となっています。1975年頃から80年代前半ころまで、東横線都立大学駅前にあったメダルゲーム場「キャメル」(関連記事:柿の木坂トーヨーボール&キャメル)もここの運営だったため、ゲームで高得点を出すと、同系列の映画館(自由が丘劇場)の招待券がもらえたりもしました。ただこの映画館は、正月には必ず寅さんシリーズがかかりましたが、それ以外ではしばしば成人映画がかけられるような映画館でもありました。

◆メダルギャラリー3:セガ(旧ロゴ)25¢メダル


ゲーム機メーカーのセガ社のロゴが現在のものになったのは1976年頃で、それ以前のロゴは、このメダルの刻印に見られるデザインでした。日本のゲーム機メーカーがメダルゲームに本腰を入れるようになるのは1974年頃からですから、このメダルが製造されていたのはそれから76年のロゴ変更までの間と思われます。もしかするとレアなものかもしれません。