3-318 田子の浦ゆ打ち出てみれば真白くそ不盡の高嶺に雪は降りける
山部赤人
田子の浦から船をこぎだして後ろを振り返ると、富士の山頂が降った雪で真っ白になっている。
百人一首で有名な、この歌は、このように、万葉集が元歌で、新古今集に採録された歌は、次のように変えられている。
田子の浦ゆ打ち出てみれば白妙の不盡の高嶺に雪は降りつつ
元歌のほうが、直接的で情緒感に欠ける、と思ったのだろうか。
赤人本人が変えたのだろうか? よくわかっていないらしい。
不思議なことに、富士山については、万葉集にはいくつか歌が載せられているのだが、古事記や日本書紀では言及されていないのだそうだ。
また、この赤人についても、人麻呂と並んで歌聖と呼ばれる人であるにもかかわらず、出自や人となりについての情報がほとんどない、のだそうだ。
このように、ひとたび万葉集に手をつけると、わからないことだらけで、もやもやした闇の中に入り込んでいくような感じだ。
歌を鑑賞しながら、未知の古代へ目を凝らそうと思っている。
山部赤人
田子の浦から船をこぎだして後ろを振り返ると、富士の山頂が降った雪で真っ白になっている。
百人一首で有名な、この歌は、このように、万葉集が元歌で、新古今集に採録された歌は、次のように変えられている。
田子の浦ゆ打ち出てみれば白妙の不盡の高嶺に雪は降りつつ
元歌のほうが、直接的で情緒感に欠ける、と思ったのだろうか。
赤人本人が変えたのだろうか? よくわかっていないらしい。
不思議なことに、富士山については、万葉集にはいくつか歌が載せられているのだが、古事記や日本書紀では言及されていないのだそうだ。
また、この赤人についても、人麻呂と並んで歌聖と呼ばれる人であるにもかかわらず、出自や人となりについての情報がほとんどない、のだそうだ。
このように、ひとたび万葉集に手をつけると、わからないことだらけで、もやもやした闇の中に入り込んでいくような感じだ。
歌を鑑賞しながら、未知の古代へ目を凝らそうと思っている。