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竹脇無我さん67歳、逝く。

2011年08月23日 | 芸能ログ

 

○竹脇無我さん急死…「だいこんの花」「大岡越前」二枚目俳優67歳

 

  ドラマ「だいこんの花」「大岡越前」で知られる俳優・竹脇無我(たけわき・むが、本名同じ)さんが21日午後2時5分、小脳出血のため、都内の病院で急死していたことが22日、分かった。67歳。この日、東京・世田谷区の日本基督教団東京都民教会で密葬が営まれ、荼毘(だび)に付された。40歳代後半からうつ病に苦しみ、糖尿病などを併発。晩年は仕事量をセーブしていた。「大岡越前」で30年共演した俳優の加藤剛(73)らは早すぎる死にショックを受けていた。

 同居していた親族の女性によると、20日夜に家族との団らんの後、いつも通り床についた竹脇さんに異変が起きたのは、21日未明だった。竹脇さんの姉が様子を見に行ったところ、顔色がおかしく、呼び掛けにも答えなかったため「熱中症かもしれない」と、すぐに119番通報した。

 午前3時過ぎに、都内の病院に搬送された際には、もうろうとしながらも意識はあったものの、言葉を発することができなかったという。その後、集中治療室(ICU)で懸命な治療が続けられた。喪主を務めた長女・友加(ゆか)さんや竹脇さんの兄弟ら約10人が、最期まで「お父さん」「無我さん」と声を掛け続けたが、帰らぬ人に。映画では「大奥」(昨年10月公開)で嵐・二宮和也の父親役を演じたのが、最後となった。

 医師からは「血管がボロボロで、いつ脳出血を起こしてもおかしくない」と言われていたそうだが、自宅近くでは、最近まで元気な姿が見られていた。定期的に健康診断を受け、酒もやめており、体調は良かったという。

 同居女性は「最近は、絵を描いて過ごすことが多かった。来年の舞台に向けて、体力づくりもしていて、すごく精神的にも充実していたと思います」。自宅近くに住む画家には「絵の描き方を教えてほしい」と“弟子入り”を志願していたという。

 この日の密葬には、親族のほか親交の深かった石井ふく子プロデューサー(84)、長山藍子(70)、関口宏(68)、西郷輝彦(64)ら30人が参列した。遺影には、生前の竹脇さんが気に入っていたというA4サイズの全身写真が使われた。

 斎場は、子供時代の竹脇さんが家族と日曜学校に通っていた教会。熱心なキリシタンで、両親、兄も同所で葬儀を行ったことから、生前「自分に何かあったら、ここで送ってほしい」と話していたという。後日、お別れ会や竹脇さんが描いた展覧会が行われる予定。

 ◆竹脇 無我(たけわき・むが)本名同じ。1944年2月17日、千葉県我孫子市生まれ。父はニュース解説者の竹脇昌作。青山学院高2年の時、知人の勧めで松竹・大船撮影所に入社。60年、映画「しかも彼等は行く」でデビュー。65年「アンコ椿は恋の花」で初主演。「だいこんの花」「おやじのヒゲ」など「オヤジ」と慕う森繁久彌さんのドラマにも多数出演。他の代表作に「人生劇場」(映画)、「姿三四郎」「大岡越前」「江戸を斬る 梓右近隠密帳」(ドラマ)。親交があった作家の向田邦子さんが飛行機事故で亡くなった際(81年)には弔辞を読んだ。

 

 

 

 竹脇無我さんというと、僕は「姿三四郎」だなあ。僕は中学生だった。習ったことはないけど、元々、小学生の頃からプロレス好きで格闘技・武術に興味があった。柔道は習いたかったけど怖くて道場には行けなかった。中学に入って、幼馴染の同級生の勧めで剣道部に入ったけど、中二でその友達が転向すると、僕は逃げるように剣道部を辞めてしまった。だから剣道は中二の一学期まで。しかし、小さい頃から武道・武術ドラマが大好きで、幼い頃の倉丘伸太郎版「姿三四郎」もよく憶えている。

 正直なところ、中学生で初めて見る、三四郎役の竹脇無我さんは大根だと思った。最初から感想が「演技がヘタだなあ」だった。しかし、70年代以降のドラマで見る竹脇無我さんはそんなことはなかった。「だいこんの花」シリーズの息子や「大岡越前」の出来た医者。中学のときの「姿三四郎」の檜垣源之助は高城丈二さんだったのかな。竹脇無我さんは正統派ハンサム。高城丈二もイイ男でカッコ良かった。竹脇無我さんの「姿三四郎」は学校でも人気が高いドラマだった。一人二役のヒロインが確か、新藤恵美さん。新藤恵美さんていう女優も後から何か黒いウワサの流れた女優さんだったよなあ。そうだった、「清水次郎長」ものがあった。正確なタイトルは忘れたけど、竹脇無我さんが次郎長役で、女房のお蝶は誰だったんだっけか。僕は確かもう高校生になってたかなあ。

 僕は会社員となってから会社内の剣道部と柔道部に所属したが、すぐに止めてしまった。練習がキツイから嫌だとかいうよりも、生来のヒトヅキアイの苦手さから、何か集団からはすぐに逃げたがるんだよねえ。僕の最大欠点。集団・組織苦手。TVの方は僕は18歳から30歳までほとんど見なかったし、それ以降もドラマはあんまり見ない方だったから、「だいこんの花」も「大岡越前」もよく知っていたけど、それ程は見てはいない。それでも勤めから帰って来てからの夕食時、何気なくよく見ていて、竹脇無我さんは好感の持てる俳優さんだった。正統派二枚目俳優。正しくクールで知的な感じの二枚目ハンサム。

 また一人昭和のヒーローの退場か。67歳は早いなあ。この間は原田芳雄さんも逝ってしまったしなあ。寂しいなあ。もう、毎年毎年何人も何人も逝ってしまう。昭和は遠くへ。仕方ないのか。竹脇無我さん、御冥福をお祈りいたします。

   

 竹脇無我さんとは直接関係無いんだけど、「姿三四郎」を出したんで余談で、僕の子供時代までは、柔道最強の時代だった。柔道は正義で空手は悪の構図。僕が子供時代までは、柔道の達人ヒーローの時代で、映画もドラマも漫画さえもが、柔道正義ヒーローの物語が大人気で、そういう柔道精進物語作品がいっぱいあった。梶原一騎が「虹を呼ぶ拳」や「空手バカ一代」で極真空手をアッピールするまでは、物語の中の空手使いといえば、ヤクザみたいな暴力集団の用心棒とかだった。およそ武道家らしからぬ、酒と女にうつつをぬかす武道家崩れのアウトローだが、悪くて強いヤツだった。それが、柔道に精進する正義の若者に最後は投げられて成敗される。空手のイメージとはそんなだった。僕の子供時代、空手もボクシングも柔道には到底勝てなかった。

 あの時代、ボクシングも空手も敵役の使う格闘術で、もう一つ、古流柔術もだけど、そういうワザの達人たちは全て、悪い方の用心棒的存在で、柔道に励む真面目な好青年の主人公を最初は苦しめ、時には卑怯な手も使って精神的にも苦しめるが、最後は投げ飛ばされて倒される。この時代の劇中では、主人公は敵の立ちワザ格闘技のパンチや蹴りを巧みに避けて除けてかわして、隙を見て相手の懐に飛び込み腕を掴んでオオワザで空中高く投げ飛ばして、敵の立ちワザ格闘技の使い手を叩きのめす。でも、実際、90年代後半に入って海外のブラジリアン柔術やサンボなんかの外国武術が紹介され、90年代末にグレイシー柔術がやって来て解ったことは、本当の場合の実戦では、柔道などがボクシングや空手と戦ったとき、先ず、とにかく柔道家は投げるにせよ足を掛けるにせよタックルにせよ、相手を倒して寝せた状態に持って行って、そこで寝技か関節技、あるいは絞め技で極める、という、これなんだね。何にせよとにかく柔道家は、絶対に先ず相手を転がさねばならない。どんな手であろうとも相手を転がしてしまえば、もうほとんど完璧な勝機。僕が子供の頃、映画やドラマで見たシーンとは、本当の実戦はかなり違っていた。

 梶原一騎が空手劇画を量産していた時代は、極真空手最強の時代。その後、ブルース・リーとジャッキー・チェンの活躍で、中国拳法最強の時代が来る。そしてブラジリアン柔術最強の時代へ。今現在は格闘技は真冬の厳寒の時代で、興行も映画もドラマも漫画も何も本当にさっぱりですね。ちょっと寂しいか。

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無精子症

2011年08月05日 | Weblog

 

○病と生きる 無精子症乗り越え父親に

 

  ロックミュージシャンのダイアモンド●ユカイさんは平成21年の再婚後、無精子症と診断された。男性としての自信を失いながらも解決法を探り、手術で取り出した精子を凍結保存し、顕微鏡を使って精子と卵子を授精させる「顕微授精」に踏み切った。3回目の挑戦で女の子が誕生し、47歳で父親に。経験を通じ、不妊治療に対する男性の理解が必要なことを感じたという。  

 病院には妻(39)が「行ってみたい」と言ったんだ。それに付き添う形で行くと、先生に「旦那さんも調べてみますか」と聞かれたんだ。「いいよ。じゃあやってみようか」という感じで検査したら、「(精子が)ゼロです」。何言っているのか、よく分からなかった。目の前が真っ白になった。

 家で採取した精子でもう一回調べたけれどゼロだった。今まで男を売りにしてきたようなところがあるのに、男としてのプライドや自信が崩壊した。妻は「ユカイさんを子供だと思って生きていくから」と言ってくれた。救われた半面、それを全部受け入れることはできなかった。

 

  ‥ 検査で精子があることが分かり、うれしい気持ちはあったよ。でも、そこから子供をつくるまでの道のりは長いわけで、確率も低いし、前向きな気持ちだけではなかった。

 《手術で取り出した精子を凍結保存し、顕微授精に挑んだユカイさん夫妻。だが、2回にわたる挑戦でも着床は確認されず、夫婦の関係もぎくしゃくし始めた》

 ささいなことで離婚した方がいいんじゃないかという時期もあり、「無理してやらなくてもいい」と、しばらく期間が空いた。そうしたとき、妻は「悔いの残らないようにしたい。どうせやるなら日本で一番の病院でやってみたい」。それで、北九州の病院に向かったんだ。

 2週間後、検査すると妊娠していた。うれしさはあったけれど、子供が本当に出てくるまでは心配でしようがなかった。いろいろ調べると、無精子症の子供は途中で流産しやすいとか書いてあったりするから。

 ‥ もう一度挑戦すると、どういうわけか双子ができて、この秋に生まれる。無精子症で子供を授かることはないと覚悟していたから、まさかビッグダディになるとは思わなかった。大変なこともいっぱいあるだろうけれど、自分のできることを精いっぱいやって育てたいね。

 

 

 

 最初にお医者さんが言った、「精子がゼロです」というのは、要するに性欲があり、射精したときに精液が出るんだけれど、その液体の中に精子が無い、という状態なんだろうか。こう言っては何だが、若い頃ミュージシャンとしてさんざん女遊びして来て、当然、旺盛な性欲はあったろうに、その若い頃に射出された延べ大量の体液の中には精子が居なくて、故に知らず、相手を妊娠させる能力は無かった。だから、まあ、考え方を変えたら、アソビ人としては非常に都合の良い状態であった。ということですね。ユカイさんには随分、失礼な言い方になってしまうけど。でも、本当は、ユカイさんという人が若い頃、そんなにとっかえひっかえひっきりなしに女遊びしてたかどうかは、実は、私は勿論のこと、全然知らないんですけど。ただ、あの風貌とミュージシャンという職業がら。それももう若き頃からの、けっこう年季の入ったミュージシャンだろうし。何か、定着イメージとして、ミュージシャン=とっかえひっかえの女遊び、と思っちゃうよね。もっとダークなイメージでは、時にはドラッグを使ってのSEXとかさ、つい考えてしまう。

 睾丸を切って中を調べたら精子があった、ということだけど、つまり普段の射精時の精液には精子が含まれていないが、睾丸内には精子は存在する、ということなんだろうか。睾丸は精子を作っている、つまり睾丸の機能はあるが作り出す精子が異常に少なく、精液に混ざるまでには足らず、従って睾丸機能は不十分だ、と。まあ、ここの記事文の説明だけでは詳しいことは全然解らないけど、とにかく睾丸内に精子があったからこそ、現代の医療技術=体外受精で妻を妊娠させることができ、宝子も授かることができた、と。進歩した現代医療技術のお蔭だなあ。ユカイさんは良かったよなあ。自分の精子があったんだから。生まれて来た子供は自分の遺伝子を継いだ子だ。やっぱり親は嫌ですよねえ。どちら側にしろ、自分の遺伝子ではなく何処の誰とも知れぬDNAの子供というのは。いくら「生みの親より育ての親」とか言っても。戸籍上は我が子でも、自分の血を受け継いでいない、というのは耐え難い苦しみがあるだろうなあ。難しいなあ。

 ユカイさんの場合は、若い頃の精液には精子がふんだんに入っていたけど、ある程度の年齢以上になってから、もともと睾丸の精子を作り出す力が弱くて、加齢と共に、射出する精液に精子が見あたらくなった、ということなんだろうか? まあ、詳しい事情は解りませんけど。もっと悪いケースで、もう、完全に精子そのものが、睾丸内にも何処にも無いという人は気の毒だよねえ。世の中にはいろいろな障害を持った人が居る。先天的、後天的、大なり小なり。けっこう存在する。それを解決して幸せに導く医療技術・科学とはありがたいものだ。また、その従事者・研究者の方々も。

 

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