うろ覚えライフ。

巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。懐古・郷愁。漫画・映画・小説・ポピュラー音楽。

赤塚先生、亡くなっちゃったんだ…

2008年08月03日 | Weblog

○漫画家の赤塚不二夫氏死去 「おそ松くん」「天才バカボン」

 

        「おそ松くん」「天才バカボン」などで知られる漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、本名・藤雄=ふじお)さんが2日午後4時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。72歳だった。旧満州(現中国東北部)出身。自宅は東京都新宿区。葬儀・告別式などは未定。

  終戦で大陸から引き揚げ、奈良県で育つ。小学生時代に手塚治虫作品に感激し、漫画家を志した。中学を卒業して3年間、新潟市の看板店に勤めた後、昭和28年に上京。化学工場で働きながら、漫画雑誌への投稿を重ねた。

 31年、「嵐をこえて」でデビュー。東京都豊島区椎名町にあったアパート「トキワ荘」に転居し、石ノ森章太郎や藤子不二雄らと腕を磨いた。34年には“赤塚ギャグ”のはしりとなる「ナマちゃん」が好評に。37年には「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」が爆発的にヒット。続いて「天才バカボン」「もーれつア太郎」などのヒット作を連発し、“ギャグ漫画の王様”となった。

 ニャロメ、ウナギイヌ、レレレのおじさんなどのユニークなキャラクターを生み、「シェー」「ダヨーン」「これでいいのだ」などの流行語も数多く誕生させた。

 平成9年12月に自宅で吐血して入院、食道がんが判明。その後も急性硬膜下血腫や脳内出血で緊急手術を受け、14年以降は創作活動を休止していた。

 昭和40年に小学館漫画賞(おそ松くん)、47年に文芸春秋漫画賞(天才バカボンなど)を受賞。平成10年に紫綬褒章を受章。15年には東京都青梅市に「青梅赤塚不二夫会館」がオープンした。

 

 言葉がないですね。僕にしてみれば、神様の一人。手塚治虫大先生が大神ゼウスで、トキワ荘の話なんて、いわば神話です。

 石ノ森章太郎先生、寺田ヒロオ先生、藤子F不二雄先生…。今や、世界中を席巻し、世界に誇る新しい日本の文化、ジャパン漫画。その土台を作った天才たち。手塚先生とその弟子たちは、まるで神の子と十二人の使徒たちの伝説みたいです。

 また一つ、昭和を作った灯が落ちました。赤塚先生が昏睡状態が長い間続いているという話は知っていましたが、何というか、大きな心の落胆です。手塚先生、石森先生、藤本弘先生、横山光輝先生…、また一つぽっかり大きな穴が開きました。

 宇宙の明るい漫画の星として、永遠に輝いていてください。ご冥福をお祈りいたします‥。しかないです。寂しいですね。

   

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左傾化が進む若者…

2008年08月02日 | 時事社会ログ

○「マルクスの亡霊」を眠らせるには

       若い人を中心に急速に左傾化が進んでいる。しかもそれはこの1、2年のことである。小林多喜二の『蟹工船』がベストセラーになり、マルクスの『資本論』の翻訳・解説をした新書が発売すぐに数万部も売れているという。若い研究者が書いたレーニン論がそれなりに評判になっている。書店にいけば久しぶりにマルクス・エンゲルス全集が並んでいる。私のまわりを見ても、マルクスに関心を持つ学生がこの1、2年でかなり増加した。

 私のように、マルクス主義左翼全盛の学生時代に知的好奇心をやしなった者にとっては、マルクスを「卒業」したところから社会科学の研究は始まったはずであった。そのような時代的経験を経た者からみると、この動向は何か奇妙にみえる。

  ‥ 考えてみれば決して不思議なことではない。近年の所得格差の急速な拡大、若者を襲う雇用不安、賃金水準の低下と過重な労働環境、さながら1930年代の大恐慌を想起させるような世界的金融不安といった世界経済の変調を目の前にしてみれば、資本主義のもつ根本的な矛盾を唱えていたマルクスへ関心が向くのも当然であろう。

  ‥ 社会主義の崩壊以降に一気に進展した金融中心のグローバリズムである。

  ‥ いわゆる新保守主義もしくは新自由主義のいささか傲慢(ごうまん)なまでのグローバル市場礼賛は、私にはあまりに危ういものに思われた。絶えず貪欲(どんよく)なまでに利潤機会を求めて拡張を続けようとする資本主義は、過度な競争の果てに、社会そのものを深刻な不安定性の深淵(しんえん)に引きずり込むのではないか、と思われたのである。

  ‥ グローバリズムは、経済の考え方を大きく変えた。戦後の先進国の経済は、製造業の技術革新による大量生産・大量消費に支えられて発展してきた。賃金上昇が需要を喚起してさらなる大量生産を可能とし、一国の経済政策が景気を安定化したのである。社会は中間層を生み出し、政治は安定した。明らかにマルクスの予言ははずれた。

 しかし、80年代のアメリカの製造業の衰退は、資本主義経済の様相を大きく変えていった。国内での製造業の大量生産ではなく、低賃金労働を求める海外進出によって、さらには金融・IT(情報技術)部門への産業構造の転換によって、資本と労働を著しく流動化させ、そこに利潤機会を求めた。

  ‥ 利潤の源泉は、低賃金労働や金融資本の生み出す投機へと向かった。要するに、製造業の大量生産が生み出す「生産物」ではなく、生産物を生み出すはずの「生産要素」こそが利潤の源泉になっていったのである。

  ‥ 問題は、今日のグローバル経済のもつ矛盾と危機的な様相を直視することである。市場経済は、それなりに安定した社会があって初めて有効に機能する。そのために、労働や雇用の確保、貨幣供給の管理、さらには、医療や食糧、土地や住宅という生活基盤の整備、資源の安定的確保が不可欠であり、それらは市場競争に委ねればよいというものではないのである。・・・

○共産党:新党員2万人確保 中央委総会で方針

      ‥ 党員は、格差問題などへの同党の取り組みに若年層を含めて支持が広がったことで増加傾向にある。昨年9月以降は月1000人単位で増え、これまでに計9000人増加した。

 これを踏まえ、志位和夫委員長は11日の幹部会報告で「(小林多喜二の)『蟹工船』が若者を中心にブームになり、マルクスに関心が集まるなど、党が体験したことのない状況にある」と指摘した。・・・

○“蟹工船”ブーム

        「蟹工船」ブームが収まらない。ブームの背景分析や「現代の蟹工船」に対する期待感が,随所で語られている。しかしその声は,少し上ずってはいまいか。単なるブームなら,これまでもどこかで経験してきた。過剰な評価や期待は禁物だ。ただ,これをチャンスとして,経営のあり方や,弱者や彼らを取り巻く仕組みについて大いに議論することには,意義がある。

  ‥  前回,作家の雨宮処凛氏と高橋源一郎氏の対談における,雨宮氏の「蟹工船がリアルに感じられるほど,今の若い人の労働条件はひどい」という発言と,それは「プロパガンダの一種」ではないかといったん疑問を呈しながら,最終的に肯定する高橋氏の発言を紹介した。

 現代において「蟹工船」ほどの劣悪な労働状況が,果たしてあり得るのだろうか。評論家の吉本隆明氏はこの疑問について,次のようにやや否定的に分析する。

  ‥ 「働いてもプアだということはあるにしても,まだ比喩的な要素が強く,文字通り飢えたという実感を持つ若い世代はそれほど多くない。(中略)本当の問題は貧困というより,何か人間の精神的な抵抗力が弱くなってしまったことにあるのかもしれません」
「『蟹工船』を読む若者たちは,貧困だけがつらいのではないでしょう。貧困だけなら,敗戦直後のほうがもっとひどかった」
「ネットや携帯を使っていくらコミュニケーションをとったって,本物の言葉をつかまえたという実感が持てないんじゃないか。(中略)その苦しさが,彼らを『蟹工船』に向かわせたのかもしれません」

  ‥ ネットカフェ難民が取り沙汰される折,興味深いことにエッセーコンテストはネットカフェからの応募部門を設けている。そこには,さらに切実な現実が語られている。IT時代にネットカフェが弱者に仮の棲家を提供するとは,彼らの助けになっているのか,溜まり場になっているのか,なんとも皮肉な巡り合わせではあるが。

  ‥ 「『蟹工船』で登場する労働者たちは,私の兄弟たちのようにすら感じる身近な存在だ」
「私も労基法以下の不安定労働を強いられている派遣社員なので,周旋屋の紹介で働く彼らとは立場も同じだ」
「『殺される』という言葉が作中に何回も出てくるが,私もよく,『このままでは社会に殺される!』と感じている。企業にとって必要な時期だけ雇って,いらなくなったら物でも捨てるかのように解雇されてきたが,そのうち年を経るにつれ,このままでは劣悪な環境の職場にすら雇ってもらえなくなって,路頭に迷って死んでしまうのではないだろうか」

  ‥ 業績不振の責任を取って,飛び降り自殺をした管理者がいる。永年安月給と屈辱に耐えていたが,ついにうつ病になって出社できなくなり,やがて辞めていった下請け会社のプログラマがいる。ソフトウエアの会社を立ち上げるため退社したが,失敗して再就職の道がなくネットカフェに泊っていると噂のあるSEもいる。

  ‥ 「精神的抵抗力が弱くなった」という心理的な面もあるだろう。だが,よくよく事態を凝視するとエッセーコンテストに登場するような,まさかと思う物理的な弱者も見えてくる。

  ‥ 個々人で動け,それが集団で動くのと同じ力になるという感想がある。しかし,個々人が動くだけでは限界がある。最も重要なことは,団結の呼びかけだ。しかし,実際のところは評論家的に他者に団結を呼びかけているだけのようだ。これら若者の考えが実社会に対してどれだけの力を持つのかには,疑問がある。・・・

 若いのに生活苦を身に沁みて感じる貧困層が増加拡大され、多くの若者たちが現在社会の閉塞感の中で、将来に明るさを見ることが出来ず、まだまだ先が長く続く筈の、人生に希望を持てないでいる。

 非正規雇用者の増加の一途にある今の社会では、実際に、想像以上にそのパーセンテージも高く、若者だけでなく全世代に渡って、ワーキングプアの貧しい蟻地獄に生活する人たちは数が多い。格差社会の進んだ現状では、今の惨状から抜け出して生活のレベルアップを図ろうにもどうにもならず、ただ日々耐えるしかない。生活苦から抜け出して、もっと豊かな暮らしをしたくとも、その方法を教える道は閉ざされ、希望が見出せない。蟻地獄から這い上がろうにも、その方法は蜃気楼でしかなく、結局、道など無いのだ。暗澹たる閉塞感。

 共産党中央の幹部の議員が、テレビの政治トークで、従来、日本共産党は、ソ連や中国の政治体制に一貫して批判的で来た、と話していた。また、田原総一郎氏司会の番組の、スペシャルゲストで来ていた日本共産党前委員長、不破哲三氏が、まだ社会主義や共産主義を諦めてしまった訳ではなく、将来の大幅修正された新しい社会民主主義に大いに希望を持っている、と語っていた。

 増加する貧しい下層民の中の若者たちが、夢も希望も持てない現状社会の閉塞感の中で、唯一、新たな社会民主主義という未来社会に希望を繋いで見ている、ということなんじゃないだろうか。歴史上の世界中の社会主義・共産主義は全て失敗に終わったが、ひょっとしたら新しい社会民主主義の世の中は、現状社会よりもぐんと良くなり、今の世の中よりも相対的に素晴らしい社会になるのではないか、と夢見るのじゃないだろうか。つまり過去の失敗した社会主義・共産主義を大幅修正して生み出す新しい社会民主主義が、もしかして相対的にバラ色の世の中を実現できるのかも知れないぞ、と若者たちに、夢のような希望を繋いでいるのかも知れない。

 昔は、一時代、日本は一億総中流社会とまで言われた。一億総中流は大袈裟だが、70年代末から90年代初めまで確かに、日本の家庭の中流層の占める割り合いが大きかったことは事実だ。21世紀に入って、その割り合いの大幅な部分が下層へとずれ落ちてしまった。格差社会が顕著になり、中流層が激減した。

 それでも変わらず、上流の他、今も中流層はかなり居て、自分らの子供をみんな大学進学させられる。その中でも名のある大学をきちんと卒業した者は、大企業に就職して、比較的豊かなそれなりの収入があり、安定した生活を手に入れている。勿論、学生の間に夢を抱き、起業したり専門的な職種へと進む、才能のある若者も居るだろう。昔に比べれば大学へ進む割り合いは非常に高い。少子化社会の中で数多い大学へは漏れなく入れる、いわば大学全入時代だ。無論、格差社会の中で増大している下層家庭の子供たちは、経済的理由から大学には到底行けないし、高校進学も危うい子供も居る。また大学を出ていても、タイミングよく就職出来なければ派遣労働者にしかなれず、一度派遣や契約社員など不定期雇用の領域に就くと、もう抜け出せなくなる。特に顕著な大きなタイミングの悪さは、ロストゼネレーションの就職難民たちだし、実際、大学を出ていても正規雇用には就けず、派遣を繰り返し続け、不安定な中小企業で低賃金で働き続ける人たちも、ものすごい数が居る。

 才能を持ち、努力を続け、続けた努力が結果に成功を持たらすという、持って生まれた才能をたゆまぬ努力で磨き続け己を精進して、自分なりの成功を手に入れる若者も確かに居るだろうが、多分、割合的には相当少数だ。大多数の若者は、顕著なほどの才能なぞ、持って生まれて来ない。大多数は、努力を続けて磨いたところで結果の知れてる人間なのだ。中流以上の裕福な家庭に育ち大学をきちんと出て、大企業に就職する若者たちと、この数少ない持って生まれた才能を磨いてそれなりの成功を掴む若者たちは、いわば勝ち組となる。勝ち組と負け組を比べれば、圧倒的に負け組の方が多い訳で、社会における人生とはいわばトーナメントみたいなものだから、敗者復活戦があったとしても当然、負け組が次々と生み出されて行く。特に、このグローバル化した世界経済の中の社会で生きて行くことは、競争が過激になり、どんどん負け組が生み出されて行く。増加する数多くの負け組を救うネットという、社会のシステムを作ることが急務なのだ。といっても自分たちにはどうにもならず、貧窮する現状にあえぐ若者たちは、新たな社会民主主義の実現にユートピアを見るんじゃないか、と僕は思った次第です。

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倖田來未、復活

2008年08月01日 | 芸能ログ

 

 今年のプロ野球オールスター第2戦の冒頭で、倖田來未さんがアカペラで国家独唱を行っていた。もう、ほとんど復活を果たした、という感じだね。

 ひと頃は、新時代の恋愛の教祖様的雰囲気を持っていたけど、あの頃、歌番組など各番組トークで、恋愛トークを繰り広げていて、それもファン人気があったのだけど、僕はあの喋りが嫌いでしたけど、例のラジオ番組の失言騒動で、常識的知識の無さを露呈してしまい、芸能人の彼女としてはどん底に叩き着けられた感であったが、この日本プロ野球の、金メダルが期待されているオリンピック直前の、球界年中行事最大のお祭り、オールスターゲームの第2戦での国歌斉唱を任された、ということはもうほとんど完全復活と言っていいんでしょうね。

 今現在はまだ、ラジオ番組でのトークなどはやってないんでしょ(?)。どうなんだろ?芸能事務所としては売れてるタレントには少しでも稼いでもらいたいものだろうから、何の仕事でも使いたいだろうけど、あの失言騒動の波紋が大き過ぎたから、簡単にはトーク番組再開は考えるだろうと思うけど。

 倖田來未さんは歌唱力など歌の実力があるから、当分は歌一本で行った方が良いと思うけど。あの下品にも聞こえてしまうベラベラ喋りは控えた方がいいように、僕には思えるなあ。ひょっとしてマルチタレントを目指したかったのかも知れないけど。当分は歌姫を追及した方が良いように思うなあ。

  

   

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