(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家(新車、しんぐるま)、の概要について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.)
昨日、新車(しんぐるま)での解説で、ある方々に「国木田独歩」と口走ってしまったのだが、実は、恥ずかしながら、よく知らない。いつものことだが、図書館で彼の著作を借り、付け刃、をつけておくことにした。
ところが読む前に、まず、武蔵野(文庫版、H06年改版第1刷)を手にしてうなってしまった。カバー表紙が地形図なのだ。中央線の線路が描かれていないから、明治10年台後半につくられた地形図だろう。原図は20万分の1なのだろうが、表紙として使えるように、上手に縦横の縮尺を変えてある。巻頭の「武蔵野」の中で表現されている武蔵野の範囲をたくみにカバーした編集者のセンスに脱帽。
そしてさらに、この地図上、中央やや左に「大沢」が人見街道から国分寺方面への分岐点として載っているのだ。コンターが密になっていて、野川左岸の崖線もよくわかる。
本のタイトルスペースによって地図中央が欠けているのがなんとも残念だが、三鷹市に関しては西部範囲、すなわち、上連雀、井口、野崎などの地名も見える。
とにかく、何回か書いたことがあるが、大沢が交通の要衝であったことは、この地図からも一目瞭然だ。
ひょんなことから、新しい発見があるものだ。
昨日、新車(しんぐるま)での解説で、ある方々に「国木田独歩」と口走ってしまったのだが、実は、恥ずかしながら、よく知らない。いつものことだが、図書館で彼の著作を借り、付け刃、をつけておくことにした。
ところが読む前に、まず、武蔵野(文庫版、H06年改版第1刷)を手にしてうなってしまった。カバー表紙が地形図なのだ。中央線の線路が描かれていないから、明治10年台後半につくられた地形図だろう。原図は20万分の1なのだろうが、表紙として使えるように、上手に縦横の縮尺を変えてある。巻頭の「武蔵野」の中で表現されている武蔵野の範囲をたくみにカバーした編集者のセンスに脱帽。
そしてさらに、この地図上、中央やや左に「大沢」が人見街道から国分寺方面への分岐点として載っているのだ。コンターが密になっていて、野川左岸の崖線もよくわかる。
本のタイトルスペースによって地図中央が欠けているのがなんとも残念だが、三鷹市に関しては西部範囲、すなわち、上連雀、井口、野崎などの地名も見える。
とにかく、何回か書いたことがあるが、大沢が交通の要衝であったことは、この地図からも一目瞭然だ。
ひょんなことから、新しい発見があるものだ。