うろ覚えライフ。

巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。懐古・郷愁。漫画・映画・小説・ポピュラー音楽。

純文学芥川賞作家

2012年01月20日 | ブックログ

○芥川賞に下関の田中さん、直木賞に久留米の葉室さん

 

  第146回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日夜、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞に山口県下関市の田中慎弥さん(39)「共喰(ともぐ)い」(「すばる」2011年10月号)、大阪市の円城塔(えんじょうとう)さん(39)「道化師の蝶(ちょう)」(「群像」同7月号)、直木賞に福岡県久留米市の葉室麟(はむろりん)さん(60)「蜩(ひぐらし)ノ記」(祥伝社)が決まった。

 九州・山口在住者の2人受賞は、1987年の村田喜代子さん(芥川賞)、白石一郎さん(直木賞)以来。

 田中さんは下関中央工高卒業後、05年に新潮新人賞を受けてデビュー。08年に川端康成文学賞、三島由紀夫賞を受賞し、注目を浴びた。「共喰い」は、下関らしき町を舞台に、男子高校生と父親との葛藤、暴力や性を描いた作品。芥川賞候補は5度目だった。

 円城さんは札幌市出身。東北大物理学科を卒業後、東大大学院博士課程を修了した。研究者生活を経て小説を書き始め、3度目の候補で賞に輝いた。「道化師の蝶」は、言語学の知識を駆使した実験的小説。

 5度目の候補で受賞した葉室さんは、05年に歴史文学賞を受賞しデビュー。07年には松本清張賞を受賞した。「蜩ノ記」は、切腹する運命にありながら藩史編さんに打ち込む武士の姿を通して、命の尊さを描く時代小説。

 副賞は各100万円。贈呈式は2月中旬に行われる。

 

○芥川賞候補作は「バカみたいな作品ばかり」 選考委員の石原都知事

 

  「自分の人生を反映したようなリアリティーがないね」

 

  芥川賞の選考委員を務める東京都の石原慎太郎知事は6日の定例会見で、いまの若手作家に欠けているものについて、こう語った。石原知事は「太陽の季節」で第34回芥川賞を受賞している。

 石原知事は「(作品に)心と身体、心身性といったものが感じられない」と指摘。「見事な『つくりごと』でも結構ですが、本物の、英語で言うならジェニュイン(正真正銘)なものがない」と述べた。石原知事は昨年11月の会見でも「みんなマーケティングで、同じ小説家がくるくる違うことを書く。観念というか、自分の感性でとらえた主題を一生追いかけていくのが芸術家だと思う」などと語っていた。

 第146回の芥川賞候補作は6日付で発表され、17日に選考委員会が開かれるが、石原知事は「苦労して読んでますけど、バカみたいな作品ばっかりだよ」とぼやくように話した。

 

○田中慎弥氏、石原氏に逆襲!芥川賞「もらっといてやる」

 

   第146回芥川、直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞は円城塔さん(39)の「道化師の蝶」と田中慎弥さん(39)の「共喰い」、直木賞は葉室麟(はむろ・りん)さん(60)の「蜩(ひぐらし)ノ記」に決まった。田中さんは受賞会見で選考委員の石原慎太郎東京都知事にかみつき、「(賞を)もらっといてやる!」と言い放った。

 東京・丸の内の東京会館で行われた受賞会見で、荒々しい早足で登壇した田中氏。5回目のノミネートでつかんだ受賞に「確かシャーリー・マクレーンでしたっけ?アカデミー賞で何度も候補に挙がりながらダメで、受賞の時に“私がもらって当たり前だ”と言ったそうですが、だいたいそんな感じです」と言い放ったかと思うと、「さっさと終わりましょう」と吐き捨てるように話した。

 受賞作「共喰い」は、昭和の終わり、「川辺」と呼ばれる小さな集落に生きる高校生が主人公。抑制が利かない自らの性欲と暴力性が、父親から受け継いだことを自覚し、逃れられない宿命におののく姿を描いた。関係者によると、若者の内面を描くことに定評が高いという。受賞の知らせは待機していた飲食店で聞いた。

 08年に「蛹(さなぎ)」で川端康成文学賞、「切れた鎖」で三島由紀夫賞を受賞した実力派。しかし、石原知事は6日の定例会見で、若い作家に欠けているものを問われ「自分の人生を反映したリアリティーがないね」と批判し、さらに芥川賞候補作品に関して「今も読んでいますけれど、苦労しながら、ばかみたいな作品ばかりだよ、今度は」と酷評していた。

 田中氏はそんな態度を腹に据えかねていたようで、自分から「これだけ落とされて、(受賞を)断ってしまいたいところなのですが、断りを入れて気の小さい選考委員が倒れてしまうと都政が混乱しますので、もらっといてやる!」と表情を変えずにまくし立てた。

 報道陣からそんな石原知事への一言を求められると、「おじいちゃん新党を作ってらっしゃるみたいなんで、それにいそしんでください」と選考委員の引退勧告とも受け取れるような発言まで飛び出した。

 

○石原氏、芥川賞選考委辞意「全然刺激にならない」

 

  芥川賞の選考委員を務めている東京都の石原慎太郎知事は18日、「全然刺激にならない」として、今回限りで選考委を辞退する考えを明らかにした。

  石原氏は報道陣に対し「いつか若い連中が出てきて足をすくわれる、そういう戦慄を期待したが、全然刺激にならないからもう辞めます」と語った。  

 石原氏はこれまで若手作家に関し「自分の人生を反映したようなリアリティーがない。(作品に)心と身体、心身性といったものが感じられない」などと語り、今月6日の知事会見では「苦労して(同賞候補作を)読んでますけど、バカみたいな作品ばっかりだよ」と話していた。

 ただ、今回受賞した田中慎弥氏が「都知事閣下と都民各位のためにもらっといてやる」と語ったことについて、石原氏は「皮肉っぽくていいじゃない。むしろ彼の作品を評価していた」と述べた。

 芥川賞主催の日本文学振興会によると、石原氏は平成7年から選考委を務め、今回の選考は石原氏を含め9人の委員で実施した。

 

○一貫して無職の田中さん…パソコン、携帯持たず

 

  芥川賞の選考委員、東京都の石原慎太郎知事(79)は候補5作品について今月6日「苦労して読んでますけど、バカみたいな作品ばっかりだよ」とボヤいた。そこで田中さんは「都知事閣下と東京都民各位のために(芥川賞を)もらっておいてやる」と毒づいた。

 受賞作「共喰い」の主人公は地方都市に住む17歳の少年。暴力的な性行為を繰り返す父を嫌悪しながらも、自らの中に父と同質の部分があることにおびえ、葛藤する。

 4歳で父を亡くし、今も郷里で母親と2人で暮らす。アルバイトも含め1度も職に就いたことがなく、20歳のころから小説を書き始めた。以来、1日も執筆を休んだことがない。「他のことは一切していない」という。

 子供のころから「常識とか、正しいとされることが嫌い」だった。パソコンや携帯電話は必要性を感じないため持たない。やはり変わってる!?

 

 苦役列車」で、2011年上期の芥川賞を受賞した西村賢太さんといい、芥川賞作家には面白い人が出て来て楽しい。何ていうか、一概には言えないんだけど、直木賞を受賞する人って、普通の人というと芥川賞の人に悪いんだけど、直木賞の人は常識的な普通人が多い印象を受け、芥川賞の人の方が悪くいえば、変わり者、かなり個性的な人が多いような、そういう印象を受ける。直木賞受賞者には常識的社会人という感じの人が多くて、芥川賞受賞者は、良くいえば芸術家肌、悪くいうとやはり変わり者的な個性の強い人。もっと違う見方、言い方をすると、直木賞の人は世間とうまくやっている人、うまく世間が渡れる人。芥川賞の人は世間との間に深い溝か小川かがありそうな感じの人。何か、芥川賞イメージが、芸術家肌かも知れないけど、例えば浮世離れした人も含んで、変り者でこの社会でうまく生きてない人、みたいな、漠然とそういう印象を持ってしまう。無論、偏見なんだろうが。でも、非常に個性的な人は断然、芥川賞作家の方だよね。直木賞の人は社会をうまく渡れる、しょせんは俗物のような。ゴメンナサイ。何かそういう印象で。まあ、直木賞作家の方が、後々金儲けしそうだし。

 僕はもう、読書の小説は完璧エンタティンメント派で、純文学を読んでいたなんて、18歳から20歳かせいぜい21歳くらいまでだと思う。16歳から読書を始めた僕は、最初は五木寛之や野坂昭如などのいわゆる中間小説からで、18歳からの3、4年間だけ、太宰治や大江健三郎などの日本の純文学作品や、比較的現代ものの世界の名作文学を読んだ。後はもう、SFとミステリばかりだ。圧倒的にミステリが多いなあ。ミステリとは、ハードボイルドも冒険小説もホラーも含んで、だけど。だから「苦役列車」も読んでないし、多分、今回受賞された、田中慎弥さんの「共喰い」もこの先読まないと思う。純文学って、やっぱり私小説が多いいじゃないですか。私小説って、内容の情報量が制限されてる、というか、要するに個人の生活を舞台にした芸術的感覚というのか何というのか、芸術的表現、やっぱり文芸という芸術の一つなんだよね。それに比べるとミステリでも何でも知的エンタティンメントは、まだ自分の知らない新しい情報量が詰まっている。一冊読むごとにこの世の新しい情報を知る、みたいな。例えば僕は一時期、船戸与一の冒険小説ばかりを読んでいたけど、あの人の作品は舞台が第三世界というか発展途上国ばかりでしょ。で、船戸さんなりに現地取材や、彼の地のことを詳しく書いたノンフィクション本を資料として読んで、そこから得た情報をベースに物語を紡いでいるんだよね。僕のような人生で二、三度しか海外に行ったことのない日本人でも、あんまり一般的日本人が行かない海外の地域のことや国際情勢などが、例え作家の想像で作り上げた物語世界でも、舞台や状況などのアウトラインには嘘は書かないから、大まかには、行ったことも行くこともない世界の危険地域、紛争地域の情報が得られる。後は例えば、ミステリでも、舞台がメディア世界の放送局なんかだと、僕が全然知らないそういう業界の内情だってある程度は解る訳じゃないですか。エンタティンメント小説の良いところは、物語世界の内容にワクワクハラハラ楽しめて、しかも新たな情報が得られる。そういう一粒で二度おいしいような点ですね。だから、そういう意味では、「文芸」として鑑賞してはいないと言えるのかも。芥川賞作品はやっぱり基本、「文芸」ですよね。

 僕なんかみたいなあんましアタマの出来の立派でない者には、「文学とはなんぞや?」とかよく解らないですねえ。その、文芸の芸術たる定義、みたいな理屈が僕にはよく解らない。青年期、例えば大江健三郎の短編もサルトルの短編も、「あ、面白い」と思って読んだ。逆に大江健三郎の長編やサルトルの「嘔吐」は、はっきり言って僕には面白くなかった訳で、僕はもう昔々、読書の最初から「面白いか、面白くないか」でしか読んで来てないし。そういう意味では、前回このBlogの何処かで、「若い頃は文学青年に憧れてた」とか何とか、ほざいてますけど、僕は文学青年とかには完全失格だったんでしょうね。でも、純文学の、自分の人生や生き様、生きることに対して真摯に立ち向かい、正に生きるか死ぬかで自分自身と対峙して書いた私小説には、やはり凄みや迫力があるんでしょうね。純文学といっても、例えば詩人から出発した吉行淳之介さんの作品群みたいなものもある訳ですけど。でも、きっと、「苦役列車」も「共喰い」も一人の人間の孤独や苦悩をこれでもかと書ききっていて、読めば面白いんでしょうね。小説を「面白い」でしか評価できない僕は、やはり文学面失格者だな。情けない。

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女子アナ視聴率力ベスト

2012年01月16日 | 芸能ログ

 

○高島彩が11位 女子アナ潜在視聴率トップ20を発表

 

  テレビ局内には「数字(視聴率)の獲れる女子アナ」と「獲れない女子アナ」のリストが存在する。週刊ポストが、複数の民放キー局と広告代理店が共同で極秘に作成した「女性アナウンサー潜在視聴率一覧表」を入手した。以下、上位20位までを紹介しよう。

【1位】加藤綾子(26)フジ 7.3%

【2位】生野陽子(27)フジ 7.1%

【3位】平井理央(29)フジ 6.8%
夏目三久(27)フリー 6.8%

【5位】有働由美子(42)NHK 6.7%

【6位】中野美奈子(32)フジ 6.4%

【7位】山崎夕貴(24)フジ 6.3%

【8位】青木裕子(29)TBS 6.1%

【9位】大橋未歩(33)テレ東 5.8%

【10位】鈴木奈穂子(29)NHK 5.6%

【11位】高島彩(32)フリー 5.5%

【12位】皆藤愛子(27)フリー 5.4%

【13位】葉山エレーヌ(29)日テレ 5.2%
田中みな実(25)TBS 5.2%
内田恭子(35)フリー 5.2%

【16位】竹内由恵(25)テレ朝 5.1%
小林悠(26)TBS 5.1%
安藤優子(53)フリー 5.1%

【19位】紺野あさ美(24)テレ東 4.9%

【20位】滝川クリステル(34)フリー 4.8%

 

   

 加藤綾子アナ、すごいなあ。カトパン時代ですねえ。フジの特番とかにもよく起用されてますものねえ。確か、好きな女子アナ-ベスト10でも第1位でしたよね。もう名実ともに現在の花形女子アナですねえ。TV局アナウンサー元来の報道の実力、というのとは、また別ものだろうけど。人気アナですね。通常のバラエティー進行MCとしては遜色はないですよね。それなりの力もあるし、色気や可愛さ、万人ウケの笑顔、スタイル、面白さ。アイドルアナ。好きな女子アナでもこの潜在視聴率アナでも、フジ勢が圧倒という感じ。やっぱ、みんな、バラエティーはフジを見てる、ということなんですかね。フジへの韓流偏向報道抗議デモはどうした?という感じですけど。フジ強い。カトパン時代は、先輩の生野陽子アナは口惜しいでしょうね。アイドルアナとしては先輩の平井理央は、カトパンを好きじゃないみたいですね。クイズ番組で一緒になった時の態度からですけど。そりゃそうですよね。かなりの後輩に王座に着かれたら、往年のアイドルアナとしては面白くないですよね。往年てまだ29歳だけど。日テレ辞めてフリーの夏目三久がまだまだ人気があるのが意外でした。まあ、彼氏とのニャンニャン写真系だし、今の女子アナでは多いことでしょうからね。女子アナ、お盛ん。別に不倫じゃないし。不倫はけっこうキツイみたいだけど、いかにベッドH写真流出でも独身どおしなら今の時代、視聴者も許す、ということなんでしょう。加藤綾子アナも昔の写真の流出がいっぱいあるみたいだし、あくまで噂ではこれまでの男性経験は50人以上とか、元々少女時代はヤンキーかチーマーか、渋谷で夜遊び常連だったとかいう噂だし。絶対1位のアヤパンは落ちましたねえ。やっぱり結婚したり局アナ辞めると人気は落ちるのかなあ。年齢もあるんでしょうね。一時代前のというとオオゲサか、5、6年前までの花形女子アナがもうみんな、こぞって30歳を二つも三つも越えちゃってるし。滝川クリステルさんなんて34歳だしね。カトパン王位の新時代なんでしょうね。もう、まややなんて女子アナ系で仕事する余地なんてないですね。まややは紳助の愛人だったスキャンダルは大きいよなあ。日ハム祐ちゃんと無事ゴールイン出来れば良いけど、祐ちゃんはあれでかなりの遊び人なんだという噂だし。高橋真麻フジアナは復活しましたねえ。好きな女子アナでは第8位でしょう。本来のアナウンサー力はないけど、バラエティーMCアシスタントでの、お笑い系に近いような、何ていうのか芸風といっていいのかどうか、もう女芸人の域に入って行ってる感じで。バラドル系女子アナとでもいうか。

 

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まやや、結婚は…?

2012年01月13日 | 芸能ログ

 

○小林麻耶、ハンカチ王子との交際を完全否定「正直驚いています」

 

  週刊誌にプロ野球・北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手(23)との伊勢神宮極秘参拝が報じられた件で、当事者であるフリーアナウンサー小林麻耶(32)が11日、ブログでコメントを発表し、交際を否定した。

 11日発売の週刊誌「週刊文春」が、先月28日に斎藤投手の両親を含め計5人で三重県伊勢市の伊勢神宮に参拝した報じた。

  これに対し小林は10日付のブログで「斎藤佑樹投手とは『ハンカチ王子』と呼ばれる前からの知り合いで、治療院の先生たち、患者さんたち、その仲間やご家族、みんな知り合いです。何年もの間の友人なので、今このような記事が出ることに正直驚いています」と参拝の事実は否定しなかったものの、報道に困惑している様子だ。

  また一部で、斎藤投手との交際も報じられているが「これからも友人、仲間のひとりとして、斎藤投手の活躍を応援します。新年早々、大変申し訳ありませんでした」と完全否定した。

 

○斎藤佑樹&小林麻耶に衝撃スクープも本人は否定

 

   北海道日本ハムファイターズ所属・斎藤佑樹とフリーアナウンサー・小林麻耶。プロ野球選手と人気アナウンサーによる大型カップル誕生か――。 

 11日発売「週刊文春」(文藝春秋)は、衝撃スクープとして『斎藤佑樹(23)&小林麻耶(32)「伊勢神宮家族ぐるみ「極秘参拝」!』と題したスクープ記事を掲載することが分かった。

  スクープが事実であれば、斎藤と小林アナは9歳差の年の差カップルに。プロ野球選手と人気アナウンサーの交際は、昨年、斎藤と同じ1988年生まれで、楽天・田中将大、巨人・坂本勇人らとともに黄金世代を形成する巨人・澤村拓一が元日本テレビアナウンサー・森麻季さんとの交際&結婚が話題になったばかり。選手、アナとしての知名度は、それぞれ澤村&森さんを上回る二人の交際は、日本中から注目を集めることになりそうだ。

  しかし、報道に先手を打つように、10日19時20分、小林アナは自身の公式ブログで「一部週刊誌に、日本ハムの斎藤佑樹投手との記事が出ることを聞きました。記事に対するコメントをブログに書くのは・・・と考えましたが、今回ばかりは、相手の方にご迷惑がかかってしまうと思い、こちらで書かせていただきます」と前置きした上で、「斎藤佑樹投手とは、「ハンカチ王子」と呼ばれる前からの知り合いで、治療院の先生たち、患者さんたち、その仲間やご家族、みんな知り合いです。何年もの間の友人なので、今このような記事が出ることに正直驚いています」と綴り、否定している。

 

 

 

 ネットのニュース記事で読んだんだけど、この、斉藤祐樹投手とのお伊勢参りは、今後の小林麻耶フリーアナに取っては、ますます仕事がなくなる行動だった、というようなことが書かれてあった。斉藤祐樹選手、ユウちゃんのファン層が30代40代の女性層で、そういう視聴者層からも嫌われることになり、だいたいがベチャッとしたぶりっ子タイプのアイドルアナだっただけに、女性層であまり好ましく思われていないところに持って来て、ユウちゃんとラブラブと取られかねないニュースは、ますます女性層を敵に回す、とか何とかいう話でした。

 そういえば、12日放送のフジ、池上彬ニュース解説特番も、今まではMCはフリーアナ、滝川クリステルだったのに、この日の特番では高島彩フリーアナでした。アヤパンがフリー化したためにクリステルさんの仕事が取られた、訳ですね。局の女子アナは次から次へと若い美女の新人が毎年毎年入って来るし、TV界に残ろうとする、とうのたったというか、30歳近くから30歳以上の女子アナは、局退社してフリーアナで仕事を得ようと必死になるし、どう見たって、メディアのアナ席に対して人員が多過ぎですよね。仕事にあぶれる女子アナがいっぱい出る状態。まややも32歳ですか。よっぽど実力とか好感度を持ってないと、今のメディア界で安定してやって行くのは難しそうな。現にクイズ番組で何とかTVに残ってるアナ崩れの多いこと。

 ネットニュース記事では、まややは、伊勢神宮で、他の参拝客が、小林麻耶の両親かと間違ったほど、ユウちゃんの両親と仲良く親しく会話してたというから、案外、けっこうイイ感じなのかも、ですね。と、すればこのままフリーアナで難しいメディア界で仕事を捜し捜し、ふうふうやって行くよりもいっそ、野球選手の女房として、内助の功の人生送る方が良いのではないか、という気がしないでもないけど。だいたいスポーツ選手の女房って、年上が多いし、そっちの方がうまく行ってるケースもいっぱいあるし、イチローさんの元女子アナの奥さんだってかなり年上でしょう。成績残すスポーツ選手の奥さんて、姉さん女房が多いイメージですよね。

 ダルビッシュが田中マー君に、「おまえ、大リーグ行くつもりなら、嫁さんは考えて選んだ方がいいぞ」とアドバイスしたとか、ネットのニュースにありましたけど、ダルビッシュの嫁はひどかったですねえ。銭ゲバもイイトコ。札幌でダルビッシュが試合を終えて帰宅しても、嫁は家に居なくて、ダルはいつも外食だったとか。だいたいサエコは、プロ野球選手の嫁の役目って考えないで結婚したんでしょうね。プロ野球選手ダルビッシュ投手としては、最悪の嫁選びでしたね。サエコもプロスポーツ選手と結婚なんかしなければ良いのに。プロスポーツ選手の女房の役目なんて解るでしょうにね。内助の功が嫌なら、もっと違う相手を選べば良かったんですよ。あれはダルは最悪の失敗でしたね。プロ選手がプロの世界でバンバンやってる間は、家庭で、選手である夫をケアして支えなきゃいけない。肝腎の亭主を放ったらかして、自分が家に居ないでサエコブランドとか何とか、好き勝手にやって、そのビジネスも失敗気味なんでしょ。離婚裁判では子供を育てるからって、メチャクチャ法外な金を要求するし。子供を人質に莫大な金を要求してるみたいに見える。自分には何もないくせに、とんでもない金の亡者女ですね。ダルなんて日本野球界の至宝的存在の投手ですよ。それに比べたらサエコなんて、何にも持たない三流タレントじゃないですか。ここまで書き込んだら、サエコファンから怒りの反論コメントが来るのだろうか。まあ、僕ははっきりサエコ、嫌いですけど。ダルからぶんどった莫大な金の何割かを、東北大震災や福島原発事故の被災難民の方たちの義捐金に差し出すなら、許す。

 小林麻耶さんと斉藤祐樹選手のカップルは、何だか似合って見えますね。かなり年上だけど、プロスポーツ選手の女房として、家庭でケアして内助の功を発揮したら、夫婦として何だかうまく行きそうなカップルに見えるけど。出来ればまややの今後は、それが良いような気もしないことないんだけども。ただ、斉藤ユウちゃん、何処までやって行けるのか。プロ選手としてこの先、十年以上も第一線で続けて行けるだけの実力があるのかどうか、という疑問は何か、してしまうんですよねえ。田中マー君はあの立派な肉体を持って大投手の仲間入りした訳だけど、ユウちゃんは体格的に恵まれてないしなあ。技巧派で生きて行くしかないんだろうけど。もう、まややさんの今後は、ユウちゃんの嫁業が一番良いみたいな。でも、ユウちゃんの将来がまだ確実じゃないしなあ。結婚したらお祝いしたい。案外、ユウちゃんのアゲマンかも知れないし。頑張れ、斉藤投手。別にファンでもないけど。

 

 

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成人の日

2012年01月09日 | Weblog

 

○門出の日誓い新た

 

  成人の日」(9日)を前に、県内各地で8日、成人式が催された。振り袖やスーツに身を包んだ新成人たちは、降り積もった雪に足元を気にしながら続々と会場入り。旧友との再会を懐かしむとともに誓いを新たにした。東日本大震災の被災地では、それぞれの立場で復興に寄与したいという声が相次いだ。

 八戸市の式典は、市体育館で行われ、2360人の新成人のうち2043人が出席した。まず東日本大震災の犠牲者に全員で黙とうをささげた。被災地の同市も復興の途上にあるとして、小林真市長は「古里を愛する心を持ち続け、街づくりに積極的に参加して、発展の一翼を担ってほしい」と激励した。

 新成人を代表し、日本大学2年の釜石拓真さんと岩手大学2年の今野結実さんが壇上に上がり、「古里を守り、次世代に受け継ぐため、私たちも、どんな苦難も乗り越えなければならない」と誓いの言葉を述べた。

 会場からも、震災からの復興に思いを寄せる新成人の声が聞かれた。

 千葉県浦安市の建設会社員大久保良亮さんは「もっと仕事を覚えて、生まれ育った八戸の復興に携わりたい」と意欲を示した。震災の津波で、八戸市市川町の実家が床下浸水の被害を受けた新渡戸文化短大2年の石田夏実さんは「被災した人たちに元気になってもらいたい。自分にできることがあるなら積極的に取り組みたい」と、大人への新たな一歩、自覚に気を引き締めた。

 会場では、高校生ボランティアが受け付けを手伝い、晴れ着姿の先輩たちを出迎えた。式典終了後は、新成人が卒業した市内27中学校別に、恩師や仲間と再会する「ふれあいタイム」があり、笑顔と歓声が広がった。

7日に積雪が100センチを超えた青森市では、8日も雪が降る中、新成人対象の2841人のうち、2会場で計2187人が出席した。市文化会館では、新成人たちが、久しぶりに会った友人と写真を撮り合ったり、恩師と思い出話に花を咲かせたりしていた。

 新成人を代表し、あいさつをした青森市の消防署員、新山公平さんは「この場にいることの感謝を忘れず、この時代を生きる若人としての責任を果たしたい」と述べた。

 青森市浪打、弘前大学2年の肴倉由実さんは、「これまで育ててくれた家族に恩返しをしていきたい」と笑顔を見せたものの経済情勢に不安を募らせる。「地元、青森で働く場所があるのか。若い人の人材流出を止めるために何ができるのか、自分たちも考えていきたい」と話していた。

 

○被災3県アンケート 一番大切なのは「家族」

 

  9日の「成人の日」を前に全国各地で成人式が行われ、岩手、宮城、福島の被災3県でも8日、多くの自治体で式典が開かれた。東日本大震災後に初めて迎えた成人式で、大人の仲間入りをした被災地の若者は何を思うのか。産経新聞はこの3県の新成人を対象にアンケートを実施し、その意識を探った。震災をきっかけに家族や地元(地域社会)に思いを寄せる切実な心情が浮かび上がった。 …

 集計の結果、(1)は「家族」との回答がもっとも多く、83人に上った。当たり前のように感じていた家族の大切さに気づいたという若者が多く、自由記入欄にも「最初に心配したのは家族だった」といった回答が目立った。次は「友人・恋人」と「地元(地域社会)」が多く、それぞれ20人と16人だった。

 (2)は、地元に残って暮らしたいとする回答が54人と、ほぼ半数を占めた。しかし内訳を見ると、岩手、宮城両県ではそれぞれ52%、57%と半数を超えていたが、原発事故による放射能の影響の残る福島県では40%にとどまった。

 一方、(3)の設問で震災からの復興に役に立ちたいと考える若者は85%に上り、仕事やボランティアを通じた地域貢献に高い関心があることがうかがえた。



 2012年1月9日は平成24年の成人の日ですが、今年の成人の日の、成人式に出席される、というのか今年成人を迎える、というのか、成人の日の成人式出席者ってどうなんだっけか? まだ実年齢19歳でも成人式に出席しますよね。誕生日が1月9日までで現在20歳の人もいるだろうし、済みません、詳しくはよく知りませんが、何でも今年の新成人は平成4年頃誕生の若者たちだとか。成人式って、地域に寄ってはカレンダーの祝日成人の日ではない地域も、確か、あるんですよね。昔は若者は東京へ東京へと行ってたから、地方では若者が帰省する盆正月に式典を行ったりしてたけど、高度経済成長時代ではない現代は、地方に残る若者も多いのかな。いや、地方では仕事がないからやっぱり都会へと出て行くのか。済みません、これも私は不勉強で社会の現況を把握しておりませんが、まあ、今回の新成人たちというか、成人式出席者たちは、平成4年頃生まれなんですね。1992年頃誕生者。

 平成4年、1992年というと、僕は、それまで3年半勤めた印刷会社を辞めて、この年の10月後半から社会福祉施設で働き始めた年です。いやあ~、後悔しましたねえ。辞めたい、俺には向いてない、辞めたい、と毎日嘆きながら、何と14年間も勤めました。よく続いたと思います。その前の印刷会社での企画部での仕事が、そこを辞めた後で自分の天職だったように思えて、辞めたこと、つくづく後悔しました。ここでは、僕自身の、印刷会社企画部での仕事内容は詳しくは書きませんが、少なくとも今では、好きでやっていた仕事だったように思います。そこから、全く違う職種の社会福祉施設の仕事に就いて、随分苦労しましたが、そこを辞めた後振り返って、14年間もよく続いたものだと我ながら感心したものです。はっきり、僕には向いてない職場でしたねえ。ただ、勿論、14年の間には勉強させてもらったこともいっぱいありました。この職場で経験して、自身のためになったことは計り知れないようにも思えます。けど、いつもいつも、あ~辞めたい、辞めたい、ばかり思っていた職場ではありました。ホントに向いてなくて嫌な職場だったなあ。無論、そこで働いている人たちはみんな良い人たちで、良き職場仲間の方々ばかりでしたが。勿論、当時の職場の皆さんには、本当にお世話になりました。

 当時、僕はそこの職場の同僚の、ある女子職員の方に、「人間嫌いの人に見える」と言われたことがありましたが、僕は、TVでもニュースでも物語でも人に聞く話でも何でも、悲しい事件や悲しい話、感動する事件や感動する話には涙を流すし、しょせんは人間社会で生きて行ってる訳ですから、これまでの僕の人生でも、他人に助けてもらったことも、もういっぱいありますし、助けてもらったときはいつでも感謝してましたし、人とはありがたいものだ、と思っています。当然、人間嫌いではありません。多分、僕はコミュニュケーション下手で、それをよく自分で知っているから、人の集まりを避けようとするのです。つまり、ヒトヅキアイが苦手で、それをよく解っているのです。僕はもう幼少時からヒトミシリが強く、子供の頃は、なかなか他人になつかない子供でした。大人になってからもヒトミシリは強いままですし、人嫌いというよりもむしろ人が好きだとも思うんだけど、ヒトヅキアイ苦手意識で、集団から離れて居たがる傾向もあるんですね。でも、僕は出来の悪い人間でしたから、これまでの人生のいろいろな場面で助けていただいた人たちには、本当にひたすら感謝の念も持っています。

 子供の頃から僕はひょうきんな一面を持っていて、とにかく友達にウケて笑われたいと、ギャグを言ったりしたりおどけてみたり、時には教室の教壇に立って一人漫談や友達と組んで漫才をしてみたりして、とにかくクラスの友達にウケようウケようとしていたのも、自身のコミュニュケーション下手を、道化を演じて笑いを取ることで補っていたのかも知れません。あれもヒトヅキアイの苦手な人間が、子供ながらに身に着けた処世術なのかも知れないな、とも思います。

 そういえば、社会福祉施設勤務時代に、事務員をしているある女子職員の方が、ワザワザ僕を呼んで頼みごとをして、いっぱい職員が居る中でどうして僕に頼むかと言うと、一番断りそうにないからだ、と言っていたのを印象深く憶えています。僕はもう昔々から人にものを頼まれると嫌と言えない性格で、最初嫌と言っても押し切られて「はい」と返事してしまう、そういう性格なんですね。だから、そこを事務員の人からも見抜かれていて、ワザワザ呼ばれたのかと思うと、その時は何だかがっかりして、ちょっと情けなく寂しく思ったものでした。またしてもそういえばですが、いわゆる、かあらあのお~、になりますけど、昔々の若い時分、ある日ある時、当時の上司、K係長に「僕はいつも使われてばかりいる、利用されている」と、職場での不満をぶつけたんですけど、その時K係長が回答してくれた言葉が、「人に使われる人間になれ、人に利用される人間になれ」でした。仕事で、職場で、人に使われる、人に利用される、というのは、人に必要とされている、ということなのだ。必要とされない人間は人から使われも利用されもしない、というような意味でした。そういう話を聞いても、当時の僕の不満は解消はしませんでしたけど、後々考えると、ああ、逆説だったんだなあ、と思ったものです。

 平成4年のヒット曲は「愛は勝つ」なんですね。懐かしい。92年の10月後半から社会福祉施設に勤め始めた僕は、とにかく、経験したことのない、初めての職種だったので、すぐに同業他社の他の施設に研修に行かされました。そこで受けた研修期間中に施設の中の業務用音楽機器でよく流れていたのが、大事マンブラザースバンドの「それが大事」という歌で、あの歌が流行っていたのも調度あの時分だったんですねえ。懐かしい。あの頃は、ニュー応援歌みたいな曲が流行していた。

 今の新成人たちとは、平成3年、1991年も入るのか。平成3年平成4年、1991年・92年生まれの若者たちになるのか。僕が成人したのはもう大昔でしたし、その成人式のとき僕は早生まれだからまだ19歳だったし、無論、当時の僕の住所にも成人式の案内が届きましたけど、僕は成人式には出たことありません。やっぱり、僕は人の集まるのが嫌いで、というか人がいっぱい集まってるのが苦手で、とうとう行かなかった。一生一度の成人式でしたけど、人の集まりに出ることの苦手意識の方が勝っちゃって。独り、街を徘徊して回ってました。一人、映画見にでも行ってたのかも知れない。まあ、僕のような人間から新成人に言うことなんて何もありませんが、僭越ながら一言だけ言わせてもらえるならば、人生は思ったより短いぞ、ということですね。というか、人はあっという間に歳を取る。歳取ると、若い時分からは信じられないくらいに身体がいうことを利かなくなる。若い頃に比べると、格段に身体が動かなくなる。スタミナとか持久力もなくなる。若い頃のような無理は絶対に出来なくなる。熱意やモチベーションの持続がかなり難しくなる。だから、今の若い人たちは、20代30代の元気の良い期間を大切にして生き抜いて!、ということですね。男も女も、あっと言う間に歳を取ります。バンバン身体が動く内に無理が利く内に、後々悔いがないように人生、頑張って生き抜いちゃってください。あなたの人生はあなただけ、あなたのもの一回きり。誰も40歳を越えると思うようには身体が動いてはくれなくなりますよ。それはさらに50代で、もっとずっとひどくなる。思ったって、熱意持ったって、身体が着いて行かなくなる。今から将来をよく考えて、出来るだけ後悔しないように送るために、今からバリバリ自分自身の人生を頑張っちゃってください。

※記事巻頭画像は今年新成人のAKB48の高橋みなみさんです。あっちゃんもトモちんも大島優子さんも可愛いけど、タカミナはあの大所帯のリーダーとして、元気よく、頑張り屋で感情豊かでカッコ良くて、イイですね!応援したくなります。この先、道のりは、決して平板ではないでしょうけど頑張ってください。長い人生、若い時代を頑張り抜いてください。はい。

 

 

○AKB48前田敦子ら19人 “本拠地”近くで成人式

 

  アイドルグループAKB48の前田敦子、柏木由紀ら、SKE48の松井玲奈ら今年度成人を迎えたメンバー19人が9日、AKB48劇場に程近い東京・神田明神で成人式を行った。

 昨年成人式に出席したのは宮澤佐江(21)ら7人だったが、今回は欠席したSKE48の桑原みずきも含め20人が新成人に。高橋みなみが「20歳が“はたち”いたのですごいびっくりしています」と興奮気味にまくしたてると即座に「はたちじゃなくて20人でしょ」とツッコミを受けていた。

 午前7時半からの成人式に合わせ、メンバーはこの日3時半から着付けや髪のセットをして臨んだという。オリコンの年間ランキングで、シングルCD売り上げ枚数の上位5作品独占、日本レコード大賞受賞など、2011年はAKB48にとって過去最高の1年となったが「それを上回るような年にしたい」(板野友美)「どこまでもレベルを上げていかないと」(前田)とさらに上を目指すことを誓った。

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真樹日佐夫先生逝く‥

2012年01月04日 | 格闘技ログ

 

○真樹日佐夫氏死去(作家、真樹道場首席師範)

 

  真樹 日佐夫氏(まき・ひさお、本名高森真土=たかもり・まつち=作家、真樹道場首席師範)2日午後5時34分、急性肺炎のため神奈川県内の病院で死去、71歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。

 漫画原作者の故梶原一騎氏の実弟。空手家としても活躍し、80年真樹道場設立。主な著書に「凶器」「兄貴―梶原一騎の夢の残骸」。「ワル」など漫画原作や映画プロデュースも手掛けた。

訃報:真樹日佐夫氏が急性肺炎で死去

 

    1月2日(月)、漫画原作者・小説家で、世界空手道連盟・真樹道場宗師の真樹日佐夫氏が急性肺炎のため、死去した。享年71歳。

 関係者によると、真樹氏は2日の午後、神奈川県の逗子マリーナで自身が保有するヨットに乗船しようとした際に倒れて意識不明となり、そのまま県内の病院に搬送され、17時34分に息を引き取った。真樹氏は年末から体調を崩して声が枯れており、本人も周囲も風邪だと思っていたという。

 真樹氏は故梶原一騎氏の実弟で知られる。漫画原作者として『ワル』を手がけ、作家として高森真士(たかもり しんじ)というペンネームで活動し、『凶器』で1968年にオール讀物新人賞を受賞。近年では『サンデージャポン』のサンジャポファミリーとしてVTR出演し、『作家生活50周年記念パーティー』には約1000人の関係者が参加した。

 また真樹氏は1980年に真樹道場を設立。2008年からは格闘技イベント『四角いジャングル』シリーズを定期的に開催し、昨年10月のGRABAKA主催興行では真樹日佐夫プロデュース試合としてミノワマンvsボビー・オロゴンを実現させた。

 葬儀・告別式は家族や親族による密葬として行われ、一般には、有志が集まりお別れ会の開催が計画されている。

 

 ショックだなあ。真樹日佐夫先生は、ある意味、僕の恩師の一人でもあります。勿論、僕は実際に、真樹日佐夫先生にお目に掛かったことは一度だってありません。が、師である、という気がしてなりません。それは少年時代から、当時熱中愛読していた漫画群の中で、真樹日佐夫原作の漫画作品にもいっぱい触れ、もろもろ、熱狂していたからです。僕の少年期、そして成人してからも愛読し続けた、「ワル」シリーズ。オリジナル「ワル」や「新書ワル」~「ワル」正伝を、繰り返し何度も読みました。「けものみち」も忘れられない劇画作品ですねえ。また、僕は30歳から空手を習い始めましたが、真樹先生の、高森真士名義の小説作品、「ザ・カラテ」や「新宿魔拳街」シリーズや「決闘者」といった、武道・武術格闘アクション小説も愛読しました。真樹日佐夫先生の市街地路上での突然の暴力ざたに見舞われた場合、どう対処すればいいか、という護身法解説の指南書、「ケンカのバイブル」も何度も繰り返し読みました。雑誌の真樹先生のエッセイもよく読んだ。ご自身の武勇伝、護身術、突如の喧嘩ざたの戦い方の指南。漫画も小説もエッセイもどれも面白かった。どちらかというと血湧き肉踊る関係の熱血系で、読むと、何か身体の中に生き生きと元気が出て来た。映画作品もオリジナルビデオ作品も、漫画作品や小説ほどは熱中しなかったけど、面白く、何本も見ています。

 僕は30歳で始めた空手道場通いを、行ったり行かなかったりですが十年間続けていて、その間も、その後の、身体を悪くするまでの2、3年後までも、武道・武術オタクで、晩や深夜の公園グランド独り練習や、あらゆる格闘技関係の雑誌や書物を読んで行く、格闘技漫画も見つけたら全部読む、という感じで、その道オタク業を続けていましたけど、当時、真樹先生の書かれたものは見つければ何でも読んで参考にしていました。例えば、劇画作品「ワル-正伝」(『新書ワル』)での登場人物、空手の達人でありドス使いの殺し屋、角帽マサの使う空手ワザ、「内回し足刀蹴り」や「底足外回し受け」という足ワザは初めて知るワザで、漫画絵の動きどおり真似て、何度も何度も練習しました。これは使えそうな気がして、これを取り入れたコンビネーションを深夜のグランドで独り、黙々とトレーニングしてました。角帽マサの使うワザは、骨法のあびせ蹴りのような、前転かかと蹴りやタンブリングなどもありましたが、これはあまり実戦的でないので練習はしませんでしたけど。でも、前転かかと蹴りはちょっと練習してみたりしてましたね。極真空手の胴回し回転蹴りに似てますけどね。角帽マサの殺しの得意手は、ドス+カラテだったので、僕も真似して、左手に特殊警棒を持って足技と混ぜて使うコンビネーションを考えて練習しました。深夜のグランドで独り黙々。だいたい僕は脳味噌が幼稚な上に被害妄想ぎみなので、こういう練習も独り積んでいたんですね。しかし、「内回し足刀蹴り」は街中で暴漢に襲われ、相手に刃物や木刀を構えられた場合、それを弾き落とすのに非常に有効な気がしていたので、是非マスターしたいと、このワザの練習は相当行いましたね。

 僕が中学生から高校生の時代に連載されていた、真樹日佐夫原作で石井いさみ作画の「のら犬の丘」は素晴らしい青春漫画作品でした。青春漫画の名作と言いたい。僕の中学生時、週刊少年サンデーに連載されていた、ドストエフスキーの「罪と罰」を下敷きにした梅本さちお作画の漫画、「飛べない翼」は長らく、実兄である梶原一騎作品とばかり思い込んでいましたけど、真樹日佐夫原作作品でした。空手の達人、真樹日佐夫氏はカッコ良かったですねえ。数々の武勇伝もだけど、そのたたずまい、執筆する作品の内容、言動。シビレルくらいカッコ良かったなあ。お兄さんの梶原一騎氏同様、多少キナ臭い雰囲気は、まあ、ありはしましたけど。イケてたおじさんでした。還暦にして毎日二時間はみっちり空手の稽古を行う姿勢。真樹道場入門に当たっては都内道場で一番練習がキツイと覚悟せよ。タバコも酒もコーヒーも毎日メチャメチャ多飲するが、その毒を全部稽古の汗で流しきる、という姿勢。カッコ良いねえ。ちょっと真似できない。僕は大山倍達よりも梶原一騎よりも真樹日佐夫が好きでファンでした。早稲田中退学歴の真樹先生は実はかなりアタマの良い方でもあったし。その無頼の男イズムがシビレルくらいカッコ良かったんですねえ。

 それからね、僕、すっごい若い頃ね、羽田空港で働いていて、当時住んでた川崎から通勤してて途中蒲田乗換えで、空港での仕事は交替制で、遅番や夜勤の時は早めに出て蒲田界隈で時間潰したり、退社後は職場の先輩たちとよく蒲田の歓楽街で飲み食いしてたから、真樹日佐夫作品の漫画や小説には蒲田界隈が舞台でよく出て来るんで、後々読んだとき何か懐かしくてね。それも何かね、思い出みたいに残ってる。多分、真樹日佐夫さんは幼・少年期、蒲田界隈で過ごしているんでしょうね。

 このBlogも、最近は、ここ一年、もうちょっと前からか、昭和に活躍した有名人・文化人たちが、言葉は悪いが続々と、現世を退場して行ってしまったいる訳で、何というか記事内容がお悔やみ訃報記事ばかりになってしまっている。まあ、Blogタイトルそのものに「極楽」なんて着いちゃってるから、何なんだけども、本当にお悔やみBlogみたくなってしまっている。僕が書き込む訃報有名人たちはみんな、僕が少年期・青年期、30代と、元気バリバリだった頃にメディアで接した有名人たちで、まあ、ある意味、僕の人生を作ってくれた人たちとも言える。そういう意味では、その死は感慨深く重く、そして寂寥感がある。いや、寂しいですねえ。その一言に尽きますよ。

(関連記事)
※漫画作品
「のら犬の丘」完全版07-02/26、「のら犬の丘」05-03/05、「のら犬の丘-2」05-03/08
「ワル-最終章-」05-10/22

◆(2005-03/05)「のら犬の丘
◆(2005-03/08)「のら犬の丘」 ・・・・(2)
◆(2007-02/26)漫画‥ 「のら犬の丘」 ..完全版③④巻
◆(2005-10/22)「ワル」
◆(2005-10/22)「ワル -最終章-」
◆(2012-01/04)真樹日佐夫先生逝く‥

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