オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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【小ネタ】デス・レース 社会から非難を浴びた殺人ゲーム

2017年01月04日 14時47分02秒 | ビデオゲーム
「世にも恐ろしいゲームマシン・・・ (中略)ここに紹介するのは、身の毛もよだつ恐ろしさである。その名は『デス・レース』」

これは、AM業界紙「ゲームマシン」の、1977年1月15日号に掲載された記事の冒頭部です。「デス・レース(Death Race)とは、1976年に米国Exidy社が販売していた、一種のドライブビデオゲームです。「デスレース2000」という映画に想を得て開発され、500台以上が生産されたそうです。


デス・レースの筐体。見にくいが、バックグラスでは、二人の死神が車を駆って墓場を疾走している。

ゲーム内容は、自分の車を操作して、画面上を逃げ惑う歩行者を轢き殺すというものです。轢き殺された場所には十字架がたち、車にとって障害物となります。二人で同時プレイが可能で、どちらがより多くの人を轢き殺せるかを競うこともできます。

このようなテーマですから、「刑事コロンボ」でさえ暴力的で子供には見せたくない番組としてしまうアメリカでは社会問題となり、このことは日本の新聞でも報道されました。

私はこのゲームを、1978年前後に、おそらく銀座のゲームセンターで、数回遊んでいます。確かに、ゲームの説明を聞く限りは反社会的なゲームのように思えます。

しかし、何しろ時代は1977年、ビデオゲームはまだ簡単な記号を白黒で表示することしかできない時代だったので、簡単な棒線で描かれた「歩行者」が数パターンのアニメーションでちょこまかと動き回るだけの極めてお粗末なグラフィックでした。轢き殺した時に響き渡る効果音が人の叫び声のように聞こえないこともありませんでしたが、まだ世界初の喋るビデオゲーム(スピーク&レスキュー、サン電子、1980)も出ていない時代ですから、Beep音をうまくいじってそれっぽく聞こえるように(当時はそれも広義のプログラミング技術だった)なっている程度のものでした。

「デス・レース」は日本でも問題視され、抗議団体からゲーム業者や警察にまで抗議があったと、これも一般の新聞の記事になりました。これに対して行政側は、「電取法(電気用品取締法、現電気用品安全法)」を根拠に日本国内では使用できなくするという「別件逮捕」で事態の収拾を図りました。

Exidy社は、デス・レースとゲーム内容は全く変わらないものの、ぶつける対象を車にした「デストラクション・ダービー(Destruction Derby)」というゲーム機も開発しており、こちらの方は特にお咎めがあったと聞いたことはありません。ワタシはこのゲームを、ダイエー碑文谷店で遊んだ覚えがあります。ただ、Chicago Coins社が「デモリション・ダービー(Demolition Derby)」というタイトルで全く同じゲームをリリースしており、もしかするとこちらの方だったかもしれません。70年代は、表面上は同じゲームが、違うタイトルで、異なるメーカーから発売されるということがしょっちゅうあった時代でした。