有聞、未之能行、唯恐有聞(公冶長第五の14)
聞くこと有りて、未だ之を行うを能(アタ)わざれば、唯聞くこと有るを恐る。
孔子の弟子、子路の学問に対する態度を評しているのだが、誰が言ったか不明。孔子が言った、とは言っていない。
まあとにかく、意味は次、
「学ばねばならない問題をかかえ、まだそれを十分に理解しないうちに、次の問題に進むことをきらう」
子路はそういう人であった。
人間、つい、「一を聞いて十を知る」ような態度を取りがちだが、「生兵法は大怪我のもと」である。
この子路のように、人間、常に謙虚な態度で、確実を目指すべき、は正論。
聞くこと有りて、未だ之を行うを能(アタ)わざれば、唯聞くこと有るを恐る。
孔子の弟子、子路の学問に対する態度を評しているのだが、誰が言ったか不明。孔子が言った、とは言っていない。
まあとにかく、意味は次、
「学ばねばならない問題をかかえ、まだそれを十分に理解しないうちに、次の問題に進むことをきらう」
子路はそういう人であった。
人間、つい、「一を聞いて十を知る」ような態度を取りがちだが、「生兵法は大怪我のもと」である。
この子路のように、人間、常に謙虚な態度で、確実を目指すべき、は正論。