○柵乗り越え飛び降りか=6年前からマンション居住-死亡した藤圭子さん・警視庁
東京都新宿区西新宿のマンションから転落し、死亡した歌手の藤圭子さん(62)が、マンションのベランダの手すりを乗り越え、飛び降り自殺を図ったとみられることが22日、警視庁新宿署への取材で分かった。
藤さんが知人の30代男性と、このマンションで約6年前から同居していたことも判明。藤さんは頭から血を流して路上で倒れており、同署は頭部の負傷が死因につながったとみて、遺体を検視して詳しく調べている。
同署によると、藤さんは同日午前7時ごろ、28階建てマンションの13階にある一室のベランダから地上に転落。現場の状況から、クーラーボックスを足場にして、ベランダの手すり(高さ約115センチ)を乗り越え、飛び降りたとみられる。ベランダにはスリッパの片方が残され、もう片方は路上に倒れていた藤さんのそばにあった。
現場に争ったような跡や着衣の乱れがないことなどから、同署は事件性はないと判断。室内にいた知人男性は「藤さんと約6年前からこの部屋で2人で暮らしていた。別々の部屋で寝ていたため、警察官が来るまで転落したことには気付かなかった」と話しているという。
○飛び降り自殺した宇多田ヒカルの母・藤圭子「6~7年前から音信不通だった」
宇多田ヒカルの母親で、歌手の藤圭子が22日、東京・新宿区のマンション敷地内で倒れているところを発見され、病院で死亡が確認された。関係者によると、知人男性のマンションから飛び降りたものとみられ、自殺の可能性が高いという。藤は今年3月、恩師ともいえる作詞家の石坂まさを氏の葬儀に顔を見せなかったことから、行方不明説がささやかれていた。
「6~7年ほど前から音信不通になりました。数百億円ともいわれる宇多田の稼ぎの一部を財産分与で譲り受けたこともあり、カネには困っていないようです。数千万ドルの貯金があるとか。一説には、米国に渡り、現地でビジネスをやっているのでは、という話もありましたね」(芸能ライター)
藤といえば、「圭子の夢は夜ひらく」などで知られる往年の名歌手だが、近年は宇多田ヒカルの母親として注目を集めていた。そして、何よりも奇行の多さでメディアを賑わせた。
「2006年に米ニューヨークのJFK国際空港で、所持していた42万ドル(当時のレートで約4,900万円)を没収されたことが大きく報じられました。現金から微量の規制薬物が検出されたことから、麻薬取引のために使われた現金と見なされました。藤は、ニューヨークの金庫に保管していた現金にギャンブルで勝った金を加えたものだと、違法性を否定。これが認められ、09年に現金が返還されました。しかし、そんな大金を所持してアメリカの空港をウロウロしていたのも異様だと、当時は大きな話題となったものです。世界中を旅して5億円は使ったなどと報じられていたので、てっきり海外にいるのだと思っていましたが、まさかこんなことになるとは……」(同)
藤のこれまでの足取りや自殺の動機など、詳細については現在のところ不明。残された遺族でもある、宇多田ヒカルの動向が注目される。
○藤圭子さん死去…飛び降り自殺か? 田原総一朗氏「明るく元気な人でした」
「圭子の夢は夜ひらく」などで知られ、宇多田ヒカルさんの母親でもある歌手の藤圭子さん(62)が2013年8月22日朝、東京・西新宿のマンションの敷地内で死亡しているのが見つかった。飛び降り自殺と見られている。
藤さんは1969年、「新宿の女」でデビュー。1970年に「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットし、一世を風靡した。その歌声は「怨歌」と作家・五木寛之さんから評された。近年は海外で生活していると報じられていた。
ツイッターでも驚愕の声あふれる
ネット上でもその活躍時代を知る人のみならず、「宇多田ヒカルの母」のイメージが強い若い世代からも驚愕の声が相次いだ。
「藤圭子さん自殺ってマジか・・・」
「えっ!!!マジで」
「ショック。好きな歌手だったのに。ご冥福を祈ります」
著名人では、ミュージシャンのつんくさんが「かなりショッキングです。驚いています」とつぶやいているほか、参院議員の三原じゅん子さんも、「悲しいニュースが飛び込んできました。宇多田ヒカルさんもショックでしょう」とブログを更新した。ジャーナリストの田原総一朗さんもツイッターで、
「びっくりしました。40年近く前に藤圭子さんにインタビューしました。とても明るく元気で、思った事をズバズバ言うでした」
と追悼の辞を述べている。
♪「15、16、17と、私の人生、辛かった‥」というのは当時の流行語で、僕らはよく、自分らの年齢を当てはめてギャグで歌ってた。藤圭子さんが大活躍してた時代って、僕が中学生の頃から高校二年生くらいまでだろうか。あの時代、歌番組はTVの花形で、勿論、各局やってたし、フジだけ取っても、ゴールデン・プライムで「今週のヒット速報」「夜のヒットスタジオ」とやって、日曜の午後もやってた。他局も同様で、そうだな、歌番組は週に十本といわずやってたんじゃなかろうか。僕が中学から高校の頃、藤圭子さんは、毎日TVで見ていたように思う。
僕の家には「圭子の夢は夜ひらく」があったから、僕はあんまし演歌系の歌は好みじゃなかったから、歳の離れた兄貴がドーナツ盤を買ったんじゃなかろうか。「新宿の女」はあったかなあ、どうだっけなあ? 確かに藤圭子さんの演歌の歌は、声量があり、うまくて印象的で迫力があった。子供心にイメージとして、影のある暗い女の人、という感じは受けてましたね。
その後、アメリカに渡ったのは驚いた。演歌歌手がアメリカで暮らす‥? あまりにもイメージが合わなかった。英語が出来るのか? 後年知ったことだけど、藤圭子さんは大ヒット売れっ子歌手として超多忙の中、独学で英語の勉強をしていたらしい。天才児、宇多田ヒカルを産んだ藤圭子は、もともと頭が良かったのだ。演歌の天才、というだけでなく、知能も高いものを持っていたのだろう。不遇の幼少期、学業に力を入れることが全然出来ず、学歴も中卒で終わっているが、もとからの頭脳は優秀なものを持っていたのだ。
宇多田ヒカルさんは、これは大ショックだろうなあ。同じ62歳で命を落とすでも、病死や事故死ならまだしも、これは辛いよなあ。多分、自分自身をも責めてしまうだろう。このショックはキツイだろうなあ。ヒカルちゃん、頑張って、と励ましたい気持ちだが‥。
浪曲と三味線で夫婦で演芸を見せる生業で糧を得ていた両親に、幼い頃から連れて回られ、いわば旅芸人の子として各地をてんてんと巡り、時代もあったろうが貧乏に苦しい思いをしながら育ち、それは食べるものも手に入らないような極貧を味合う日もあったろう、そんな苦境の生活の中で幼いながら精一杯歌を歌って成長していった、少女、藤圭子は10代も終わりに差し掛かった頃に、その鍛え上げられた歌の力で大ブレイクして、一気に歌姫として昇り上げ、少女時代の貧乏を見返してアザケ笑うくらいの富を得たろうが、幼少期の辛い思いばかりをして育った人格形成は、後々、晩年に入って、後遺症のように精神を蝕んだのではないか。と、何か、僕なりに勝手に想像する。
作家・五木寛之は、藤圭子の歌をして、それは演歌や艶歌などではなく、“怨歌”だ、と評したけど、藤圭子の幼少期の貧しくて貧しくて辛い思いをした経験・体験が、藤圭子の歌う歌を、歌自体の内容とはまた別に、自然と“怨歌”にしてしまったのだろう。という気がする。藤圭子は70年代の時代を代表する歌手であり、彼女は世の中そのものに影響を与えるような、あの時代を象徴する歌姫だった。まさしくあの時代を作った一人でもある。という気もする。こういう言い方は非常に悪いのだけど、最後の幕引きのやり方で、藤圭子は伝説になったようにも感じる。
僕は小学生の頃、クレイジーキャッツの映画に出演している園まりさんを見て、子供ながら、色っぽい園まりさんのファンになり、園まりの歌う「夢は夜ひらく」で、この歌は知っていたが、リメイクである藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」は衝撃的だった。園まりの歌とは全然違ってた。歌詞もかなりアレンジされていたけど、園まりの歌う歌はラブソングであり、ムード歌謡だった。藤圭子のそれはまさしく“怨歌”だったのだ。
TVの報道で、藤圭子は全共闘世代に影響を与えた、と語っていたが、全共闘世代に影響を与えた、で「あしたのジョー」を思い出した。大学生が漫画を読む、とトピックになった時代。あの時代の週刊少年マガジンには「あしたのジョー」の他に「ワル」や「アシュラ」や「メッタメッタがき道講座」が連載され、真崎守の「キバの紋章」が載り、上村一夫の読みきり短編が載った。表紙のデザインを横尾忠則がやって、そしてマガジンの表紙を藤圭子のグラビアが飾った。そんな時代だった。藤圭子の怨歌はあの時代を生きる人々の負の心に突き刺さり、そして癒した。70年代を象徴した歌手の一人。
幼い頃に形成された心の基本的な部分は、大人になって名声や富を得た後でも、いつまで経っても心の奥に「人間不信」を植え付けたままで、晩年、最後は人格を孤独の底に落としてしまった。しかし皮肉にも怨歌の藤圭子は伝説になった。
あの時代の藤圭子さんはまさしく美人で、美しかったなあ。
藤圭子さん、ご冥福をお祈りいたします。
しかし、まあ、我々貧乏人は、金さえあれば完璧幸せと思いがちだけど、巨万の富を持っていても、決して幸福だとは限らないんだな。人それぞれか。