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科学雑誌ニュートン

2017年03月01日 | ブックログ

○科学雑誌「ニュートン」出版社の元社長ら逮捕 出資法違反の疑い

 

  科学雑誌「Newton(ニュートン)」を発行する出版社ニュートンプレス(東京都渋谷区)の元社長、高森圭介容疑者(77)ら2人が2017年2月17日、出資法違反の容疑で山口県警に逮捕された。各メディアが報じた。

   報道などによると、高森容疑者らは定期購読者3人に元本と年5%の利息を約束して出資を募り、計1200万円を集めた疑いがもたれている。容疑を否認しているという。

   「ニュートン」は1981年創刊の科学雑誌で、最新の科学研究を写真やイラストを交えて紹介している。初代編集長は地球物理学者の故竹内均・東京大名誉教授が務めていた。

 

○科学誌「ニュートン」元代表取締役逮捕 出資法違反容疑

 

   教材の開発名目で不正に現金を預かったとして、山口県警は17日、科学雑誌「Newton(ニュートン)」を発行するニュートンプレスの元代表取締役、高森圭介(77)=東京都杉並区永福4丁目=、子会社の管理部長関博和(69)=さいたま市南区白幡4丁目=の両容疑者を出資法違反預かり金の禁止)の疑いで逮捕し、発表した。高森容疑者は「お金を借りただけ」と否認し、関容疑者は「不特定多数から集めたわけではない」と一部否認しているという。

 発表によると、2人は2015年2月~16年3月、同誌の定期購読者の70代男性3人から、元本と年5%の利息の支払いなどを約束し、4回にわたって同社の口座に現金計1200万円を振り込ませ、不正に預かった疑いがある。タブレット端末で使用する小中学生向けの理科用教材の開発資金と説明していたという。

 県警によると、15年7月、山口市に住む定期購読者の40代女性が銀行で振り込もうとしていたところ、行員から「多額の振り込みをしている人がいる。詐欺ではないか」と通報があり、その後の捜査で今回の事件が発覚した。

 県警は14年12月~16年3月に43都道府県の266人から出資金として約7億円を集めたとみており、出資金の多くは会社の運転資金に使われたという。

 高森容疑者は昨年末、代表取締役を退任し、現在は子会社の役員を務めているという。

 同社は取材に対し「詳細がわからないのでコメントは差し控えます」としている。

Newton(ニュートン) 2017年 04 月号 [雑誌] 雑誌 – 2017/2/25

脳のしくみ―ここまで解明された最新の脳科学 (ニュートンムック Newton別冊) ムック

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○ニュートンが民事再生申請 元社長らの出資法違反事件

 

   科学雑誌「Newton」の発行会社ニュートンプレス(東京都渋谷区)は20日、東京地裁に民事再生手続きを申し立てたと発表した。

 

 同社を巡っては、山口県警が17日、雑誌の定期購読者から違法に金を集めたとして、出資法違反容疑で元社長ら2人を逮捕。経営状況が悪化しており、県警は集めた金を運営資金などに充てたとみている。

 

 同社は「元社長の逮捕などさまざまな状況を踏まえ、裁判所の監督を受けながら経営改善を進めることが最良と判断した。Newtonを存続することが社会的使命と考え、全力で再建に臨みたい」とコメントした。

 


 科学情報誌「ニュートン」は1981年に教育社というところから創刊され、今はニュートンプレスという会社が発行している月刊雑誌。創刊当時は40万部も出ていたというんだから、難しそうな科学専門誌がけっこう売れてたんだなぁ、と思う。ちょっと驚きの部数だったんだな。

 僕は一時期この「ニュートン」を愛読していた。まぁ、愛読という程は熱心に読んでた訳じゃないけど、1990年代後半頃、僕はこの「ニュートン」と、講談社から当時出ていた科学情報誌「Quark-クォーク-」を毎月買って来て読んでいた。でも、まぁ、どっちも科学専門誌で難しいから、そんなにちゃんと読んでいたというよりは、まぁ、活字を追っていたというか、パラパラ見てた部分も多い読み方で、気になる箇所だけ読む、テキトー読みかな。

 講談社の科学雑誌「クォーク」は1982年創刊で、97年には休刊(事実上の廃刊)になってる。僕は90年代の半ば頃からニュートンとクォークを買ってたけど、毎月必ずでもなく、まあま、毎月に近く買ってたけど、気が付いたら「Quark-クォーク-」の方はいつの間にかなくなってた。

 んー、ニュートンも買ってたのは2000年代初めくらいまでかな。多分、その内あんまり読まなくなったんだと思う。自慢じゃないが、僕はあんまり頭が良くない。だから、難しい雑誌も毎号、そんなに読み進まない。いわゆる積ん読が溜まる。読まずに置いておくバックナンバーが溜まって行くから、とりあえずバックナンバー読まなきゃ、っていう圧力が自分の中にあって、新しいのを買わなくなったんだな。

 トランプ大統領のイスラム教圏の国や信徒の排除的行動(政策)とか、娘のイヴァンカさんが結婚に際してユダヤ教に改宗してたとか、清水富美加の幸福の科学教への専念と芸能界引退とか、まぁ、世の中では今、宗教がイロイロとクローズアップされてるけど、宗教哲学って言葉があるように、宗教って、その人が生きる、人生の重大なバックボーンになるよね。まぁ、みんな、宗教に限らず、人それぞれに哲学とか思想とか、主義主張とか人生観とか、人間が生きて行く上でのバックボーンみたいな、内なる重大な柱を持つことってあるよね。その重大な柱を宗教にしてる人も多い。無論、無宗教の人でも、自分の内面に確固とした信念を持って生きている人も居る。仕事でも社会運動でも、それが精神的支柱になってる人も多いと思う。

 昔から僕も欲しかったんだよね、自分の内なるバックボーン。それでこの時期、二冊の科学雑誌を毎号読んで頭に科学の教養を着けて、自分のバックボーンにしようと思った。けど、いかんせん元からの頭が悪過ぎて、結局、理想に終わった。科学専門誌は、僕のような理科や数学の素養の全くない人間には、けっこう難しかった。

 でも、僕は昔から何か、自分の精神的支柱が欲しかったんだよね。僕は自分が学もなく頭の悪いこともよく知ってたから、昔から頭の良い人に憧れていた。頭の良い人になりたかった。それで自分の中に、何か“知性者”みたいなバックボーンを築きたかった。だから若い頃からSF とか科学に憧れて、それの何か知識とか情報とか自分の中に取り込んで、自分の中の太い柱にするのが夢だった。でも頭が悪過ぎて単なる夢で終わった。

 SF は俗に別名、「理科系の文学」と呼ばれる。僕は若い頃、SF は普通の文学よりも凄いと思ってた。僕の中ではSF の方が文学よりも上位にあると思って、超リスペクトしてた。文学は単に文学だけど、SF はそこに科学の知識や情報や未来想像力が上乗せされている。それだけでも凄いものだ、と思ってた。だから何かSF を自分の中にモノにしたい、とSF に憧れた。

 まぁ、結果はSFも科学も憧れと夢で終わって、たいして何も身に着かなかった。いかんせん基本的に頭が悪過ぎた。仕方がない。もともと知能も低いし幼少時から勉強大嫌い、子供の頃は活字読むの大嫌いだったし。育った環境も周囲に、教育熱心な人も教養人も、ずば抜けて頭の良いような人も居なかったしな。頭も悪いが運も悪いし。 育った家が書斎があって本がダーッて並んでて、親が教育熱心だったら僕も幼少時から頭が良くなる環境に居たら、もっと頭の良い少年、ひいては知的で頭の良い大人になってたかも知れない。生まれて来る子供は環境は選べないからな。

 かくして僕は自分の中に「哲学」みたいな太い柱、精神的支柱を築けなかった。悲しいね。だから僕には「主義」とかない。個々の事象に対してはその都度、自分自身の意見は考えるけどね。

  本が売れない時代。専門誌がなくなるのは寂しいことだ。社会の文化的にもやはりダメージの大きい現象だと思う。やっぱりネットが原因かなぁ。専門書といえば、大きく分ければ辞書も専門書みたいなところに入りそうだが、今やスマホでネット検索すれば、例えばwebloとか辞書サイトが幾つかあるから、イチイチ本の辞書引かずにスマホやパソコンで調べる。そっちの方が手っ取り早いし。多分、今や辞書や百科事典の売れ行きも落ちてるんだろうなぁ。専門的なことを調べるといえば、間違いも多いとも言われるけど、wikipediaも、簡単なこと調べたいときは重宝する。けっこう詳しく書き込まれてるし。専門家でもなければ何事もそこまで詳しい情報が欲しい訳じゃないし。物事の外郭の情報さえ知れば良いときには、とても便利だ。やっぱり紙の本の脅威の敵はネットなんだろうな。

 紙の本も減少しないで欲しいですね。紙の書物がなくなることがあってはいけない。特に専門書も専門雑誌も。何でも、本がなくなるのは寂しい。

 

コメント

野坂昭如先生逝く‥

2015年12月16日 | ブックログ

○「反戦・平和」最後まで 作家・野坂昭如さん死去

 

   社会批判とユーモアに満ちた活動を続けてきた作家の野坂昭如さんが9日夜、85歳で亡くなった。不意の別れを惜しむ声が、各界からあがっている。

 関係者によると9日午後9時半ごろ、自宅で横になっていた野坂さんの意識がなくなっているのを家族が見つけ、救急車を呼んだ。病院に搬送したが、午後10時半ごろ、肺炎からくる心不全のため死去したことが確認されたという。

 編集者の矢崎泰久さん(82)は、野坂さんが雑誌「週刊金曜日」用に書いた原稿を7日に受け取ったばかりだったという。「突然の訃報(ふほう)に驚いた。昭和1ケタ生まれの作家として、最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと、TPPにも反対していた。死に顔は信じられないくらい穏やかでした」と語った。

 美術家横尾忠則さんのもとには、雑誌の往復書簡企画のための手紙が、先週届いていた。眼前の危機に見て見ぬふりをしがちな今の日本社会を憂え、原発問題についても懸念する内容だったという。「野坂さんは60年代から一貫して貴重なメッセージを発信してきた。病床からこんな危機感を伝えなければならなかった今の日本とは何だろうかと思う」

 永六輔さんが出演するTBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」では、7日の放送で野坂さんからの手紙を紹介していた。日本が真珠湾を攻撃した12月8日が近付いていることにふれ、「日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と現代日本の針路を危ぶんでいた。

 野坂さんの厳しい社会批判の言葉の裏には、空襲体験や家族を失った悲しみに根ざした弱者への愛が常にあった。「戦争童話集」シリーズの絵を担当したイラストレーター、黒田征太郎さんは「『戦争童話集』には胸を突く言葉があふれている。戦争をテーマに人間のちっぽけさを語ることができる人」と惜しんだ。

 

○「野坂昭如、ノーリターン。合掌。」 五木寛之さん寄稿

 

  作家・五木寛之さん(83)は、長年の「共闘者」野坂昭如さんを惜しむ文章を朝日新聞に寄せた。

 いずれどちらかが先に逝くだろうと覚悟していたが、突然の訃報(ふほう)に呆然(ぼうぜん)としている。

 新人として登場した頃から、偽悪、偽善の両面を役割分担しつつ、微妙な距離感を保って50年あまりが過ぎている。

 彼が選挙に出たときには、応援演説もしたし、「四畳半襖の下張」事件では弁護側証人として法廷にも立った。また「対論」という型破りの本も一緒に作った。私生活ではお互いに意識的に離れながらも、時代に対しては共闘者として対してきたつもりである。

 ジャーナリズムの奔流の中で、くじけそうになるたびに、野坂昭如は頑張っているじゃないか、と自分をはげましたものだった。そんな意味では、恩人でもあり、仲間でもあった。大きな支えが失われたようで、淋(さび)しい。無頼派を演じつつも、傷つきやすい芸術家だったと思う。

 野坂昭如、ノーリターン。合掌。

 

○吉永小百合さん「非戦への思いを…」

 

  「焼け跡闇市派」を自任、本業の作家以外にも作詞や政治など多彩な活動で話題を集めた元参院議員の野坂昭如(のさか・あきゆき)さんが9日、心不全のため死去した。85歳だった。通夜・密葬は近親者で営む。本葬は19日午前11時、東京・青山葬儀所。喪主は妻暘子(ようこ)さん。

タレントで元参院議員・野末陳平さんの話

 私にメディアの世界のことを教えてくれたのは野坂さん。20、30代の頃は居候して、いつも一緒に仕事をしていた。「ワセダ中退・落第」コンビ名で漫才をし、全く受けなかったのは笑い話だが、彼は作詞家として売れても、人のやらないことをやってやろうと考えていた。普段は温厚で物静かだが、酒が入ると面白く大胆になる。世間の印象は後者だろうか。互いの病気もあって長く会っておらず、昔話がしたかった。

俳優・吉永小百合さんの話

 ご回復を待っていましたのにかなわず、残念です。野坂さんの飛び抜けた行動力と非戦への思いを、今しっかりと受け止めたいです。

長く交遊があった直木賞作家の長部日出雄さんの話

 黒眼鏡できまじめさを隠し、不幸だった人を語り伝える小説を書いた。「火垂るの墓」ほど銃後の不幸を描いた小説はない。日本の文学史に語り継がれる作品であり、野坂さんは戦後を代表する作家になった。広い分野で活躍されたが、私にとっては信頼できる小説家でした。ご本人は亡くなっても多くの作品が、日本人のなかに生き続けると思う。

作家、瀬戸内寂聴さんの話

 作家として非常にすばらしい才能があった人で、本当に惜しい方を亡くした。最近は体が弱ってきて書くことも大変だった様子。最近、雑誌上での私との往復書簡では、政府の動きを受け「日本が非常に怖いことになっている。心配してても病気で体力が無いと何もできない」などと書いていた。どんどん私より若い人が亡くなり本当にさみしい。

 

沈黙の奥のやさしさに 寂聴さん、野坂昭如さんを悼む

 

  野坂さん、あなたが亡くなったと朝から電話がひっきりなしに入り、新聞社という新聞社から、あなたの逝去を知らせてきました。野坂さんの生前の思い出はどうかという質問と、追悼文を書けという話ばかりでした。すべての電話に同じことを答え、しまいには自分が機械になったような気がしました。ようやく電話が来なくなった時は、一四時半になっていました。

  今日わかったのですが、あなたは八十五歳にもなっていたのですね。全くのおじいさんじゃありませんか。世の中では長命な方といわれましょう。野坂さんの随筆で、長命など望んだことがないとあったのを覚えています。私も全く望みませんでした。それなのにいつの間にか九十三歳にもなっています。昨年大病したのに、死に損なってまだ生きています。でも長生きしている自分をめでたいとか、幸せとか喜んだことは一度もありません。野坂さん、あなたもそうでしたね。

 たまたま、久しぶりで何気なく書棚からひっぱり出してあなたの「シャボン玉 日本」という本を読み返していたところだったのです。表紙に、黒めがねの、つやつやした肌のハンサムなあなたが大きく写っています。アラーキーのその写真は、何時のものかわかりませんが、御病気後のものでしょう。もしかしたら四年前、私がお宅へ伺った日のものかもしれません。

 あの日は、あなたからの初めてのお誘いで私が参上したのでした。タクシーの運転手が気が利かなくて、あなたのお宅のまわりで三十分も迷いました。とても寒い日でした。あなたがオーバーも着ず、玄関の外に出てずっと待っていて下さったのに驚きました。何てやさしい方なのだろうと思いました。三時間余り居た間、あなたは一言も喋(しゃべ)らず私一人が喋り通して疲れきりました。脳梗塞で倒れられて、ずっと療養中のあなたは、文は書かれるけれど、会話はまだ御不自由なのでしょうね。その日、困った編集者が、最後に、

「瀬戸内さんをどう思われますか?」

 と訊(き)いてくれた時、ゆっくりと、しかしはっきりと「や、さ、し、い」と答えて下さいましたね。どんなたくさんの対談よりも、その一言を何よりの慰めとして帰ったのでした。

 それから、たちまち四年が過ぎ、今度も突然、野坂さんから雑誌に往復書簡をのせようと話があり、私から先に書くことになりました。お返事は雄弁で、私のことを、いつでも体当たりで生きているのがいいと書いて下さいましたね。「シャボン玉 日本」を今、読めと、あなたがさし出してくれたような気がします。

 この中には、今の日本は戦前の空気そのままに帰ってゆく気配がすると、政治の不安さを強く弾劾していますね。今、この本を若い人たちに読んでほしいと、私に告げて、あなたはあちらへ旅だたれたのですね。長い間お疲れさまでした。私も早く呼んで下さい。私も何やらこの日本はうすら寒い気がしてなりません。

 

○「火垂るの墓」ゆかりの神戸、震災時に支援物資 同級生「もう一度飲みたかった…」

 

   「焼け跡闇市派」として戦争を見つめた視線は、幼少期を過ごした兵庫を襲った未曾有の災害にも向けられた。9日、85歳で死去した直木賞作家、野坂昭如さん。小説「火垂(ほた)るの墓」に神戸の風景を登場させて平和を語る一方、平成7年の阪神大震災では、舞台となった場所に支援物資を届けていた。

 自身の空襲体験を基に、空襲で両親を失い孤児となった幼い兄と妹を哀切に描き、アニメ映画も評判を呼んだ「火垂るの墓」。作中、空襲で焼け残った姿が登場する御影公会堂(神戸市東灘区)で食堂に勤める鈴木真紀子さん(52)は、阪神大震災後に訪れた野坂さんの姿が忘れられない。公会堂は大きな被害を受けなかったが、薬などを支援してくれたという。

 「風邪薬などの支援物資を届けてくれたことは、今でも感謝している」

 野坂さんが脳梗塞(のうこうそく)で倒れる十数年前まで、年に数回程度来店していたのを覚えており、「またお目にかかり、ゆっくりお話ししたかった」と目を伏せた。

 野坂さんは震災当時に神戸を訪れたことを7年2月の産経新聞紙上で書いた。

 《御影公会堂は、さほどでもなかったが、かなりの異臭が避難所にたちこめている。終戦後、駅構内に、人間が生きている以上、いかんともしがたく発する臭い、排泄(はいせつ)物も含め、染みついて、二、三年は残っていた。臭(にお)いの記憶は、強烈に刻まれるらしく、たちまち五十年前に立ち戻り、少し大袈裟(おおげさ)だが言葉を失った。

 昭和20年の神戸大空襲と震災を比べ、《地震による破壊は比較にならぬほど、無惨(むざん)である》とも書いた。

 野坂さんゆかりの兵庫では、突然の悲報に驚きと悲しみが広がった。

 火垂るの墓に登場する同市や兵庫県西宮市の戦跡を巡る「火垂るの墓を歩く会」。毎夏の計17回開いてきた同県尼崎市の公務員、辻川敦さん(55)は「戦争を伝える良い作品を残していただいた。できる限り活動を続け、野坂さんの思いを伝えたい」と話した。

 西宮回生病院(西宮市)も作品に登場する。現存建物は老朽化のため一部解体されるが、井上馨院長(59)は「新病院になっても野坂さんの平和への思いを引き継ぎたい」。

 神戸市の旧制中学で同級生だった洋画家、吉見敏治さん(84)=同市長田区=は「級長を務めて成績も優秀だった。約20年前にテレビの対談企画で再会する予定が、酒の飲み過ぎで体調を悪くしたようで会えず、空襲後は結局会えずじまい。戦争を生き抜いた同級生みんなで、もう一度飲みたかった」と語った。

 

戦争の本質を伝え続け 野坂昭如さん死去

 

   野坂昭如さんにとって戦争体験は、半世紀を超える創作・言論活動の原点だった。1945年6月、幼少時から住んでいた神戸の大空襲で養父が焼死し、養母が重体に。幼い妹を連れて、火炎に包まれた町から逃げ延びたものの、敗戦後1週間で妹を餓死させた。

 この痛切な体験を、直木賞を受賞した「火垂るの墓」や長編の傑作「一九四五・夏・神戸」に描いている。幼い妹を死なせながら、なお、飢えをしのいで自分は生き延びようとする。「人間がいかに愚かで、いったん事あれば、ガラリと変わり、人間が人間でなくなってしまう。そんな生きものであるということを身をもって知った」。昨年出したエッセー集「シャボン玉 日本」に書いたこの思いは、野坂文学を貫く不動の立脚点だった。

 エッセーやテレビ出演など多彩な活動を通じて、戦争の本質を語り続けた。戦後の日本を振り返り「すべては砂上の楼閣」と言い放った言葉は、戦争体験を忘れつつある日本人への忘れがたいメッセージである。

 

シャボン玉 日本 迷走の過ち、再び 単行本

アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)

小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 戦争童話集~忘れてはイケナイ物語り~ 単行本

騒動師たち―野坂昭如ルネサンス〈4〉 (岩波現代文庫) 文庫

野坂昭如リターンズ〈4〉一九四五・夏・神戸、東京十二契 単行本

幻の名盤解放歌集 絶唱!野坂昭如 マリリン・モンロー・ノー・リターン 野坂昭如 (アーティスト) 形式: CD

 

 「♪ジンジンジンジン血がジンジン‥」「♪バイバイベイビー‥」「♪男と女の間には~」「♪この世はもうじきお終いさ‥マリリンモンローノーリターン~」…。十代末頃、僕は野坂昭如さんのアルバムレコードを買って来て、毎日聴いて、野坂昭如さんの歌をイロイロ憶えた。初めて野坂昭如の歌を聞いたのはTV番組の中で、僕はまだ高三だった。その後、会社の歓送迎会とか忘年会の酒席で、僕は酔いに任せてよく、野坂昭如の卑猥な歌詞の歌を、威勢良く歌った。よく歌ってウケていたのは、「♪ぼんぼの唄」だった。野坂さんの歌で好きだったのはやっぱり、「♪マリリンモンローノーリターン」だったかな。まだ、カラオケが普及する前の時代、僕はよく酒場で、無伴奏手拍子やクラブのピアノ演奏だけで、「黒の舟歌」を歌った。「黒の舟歌」も僕の好きな歌で、加藤登紀子さんのカバー版も好きだった。

 ♪マリリンモンローノーリターンの曲は「♪この世はもうじきお終いさ‥」で始まるが、あの当時、僕は野坂昭如の説く終末思想にかなり影響されていた。18歳になってたと思うが、調度その頃、大江健三郎のエッセイ集を読んで、その中で、大江健三郎さんの友人の話が書いてあって、この、件の友人が、核戦争に寄る終末ノイローゼで、日々、いつ核爆弾が頭上から降って来るかと怯えながら生きている、ということだった。実際、“ダモクレスの剣”みたいなイメージの症状かな。大江さんのエッセイには、随所に核と人類滅亡のことが強調して書かれていた。と思う。野坂昭如さんは、僕が高三の終わり頃か、もうちょっとその後だったか、その頃、「終末から」という定期刊行雑誌も出していて、責任編集に就いていた。僕が高二高三時代に読んだ、野坂昭如さんの小説にも、短編長編、“死”を扱った作品が多かった。

※(後で調べたんだけど、「終末から」という雑誌は、1973年に筑摩書房から創刊された隔月刊雑誌で、あんまり流行らず、僅か9号で廃刊になったらしい。75年にはなくなったらしいですね。それと、野坂昭如責任編集は僕の記憶違いで、野坂昭如さんは主要な執筆陣の一人だったようですね。僕は創刊頃に二冊くらい買っただけですね。読んでるだろうけど、あんまり面白くなかったのか、続けて購読はしてませんね。)

 十代末から20代の前半、23、4歳頃までの僕は、終末思想に取り憑かれていた。「どうせ先では核戦争で人間はみんな滅ぶんじゃないか」。本気でそう思い込んでいた。それが5年先か10年先か20年先になるか解らないが、きっと世界的な核戦争が起こって人間は滅亡する、とそう信じていた。また、20代前半には、PK・ディックのSFも読んでるし。ディックさんのSFには、世界的な核戦争が起きた後、荒廃してしまった地球上が舞台のお話も多い。だから、僕は一方で、どうせ人間は先で滅ぶ、今の文明も跡形も無くなる、と思い込んでて、虚無的な思いに支配されてた。でも、ニヒリズムだけじゃ生きて行けないから、勿論、それなりに希望も抱いて生きていたけど、心の奥には「どうせ人類は滅ぶ」みたいな、諦念的な虚無感が横たわっていたように思う。

 20代も半ば頃になると、僕も終末思想からは解放されてたけどね。18歳頃から取り憑かれた終末思想だったけど、いつまで経っても核戦争は起こりそうにもないし、実際、毎日ニュース聞いてても、キューバ危機みたいな時局も来なかったし、何かその内、気分も緩くなって“終末”も忘れて来て、どうでも良くなって、終末感はなくなって来た。だから、僕も20代後半はあんまり、「人類滅亡」とか考えなくなってたよね。でも何となく、虚無的な感じは持ち続けてたかな。

 実際、冷戦時代は、アメリカを代表とする西側とソビエトを代表とする東側、合わせて何万発という核爆弾が地球上に存在した。勿論、当時よりも数はぐんと減ったろうが、今現在も核爆弾は、地球の生物を何回も絶滅できるほどの核が、地球上にある訳だけど。冷戦時代、そりゃあ、両サイドとも核の管理は厳重だったろうが、何かの拍子にICBMで仮想敵圏の都市に向けて、核爆弾を撃たないとも限らない。すると、やられた側はやり返す。全面全滅戦争だ。アメリカとソビエトでICBM何発も応酬すれば、NATOともワルシャワ条約機構とも関係しない国々も、やがて地球全上空を回る放射能で壊滅的打撃を受け、その後、地球上のほとんどの生物は死滅するだろう。若い頃、僕はこれはね、けっこう信じてたんですよね。両サイドが明らかな戦術核として数を競って保有してても、何かの間違いでつい、一発撃ってしまった、ということだって起こりうるだろう‥、って。そこから報復の核の応酬が起きて、やがて人類は滅亡する、と。だから、当時の僕は「どうせ人類は滅ぶ」、みたいに漠然と思ってた。

 僕が高校を卒業して社会に出た70年代って、野坂昭如さんやメディアを代表する当時の知識人で、「終末論」を語る人ってけっこう多かったし、小松左京の「日本沈没」は大ベストセラーになったし、同じく小松左京の「復活の日」も小説も売れたけど、映像化された角川映画もヒットした。73年には「ノストラダムスの大予言」が刊行されて、これも大ベストセラー本になった。「ノストラダムスの大予言」は、けっこう長くブームでしたよね。僕自身はこの本には特に影響されなかったけど。あの時代は何か、流行みたいに「終末思想」の雰囲気が漂ってましたよね。

 高二の春に転向して来たクラスメイトが貸してくれた、松本清張と五木寛之の文庫本がきっかけで、僕は当時の流行小説の虜になった。16、17、18歳の高校三年間、僕は毎夜、当時の流行小説を読み耽って過ごした(高一の一年間は本読まなかったから、実質、高二高三の二年間)。松本清張、五木寛之、遠藤周作、井上ひさし、野坂昭如‥。柴田錬三郎なんかも読んでたな。あと、純文学分野になるけど、庄司薫や柴田翔とか。吉行淳之介もけっこう読んだな。読んでいたのはほとんど当時の流行小説で、こういう本は学校の図書館には置いてないから、当時は学校の昼食を抜いて、昼飯代を貯めて本屋で買って来て夜中に読んでた。市立図書館に行けば当時の流行小説だってあったんだろうが、馬鹿な高校生だった僕は気が付かなかったのか、公共の市立図書館利用の選択肢は、当時はなかったな。

 松本清張、五木寛之から、次に僕が熱中した作家が野坂昭如だった。16歳で読書を覚えてから、10代末まで僕が一番影響を受けた作家が、野坂昭如だった。作家というより、一番影響を受けた人間かも知れない。松本清張の社会派推理小説はメチャ面白く、五木寛之の小説はカッコ良くて憧れ、野坂昭如にはもっと深いところで影響を受けた。野坂さんの小説は面白くて笑えるのだが、もっとブラックで毒があり、虚飾を剥いだ人間の滑稽さや物悲しさがあった。笑える情けなさ。泣き笑いしてしまうような情けなさ、滑稽さ。野坂さんの書く小説は「深い」と思った。少なくとも、カッコ良くって憧れた五木寛之の小説よりも深いな、と感じた。勿論、早い内から「アメリカひじき・ホタルの墓」も読んだし、「騒動師たち」や「とむらい師たち」は笑えて面白く、後から毒に気付く。僕は五木寛之の数多くの短編作品も大好きだったが、野坂昭如の短編も好きで面白く、短編集もいっぱい読んだ。「骨餓身峠死人葛」「受胎旅行」「死の器」などなどの短編集。この当時読んだ記事で、野坂昭如さんの作品が英語翻訳されてアメリカで刊行されるということで、アメリカでは「サルトルに迫る‥」というキャッチーで発売される、という話だった。野坂文学には、題材に死や性を扱ったり、人間の虚飾を剥ぎ取って、生身の人間そのものを見せる作風の小説が多かった。人間の滑稽さ、愚かさ、情けなさ、悲しさ。

 頭の悪い少年だった僕だが、当時は、僕は文学的には、五木寛之の作品よりも、野坂文学の方を上位に見ていたように思う。当時は、五木寛之のエッセイ集なんかもいっぱい読みましたけどね。五木寛之と野坂昭如の対談本とか、シビレル感じで読んでた。当時は両流行作家とも大ファンだったから。

  四畳半襖の下張り掲載に寄る猥褻事案裁判、圧倒的強さを誇る元総理地元新潟3区での田中角栄対敵立候補と、野坂昭如さんは一貫して、強大な権力と戦う姿勢で居た人でした。反権力の人で、バンカラな面とユーモラスで紳士然とした面を併せ持ち、テレ屋で偽悪の人だが、内に秘める正義感の強い人だった。大酒呑みだが、ラグビーやキックボクシングのようなハードなスポーツを頑張る姿も、カッコ良かった。

 野坂昭如さんの小説も面白かったが、僕は、当時、中央公論社から発刊されてたハードカバーのエッセイ集本に魅せられていて、確か全6巻で、「日本土人の思想」「風狂の思想」「卑怯者の思想」などと全部、「‥の思想」というタイトルが着いていた。この思想シリーズの野坂昭如さんのエッセイ集は当時大好きで、大袈裟な言い方かも知れないが、言わばバイブルみたいに当時は、僕のフェバリットな本だった。「騒動師たち」や「とむらい師たち」などの長編、「死の器」などの短編集など野坂昭如の小説群にも影響を受けたが、野坂昭如のエッセイ集にはもっと影響を受けたように思う(このエッセイ集本に関しては当時は印象に残るところを何度も読み返してるんじゃないかな。何十年も昔のことでよくは憶えてないけど)。

 でも、僕が野坂昭如さんの著作物を読んでいたのって、17歳から19歳の終わり頃か、多分、20歳になったばかりの頃までだと思う。自分自身では、野坂昭如的な考え方や思想から卒業した感じだったのかな。僕は基本、一度読んだ本は再読はして来なかったので、野坂昭如さんの著作も、ハイティーンの頃、かなりいっぱい読んでるけど、一冊も再読してないので、野坂昭如さんの作品も今となっては、小説もエッセイ集も内容はほとんど憶えてない。まあ、漠然とだいたいの感じは覚えてはいるけど、小説はストーリーさえ忘れきってる作品も多い。タイトルだけ思い出したが、「真夜中のマリア」なんて、どんな話だったかもすっかり忘れてる。確かに読んではいるんだけど。また、野坂昭如の処女作「エロ事師たち」は、十代末、文庫本で買って来てるけど、途中まで読んで本が何処か行って、そのまま完読はしていない。僕が野坂昭如に熱中していたのは、だいたい20歳頃までだ。20歳を過ぎて、何か、熱が冷めちゃったな。

 野坂昭如さんは1974年7月、参議院選挙に立候補して落選したが、僕はこの時、この選挙運動中の野坂さんが、7月のある日、渋谷の駅前で、選挙カーの屋根に立って立候補演説をしているのを偶然見掛けて、生の野坂昭如を初めて見ることができて感激したのを、今でもはっきりと記憶している。独身寮の友人何人かと、東京の繁華街をウロウロ散策しているところだった僕は、街中の雑踏で、超“憧れの人”野坂昭如を発見し、もっと見ていたかったし話も聴いていたかったのだが、一緒に歩いていた連れの友達たちが誰一人、興味も関心も示さなくてみんな素通りして行くので、僕は仲間に合わせて仕様が無く、友達に着いて渋谷駅前を立ち去った。あの当時の僕の周りで本を読んでる人間ったら、勤務場所の上司のSさん一人くらいのもんだったし。僕もその時、仲間を離れて別行動取れば良かったけど、僕の性格から友達に気を遣い、仲間に着いて行った。こういうトコ、僕は弱いんだよね。

 20歳を過ぎた僕は、野坂昭如に対しての関心もかなり薄くなり、20歳からは五木寛之も野坂昭如も読まなくなった。それから、熱中していた頃の小説もエッセイも再読していない。20代前半はSFに嵌まっていて、小松左京や筒井康隆や他の、当時の日本の若手SF作家の小説ばかりを読んでいた。20代後半は都筑道夫などのミステリ小説を読んでたな。引き続きSFも読んでたけど。再読といえば、30歳になって東京から帰郷して来て、自宅に残ってた高校生の頃読んだ五木寛之の短編集が懐かしく、その時だけ、二、三冊、五木寛之を読み返した。後はどんな小説もほとんど再読はしていない。野坂さんの本も読み返した本はないな。

 それから、10代末から20代前半、取り憑かれて陥ってた、大国間の核爆弾の撃ち合いの最終戦争に寄る、全地球規模被害からの人類滅亡イメージ、だけど、思わぬところでこれが晴れることとなった。僕の20代後半になっても、現実的には核戦争の恐怖が去ってしまっていた訳でもないのだが、僕自身、歳を取るごとに“核”に対してのイメージは鈍感になっていた。20代後半には僕も、もうそんなことは普通に気にしなくなっていた。そんなとき、アメリカからニュースが飛び込んで来た。1983年、当時のアメリカ大統領、ロナルド・レーガンの提唱した「スターウォーズ計画」だ。僕はこのニュースを聞いて感激して涙した。地球は救われるんだ、と。

 スターウォーズ計画とは、地球上空軌道上の宇宙空間に浮かぶ、軍事衛星から、敵国から発射された大陸間弾道弾をレーザー照射で撃ち落とす、という、成層圏以上の上空・宇宙空間での軍事攻撃による、対ミサイル兵器防御システムだ。当時、僕は嬉々として喜んだ。 大国どおし、お互いに核爆弾ICBMを撃っても宇宙空間で爆破することができ、地上での被害は受けなくて済む。放射能も宇宙空間に飛散するから、地上にはたいして害はない筈だ。僕はそう考え、これで人類は核戦争に寄って滅ばずに済む、とそう思って、本気で芯から喜んだ。僕がもっと若かった頃、まるで病気に掛かっていたように陥ってた、いわば、核ノイローゼ症状から僕は、全面的に解放された。

 この感激の喜びを誰かに伝えたいと僕は、その当時仲良しだったOSさんと、OSさんの住まいのアパートの近くのスナックで、お互いしこたま飲みながら、このスターウォーズ計画に寄る核戦争の回避に着いて熱く語った。回避というか、敵同士お互い撃ち合っても、宇宙空間迎撃でお互いの核攻撃が無効になる、という話だが。僕が酔いに任せて、熱くこの感動を語ると、OSさんと日大の先輩になるというスナックの中年マスターは、二人して、真っ向から僕の喜びを否定して、馬鹿みたいにだだっ広い宇宙空間でもの凄い高速で飛ぶ大陸間弾道弾を、軌道上宇宙空間に浮かぶ軍事衛星のレーザー照射で、ピンポイント撃墜なんてできるもんか、という反論だった。言われてみればそうカモな、とも思うけど、この時は僕も自分の信じる、信じたいスターウォーズ計画を肯定して主張し続け、二対一でけんけんがくがく論争してた。他に客の居ない店内で、マスター以外にもう一人居る、雇われママらしい熟年オバサンが僕らに向かって、「あんたたちは飲み過ぎで酔っ払ってるね‥」とかって呆れてた。これもよく憶えてる懐かしい、昔の一場面だな。

 僕が小学生・中学生時代に影響を受けた漫画家やTVタレント、映画俳優、お笑いの人などの有名人たちは、悲しいかな、もうほとんどの人が現世を退場してしまった。僕は中学生時代まで漫画漬け生活で、本はほとんど読まなかったが、高二から熱中し始めた流行小説の世界では、影響を受けた遠藤周作氏はもう早くに亡くなってるし、ついに野坂昭如先生までも他界された。野坂昭如さん85歳。思えば僕も歳を喰ったものだと思う。自分が少年時代、青春時代に慣れ親しんだり熱中したり影響を受けたりしたものの、作り手、送り手の人々がもうあらかたこの世を去ったという事実を考えると、ただ寂しいばかりだ。何て言うか、空虚感。そんなものか、っていう感じかな。あっけないような。人は必ず死に行く。寂しいものだ。 

 

 

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妖怪の王様・水木しげる先生、逝く

2015年12月02日 | ブックログ

○水木しげるさん死去:悼む声、各界から

 

  ◇同志であり戦友 敗戦後、中国からの引き揚げで苦労した漫画家のちばてつやさんの話

水木さんとは、年はひとまわり以上違うものの、70年以上前、同じように戦争で死線をさまよい合った。その後の漫画週刊誌の黎明(れいめい)期から今日まで、共に締め切りと闘ってきた「同志」であり「戦友」であり、我々漫画家たちの優しい「お兄さん」でした。訃報を聞き、今は言葉にできないほど悲しくて、寂しいの一言です。

 ◇戦争悲しく描写 哲学者で国際日本文化研究センター顧問の梅原猛さんの話

一度対談しただけだったが、印象的だったのは「自分の漫画は梅原さんが研究した神話からこぼれ落ちた妖怪たちを描いたもの」と言っていたこと。戦場では、辛うじて生き残ったと聞いた。戦争をあのように描いた悲しい漫画はない。戦後を代表する芸術家だった。

 ◇気取らず純粋な人 初代鬼太郎役の声優、野沢雅子さんの話

テレビアニメのシリーズで、初めて主役を務めたのが「ゲゲゲの鬼太郎」でした。声優としてここまでやってこられたのも鬼太郎との出会いがあったからこそ。先生は気取らず、生まれっぱなしのような純粋な人でした。いろんなところに行くのが好きでしたから、今もきっと旅に出られたんだろうなと思っています。そちらでも旅をしながら作品を書いてくださいね。

 ◇不条理をユーモアに 吉村和真・京都精華大副学長(思想史・マンガ研究)の話

 戦争の実体験を基に、余人に代え難い作品を残した。救いのない戦争や、人間とは異質の妖怪の描写が際立っているが、不条理を「そんなものだ」と引き受けたうえで、明るいユーモアがある。そこには当たり前の日常の幸せを実感させる大きな思想があり、戦後を生きる人にとって救いになった。

 ◇偉大な指標失った 小説家で、妖怪研究家としても知られる京極夏彦さんの話

 唯一無二の偉大な指標を失い、言葉もありません。水木しげる大先生(おおせんせい)の遺志を継ぎ、弟子筋一同「妖怪」推進に励むことを誓うとしか、今は申し上げられません。ご冥福をお祈りいたします。

 ◇雰囲気憧れでした NHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で、水木さんをモデルにした漫画家役を演じた俳優の向井理さんの話

 初めてお会いしたのは撮影の数日前でした。作品の中では、私はしげるさんの背中を追いかけるのが精いっぱいでしたが、多くのものを感じ、影響を受けました。もうあの時のようにお会いすることができないという現実を受け止めるのには時間がかかりそうですが、どこかで見守っていただければうれしい限りです。「女房」である布枝さんにもお会いできたのは私の財産です。お二人の醸し出す雰囲気が大好きでした。憧れでした。

 ◇天国で漫画描いて欲しい 同テレビ小説でヒロインを演じた女優の松下奈緒さんの話

 突然の訃報に深い悲しみでいっぱいです。撮影が始まる前に、初めて水木先生と奥様にお会いさせていただきました。本当になんてすてきなご夫婦なんだろうと思ったことを今でも覚えています。天国でも大好きな漫画を描き続けていただきたいです。ご冥福をお祈り致します。

 

○家族も僕もファンもみんな水木作品 京極夏彦さん追悼文

 

  ■水木しげるさんを悼む 小説家・京極夏彦

 いつも、必ずどこかにいる。いちいち確認しなくても、ずっといる。いることがわかっているから、安心できる。僕にとって水木しげるさんは、そういう人でした。僕が生(うま)れた時、もう水木漫画はありました。その後ずっとあって、今もある。物心つく前から水木作品にふれて、水木作品と共に育ち、水木作品と共に老いて、今の僕はあります。

 九十三歳、画業は六十年以上。その長きに亘(わた)り、常に第一線に立ってひたすら娯楽を生み出し続けてきた水木さんの功績は、いまさらくり返すまでもないでしょう。それは僕たちの血となり肉となり、そして日本文化の一側面を築き上げたといっても過言ではありません。日本文化の持つ創造性や特異性を「妖怪」という形で結実させ、再発見させてくれたのは、誰あらん水木さんその人でした。

 水木さんには左腕がありませんでした。戦争という抗(あらが)いがたい魔物が水木さんに消えない傷を刻みつけたのです。その残酷な目に見える現実世界と、妖怪という目に見えない精神世界との間を自在に往還し、水木さんは「生きることは愉(たの)しいし、生きているというだけで喜ばしいのだから、もっと喜べ」と、作品を通じ、また身をもって教えてくれました。

 一介の熱心なファンだった僕は、そのうちひょんなことから水木さんと知り合う機会に恵まれ、やがて一緒にお仕事をさせていただくことになりました。ご一緒する機会も多かったのですが、同じ場所にいるだけで「意味もなく幸せな気分になれる人」というのは、そういるものではありません。水木さんはそういう人でした。

 

○水木しげる漫画があったから、この世界に「自分がいてもいいかもしれない」と思えた

 

   水木しげるさんが亡くなった。たくさん「死」や「死後のこと」について描かれた方なので、「ご冥福をお祈りします」でいいのか、ちょっと分からない。とにかく、「ありがとうございました」という気持ちだ。

かなり色々なものを、こんなにたくさん作って残した。未来の人にも読まていくだろう。

人間が死んでも、その人が作ったものが残ってくれて、本当にありがたい。残ってくれなかったら本当にやばい。歴史を変えた発明とか法律だけじゃなくて、漫画だってそうだ。水木漫画なんて、とくに僕はそう思う。

水木しげるは手塚治虫みたいな「漫画のスーパーエリート」って印象が薄い。戦争や貧乏で苦労しまくったイメージが強くて、絵も独特だから、なんとなく「王道じゃなくてもいいんだ」という勇気がもらえる感じがある。「本当はどうか」は別にして。

鬼太郎も悪魔くんも、スーパーヒーローって感じじゃない。薄汚れてたり、お小遣いも少ない(たぶん)。いじめられたり弱さを持った悪魔くんの仲間たちが集まる「見えない学校」も、フリースクールみたいな雰囲気を僕は感じてた。なんかそういう「僕だって!」感が良い。

そんな水木漫画のおかげで「変わった漫画」を作る道に進んだ人も多いと思う。たとえば、勧善懲悪も感動スポーツも、刺激的恋愛とかもないような漫画。そういう漫画を描く人にとっては、「世の中に多様性があって、変わった場所からでもうまくいった先生がいる」って、本当に心強い。

もちろん「鬼太郎みたいな大ヒット作品が作れる可能性が自分にも!」ってことじゃない。「変なもの」って、その存在を認めてもらえないと、ただ作ってるだけでも心が削れる。だから水木漫画みたいなのはすごく心強くて、「自分がいてもいいかもしれない」「自分の好きなものを好きなままで大丈夫だ」って思える。僕も、心の支柱のうち一本は水木漫画だ。

兵庫県の神戸市に、水木通りっていう場所があって、水木しげるの「水木」の由来だ。僕は25ぐらいの頃、その通りのアパート1つ裏、中道通りっていうところに住んでた。彼がここに住んでいたのも僕と同じ頃だった。

だから自然と、頻繁に水木しげるの人生を思い浮かべたりしていた。彼は戦争で腕を失って日本に戻って、画家を諦めたり、紙芝居や貸本で食べられなくなって漫画に至った。ままならないことばかりだけど無鉄砲なわけでもないし、彼の人生はとても参考になった。

「マイペース」という彼の有名なイメージについてもよく考えてた。

 彼のマイペースは、「頑固」「執念」、強く自分を持って「嫌なものは嫌だ」と突っぱねる精神と一式な気がする。僕も自分でいるために、「自分らしくないもの」を避けたり、「自分を脅かすもの」から逃げたりするのは大事だなと思う。そう思うことは、今でも多い。

思うことはたくさんあるけど、とにかくまず第一に、今は「ありがとうございました、これからも作品にお世話になると思います」という気持ちだ。

水木作品は、いろんな出版社から様々なまとめ方をされてて僕は混乱することもあるけど、もし自伝的なものなら『完全版 水木しげる伝』が僕のおすすめだ。講談社から文庫で出ていて、ほどよい長さで、入手もしやすいと思う。

 

○【追悼】妖怪の世界を描き続けた「水木しげる」さんの魅力について / “水木力” あふれる名言3選

 

  突然の訃報に日本全国民が言葉を失った……2015年11月30日、心不全のため漫画家・水木しげるさんが亡くなったのだ。93歳という高齢であったが、いつまでも生き続けてくださることを信じて疑わなかったのは記者だけではなかろう。

この世ならざるモノに大きな関心を寄せ、次々とカタチにしてきた水木さん。きっと今頃、あちらの世界でも「フハッ!!」と鼻息荒く、興味津々で楽しんでいらっしゃるに違いない。残された私たちにできることは、そんな水木さんの思いをつないでいくこと。水木さんの魅力を振り返ってみよう。

・最高傑作は “水木しげる” さんご本人

生涯現役を貫いた漫画家・水木しげるさん。『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』など、数々の名作を世に出してきたことは誰もが知るところ。亡くなる半年ほど前の2015年5月まで、ビッグコミックで『わたしの日々』を連載していた。 

曲がりなりにも “妖怪文化研究家” を名乗っている記者は、直接言葉を交わしたことはないが何度かそのお姿を拝見し、お話を拝聴したことがある。そのたびに話の内容はもちろん、水木さんそのものからあふれ出す魅力がハンパないと感じた。

あんな93歳はほかにいない。作品はもちろん、何よりも “水木しげる” さんご本人が一番の傑作だと断言できるほどだ。水木さんが幸せになるための知恵を説いた『幸せになるための七カ条』は有名だが、それ以外にも数々の名言を残しているので紹介したい。

・ “水木力” が感じられる言葉3選

その1:餓死です、そういう連中を待ってるのは。私はそういうヤツには「死にたければやれ」と言うんです。「死んでもいいです」と言ったところから、出発するんです

軽い気持ちでマンガ家を志望する人について聞かれた時の水木さんの言葉だ。戦争を含め、数々の難局を乗り越えて来たからこそ言えるセリフ。ひょうひょうとした様が印象深い水木さんだが、その実、かなりガッツのある方でもあった。私たちも、少々のことで文句を言ったり投げ出したりしてはいけないと、気を引き締めさせられる一言だ。

その2:戦記物をかくと、わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。たぶん戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う

戦争を体験し、戦場で左腕をなくし、激動の時代を “絵を描き続ける” ことで生き抜いた水木さん。あまり積極的に戦争体験を話すことはなかったようだが、私たちが想像し得ないほどの苦しい状況を、かいくぐって生きてきたことは確か。心の内に秘めた思いが垣間見える貴重な一言。

その3:人生はあんた、面白くなりかけたころに寿命がくるんです。秘密がわかりかけたころに。神様がわからないようにしてるんだ。

いつだったか、水木さんがテレビの取材で「人生は90歳からが面白い」というお話をされていたと記憶している。些細なことに囚われなくなるから、といった内容だったはずだが、93歳で亡くなったのも水木さんが人生を楽しみ始めていたからか。そうであったらイイなと思う一言だ。

以上、名言を3つ紹介したが、ここでは語りつくせないほど数々の偉業を成し遂げていることは周知の通り。とにかくユニークでお茶目で、とても賢い人だった。間接的にしか存じ上げない記者でも、人間力というか「水木力」が全身から放たれている、魅力的な人だということを知っている。

是非とも、一人でも多くの人に水木さんの作品を読んでもらいたい。そして水木さんの魅力に触れ、彼の遺したものを次の世代へつなげていってほしい。水木さんが、あの世で楽しんでいらっしゃることを願いながら。今までお疲れさまでした。そしてまた、そちらの世界でお会いできることを楽しみにしています。

 

 

 ああ、ついに水木しげる先生も逝ってしまわれた。世間では、水木しげる先生は妖怪の世界へと戻ったのだ、という声も大きいけど、やっぱり先生は現世を退場してしまって、もうこの世には居ない。寂しいですね。

 このブログでも他のブログでも何度も書いてるけど、僕の子供時代、僕に取っては紙の漫画が一番で、つまり印刷された紙面の漫画作品が、もうとにかく、まだこの世に生を受けて何年か、せいぜい十年くらいでも、とにかく紙に印刷された漫画がこの世で一番のもので、とにかく人生一番は漫画というか、絶対漫画という子供時代だった。その次がTV番組で、次が何だろう?家族か友達か。僕は、学校は小学一年から大嫌いだった。

 小学生で漫画が命、みたいな思いで生きてて、学校は嫌いだし、行きたくないけど母親に怒られるから仕様が無いから行ってただけで、担任教師に対しても、今から考えても、正直、そんな「恩師」ってほどの思いもない。全部の学校時代、忘れられない印象に残り続ける先生、とか、ごめんなさい、正直な話、一人も持ってはいない。勿論、いろんな先生、憶えてはいるけれど。学校では授業時間はいつでも、ずーっと、ボーッとして過ごしてた。落書きか窓の外を見てるか、空想・妄想に耽ってるか。だから学業成績もひどいものでした。

 そんな、漫画にどっぷり浸かった、身も心も漫画の子供時代、毎日毎日、熱中して読んでた漫画は、僕の第一番目の教科書でした。その次の教科書がTV番組。次が映画。次が家族と家に来るお客さんとか親父や母親の友達・知人、そして学校の友達。そこから、う~んと離れて教科書。いや、学校の教科書は面白くなかったなあ。宿題しないから、家で開くのも嫌だったし。

 だから、毎日毎日、夢中になって読んでる漫画作品を描いている、漫画家の先生こそ、小学生の僕に取っては学校の先生そのものだった。中学でも同じようなもの。水木しげる先生は、子供時代の僕が非常に良く親しんだ先生だ。勿論、水木先生にお会いしたことなぞ一度もないけど、水木先生は僕に取っての恩師の一人だ。

 いつ頃だったっけ、2000年頃だろうか(?)。水木先生がTV番組の「波乱万丈」に出演されて、もう80歳くらいにはなられていたのかな、それほどはTVを見ない生活をしていた僕が、何十年ぶりかで、いや、実際、動画で水木しげるを見たのは初めてだったのかも知れない、お歳を召されても元気な水木先生の姿をTVで見て、どういう訳か、つうーっと涙が頬を伝った。それまで、少年マガジンの写真でしか見たことない先生を、お顔を何十年ぶりかで見て、僕は泣いた。後から考えるに、あれは、それこそ何十年ぶりかで恩師に会った涙だったのだ、と思った。

 水木しげる先生は、子供時代の僕に、怪奇と幻想とか異世界とか、イマジネーションを膨らませるものを教えてくれたけど、同時に何か、別の価値も教えてくれたように思う。それは、“生物多様性”と似たような価値観だろうか。この世界にはどんな生き物も居て良いんだよ、というような。上級も下級もない、もっと、地球上の全部の生き物を宇宙空間から見て、何だ、みんな生きてて、しょせん一緒じゃないか、というような価値観だろうか。一仕事終えた鬼太郎を称えて「♪ゲゲゲのゲ」と歌う虫たちや、赤塚不二夫の漫画で土管で暮らす猫も虫も、みんな生きてて同じだよ、というような価値観だろうか。水木しげる先生が漫画を通して、作風の怪奇と幻想だけでなく、何か、別のことを教えてくれたように思う。

 かつて、中島梓さん(小説家としての栗本薫さん)が、私は子供時代、学校のどんな教科や教科書よりも、人生で大切なことを、手塚治虫の漫画で学んだ、と書いていらっしゃったが、それと同じだと思う。僕は無論、手塚治虫先生からたっぷりいろんな事々を学んだし、もう少し大きくなって、中学生くらいになってからは梶原一騎先生から学んだものもある。子供時代、他にも、藤子不二雄両先生にも赤塚不二夫先生にも、石森章太郎先生にも学んでいるけど。

 そうやって考えると、楳図かずお先生も桑田次郎先生も入って来るし、キリが無いな。中学生から高一くらいになると、真樹日佐夫先生も入って来る。忘れてた、大きな影響受けた白土三平先生。他にもいろいろな漫画家先生を思い出す。みんな恩師みたいなもんだ。あっ、さいとうたかを先生。「鉄人28号」「伊賀の影丸」の横山光輝先生もだな。

 僕に取っての一番の恩師は、やっぱり手塚治虫先生と水木しげる先生だろう。“漫画の神様”手塚治虫を自分の恩師などと呼ぶのは畏れ多いけど。白土三平先生も大きいか。でも親しみを持つのは、やっぱり水木しげる先生だな。

 僕が子供時代、少年時代、青年時代に影響を受けた、各先生方は、もうあらかた亡くなられてしまったような感じだ。寂しい。残られた先生方もご高齢だし。

 高校生時代に夢中になって読んだ、五木寛之先生と野坂昭如先生は、まだご存命だな。ご存命とかいう表現は何か縁起悪い言い方だけど、両先生ともお元気なんだろう。野坂昭如先生は闘病生活みたいな、けっこう大変な状態なんだろうけど。青年時代に影響受けた小松左京先生は亡くなられたし。青年時に熱中して読んだ筒井康隆先生はお元気だ。まあ、影響受けたなんてたいそうな言い方で書いてるけど、この僕が、何かそんなたいしたものを自分に身に着けた訳でもないけどね。でも、五木先生、野坂先生、小松先生、筒井先生には著作物を通して、小さなものならいっぱい影響受けてるように思う。野坂昭如先生には思想的な面で明らかに影響受けたな。

 水木しげる先生があの世に行っちゃったのは、けっこうショックが大きいなあ。やっぱり寂しいですよ。何か、一つポカンと穴が開いたような‥。

 

 

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「失楽園」渡辺淳一氏逝去

2014年05月07日 | ブックログ

○「失楽園」渡辺淳一さん 前立腺がんのため死去 80歳 

 

  1997年に映画化・ドラマ化もされた「失楽園」などで知られる直木賞作家の渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)さんが4月30日午後11時42分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。80歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻敏子(としこ)さん。

 1958年、札幌医科大学卒業。66年、同大医学部整形外科教室講師に。医業と並行して執筆を続け、同大学・和田寿郎教授による和田心臓移植事件を題材にした「小説・心臓移植」を発表し、大学を去った。

 70年、寺内正毅首相をモデルとしたとされる「光と影」で直木賞を受賞。本格的に作家活動を開始した。

 80年代からは「ひとひらの雪」「化身」などの恋愛小説を刊行。中年男女の不倫をテーマにした「失楽園」は大胆な性描写で話題となり、250万部を超える大ベストセラーになった。「失楽園」は流行語大賞に選ばれた。

 映画版は森田芳光監督の下、役所広司(58)黒木瞳(53)が主演。ドラマ版(日本テレビ系)は古谷一行(70)川島なお美(53)が激しい濡れ場を演じた。

 「阿寒に果つ」「遠き落日」「桜の樹の下で」「別れぬ理由」「愛の流刑地」など映像化された作品は多数。

 2007年発売のエッセー集「鈍感力」は、小泉純一郎元首相が引用し、流行語に。ベストセラーにもなった。

 2003年に紫綬褒章と菊池寛賞。直木賞や吉川英治文学賞などの選考委員を務めた。札幌市に渡辺淳一文学館がある。

 

○黒木瞳、コメント全文「一人泣いています」…渡辺淳一さん死去

 

   映画「失楽園」に出演した女優の黒木瞳が5日、作家の渡辺淳一さんの死去について談話を発表した。コメントの全文は以下の通り。

 私の愛する渡辺淳一先生。

 最後に一緒にいただいたワインは、シャトーマルゴーでしたね。その、粋なおもてなしに、キャーキャー騒いだのも、ついこの間です。80歳のお誕生パーティーでは抜け出せなくてごめんね、っていう洒落たメールを次の日にいただきましたね。あのときお体大変だったのに、最後まで紳士でいらした先生の、そのかっこよさに、男の美学を感じていました。

 今、訃報を知り、一人泣いています。先生に初めてお会いした時のことからのことを、思いだしています。28年前のことからです。渡辺先生は私にとって運命の人だったと言っても過言ではありません。語りつくせない思い出は私の今日の宿題です。

 ありがとうもさようならも、今は、まだ、言う整理がつかない、みたい、です、先生。

 5/5 黒木瞳

 

○川島なお美 渡辺氏から激励メール「君は大丈夫、何も心配してないよ」

 

   「失楽園」「愛の流刑地」など男女の愛を描いた小説で知られる直木賞作家の渡辺淳一氏が前立腺がんのため、4月30日に東京都内の自宅で亡くなったことが5日、明らかになった。80歳だった。渡辺氏の訃報を受け、同氏のベストセラー「失楽園」がドラマ化された際に出演した女優の川島なお美(53)が所属事務所を通じコメントを発表した。

 「失楽園」、「くれなゐ」に出演した川島は突然の訃報に「ショックで言葉が出て来ません」と衝撃の大きさをうかがわせた。3月下旬に、川島が1月に肝内胆管がんの手術を受けていたことが報じられた直後、渡辺氏から「君は大丈夫、何も心配してないよ」と励ましのメールが送られてきた。それが最後のやりとりとなってしまった。「思い出がたくさんあり、今は気持ちの整理がつきません」と悔やんだ。

 

愛の流刑地 [DVD]

失楽園 [DVD]

愛の流刑地〈下〉 (幻冬舎文庫) [文庫]

失楽園〈上〉 (角川文庫) [文庫]

阿寒に果つ (講談社文庫) [文庫]

 

 

 こうやってネットニュース記事をリンクコピペで挙げた訳だけど、実を言うと、僕は渡辺淳一さんの著作物を一冊も読んでいない。でも、TVのワイドショー番組などのコメンテーターでよく見掛けていたので、小説家・渡辺淳一はよく知っていた。週刊誌などのエッセイでもよく読んでたしね。でも、作品は僕の趣味では全然無いので、一冊も読んだことない。ただ、小泉純一郎元首相が推奨し、総理に最初になったときの何かと苦労している態の安倍晋三現(当時)首相に、案じてか、一読を薦めたという「鈍感力」は読んでみたいと思った本だった。これは小説でなくエッセイ評論本だけど。でも僕は、やはり、いまだ読んでないけど。

 渡辺淳一さんは、もともと医師出身で、精神科出身の小説家は居るけど、外科医出身の小説家は非常に珍しい、と何かで読んだ記憶があったので、関心は持ってた。あ、でも「チームバチスタの栄光」のシリーズがベストセラーで話題となった、作家・海堂尊さんは確か外科医だったな。渡辺淳一さんは、僕が講談社の総合週刊誌「週刊現代」を毎週読んでいた当時、本誌にエッセイを連載していて、ご自分のがん闘病記と「がん」に対する考察や対策などなどを書かれていた。当時の僕自身は、がんの兆候が全くなかったので読み飛ばしも多かったけど、昭和を代表する経済小説の雄、故・城山三郎さんについて語った回はエッセイ文を熱心に読んだ覚えがある。渡辺淳一さんの書くものは、そのドラマの主軸にどうしても男女の恋愛の、深い情愛が大きな柱として立つ文学だが、作者の渡辺淳一さん自身は、その言動やたたずまいが、「軟派」と取られがちな「恋愛」などを主題に置いたものを書く作家にしては、イメージと全然違って、一本筋の通った硬骨漢という印象を受けた。何事に対しても自分自身の考えをきっちりと持ち、気安くはそれを曲げない、きちんとしたちゃんとした文化人、という感じかな。

  渡辺淳一さんというと、ごくごくワタクシ事の何でもない事柄だが、若い頃働いていた企業で、東京築地の営業所から群馬大田の営業所に飛ばされたとき、その職場の道路挟んだ真ん前が薬局で、薬フェチの僕がしょっちゅう店に行くので、そこをやっている若夫婦両薬剤師と仲良くなり、奥さんと話してると、けっこう小説読むのが好きで、五木寛之と渡辺淳一を読んでいると言って、何か文学論みたいのを語っていたのを思い出す。まあ、ドーデモイイ僕の思い出の欠片ですが。何か懐かしい。

 僕は、少年時代から少女漫画が駄目で、だいたい物語は、小説でも映画でも全てと言っていいほど「恋愛」ものが駄目です。まあ、そこまでムキになるくらい恋愛ものが嫌いな訳じゃありませんが。何か「恋愛」ものは、面白くないという以上に、どうしてか避けてしまいますね。最初から避けたくなる。どうしてか自分でも理由がよく解らないんだけど。子供の頃は、貸本で借りて読んでた貸本誌の、「恋愛」や純情青春ものに特化した短編集誌、「青春」とか「17才」とかいうタイトルの漫画誌に収録された、少年少女や青年期のほのぼの純愛を描いた、ラブロマンス・ラブコメ漫画が大好きで、その手の貸本誌読んだ後は、まだチンチンの毛も生えないようなガキのくせに、何だかよく解らないけど純情ラブロマンス雰囲気に、ホンワカ・うっとり気分で、良い気分になってたのに、青年期になったあたりから、恋愛を描いた漫画が駄目になって来たように思う。大人になってからは、ラブコメとか、あんましドラマに起伏が無く安心して読んだり見たりできる、純愛方向のハッピーエンドのものだったら、どうってコトないし、けっこう面白がったりするんだけど。もう、泥沼ものとかグチャグチャしたのやおどろおどろしい、複雑な男女関係の恋愛ものは、絶対駄目ですね。拒絶反応起こすくらい。怒りや悲しみや憎しみ(辛い、苦しい、耐える、嫉妬、略奪…)が入る複雑な恋愛劇は、全く駄目です。受け付けません。受け付けないはオオゲサでも、趣味じゃない。全く趣味じゃない。

 渡辺淳一さんのベストセラー小説は、83年の「ひとひらの雪」や97年の「失楽園」、2006年の「愛の流刑地」など、映画化・ドラマ化されて大ヒット、その都度、話題になっていますが、上記のように僕自身は「恋愛」ものが苦手なので、小説も全く読んでないし、映画もドラマも見てません。でも、たった一度だけ、多分、十代末頃だろうと思うけど、渡辺淳一さんの小説が原作の映画を1本見てた。「阿寒に果つ」。後の中村雅俊さんの奥さんとなる五十嵐淳子、この当時は五十嵐じゅんさんが主演の映画。映画ラスト近くの、雪降りしきる阿寒湖のほとりに立つ、真っ白い美人の五十嵐じゅんさん、という情景を、このシーンだけを何故か覚えてますね。でも、物語のストーリーとかは全部忘れ去っています。登場人物も五十嵐じゅんさん以外覚えてません。当時の五十嵐じゅんさんは、可愛くて色白のコケティッシュな美人でしたね。当時は僕もその魅力に、多分、かなりやられてました。

 十代末頃の僕は、当時、五十嵐じゅん見たさだけで、この映画「阿寒に果つ」を見に、映画館まで行ったのかな、と想像してたんですが、調べてみると、この映画には併映作品があって、それが「アフリカの光」なんですね。本当は、僕はこの当時、「アフリカの光」を見に劇場まで足を運んで、その併映で、ついでに「阿寒に果つ」を見たんですね。そういうことでした。何しろ「アフリカの光」という映画は、ショーケンと桃井かおりと田中邦衛が主演で、高橋洋子なんかも出てた。そしてこの映画の原作は丸山健二の小説だった。だから当時の僕としては、かなり見たいという気持ちが強くて劇場に行った映画ですね。まあ、渡辺淳一さんとは関係ありませんけど。併映が、渡辺淳一さん初期の代表作が原作の映画だった、というだけで。 この映画を見るちょっと前、まあ、1、2年くらい前かも知れないけど、同じショーケンと桃井かおりが主演だった、「青春の蹉跌」を当時の親友だったKT君と一緒に見に行っている。「アフリカの光」「阿寒に果つ」はどうだったろう?同じくKT君と一緒に見たんだろうか?それとも一人で見に行ったのか。一人で行ったのかな。丸山健二の原作映画だしな。「青春の蹉跌」のもう一人の主演は、デビューしたばかりの壇ふみだった。

 「ひとひらの雪」って、僕は本も読んでないし映画も見てませんが、ジュディ・オングが歌った同名の曲はよく知ってます。けっこう好きな歌でした。ジュディ・オング版。石川達三の「青春の蹉跌」は高校生のときに読んでた。まあ、イロイロと思い出しますけど。日本の現代恋愛文学の巨匠、渡辺淳一さんが亡くなられたニュース記事の感想コメントなのに、渡辺淳一先生とは関係ないことばかりをだらだらと連ねて来て、どうも済みません。でも、メディアで見る渡辺淳一先生は何だか好感持てるオジサンでした。

 

 

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秋田書店のウソ-続報

2013年08月22日 | ブックログ

○秋田書店「読者プレゼント景品数水増し」問題 不正訴えた女性を不当解雇?

 

   「週刊少年チャンピオン」などを発行する出版社の「秋田書店」(東京・千代田区)が読者プレゼントで景品数を水増し掲載していた問題が、さらに拡大しそうな様相を見せている。

   「商品の数と当選人数が合わない」と上司に指摘した女性社員が、パワーハラスメントを受けた上、不当に解雇されたと報じられたのだ。

「会社にいたかったら文句を言わずに黙って仕事をしろ」

   秋田書店は2010年5月から12年4月まで、女性向け漫画雑誌「ミステリーボニータ」「プリンセス」「プリンセスGOLD」の3誌で、実際の当選者数より多く当選人数を記載していた。例えば「ミステリーボニータ2011年2月号」では、2人に当たると記載された「ニンテンドー DS Lite」、1人に当たると記載された「全国百貨店共通商品券1万円分」は誰にも発送されず、50人に当たると記載された「リボン型ヘアクリップ」は3人にしか発送されなかった。

   消費者庁は13年8月20日付で、これらの懸賞が景品表示法に違反していたと一般消費者へ周知徹底させるとともに、再発防止策を講じて役員と従業員に周知徹底させること、今後同様の表示を行わないことを命令した。

   翌21日には、さらなる問題が明るみに出た。

   労働組合「首都圏青年ユニオン」が「レイバーネット日本」のサイトで、景品数の水増し命令を拒否した女性編集部員がパワーハラスメントで病気休職、のちに解雇され、ユニオンに加入したことが発端となって明らかになった問題だとの文章を掲載した。

   21日付の毎日新聞夕刊でもこの問題を詳しく取り上げている。

   女性は上司から「会社にいたかったら文句を言わずに黙って仕事をしろ」と言われ、不正を働くことへのストレスで病気になり11年9月から休職。12年2月に「多数の読者にプレゼントを発送せず、不法に窃取した」との解雇通知書が送られてきたというのだ。女性側は「罪をなすりつけて懲戒解雇された」と訴えているという。

 「うちでもやっていた」元出版社員の告白

   出版社の信用を揺るがす大問題に思えるが、以前出版社に勤務していた男性に話を聞いてみると、「うちでもやっていた」と打ち明けた。

   男性の会社では、他の業務に追われてプレゼントの発送まで手が回らず、結局発送せずに終わってしまったケースが数回あったという。社内を整理していたら大量に未発送の読者プレゼントが出てきたこともあったそうだ。

   一度「大丈夫でしょうか」と上司に言ったところ、「それで夢を見させてあげることも読者サービスのうちだ」と返されたという。

   発送できないのなら懸賞をやらなければいいのに、というのが率直な感想だが、男性は「懸賞をやることで、スポンサーから読者プレゼント用に商品をもらえるような力のある雑誌ということを見せつけたいという側面も出版社にはある」と話していた。

 

秋田書店、読プレ不正・社員解雇報道に反論 「元社員が賞品をほしいままに不法窃取」

 

  秋田書店の読者プレゼント不正問題で、社内で不正を訴えた社員を同社が解雇したという報道に対し、同社が反論。

   秋田書店が読者プレゼントの不正で消費者庁から措置命令を受けた問題に絡み、社内で不正を訴えた女性社員を同社が解雇したという報道に対し、同社は8月21日、Webサイトに社告として反論を掲載した。

 同社は報道について「記事は弊社への取材も一切おこなわれず一方的に元社員の言い分を掲載した」「書かれている内容と弊社の認識とは大きな隔たりがあり、とうてい容認できない」とした上で、解雇した社員については「あたかも社内の不正を指摘し、改善を訴えたために解雇されたなどと主張しているが、解雇の理由は元社員が賞品をほしいままに不法に窃取したことによるもの」として、「法廷の場で事実関係を明らかにし、解雇の正当性を証明する」としている。

 毎日新聞は21日、「プレゼントを窃取した」などとして懲戒解雇された景品担当の女性元社員が解雇撤回を求めて提訴する考えだと報道。記事によると元社員は不正を知り上司に訴えたが、「会社にいたかったら文句を言わずに黙って仕事をしろ」と言われた、という。

 秋田書店は漫画雑誌の読者プレゼントで、誌面に掲載した当選者数に対し実際の当選者数が少なかったとして、消費者庁から措置命令を受けた。「50人」にプレゼントのはずが3人だった例もあった。

 

 

 この、秋田書店の懸賞詐欺的な事態が外部に漏れるには、内部告発しかないだろうな、と思っていたら、やはり元秋田書店社員の辞めた後での告発だった。辞めた、でなくて辞めさせられた、になる訳か。

  消費者庁や首都圏青年ユニオンだかの、懸賞詐欺的行為の指摘に対して、秋田書店は素直に認めたんですね。シラを切り通す、ということはしなかったんだ。解雇元社員の虚偽告発、で対抗しなかったんですね。社内の社員全部を押さえれば、シラを切り通す、で行けなかったのか。辞めた元社員やアルバイトとか契約も多いだろうから、「そんな真似はやってない」で通し切るのは無理か。一度、事実が明るみに出ると、もう隠し切れない、と会社側も諦めて、潔くお縄を頂戴することにしたんだな。

 不当解雇を訴える元社員もタフだな。解雇撤回を求めてる、って、そこでもう一度働く気なのか。その職場でもう一度働く気なら、すごい心臓だ。尊敬する。直接ぶつかった上司とまた一緒に仕事が出来るなんて。タフな心臓。その神経は羨まし過ぎる。それとも、解雇処分なら退職金も出ないし、辞めるにあたってイロイロ冷遇だろうから、一度、解雇撤回を通して、社員に返り咲いた後、再び、今度は依願退職か何かで、退職金などの正当な待遇を受けるつもりなのか。

 世の中には、一般的な世間常識ではいけないこと、もろ違法なこと、っていうものも、その世界の中でだけでは通っている、ってことはあるじゃないですか。その業界の中でだけは通用すること、とかって。普通、世間一般ではいけないことで、常識を疑われそうな事柄でも、その業種の中では、とか、その団体の中では許される、とかっていうことが。まま、ある訳じゃないですか。その世界、その業界の中では誰でもやってるよ、って話。そういうのがあったりする。

 昭和の時代はそれで通ってたんだけど、最近の若者の中には、正義感に燃えて、こんなこといけない!って告発する者が出て来る。まあ、融通が利かない、って言えばそうなんだけど。勿論、それは基本的には良い行為なんだけど、これまでは暗黙の了解で通っていたのに、新人の若者が正義感からぶち壊しに掛かった、とかってこと。昔なら、青臭い正義感、とかって言われる話。そういう意味では社会は昔の方がユルかったんだよね。総体的に世の中は、昭和とか20世紀中に比べて法律とか規則・規制は、現代の方が断然厳しくなっている、と思う。

 しかし、「読者も良い夢がみれたんだ」は出版社側の人間もひどい言い草だな。傲慢過ぎる。ふざけるな!と怒りが沸く。

 出版社にすれば、雑誌というものはアンケートが欲しい。より数多くのアンケートを得るために懸賞で豪華景品というエサを蒔く。エサはウソだった訳だ。読者側は葉書代切手代も掛かれば、葉書記入の労力もある。これは出版社側の騙しだし、詐欺行為だ。

 勿論、僕は、会社側よりも不当解雇されたという告発者の、元会社員の方に同情するし、供述や主張を信じたいし、また応援したいくらいの気持ちだ。会社側の方がけしからんと思うけど、双方に言い分があるし、当事者しか知らない事実というものもある。会社側の言い分が全面的にウソとは限らないだろうし。

 また、こういう言い方は申し訳ないのだが、僕自身が、不当解雇を申し立てる元会社員の人を直接知ってる訳でも何でもないので、どういうプロフィルやキャラクターの人か全く解らない。元社員の方を全面的信じたいが、出版社側も強く反論してるし、情報量からも第三者には今一つ何とも言えない感じもある。でも、労働者応援したいけどね。

 先頃、宮部みゆきさんの「名もなき毒」を読んだし、またTBS系ドラマでやってる、それを原作にした、ドラマ版「名もなき毒」も、今見てるし、小説やドラマ中で描かれる、登場人物のゲンダイズミのモンスターぶりに戦々恐々としてるし、まあ、ゲンダイズミは極端な描かれ方だとは思うんだけど、世の中は広いし、あれに近いような常識破りのキャラクターもけっこう実在するもんかも知れない。実際、この社会では毎度、無差別殺人が行われているもんだし、ゲンダイズミは人殺しはしないが、それに近いようなことも実行するし、世の中には千差万別、いろんな人間が居るし、また人それぞれがキャラクターに何面も持ってるもんだし、闇の部分を抱えてる人だって多い。人も会社も一概に言えない。

 

吸血姫夕維~千夜抄~ ジェネックス

 

 それでは、訴えさせていただきます―大解雇時代を生き抜く (角川SSC新書) [新書]

 

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秋田書店のウソ

2013年08月21日 | ブックログ

○読者5名にプレゼント…ウソ 秋田書店を消費者庁処分へ

 

  「5名様に当たります」はウソだった――。雑誌の読者プレゼントで当選者数を実際より多く表示していたとして、消費者庁は19日までに、出版社の秋田書店(東京都千代田区)に、景品表示法違反(有利誤認)に基づく措置命令を出す方針を固めた。複数の読者に当たると表示しながら、一つも発送していない景品もあったという。読者プレゼントの水増しを同法違反で処分するのは初めて。

 同社は「週刊少年チャンピオン」など若者向け漫画誌のほか、コミック単行本などを出版している。消費者庁は、同社が数年にわたり、複数の雑誌でこうした不当表示を続けていた可能性があるとみている。

 

読者5名にプレゼント…ウソ 秋田書店を消費者庁処分へ

 

  「5名様に当たります」はウソだった――。雑誌の読者プレゼントで当選者数を実際より多く表示していたとして、消費者庁は19日までに、出版社の秋田書店(東京都千代田区)に、景品表示法違反(有利誤認)に基づく措置命令を出す方針を固めた。複数の読者に当たると表示しながら、一つも発送していない景品もあったという。読者プレゼントの水増しを同法違反で処分するのは初めて。

 同社は「週刊少年チャンピオン」など若者向け漫画誌のほか、コミック単行本などを出版している。消費者庁は、同社が数年にわたり、複数の雑誌でこうした不当表示を続けていた可能性があるとみている。

 関係者によると、不当表示があったのは女性向けの漫画月刊誌で、プレゼントはファッション雑貨や家電製品など。当選者数が「5名」などと記載されているのに、実際にはそれより少ない数しか発送されず、当選者が1人もいない景品も複数あったという。翌々月号などで当選者名を発表していたが、架空の名前を表示したケースもあったという。応募した読者は、景品が届かなくても単に外れただけとしか思わず、これまで問題が発覚しなかったとみられる。

 同社は「正式な処分が出るまではコメントできない」としている。

 

 

 秋田書店は、出版界でも老舗といっていいくらいの歴史を持っていて、児童雑誌「冒険王」の創刊は戦後直ぐだったし、小学館や講談社、集英社などのメジャー出版社と比べれば規模は小さいが、中堅でも大手といえるくらいの出版社だと思う。週刊少年チャンピオンなどのコミック雑誌は昔から少年誌、青年誌、少女誌と多岐に渡ってイロイロと出版し続け、サンデーコミックスなどコミックス単行本も歴史的にベストセラーを出し続けている。ドガベンとガキデカで週刊少年チャンピオンの発行部数が飛躍的に伸び、チャンピオンばか売れで社屋が建て変わり、豪華大ビルディングが建って、業界で“ドガベン・ガキデカビル”と呼ばれたという逸話がある。もとより、漫画雑誌やコミックスの売れ方は、小説など活字本や専門書に比べて半端ない。小説のヒットも活字雑誌の売れ方もタカが知れてるが、コミックのヒットは百万部単位で売れる。儲けは全然違う。

 若者が本を読まなくなった、と言われて久しいし、21世紀に入ってからは雑誌が売れなくなった、と言う。メチャ売れしていた漫画雑誌も売れなくなっているのだという。現代人は面白い漫画はコミックス単行本でまとめて読むんだそうだ。新古書店や漫画喫茶の存在も大きいだろう。出版社も昔のようには収益が上がらないのかも知れない。秋田書店は漫画出版物に特化したような出版会社だ。ほとんどコミックスの出版で稼いでいるのだろう。総合的に漫画出版物は80年代90年代に比べて、売り上げはかなり落ちているのではないか。90年代末頃から軒並み雑誌の休刊が目立つし。出版物の休刊とはほとんどが事実上の廃刊だ。本が売れない時代。出版社も昔に比べて台所事情は苦しいのかも知れない。

 50名に当たる筈の景品が実際に品物が貰えたのは3名だけ。一万円の現金(商品券でした)1名は一人もなし。5名に当たる高価な品は1名だけ。と、まあ、イロイロあって、当選者発表は架空の名前をでっち上げて掲載。ひどい話。詐欺だよ。懸賞詐欺。アンケートとかがあって答えてたら、個人情報だけ取ったことにもなるし。秋田書店の少女・女性向け三誌が挙げられてたな。ミステリーボニータとか。きっと他にもあるんだろう。

 どうしてバレたんだろう? 内部告発? 内部からしかバレようがない感じ。でっち上げの当選者名も、一般読者にはウソの名前とは解らないだろうし。ただ、景品提供の企業はどうなんだろう? 懸賞企画を載せる出版者側と、景品を提供する企業とはどういう関係を結んでいるのか。そこのトコのシステムが解らないな。出版社は買っているのか? 宣伝になるからと企業のサービスか?  景品提供企業は提供した数と当選した数の数量の違いに気付けるのか? 3個しか渡してないのに誌面に10個当選したことになっていたら、提供企業は気付くだろうけど。いずれにしろ、内部告発なんだろうなあ。でないとこれは外からではバレようがないよなあ。

 秋田書店、信用失墜だな。

 ああ、秋田書店は、景品提供企業が不景気で、無料で出版社に景品を提供してくれなくなったためにやった、と供述しているのか。

 

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冒険SFの星・田中光二

2012年03月31日 | ブックログ

 

○SF作家・田中光二さんが自殺未遂 家族の墓の前で

 

   「黄金の罠(わな)」などの作品で知られるSF作家の田中光二さん(71)が29日に東京都内の墓地で自殺を図っていたことが警視庁などへの取材でわかった。救急搬送され、軽傷という。

 捜査関係者などによると、田中さんは29日午前、港区の霊園内にある家族の墓の前で、首と手首を包丁で刺したという。

 田中さんは1979年に「血と黄金」で角川小説賞、80年に「黄金の罠」で吉川英治文学新人賞をそれぞれ受賞。88~91年には日本SF作家クラブの会長も務めた。

 

小説家、田中光二さん自殺未遂…家族の墓前で

 

   吉川英治文学新人賞などを受賞した小説家、田中光二さん(71)が、東京都港区の霊園にある家族の墓の前で自殺を図っていたことが30日、警視庁への取材で分かった。田中さんは病院に搬送されたが、軽傷で命に別条はないという。

 同庁によると、田中さんは29日午前、港区の家族の墓の前で、首と手首を包丁で切りつけ、自殺を図った。田中さんは、個人的な悩みを抱えていたという。

 田中さんはNHKを退職後、SFや冒険小説、架空戦記などを執筆して人気を集めた。昭和54年、「血と黄金」で角川小説賞、翌年に「黄金の罠」で吉川英治文学新人賞を受賞。日本SF作家クラブ会長も務めた。

 

 

 田中光二さんは、僕の青春時代のヒーローの一人です。僕は子供時代からSF世界が大好きで、僕の20代前半は一番、SFに熱中していた時代です。もっとも、子供時代は手塚治虫を代表とするSF漫画で、ですけど、16歳から小説読書を始めた僕は、19歳か20歳頃からSF小説に夢中になり始め、20代前半は特に、日本のSF文学シーンにどっぷり浸かっていました。1978年冬に公開された「未知との遭遇」や78年夏に公開された「スターウォーズ」というハリウッドSF大作が牽引して、日本に初めてSFブームが訪れ、国内SFアニメも隆盛し、文庫本に日本SF小説作品が大量に揃えられ、星新一、小松左京や筒井康隆がメジャー作家となり、あのサンリオがSF文庫を創刊して海外SFを紹介し、日本のSF専門誌が4誌も定期発行された。まあ、このSFブームはそんなに長くは続かなかったけど。サンリオSF文庫もすぐになくなっちゃったし。

 この日本初のSFブームの時代に台頭して来た若きSF作家たち、平井和正、豊田有恒、半村良、鏡明、山田正紀、眉村卓‥、そして田中光二。みんなこの時代のSFの若きヒーローたちでした。僕がSFに熱中していたのは長く見れば70年代後半から80年代前半。特に夢中になっていたのは77年頃から80年代初頭頃でしょうか。この当時は僕は、日本のSF専門誌、「SFアドベンチャー」「SFマガジン」「奇想天外」「SF宝石」の4誌を毎号購読していました。田中光二さんの作品は、よく、このSF雑誌で読みました。田中光二さんのエッセイや連載コラム、時折、対談も掲載されていて、それらも興味津々で読んでました。田中光二さんの小説で、雑誌連載で毎号楽しみに読んでいたのは「大宇宙の狼-アッシュ-」シリーズや「エクソシスト探偵」シリーズ。短編作品は単行本か文庫で読んでいると思う。田中光二さんは、今では、僕の青春時代の郷愁が胸によみがえる懐かしい作家さんです。おもしろエッセイ本、「僕はエイリアン」なんて、田中光二さんの真面目で優しい人柄が出ていて、あの当時、好きな一冊でしたね。ちょっと後になるけど、日本のハードボイルドシーンで大沢在昌が出て来た時、北方謙三と田中光二の三者対談を読んだのも印象深く憶えています。

 田中光二さんは、戦中戦後時代の無頼派の作家、田中英光氏の息子さんですね。僕は田中英光氏の小説を読んだことはなかったけれど、僕が青年の時から、田中英光氏が太宰治の墓前で自殺した作家、という話はよく知っていました。実際は墓前で自殺を謀り、搬送先の病院で死亡したものらしいですが。奇しくもといっていいのか、同じ作家の父親と同じように自殺を試みるとは‥。田中光二さん、71歳かあ。これまでの著作の作品群を見てみると、膨大な量ですね。僕がSFに熱中していた時代、SF人気の下火になった後も、冒険もの主体に、ハードボイルドや探偵小説、推理小説、アクション小説などなど、エンタティンメント文学を大量に執筆されて来ています。大ベストセラー作家という程ではなかったにしろ、それなりの人気作家で来てこられていた方だと思うのですが。コアなファンも居たと思います。71歳。いったい何があったのか? 自殺を考えるほどの迷い、悩み、苦しみ‥。僕の青春時代のヒーローには、自殺などは考えないで欲しいですね。ヒーローに自殺は似合わない。雄大な宇宙空間を駆け巡るヒロイックファンタジー、「大宇宙の狼-アッシュ-」のスーパーヒーロー、アッシュのように、ひたすら強く。 て思いたい。

 

 田中光二さんていうと思い出すのが「エデンの戦士」。「エデンの戦士」は田中光二さんの1976年発表の小説ですが、僕の思い出は漫画版です。漫画版も1976年で、当時の週刊少年チャンピオン誌上に連載されていました。作画は真崎守さん。

 核で壊滅的打撃を受けた地球上で人類が滅び、その後、ようやく放射能が薄らいで来た、100年後だっけ(?)か、忘れた、とにかくすごい長年月後に冷凍睡眠から目覚めた人類最後の生き残りの男女が、地球上の別々の大陸上で目覚め、お互いを求めて原始太古の姿に戻った荒野の地球上をさまよい歩く‥。とかいうサヴァイバル冒険SF物語。

 僕は、あの時代、少年漫画誌を買って読むことはなかったんですけど、当時の職場に行くと、毎週、若い社員がチャンピオンを買って来ていて(勿論、僕も若かったけど)、僕は昼休みにロッカールームで毎号読んで、特に、「エデンの戦士」は好きな漫画でした。元々、真崎守の漫画絵柄が好きだったし。毎週、あの時代のチャンピオンは、「がきデカ」と「ブラックジャック」と「エデンの戦士」は楽しみだった。

 「出会ってオ××コしちゃったら爆発しちゃったよ!」、先輩の言葉。僕は当時の週刊少年チャンピオンで「エデンの戦士」最終回を見逃していたんで、漫画「エデンの戦士」最終回読んだ、職場の先輩に決着ストーリー尋ねると、先輩はそう答えた。多分、サヴァイバルを生き抜いてやっと出会えた未来世界のアダムとイブは、お互いを確認しあったら地球規模で大爆発しちゃったということだったんじゃないのかなあ(?)。何か、そういうふうになるようにセットされていたとか。僕はその後、秋田書店のコミックス全2巻で再読を果たしているような気がするんだけど、定かでないし、ストーリー細部はもうほとんど憶えていない。やっと出会えて地球ごと爆発じゃ辻褄が合わないけど、いったいどうだったんだろうな? 結論はまるで記憶にない。少年週刊誌の掲載だから、「出会ってオ××コ」シーンは描かれてないと思うんだけど、ま、そういうことなんだろう、という話なのか(?)。それとも、当時の若くてロマンティック好きで青臭い僕に対して、男臭く大人の男の先輩がイライラして浴びせた言い方だったのか。辻褄合わないけど、そういう話だったんだろうな。人類としてはまるで救いの無い‥。知らないけど。

  

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純文学芥川賞作家

2012年01月20日 | ブックログ

 

○芥川賞に下関の田中さん、直木賞に久留米の葉室さん

 

  第146回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日夜、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞に山口県下関市の田中慎弥さん(39)「共喰(ともぐ)い」(「すばる」2011年10月号)、大阪市の円城塔(えんじょうとう)さん(39)「道化師の蝶(ちょう)」(「群像」同7月号)、直木賞に福岡県久留米市の葉室麟(はむろりん)さん(60)「蜩(ひぐらし)ノ記」(祥伝社)が決まった。

 九州・山口在住者の2人受賞は、1987年の村田喜代子さん(芥川賞)、白石一郎さん(直木賞)以来。

 田中さんは下関中央工高卒業後、05年に新潮新人賞を受けてデビュー。08年に川端康成文学賞、三島由紀夫賞を受賞し、注目を浴びた。「共喰い」は、下関らしき町を舞台に、男子高校生と父親との葛藤、暴力や性を描いた作品。芥川賞候補は5度目だった。

 円城さんは札幌市出身。東北大物理学科を卒業後、東大大学院博士課程を修了した。研究者生活を経て小説を書き始め、3度目の候補で賞に輝いた。「道化師の蝶」は、言語学の知識を駆使した実験的小説。

 5度目の候補で受賞した葉室さんは、05年に歴史文学賞を受賞しデビュー。07年には松本清張賞を受賞した。「蜩ノ記」は、切腹する運命にありながら藩史編さんに打ち込む武士の姿を通して、命の尊さを描く時代小説。

 副賞は各100万円。贈呈式は2月中旬に行われる。

 

○芥川賞候補作は「バカみたいな作品ばかり」 選考委員の石原都知事

 

  「自分の人生を反映したようなリアリティーがないね」

 

  芥川賞の選考委員を務める東京都の石原慎太郎知事は6日の定例会見で、いまの若手作家に欠けているものについて、こう語った。石原知事は「太陽の季節」で第34回芥川賞を受賞している。

 石原知事は「(作品に)心と身体、心身性といったものが感じられない」と指摘。「見事な『つくりごと』でも結構ですが、本物の、英語で言うならジェニュイン(正真正銘)なものがない」と述べた。石原知事は昨年11月の会見でも「みんなマーケティングで、同じ小説家がくるくる違うことを書く。観念というか、自分の感性でとらえた主題を一生追いかけていくのが芸術家だと思う」などと語っていた。

 第146回の芥川賞候補作は6日付で発表され、17日に選考委員会が開かれるが、石原知事は「苦労して読んでますけど、バカみたいな作品ばっかりだよ」とぼやくように話した。

 

○田中慎弥氏、石原氏に逆襲!芥川賞「もらっといてやる」

 

   第146回芥川、直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞は円城塔さん(39)の「道化師の蝶」と田中慎弥さん(39)の「共喰い」、直木賞は葉室麟(はむろ・りん)さん(60)の「蜩(ひぐらし)ノ記」に決まった。田中さんは受賞会見で選考委員の石原慎太郎東京都知事にかみつき、「(賞を)もらっといてやる!」と言い放った。

 東京・丸の内の東京会館で行われた受賞会見で、荒々しい早足で登壇した田中氏。5回目のノミネートでつかんだ受賞に「確かシャーリー・マクレーンでしたっけ?アカデミー賞で何度も候補に挙がりながらダメで、受賞の時に“私がもらって当たり前だ”と言ったそうですが、だいたいそんな感じです」と言い放ったかと思うと、「さっさと終わりましょう」と吐き捨てるように話した。

 受賞作「共喰い」は、昭和の終わり、「川辺」と呼ばれる小さな集落に生きる高校生が主人公。抑制が利かない自らの性欲と暴力性が、父親から受け継いだことを自覚し、逃れられない宿命におののく姿を描いた。関係者によると、若者の内面を描くことに定評が高いという。受賞の知らせは待機していた飲食店で聞いた。

 08年に「蛹(さなぎ)」で川端康成文学賞、「切れた鎖」で三島由紀夫賞を受賞した実力派。しかし、石原知事は6日の定例会見で、若い作家に欠けているものを問われ「自分の人生を反映したリアリティーがないね」と批判し、さらに芥川賞候補作品に関して「今も読んでいますけれど、苦労しながら、ばかみたいな作品ばかりだよ、今度は」と酷評していた。

 田中氏はそんな態度を腹に据えかねていたようで、自分から「これだけ落とされて、(受賞を)断ってしまいたいところなのですが、断りを入れて気の小さい選考委員が倒れてしまうと都政が混乱しますので、もらっといてやる!」と表情を変えずにまくし立てた。

 報道陣からそんな石原知事への一言を求められると、「おじいちゃん新党を作ってらっしゃるみたいなんで、それにいそしんでください」と選考委員の引退勧告とも受け取れるような発言まで飛び出した。

 

○石原氏、芥川賞選考委辞意「全然刺激にならない」

 

  芥川賞の選考委員を務めている東京都の石原慎太郎知事は18日、「全然刺激にならない」として、今回限りで選考委を辞退する考えを明らかにした。

  石原氏は報道陣に対し「いつか若い連中が出てきて足をすくわれる、そういう戦慄を期待したが、全然刺激にならないからもう辞めます」と語った。  

 石原氏はこれまで若手作家に関し「自分の人生を反映したようなリアリティーがない。(作品に)心と身体、心身性といったものが感じられない」などと語り、今月6日の知事会見では「苦労して(同賞候補作を)読んでますけど、バカみたいな作品ばっかりだよ」と話していた。

 ただ、今回受賞した田中慎弥氏が「都知事閣下と都民各位のためにもらっといてやる」と語ったことについて、石原氏は「皮肉っぽくていいじゃない。むしろ彼の作品を評価していた」と述べた。

 芥川賞主催の日本文学振興会によると、石原氏は平成7年から選考委を務め、今回の選考は石原氏を含め9人の委員で実施した。

 

○一貫して無職の田中さん…パソコン、携帯持たず

 

  芥川賞の選考委員、東京都の石原慎太郎知事(79)は候補5作品について今月6日「苦労して読んでますけど、バカみたいな作品ばっかりだよ」とボヤいた。そこで田中さんは「都知事閣下と東京都民各位のために(芥川賞を)もらっておいてやる」と毒づいた。

 受賞作「共喰い」の主人公は地方都市に住む17歳の少年。暴力的な性行為を繰り返す父を嫌悪しながらも、自らの中に父と同質の部分があることにおびえ、葛藤する。

 4歳で父を亡くし、今も郷里で母親と2人で暮らす。アルバイトも含め1度も職に就いたことがなく、20歳のころから小説を書き始めた。以来、1日も執筆を休んだことがない。「他のことは一切していない」という。

 子供のころから「常識とか、正しいとされることが嫌い」だった。パソコンや携帯電話は必要性を感じないため持たない。やはり変わってる!?

 

 

 苦役列車」で、2011年上期の芥川賞を受賞した西村賢太さんといい、芥川賞作家には面白い人が出て来て楽しい。何ていうか、一概には言えないんだけど、直木賞を受賞する人って、普通の人というと芥川賞の人に悪いんだけど、直木賞の人は常識的な普通人が多い印象を受け、芥川賞の人の方が悪くいえば、変わり者、かなり個性的な人が多いような、そういう印象を受ける。直木賞受賞者には常識的社会人という感じの人が多くて、芥川賞受賞者は、良くいえば芸術家肌、悪くいうとやはり変わり者的な個性の強い人。もっと違う見方、言い方をすると、直木賞の人は世間とうまくやっている人、うまく世間が渡れる人。芥川賞の人は世間との間に深い溝か小川かがありそうな感じの人。何か、芥川賞イメージが、芸術家肌かも知れないけど、例えば浮世離れした人も含んで、変り者でこの社会でうまく生きてない人、みたいな、漠然とそういう印象を持ってしまう。無論、偏見なんだろうが。でも、非常に個性的な人は断然、芥川賞作家の方だよね。直木賞の人は社会をうまく渡れる、しょせんは俗物のような。ゴメンナサイ。何かそういう印象で。まあ、直木賞作家の方が、後々金儲けしそうだし。

 僕はもう、読書の小説は完璧エンタティンメント派で、純文学を読んでいたなんて、18歳から20歳かせいぜい21歳くらいまでだと思う。16歳から読書を始めた僕は、最初は五木寛之や野坂昭如などのいわゆる中間小説からで、18歳からの3、4年間だけ、太宰治や大江健三郎などの日本の純文学作品や、比較的現代ものの世界の名作文学を読んだ。後はもう、SFとミステリばかりだ。圧倒的にミステリが多いなあ。ミステリとは、ハードボイルドも冒険小説もホラーも含んで、だけど。だから「苦役列車」も読んでないし、多分、今回受賞された、田中慎弥さんの「共喰い」もこの先読まないと思う。純文学って、やっぱり私小説が多いいじゃないですか。私小説って、内容の情報量が制限されてる、というか、要するに個人の生活を舞台にした芸術的感覚というのか何というのか、芸術的表現、やっぱり文芸という芸術の一つなんだよね。それに比べるとミステリでも何でも知的エンタティンメントは、まだ自分の知らない新しい情報量が詰まっている。一冊読むごとにこの世の新しい情報を知る、みたいな。例えば僕は一時期、船戸与一の冒険小説ばかりを読んでいたけど、あの人の作品は舞台が第三世界というか発展途上国ばかりでしょ。で、船戸さんなりに現地取材や、彼の地のことを詳しく書いたノンフィクション本を資料として読んで、そこから得た情報をベースに物語を紡いでいるんだよね。僕のような人生で二、三度しか海外に行ったことのない日本人でも、あんまり一般的日本人が行かない海外の地域のことや国際情勢などが、例え作家の想像で作り上げた物語世界でも、舞台や状況などのアウトラインには嘘は書かないから、大まかには、行ったことも行くこともない世界の危険地域、紛争地域の情報が得られる。後は例えば、ミステリでも、舞台がメディア世界の放送局なんかだと、僕が全然知らないそういう業界の内情だってある程度は解る訳じゃないですか。エンタティンメント小説の良いところは、物語世界の内容にワクワクハラハラ楽しめて、しかも新たな情報が得られる。そういう一粒で二度おいしいような点ですね。だから、そういう意味では、「文芸」として鑑賞してはいないと言えるのかも。芥川賞作品はやっぱり基本、「文芸」ですよね。

 僕なんかみたいなあんましアタマの出来の立派でない者には、「文学とはなんぞや?」とかよく解らないですねえ。その、文芸の芸術たる定義、みたいな理屈が僕にはよく解らない。青年期、例えば大江健三郎の短編もサルトルの短編も、「あ、面白い」と思って読んだ。逆に大江健三郎の長編やサルトルの「嘔吐」は、はっきり言って僕には面白くなかった訳で、僕はもう昔々、読書の最初から「面白いか、面白くないか」でしか読んで来てないし。そういう意味では、前回このBlogの何処かで、「若い頃は文学青年に憧れてた」とか何とか、ほざいてますけど、僕は文学青年とかには完全失格だったんでしょうね。でも、純文学の、自分の人生や生き様、生きることに対して真摯に立ち向かい、正に生きるか死ぬかで自分自身と対峙して書いた私小説には、やはり凄みや迫力があるんでしょうね。純文学といっても、例えば詩人から出発した吉行淳之介さんの作品群みたいなものもある訳ですけど。でも、きっと、「苦役列車」も「共喰い」も一人の人間の孤独や苦悩をこれでもかと書ききっていて、読めば面白いんでしょうね。小説を「面白い」でしか評価できない僕は、やはり文学面失格者だな。情けない。

 

 

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文壇のミステリ最長老訃報

2011年11月15日 | ブックログ

 

○推理小説界の最長老、土屋隆夫さん死去

 

  推理小説界の最長老で作家の土屋隆夫(つちや・たかお)さんが14日午前1時35分、心不全のため死去した。

 94歳だった。告別式は16日午後零時30分、長野県佐久市協和2361の1カームしらかば。喪主は長男、哲夫氏。

 中学校教諭だった1949年、短編「『罪ふかき死』の構図」でデビュー。江戸川乱歩の随筆に影響され、文学性と謎解きの面白さを併せ持つ推理小説を志し、新興宗教と地方政治の癒着を取り上げた「天狗の面」(58年)、千草検事シリーズ第一作の「影の告発」(63年、日本推理作家協会賞)などを発表、本格派の巨人と言われた。

 生家のある長野県立科町を拠点に創作を続けた地方在住作家の元祖的存在で、90歳で長編「人形が死んだ夜」を書き下ろすなど晩年まで執筆した。2002年に日本ミステリー文学大賞を受賞した。

 

 

 

 おう、土屋隆夫先生は水瓶座だったのだ。1917年1月25日生まれ。ええと、大正6年くらいかな。大正生まれなのは間違いない。5年前亡くなった俺の親父よりも5歳年上。ちなみにウチの親父は射手座だった。関係ないけど。いえ、僕は若い頃、西洋星占いに凝っていて、人に会うとやたら誕生日訊いて、その人を勝手に星座別分類していた。まあ、今はほとんど西洋占星術は信じてないけど、昔は今よりもっと馬鹿だったので、自分が水瓶座だということを誇りに思っていたくらいだった。16歳から読書を始めた僕は、それからずうっと読書が趣味で、20代、30代は自分なりに精力的に本を読んでいた。で、小説で読んでたのは大部分がミステリだ。生まれつき頭の出来が相当悪い僕は、情けないくらいの遅読で、本当に活字本を読むのが遅い。それでもまあ、何処へ行くでも必ず本を携帯していたし、暇があれば本を開いて活字を眺めていたので、20代30代というのは遅読なりにまあま、そこそこは冊数こなしている。まあ、世間一般に読書家と呼ばれる人たちに比べたら、多分相当に劣る冊数で、普通多分、お世辞にも僕は、読書家とは呼べない域の輩なんでしょうけど。

 ミステリ好きを名のるにしては、現在(最近)のミステリ文壇にて最長老の土屋隆夫さんを、情けなくも、よく知らなかった。昔、「危険な童話」という本格推理を文庫で1冊、購入したことがある。今から二十年以上前の話で、正直、当時はプータロー、今でいうニートで、暇だから、本屋さんに本を10冊近くまとめ買いに行ったりしてた。その当時の僕のニート生活は1年ちょっとくらいの間、家でごろごろして暮らしてたんだけど、昼間中ずっと寝ていて夜中は一晩中起きてるような生活してたから、よく本は読んでた。毎日徹夜して読んで昼間寝る。まだ30歳くらいだからけっこう精力的に読書できてた。だから読む本がなくなったら、また本屋さんにまとめ買いに行ってた。そんな中での1冊なんだけど、実はその、土屋隆夫さんの代表作の一つでもある「危険な童話」を、僕は読んではいない。手元にあったのだが、いつの間にか何処かへ行ってしまって、それきりだった。結局、日本ミステリ界では重鎮クラスの長老で、02年に亡くなられた鮎川哲也さんくらいのキャリアを持っていたであろう、土屋隆夫さんの小説は、僕は一冊も読まないきり。鮎川哲也さんの作品だって、この半生の過去生、たった1冊しか読んだことない。威張って、とてもミステリ好きだとかは言えない。まあ、僕は遅読だし、その時代その時代でファンになった作家さんの本を立て続けに読む傾向があるからね。栗本薫ばっかり読んでる時代、島田荘司ばっかり読んでる時代、森博嗣ばっかり読んでる時代、船戸与一ばっかり読んでる時代‥とか、まあ大雑把にいうとそういう感じの読書形態だから、読まない作家さんのは本当に全然読まないでいる。ま、全部エンタティンメントだけど。だから、土屋隆夫さんは日本ミステリ界ではある面有名な作家さんだったが、僕は情けなくも1冊も読んでいない。申し訳ないです‥。09年に亡くなられた泡坂妻夫さんの作品はけっこう読んでるけど。

 当時の本屋さんで文庫新刊購入した「危険な童話」は、僕は80年代前半に出た本だと思っていたんだけど、調べたら何と上梓初出は61年でした。びっくり(僕が多分87年頃購入した角川文庫版は75年初版でした)。でも、ま、結局は読んでないんだけど。済みません‥。いえ、70年代後半から80年代は角川映画などの影響もあって、横溝正史に代表されるような、昔の地方の因習の残る奥村が舞台で怪奇味溢れる、おどろおどろな雰囲気の本格推理が、ある種ブームになっていたので、「危険な童話」もあの時代に書かれた傑作長編推理かなあ、と思っていたんですけど。何と、僕が4、5歳の頃に書かれた小説だったんだ。まあ、読んでないんですけど。済みません‥。80年代後半からは島田荘司が登場して、僕はそれから名探偵御手洗潔に夢中になるんですが。そこから推理文壇は新本格の時代ですね。

 94歳はもう、大往生ですね。土屋隆夫先生、御冥福をお祈りいたします。

 

※泡坂妻夫さん逝く(2009-2/8)

 

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ベストセラーコミック

2010年12月30日 | ブックログ

 

2010年、最も全巻読破された人気コミック……「全巻読破ドットコム」

 

  プリマプロジェクトが運営する漫画全巻セットの販売サイト「全巻読破ドットコム」は28日、2010年度に最も全巻読破された人気コミックランキングベスト100を発表した。

 それによると、1位に輝いたタイトルは「ONE PIECE」となった。「ONE PIECE」は国内最多となる9度のコミック初版発行部数最高記録を更新し続け、コミックのみに留まらず、ファッション誌や週刊誌等にも登場した。2位に入賞したのは「BLEACH」。累計発行部数が6000万部を突破しており、男性から女性、少年など幅広く支持されている。第3位には「NANA」、第4位に「NARUTO」がランクイン、第5位には二宮和也と松山ケンイチ主演の劇場版公開が遂に来年1月と迫っている「GANTZ」がランクインした。

 全巻読破ドットコムでは、2011年度には「ONE PIECE」の更なる躍進、「GANTZ」の実写映画化をはじめ、長期連載タイトルの活躍が期待されるとしている。

 

 

 最近の新しい漫画って、ホント読んでねえからなあ、俺。いや、そりゃあ、若い頃は読めてた。仕事休みの日なんか、前の晩コミックス単行本、何冊も買って来ていて、休みの昼間、続けて3巻は読んでた。読める日はもっと続けて読んでただろう。面白ければ、そして手元に続きで何巻も揃っているんなら、もっと5冊も6冊も一日で読めてたのかも知れない。漫画本はね。俺は活字だけの本、小説や評論、エッセイ本等はショーガナイ遅読だから。もう、活字のみ本はダメ。いや、若い頃はそれでも職場の周囲とかに比べるとかなりの読書家だったよ。でも遅いんだよな、読むのが。でも毎日毎日継続しては本は読んでたけど。若い頃は漫画本はよく読んでたなあ。コミックス単行本でいっぱい。小説も漫画も昔はよく読んだものさ。

 いや、今現在の俺は目が悪くて弱くて漫画でもダメですね。ホント、読んで行けない。ここ4、5年で読書量はガクガクガクーンとメチャ激減した。悲しいことだ。目が悪くてねえ。環境もあるのかな。ホント、目さえ良くてね、首凝り肩凝りがなければね、読むんだよ。本でも漫画でも。無論、新しい才能の新しい漫画もね。でも、こう、目が悪くっちゃあ、どうしようもないね。はい。

 上記の記事の中で、勿論、「ワンピース」は知ってるが、無論、アニメも見たことないし、漫画、全く読んだことない。あの、それでね、「ナナ」と「ブリーチ」と「ガンツ」はね、どれも何年か前に1冊は買ってるんだよ。コミックス単行本で。どれも1冊だけ。でも読んでなくて、本も何処行ったか解らなくなってる。特に「ガンツ」はSFだから、興味あって買って来たんだけれど、とうとう読まずじまい。

 僕が続けて読んで来てるのは、「ゴルゴ13」と「ゼットマン」と「鉄腕バーディー」。「ゴルゴ」読むのは目が疲れてダメだなあ。「ゴルゴ」読み進めて行くが、別冊単行本タイプの活字の小ささに弱視が負ける。「バーディー」は「エボリューション」になってからも読んでるが、ホント、目が悪くて漫画単行本も読み進めなくてねえ。困ったもんだ。漫画は今も昔も、面白い作品は無限なくらいにいっぱいあるのに。

 

 

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