オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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スキル・ボール(初の国産ピン・ビンゴ)と大岡山のオリンピアセンターの記憶

2017年01月08日 19時28分04秒 | 風営機
◆オリンピアセンター
「オリンピアセンター」とは、現在のパチスロの嚆矢となるゲーム機、「オリンピア」を中心とする遊技場です。


オリンピアセンターの例(本文に登場する店舗ではありません)。1967年頃のオリンピア機のフライヤーより。

さて、以前、「オリンピア」の製造はゲーム機メーカーのセガであると述べましたが、そのセガ社は、1971年頃、オリンピアに続く風俗営業機として、「スキル・ボール」というゲーム機を売り出しています。




スキルボールのフライヤーと筐体部分のアップ。

スキルボールは、バーリー社の6カードタイプのピン・ビンゴをモディファイしたものと思われ、おそらく国産初の、払い出しのあるピン・ビンゴ機です。


【参考】バーリー社の6カードビンゴの一例。

◆大岡山のオリンピアセンター
1972年、ワタシは東急目黒線(当時は田園都市線)大岡山駅近くの雑居ビルの1Fに、店舗面積がおそらく10坪程度しかない、小さなオリンピアセンターを発見しました。屋号の定かな記憶はありませんが、「大岡山ゲームセンター」だったような気もします。

オリンピアは、本来はパチンコ店と同じ風俗営業用(当時、ゲームセンターは風俗営業ではなかった)の遊技機で、その設置店には子供は入場できないはずなのですが、当時中学生だったワタシは、この店がゲームセンターの一種という誤った認識でいたため、何の後ろめたさも持たずに入ってゲームをしたものでした。店の管理者は比較的若い女性で、ワタシを咎めだてすることはなく、むしろ親切で優しいおねえさんでした。他に客がいることも少なかったので、だれもいないよりは少しは退屈しのぎになると思われたのかもしれません。

ほぼ正方形の店内の三方の壁沿いに設置されていたオリンピア機は全部で10台程度だったように思います。残る一方は、景品交換カウンターと、間口の狭い入口でした。景品カウンターの内側の右手には壁はなく、雑居ビル内の別の店(確か熱帯魚店だったように記憶していますが、あやふやです)と行き来できるようになっており、このオリンピアセンターはその熱帯魚店の副業のようにも見えました。実際、管理者のお姉さんは、しばしば熱帯魚店と行き来していたようにも思います。

この小さなオリンピアセンターに、2台の「スキル・ボール」が設置されていました。当時のワタシは、ピン・ビンゴの存在は既に知っていましたが、遊び方はまだよくわかっていませんでした。しかし、「スキル・ボール」はゲームの説明が日本語表記ですし、ルールもずいぶん簡略化されていたので、遊ぶことができました。

◆スキル・ボールの遊び方
スキル・ボールは、1ゲームで5球のボールを打ち出します。プレイフィールドには1番から25番までの番号が振られた穴があいており、ボールが入った穴の番号で、ビンゴゲームを行います。基本的には米国製のピン・ビンゴと同様、ライン上に3つ以上連続して数字を点灯させれば勝ちとなります。

スキル・ボールの1回のゲーム料金は、メダル1枚~3枚です。投入する枚数により、ゲームで有効となるビンゴカードの数が変動します。

スキル・ボールのバックグラスには、AからFまでの6枚のビンゴカードが描かれており、メダルを1枚投入した場合はカードAとBの2枚、メダル2枚を投入した場合はカードA、B、C、Dの4枚、メダル3枚投入の場合は6枚すべてのカードが有効になります。

しかし、実際のゲームで使用するのは、有効となるカードの半分だけです。どういう事かというと、ボールを3球打ち出してそれぞれの番号が決定した時点で、最終的に使用するカードを選択するというルールになっています。選択の方法は、バックグラス上での上段のカード(A、C、E)、もしくは下段のカード(B、D、F)のどちらかを、対応するボタンを押すことによって選びます。

5球を打ち終わった後で、選択しなかったカードに3並び以上が発生してもハズレとなるわけですが、これはたいへんに変則的なルールです。アメリカ製のピン・ビンゴで、このようなルールを採用している機種はありません。

◆ブラボー賞(ボーナスゲーム)
スキル・ボールは、オリンピア機にボーナスが導入された後に続く機種ですので、やはりボーナスゲームの概念が取り入れられました。それは、5・イン・ライン(つまり、パーフェクトゲーム)を達成すると、以降の6ゲームは、1~7のいずれかの穴に1球入るだけで、1ゲームの最高配当であるメダル15枚が獲得できるというものです。このボーナスゲームは「ブラボー賞」と名付けられていました。

◆スキル・バンパー
ピン・ビンゴには、ボールを意図する数字の穴に誘導するためにキャビネットを揺する「ナッジング(nudging)」というテクニックがあります。しかし、あまり強く揺すると、ティルトペナルティを食らって一発でゲームオーバーとなる危険があります。スキル・ボールでは、ボタンを押すことでプレイフィールドを縦方向に数センチの幅で一瞬スライドさせる「スキル・バンパー」という機構を組み込み、これに代わるスキル要素としました。

しかし、スキル・バンパーの使用回数には制限があり、メダル1枚でゲームを始めた場合は2回、2枚では4回、3枚で始めた場合でも7回しか使用できません。それにしては、必ずしも強力なフィーチャーとも思えるものではなかったのは、単にワタシが下手だったからでしょうか。

ワタシは長いこと、このスキル・バンパーというフィーチャーはセガ独自のものだとばかり思っていたのですが、ずいぶん後になって、米国Bally社のピン・ビンゴ「Hi-Fi」(1954)という機種で、「Bump」という名称で採用されていたことを知りました。しかし、「Bump」が導入された機種は後にも先にもこのHi-Fi1機種だけで、後に続く物がなかったところを見ると、あまり評判が良いとは言えなかったようです。
【参考:Bally Hi-Fi(1954)のフライヤー】(貼れる手持ちの資料がないので、よそ様のサイトにジャンプします。よろしければその本家「BINGO PINBALLS」もご覧ください)

◆4コーナー
ビンゴカードの4隅の数字を点灯させると、1ゲームの最高配当のメダル15枚が払い出されました。ただし、これにもゲーム料金によって区別があり、メダル1枚でゲームを始めた場合はこのフィーチャーは無効、2枚の場合はプレイフィールド中段左右にあるロールオーバーボタンの上をボールが通過すれば有効、3枚では無条件に有効となるものでした。しかし、4コーナーとはそれほど成立する役ではないので、メダル3枚投入でゲームを始めても、プレイヤーにとってたいしたアドバンテージにはならなかったものと思います。

◆スキル・ボールの終焉
スキル・ボールで使用するメダルはオリンピアマシンと共通でした。つまりゲーム単価は10円~30円だったわけですが、スキル・ボールは、それにしては1回のゲーム時間が長すぎ、設置店にとっては営業効率が非常に悪いゲームでした。そのためスキル・ボールは、改良された続編が出ることもなく、遅くとも70年代の終わりころにはパチンコ業界から姿を消してしまいました。