水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

行行子

2007-09-15 06:40:16 | 三鷹・文学
 井之頭池水源近くに、野口雨情の歌碑がある。

ないてさわいで 日の暮れころは よしに行行子(よしきり) はなりやせぬ

 井之頭音頭の何番かの一節である。

「行行子」をなぜ「よしきり」と読ませるのか、ずーっと知らなかった。ごく最近辞書を引いて、やっと納得した。

俳句の季語(夏)として使われる漢字よみ、らしい。もともとは、ギャーギャーと鳴く「よしきり」の声音に漢字をあてた。「ぎょうぎょうし」と読んでよい。句全体の深みを増すために、その漢字をわざわざ「よしきり」とあてよみした、ということだ。

 そういえば、あのころ、井之頭池流出口から先に、うっそうとした葦原があった。
しんぐるまあたりの野川周辺も、井之頭と同じような環境だから、同じ情景があったはずだが、記憶にない。
 
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2006年9月15日の記事
タイトル:50年前

 9/9、対象としている水車周辺を講義の一環として見学した。景観をしみじみながめるのは、なんと約50年振りであった。
 龍源寺の住職(菊地全明先生)が中学校の社会科の先生であったこともあって、この周辺は1年に数回ほど遠征する遊び場であった。確か、校内マラソンの折り返し地点でもあった。もちろんそのころはまだ東八道路はなかった。旧中島飛行機敷地周辺の防空壕跡が散在する原っぱで、今にして思えば、危険な遊び方をしていたものだ。あるときなどは、あやしい人(我々が、勝手に、考古学者と思い込んだ)に依頼され、一日中トレンチを掘り続けたこともあったっけ。19時ごろ帰宅し、親にこっぴどくしかられた記憶がある。信用するに足る種を把握した後手伝え、と。
 今は、あのころの景観はない。生活もない。小学生が見学に来るそうだが、有形民俗文化財の伝承を意義あるものにするために、水車解説ボランティアはどのような準備をしているのだろうか。