生きたまま極楽! 

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笑っていいとも グランドフィナーレ…Ⅱ

2014年04月03日 | 芸能ログ

○サングラスの奥に見た、タモリの誇りと優しさ 「笑っていいとも!」、もう「終わってもいいとも」- 東洋経済オンライン

 

  グローバル化の進展により、国の枠を超えて活躍する「グローバルエリート」が生まれている。そんな中、人気コラム「グローバルエリートは見た!」の筆者で、『世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた』の著者であるムーギー・キム氏が後継者を募集。“芸風が似ている”ということで後継コラムニストとして指名されたブラザー・キム氏が、香港を拠点に世界を飛び回りながら、一流エリートと二流エリートの違いをつづっていく。

 「きのーうまーでのがーらーくーたーをーショブン ショブン♪」

というわけで、ついに「笑っていいとも!」が終わってしまった。私は最終回の日、まさに数年ぶりに「笑っていいとも!」を夜の特番だが見させてもらったわけだが、私のように数年ぶりに最終回だけは見たい、と久しぶりにタモリを見た人も多かったことだろう。32年というギネスに載るような長寿番組を担当されたタモリさんにまず、心から慰労の言葉をささげたい。

この「笑っていいとも!」最終回特番には、なぜタモリさんが32年間もいいともを続けてこられたのか、芸能人としての成功要因だけでなく、ビジネスパーソン全般への貴重なインプリケーションに富んでいた。そのいくつかを親愛なる読者の皆様と共有させていただこう。

■タモリは芸能界の港のような人物

「タモリさん、あんたは港のような人やで!」と笑福亭鶴瓶師匠がいいことを言っていたが、その特番の登場人物を見ると、その組み合わせがすごい。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、とんねるず、爆笑問題、明石家さんま……などなど、日頃、同じ舞台で並び立たないお笑い界の重鎮どころが大集結している。両雄並び立たずとはよく言ったもので、やはりこの組み合わせはぎこちなく、からみも面白くなかったわけだが、すごいのは芸能界のどのような派閥とも仲良くやっているように見える、すくなくとも一緒に仕事ができるタモリさんの人徳であろう。

この「好き嫌いなく誰とでもいっしょに働く力」というのは、自分自身の活躍の場を広げるためにクリティカルに重要なスキルである。いや、もちろんタモリさんも嫌いな芸能人はいることだろう。しかし、私のコンサル時代の優秀な先輩の言葉を思い出すが、「仕事に好き嫌いは持ち込まない」ということなのだろうか。また一流のプロレスラーよろしく、タモリさんの周りにさまざまな芸能人が寄ってきたのは、タモリさんが各タレントの魅力を引き出してくれる、という信頼感によるところも大きいだろう。

  タモリという港は人が寄るだけでなく、エネルギーを満タンにして芸能界という大海にタレントを送り出してきた。人を育てるのは人生で最も偉大な仕事のひとつだと言われるが、多くの芸能人が「笑っていいとも!」をプラットフォームに、お茶の間に羽ばたいていったことも特筆に値しよう。

鶴瓶師匠の「この人は港みたいな人や」というのは、自分自身が他人にとって「港みたいな人」であれているかどうかを自問する、よい契機になった。

■面白いかどうかより、見ていたいかどうか

実はこのグローバルエリートの弟子ことブラザー・キム、金融の世界に飛び込む前はお笑い志望の一時期があり、恥ずかしながら高校のときとか大学のときはお笑い番組のオーディションに何度か出場したことがある。持ちネタは、「裸の大将のモノマネ」一本、という勝ち目の薄い戦いだったわけだが、私自身、タンクトップにグリーンの短パンを着て、傘を差しながらおむすびを食べる姿に絶大な自信があったこともあり、何度かこのネタでお笑い番組のオーディションに出陣したことがある。

そこでいったん大笑いしてくれたものの、先に進めてくれなかったプロデューサーの一言が、実は私の脳裏に刻み込まれている。「お笑い番組って、タレントが面白いかどうかより、視聴者がずっと見ていたいかどうかが肝心なんだよね……」。

お笑い番組なのに、最も求められているのは笑いではなく、視聴者が繰り返し見たいと思う気持ち、これは言い換えれば「安心感」ということであろう。この意味で、「笑っていいとも!」は、決して笑えるような番組ではなく、正直、マンネリで惰性化していた。しかし、確かに安心感という意味ではほかの番組の追随を許さない、昼に8チャンネルに合わせると32年間、ずっとそこにタモリがいる――そういった絶大な安心感をお茶の間に提供してきた。

32年というと、3歳くらいからテレビを見始めるとして、実に日本の人口の4割はタモリと共に育ち、また残りの6割は大人になってから笑っていいともを見始めて今に至っているわけである。そう考えれば実に多くの日本に住む人々のあらゆるライフステージで、絶対的な日常感と安心感を提供してきたのが、「笑っていいとも!」が32年続いた秘訣ともいえるだろう。

■一貫したタモリブランドの演出~怒らなかったタモリ

「笑っていいとも!」が提供してきた、“いつもそこにタモリがいる”安心感であるが、32年間、悲しい日やつらい日がなかったはずがない。しかし昼に8チャンネルに合わせれば、いつものひょうひょうとしたタモリの姿がある。笑っていいとも最終回の特番の終わりで、各芸能人がタモリに送るスピーチをしているとき、共通して出てきた言葉が「本当はものすごくシャイで、優しい人」という点と、「絶対に怒らなかった」という点である。

  感情の起伏を強く出さないのは、「いつもそこに同じタモリがいる」という安心感を演出するのに不可欠な要素であっただろうし、集まったタレントが涙を流しながらあいさつをする感情的な場面でも、タモリさんはいつものひょうひょうとした、ユーモラスだがクールなキャラクターを崩さなかった。

この「怒らずに背中で見せて他人をマネジメントする」というのは、人材マネジメント上、非常に難しいことである。 芸能界という特殊な業界で、いざとなればタモリさんひとりで場が成り立つからこそできた芸当かもしれないが、怒らなかったタモリが、なぜ怒らなかったのかを考えることで、芸人一人ひとりの自律的なガバナンスが促されたことだろう。これは実際の会社生活でも、とにかく小さなことでガミガミ怒る上司だと周囲のやる気がなくなるのに対し、圧倒的な大御所が部下の失敗を目の当たりにして静かに自省を促したときに、より人が育つのと共通しているといえよう。

そんなタモリさんに触発された私も、いつもデッドラインをミスりがちな部下に対して、怒らずに自制を促してタモリ流人材マネジメントを試してみたところ、単に平気でデッドラインをミスるようになっただけなので、やはり底流に部下からの深い尊敬を受けているかどうかが肝心なのは言うまでもない。

■サングラスの奥に見たまなざし

さて、最後にタレントたちのタモリさんへのメッセージの中で、印象的だった2人を挙げよう。ひとりはローラ。別にローラのことは名前を知っている程度だったわけだが、わざと涙を演出したり、泣きながら冗談を言うことでウケよう、としている複数のタレントの嘘くささが鼻につく中、彼女の心から発せられる純粋な一言一言は、お茶の間でぼけっとみていた私のハートにも届き、ここだけの話、もらい泣きしてしまった。彼女は自分が画面のアップで映っていないときも、時折、大泣きしており、いちばんタモリが共演者に愛されていることを実感する瞬間でもあった。

次に印象的だったのが爆笑問題の太田さんの場面だ。先日の首相出演に関して何かを言おうとして遮られていたが、この怒らないタモリさんが怒ったという首相への二言、「SPの、観客への態度がひどい」と、「バラエティ番組がバカにされている」の2点である。たとえ一国の首相といえど、自分の32年間守ってきた番組の愛する観客を不快な気持ちにさせるのは許せない、また自分が人生を投じてきた“はたから見ているとふざけて遊んでいるだけ”とみられがちなバラエティ番組の世界への、深い愛情とプライドをそのサングラスの奥に垣間見た気がした。

これは一般的に言い換えれば、一流の仕事をするためには、自分のお客さんやビジネスパートナーへの愛情を抱き、また周りからどう思われていようと、自分の仕事へのプライドを有していることが重要だということだろう。

タモリさん、私はそろそろ会社に出勤するために、ここらへんで筆をおきます。ランチタイムにテレビでこっそり見るのが楽しみだったのに、また日曜の特番でいつものタモリさんの姿を見られなくなるのが残念ですが、32年間お疲れさま、ありがとうございました。

最後の終わり方も、「明日も、また見てくれるかな?」で終わったタモリさん。日本のお茶の間を32年間見守り続けてきた尊敬すべき偉大なバラエティ番組に、深い敬愛の気持ちを込めて、「本当にお疲れさまでした。もう肩の荷を下ろして、“終わっても、いいとも”」と慰労の言葉を送りたい。

 

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 いつでもいつも、常にウィークデーのお昼は、TVを点けたら必ずやってた、日常のヒトコマだった、正午の番組、「笑っていいとも」が32年間もの長い間、放送が続いて、8054回目をもって終わってしまった。僕がこの番組を初めて見たのは、東京-関東圏でサラリーマンやってた20代後半、26歳くらいのときだった。それから約32年間続いて、見てるときは毎日のように見てたし、見ていない長い期間も番組自体は常に毎日、ウィークデーに放送されてた。日曜日は午前中に、ウィークデーのダイジェスト版をまとめた「増刊号」をやってて、これも見るときは見てた。それが32年間。僕も32年も経つともう、老域に入ろうか、って年齢にまでなってしまった。もう老域なのかな。常にタモリという一人の司会者=MCが、番組進行してて、番組と共に歳を取って行ってた。タモリは青年から中年に入ろうか、まだ青年域最後の頃かなあ、って年齢から始めて、もう爺さんと言ってもいいような年齢にまでなった。視聴者たちもみんなみんな、番組と共に歳を取って行った。思えば感慨深い。このギネスに輝いた最長寿番組の終焉というタイミングで、僕自身も、「笑っていいとも」という番組が始まった当時のことを思い出す。「いいとも」始めたとき、タモリ37歳か。ああ、もう立派な中年だな。

 フジTVお昼の時間帯の番組で、先ず第一に思い出すのは、僕が若い頃、当時、毎日のように築地市場に勤務に行ってて、昼休みの時間に昼食を終えて、事務所フロアの隅の応接ソファーセットで休憩というか、仮眠を取っていて、調度その頃、正午から午後一時まで「笑ってる場合ですよ」というバラエティー番組がやってて、ソファーで何となくTV画面見ながら、その内眠って、午後一時になって目を覚ましてた。当時の僕は、鮮魚や青果、生花などの生鮮物の航空輸送の仕事に携わっていて、主に、というかほとんど毎日、築地市場の場内で仕事してて、ときどき、都内の各市場、まあ、だいたい、秋葉原の、当時の神田青果市場とか、新宿の青果市場に行ってた。ごくたまに、大森の生花市場にも行ったこと、ありましたね。羽田空港には毎日のように行ってた。ああ、新宿の青果市場とは淀橋だったか。大森の花市場ってのは、大田市場だっけか。まあ、僕の、遠い遠い昔の思い出です。で、その当時、TVで見掛けた、お昼の番組、「笑ってる場合ですよ」。そして僕は転勤で、群馬へと飛ばされる。群馬に一年居て、次に飛ばされたのが、ちょっと東京に戻って来た形になるけど、埼玉県の熊谷。

 18歳から30歳まで、僕はTVというものを持たず、自分の住まいでTVを見るということがなかった。当時、僕がTVを見るのは、外食の定食屋とかラーメン屋、またはその当時の友達の部屋、あるいは勤務場所の職場にTVがあれば、そこで、だった。だから、生活の中でほとんどTVは見てなかった、と言っていい。タモリという、タレントというか芸人のことは、当時は毎週、平凡パンチや週刊プレイボーイという雑誌や、当時の青年向け雑誌を買って読んでいたので、「恐怖の密室芸人」ということで、知ってはいた。ただ、ふだんTVをほとんど見ないので、よくは知らなかった。一度だけ、友達の部屋で、和田アキ子や徳光アナ、デストロイヤーとかと一緒に、中州産業大学タモリ教授、として出演して、変なコトやってたのを見たのは、覚えている。「いいとも」の前にタモリを見たのは、その一度だけだったんじゃないだろうか、とも思う。 

 ああ、そういえば、思い出した。芥川賞取った村上龍が、「限りなく透明に近いブルー」という映画を初監督して、その次に、監督2作目の作品として、当時のハリウッドのスーパースター、ピーターフォンダを主演に据えて、「だいじょうぶマイフレンド」という映画を撮った。僕は確か、当時の日比谷の映画館に「だいじょうぶマイフレンド」を見に行ったのだけど、その映画でチョイ役でタモリが出演してた。確か、銀座か新宿か都市のど真ん中に、隕石状かUFOか、宇宙人の乗り物が落ちて道路に穴が開いて、タモリは、それを調べに来た背広姿の刑事役じゃなかったかなあ。ウロ憶えだから、違ってたらゴメンナサイだけど。「だいじょうぶマイフレンド」の公開って、いつ頃だ(?)。調べたら1983年公開だ。と、いうことは僕はもう埼玉・熊谷に居て、「笑っていいとも」は始まっていたんだなあ。僕はワザワザ、東京まで行って映画見たのか。記憶してる時間の時系列って、あいまいなものですね。村上龍の監督第1作、「限りなく透明に近いブルー」は公開が1979年か。無論、こっちにはタモリは出てません。

 僕が埼玉・熊谷の営業所勤務の折、まだ営業所に格上げされる前、熊谷分室だった頃か、いつだろう(?)83年か、82年内だったんだろうか。僕はサラリーマンで、ウィークディはたいてい出勤してて、まだ土曜日は隔週休日、日曜祝日定休だった日々。「笑っていいとも」は初めて、日曜日午前中の「増刊号」で見たんじゃないかな。作家の嵐山光三郎さんが番組案内役みたいのをやってて、月~金のダイジェスト版録画を紹介していた。「笑っていいとも」の放送開始が82年の10月か。僕が群馬に転勤になったのが、81年の3月。埼玉・熊谷に行ったのが82年4月か。やっぱ、「笑っていいとも」の番組を週間レギュラー、増刊号放送ともども、初めて見たのって、83年に入ってからしばらくしてからだろうな。当時まだ分室だった熊谷の事務所に居る社員は、僕入れてたった3人だけで、事務処理専門の事務員て、アルバイトの女性の方一人だった。近隣に住む主婦の方で、僕よりも6、7歳年上の女性。僕は当時は20代後半。で、覚えてるのは、昼食で自分ん家に帰って戻って来た、その事務の方が、「家でTVで『笑っていいとも』見て来た」って、話して、僕自身もTVは持たないけど、タモリがMCやってる「笑っていいとも」という番組には興味があって、そこで、彼女と「いいとも」の話をした。これは何だか知らないけど、この場面を、今でもよく覚えている。済みません。今現在、そのアルバイト事務員だった主婦の方、名前が思い出せません。当時の姿かたち、顔ははっきり思い出せるけど、名前が全く出て来ない。済みませんが、何しろ今から30年は前のコトだし。この方と会話したことで記憶してることはいくつかあるんだけど、この「いいとも」の件は何故か、はっきりと記憶している。3人の社員で営業所を回していて、いつも2人は営業に出て、僕は電話番で事務所に残ることが多かった。だからよく、午前中はその主婦の方と会話してた。午後からは僕も社有社のバンで、営業とかで外回りに出てたけど。まあ、僕の昔々の話ですけど。

 まあ、そういうことで、通常ウィークデー放送の「笑っていいとも」は、ほとんど見ていないけど、日曜日午前中の「増刊号」は、ときどき見てると思う。タモリという人、自体には興味があったし。東京-関東圏の大企業サラリーマンを辞めて、生まれ故郷に戻ってからは、次の仕事に就くまで一年ちょっと、ニート生活をしてたから、この間は多分、毎日のように、お昼の「笑っていいとも」を見てると思う。毎日毎日、テレフォンショッキングで個性の違うあらゆる有名人の人たちと会話する、MC・タモリの技術は本当に「凄いな」と思って、見てた。まあ、もともと早稲田の哲学科中退だって経歴は知ってたし、本業芸人なんて立場のMCだけど、トランペットもちゃんと演奏できるし、この人は実は、相当頭の良い人なんだろうな、とかって思ってた。タモリには憧れ感もありましたね。リスペクト感を持ってた。

 「笑っていいとも」レギュラー放送、最終回のお昼の分が終了して、3月31日の夜は、午後八時からライブ放送で、記念碑的スペシャル3時間超の生番組、「笑っていいともグランドフィナーレ」が放送されました。いつもの狭いスタジオアルタではなくて、フジTV本社スタジオで、これまでに「いいとも」番組に関わって来たタレントら百名以上が集結して、最終局クールのメンバーや、代々レギュラーメンバーから選ばれた、今の大物芸人たちが舞台に登壇して、まあ、トークを繰り広げていた訳ですけど、まあ、結局は収拾が着かないようなドタバタ場面になりましたが、三時間の最後の方では、最終局クール、というか、この一年くらいは担当曜日替えはあったけど、レギュラーメンバーの入れ替えって、ほとんどなかったんじゃないのかな、と思うんだけど、そのお昼のレギュラー放送、最後の週までやってたメンバーたちから、32年間もの間、単独MCをこなし続けて来て、この日、終わりを迎えた、偉大な司会者、タモリに、「贈る言葉」のスピーチをやってました。 

 終始、涙を流していたローラが、スピーチのとき号泣していたけど、ローラにとって“いいとも”の番組は、「家族」みたいなものだって言っていたけど、タレント・ローラは、あのへんてこなキャラでやってるけど、実際のローラは、複雑な家庭で育ったハーフ系だし、実の親父はバングラデシュなんて途上国で、貧困国の人だし、また、“いいとも”レギュラー中に親父の事件もあって、シャレにならないスキャンダルになったし、奇妙な不思議ちゃんキャラのローラも実は、非常に生々しい人生経験を送って生きて来た、またタレントとしての表面では決して見えない、裏側の実像では、かなり複雑な、言ってみれば厳しい面の、何というか、「思い」とか「心情」とかを持って生きているんだろうな、と感じた。ミムラもナカイ君も、ローラにとっては優しくて頼りになる兄みたいなもの、だったのかも知れない。タモリに対しても、父親に近い存在のような感じを持っていたのかも。TVの中で大はしゃぎして、いつも騒いでいる芸人やタレントで、その裏側の実像では、人見知りで恥ずかしがりやで、本当は無口な人だったり、意外な人だというケースは多い。複雑な家庭で育って、日本の小・中学校に通っていたローラも、その子供時代、少女時代には、今のタレントキャラからは想像も着かない、イロイロな体験があったんだろうナ。子供ながら、辛くて悲しくて大泣きしたコトだってあったんじゃないか。“いいとも”グランドフィナーレの終局、ローラのスピーチを見ていて、僕はそういうものを感じた。

 スピーチでは、SMAPの香取慎吾も泣いていた。香取の話していたのは、香取自身がSMAPなど仕事面でも、私的な面でも、この長い間、辛いとき悲しいとき、怒りでたまらないときがあって、とてもバラエティー番組に出て笑ったりできる心境でもないときに、それでも「笑っていいとも」というタイトルの番組の演者として、仕事で笑っていなければならなかった。これがもの凄く辛かった。というような、内容の話だった。それを号泣に近いくらいの状態で、スピーチしていた。最後にタモリに向かって、「辛いとき悲しいときでも笑っていいかな?」と投げ掛けて、タモリの「いいとも!」の返事を引き出して、締めて見せた。これは暗に、香取慎吾が、「笑っていいとも」というバラエティー番組のコンセプトというか、タイトルも含めた番組内容の基本方針みたいなものを、示して見せたんではないだろうか、と思った。出演者である香取慎吾だけではなく、それを見ている視聴者の人たちも、人それぞれイロイロな状況下で見ている人たちが居るだろう。精神的な状況、実際的な状況、とても笑ってなど居られない状況下で、辛く悲しく、また怒りが押ええられないような、そういった負の精神状態の状況下にあるときでも、番組を見て、ちょっと笑ってみてください、というような。とても笑えるような状況でなくとも、笑ってみれば、心に余裕ができてみたりするかも知れないし、ホンの少しでも気分がラクになれるかも知れない。別の発想が出て来るかも知れない。今抱えている問題の解決の糸口が、ひょっとしたら見つけられるのかも知れない。だから、辛くて悲しくても、怒り心頭で噴火しそうな状態でも、とても厳しい表情で居ても、番組見て、ちょっとでも良いから笑ってみてください。というような意味だったのかも知れないな、と僕は思いました。香取慎吾は、自身のとてもネガティブな精神状態の中でも、仕事でムリムリ笑っていたけど、そうやって無理やり笑うことでも、少しでも気分が軽くなる、気持ちの切り替えの手伝いになる。そういうことを言いたかったんじゃないのかな、と僕は思いました。

 以前、泥酔して、深夜とはいえ戸外の公園で裸になり、大声を上げて叫んでいた、クサナギ君や、今回の、涙流しながら自分のネガティブな心情を吐露するカトリ君など、芸能界全てのジャンルでトップレベルに君臨しているくらいに、活躍している、アイドル・セレブな超有名人でも、「心の闇」は抱えているものなんですねえ。表には出さないけど、あのナカイ君にだって、きっと奥底には「心の闇」はあるのでしょう。 何か、あの、タモリさんに送るタレントたちのスピーチを聞いてたら、タモリに言っているようで、実は自分自身に向かって話し掛けてるようにも感じられました。不思議なキャラクター、タモリは、鏡でもあるのかな、とかとも思いました。実体が見えにくい、実体がないようにも見える、タモリという人は、ときとして鏡にもなってしまうのか、とか何とかとも思った。いえ、僕がそう思っただけですけど。号泣しながらのローラの吐露も、親父代わりの存在に対して喋ってる、と言うよりも、自分自身に向かって話し掛けてたのかな、とかって。そんなふうに僕には思えた。

 

 ※(2014-04/02)笑っていいとも グランドフィナーレ…Ⅰ

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笑っていいとも グランドフィナーレ…Ⅰ

2014年04月02日 | 芸能ログ

○いいとも最終回 有終16・3%!全8054回の平均は11・5%

 

  日本の“お昼の顔”として親しまれ、放送32年の歴史に幕を閉じた31日のフジテレビ「笑っていいとも!」(後0・00~1・00)の平均視聴率が16・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが1日、分かった。同日夜の生放送特番「笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号」(後8・00~11・14)は28・1%の高視聴率だった。

 1982年10月の番組開始以来、全8054回の平均視聴率は11・5%だった。「いいとも!」はデータが残る1989年以降、2013年まで25年連続して民法同時間帯年間視聴率トップ。今年に入り、ラスト3カ月も月間視聴者で同じくトップだった。 

 ビートたけし(67)が番組名物「テレフォンショッキング」に、延べ8054人目のゲストとして大トリ出演。12年10月以来で4回目。

 関係者が「何をしようかかなり考えたようだ」と語るこん身の表彰状で毒舌を連発。また「いいとも!」の司会候補にタモリ、たけし、明石家さんま(58)の名前が挙がったことを告白。最後は「あしたの友達」と言ってメモを取り出して、さんまに電話で“友達の輪”をつなぎ「お笑いビッグ3」が盛り上げた。

 番組の最後にはタモリ(68)が「長い間、32年間ありがとうございました。お世話になりました。また夜もありますので、よろしくお願いします」と言った後、「ありがとうございました。それじゃあ、またあした見てくれるかな?」といつも通りのセリフを発し、全員が「いいとも!」と答えて32年間、8054回目となった最終回が締めくくられた。

 

○いいとも!最終回、有終の16・3%! 夜の生特番は28・1%

 

   3月31日に放送された、フジテレビ系バラエティー「笑っていいとも!」(月~金曜、正午)最終回の視聴率が、関東地区で16・3%を記録したことが1日、分かった。また同日夜に放送され、歴代レギュラー陣が集結した3時間生特番「笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号」は28・1%だった。

 32年間の歴史に幕を下ろした国民的番組が、そのラストを飾る8054回目の放送を異例の高数字で締めた。

 瞬間最高は、昼の最終回が午後0時45分に18・4%。夜の生特番は午後11時10分に33・4%をマークした。

 「いいとも!」は82年10月4日にスタート。放送6年目の88年4月29日には、同番組最高となる視聴率27・9%を記録していた。

 近年は年間視聴率が、11年7・3%、12年6・5%、13年6・1%とゆるやかに下降しながらも、89年に現行の視聴率計測方法に変わって以来、昨年まで25年連続で同時間帯の民放年間視聴率トップを堅守した。

 番組終了のカウントダウンが始まった今年3月後半には続々と豪華ゲストが駆けつけ、安倍晋三首相が看板コーナー「テレフォンショッキング」に出演した3月21日には平均視聴率14・8%をマークした。

 31日の昼の最終回は、司会のタモリの漫談でスタート。看板コーナー「テレフォンショッキング」の最後のゲストにはビートたけしが登場し、番組の歴史を“ほめ殺す”爆笑表彰状を読み上げ祝福した。いるはずのない“明日のゲスト”として明石家さんまが電話出演し、BIG3が共演。ラストはタモリが、いつもどおりに「明日も見てくれるかな!?」のかけ声をあげ、「いいとも!」の大合唱で締めた。

 また同日午後8時から放送された3時間生特番には、明石家さんま、ダウンタウンら、歴代レギュラー陣ら約100人が集結。笑いあり、ゴタゴタあり、涙ありのトークで長年のタモリをねぎらった。最後はタモリが「32年間やらしていただきまして、まだ感慨がない。ほっとしたという感じで。感謝しております」とスピーチ。サングラスの奥に光るものが見える一幕もあった。

 また31日は関西地区でも最終回13・2%(最高15・4%)、夜特番26・1%(最高33・3%)と高い数字を記録した。

 

感極まったタモリ 何度も目をぬぐい…最後は「早く酒飲みたいな」

 

  日本の“お昼の顔”として親しまれたフジテレビ「笑っていいとも!」が31日、放送32年の歴史に幕を閉じた。国民的番組の終幕にふさわしく、ビートたけし(67)、吉永小百合(69)ら豪華ゲストが登場。昼の通常番組は、司会のタモリ(68)が「あしたも見てくれるかな?」とマイクを茶の間に向け、いつも通りに終了。夜は生放送特番に新旧レギュラー約150人が集まりタモリをねぎらった。

 3時間14分にわたった夜の特番には新旧レギュラー約150人が勢ぞろい。明石家さんま(58)のトークが長すぎて、後輩の浜田雅功(50)がさんまの口にテープを貼る一幕も。メンバー3人がレギュラーを務めたSMAPは持ち歌「ありがとう」で感謝の気持ちを伝えた。

 最後は一人ずつ感謝のスピーチ。関根勤(60)や爆笑問題らが大笑いさせた一方で、ローラ(24)ら泣きだす共演者も続出。タモリは何度もサングラスの奥の目をぬぐった。フィナーレは感極まった様子で、オープニング曲「ウキウキWATCHING」を歌唱。最後は、毎回恒例の「あしたもまた見てくれるかな?」「いいともー!」のやりとりで締めくくった。

 終了間際のあいさつでは、「まだ感慨というのがなくて、ホッとしただけ。来週火曜日あたりから(実感が湧いて)くるんでしょう」と気持ちを明かした。視聴者には「3カ月か半年で終わると思ってた。それが32年。私にたくさんの価値をつけてくださって、きれいな衣装を着させてもらった。本当にありがとうございました」などと頭を下げた。今したいことを聞かれると、「早く酒飲みたいな」と話した。

 

○アルタ前1万人に応えた!タモリ 正面入り口から最後の出勤

 

  日本の“お昼の顔”として親しまれたフジテレビ「笑っていいとも!」が31日、放送32年の歴史に幕を閉じた。

 昼の通常番組の際には、東京都新宿区のスタジオアルタ周辺には約1万人(フジテレビ発表)が集まり、「32年間ありがとう」と横断幕を持ったファンも。司会のタモリ(68)は通常は裏口から入るが、この日はファンに会うため正面入り口から入った。

 昼の放送終了後は約20分間、月曜レギュラー陣と談笑。毎週日曜に放送されていた「増刊号」の収録さながらにサービストークを繰り広げた。タモリは「もう放送されないのにね」と笑いつつ、最後の時間を楽しんだ様子。観覧客の退場後はスタッフとセレモニーを行い、32年間愛用した楽屋へ。「掃除しに来なきゃいけないねえ」とちょっぴり寂しげだった。

 この日ギネス世界記録にも認定された。通算8054回放送に対する「生放送バラエティー番組の放送回数最多記録」と、8001回司会を務めたタモリに対する「生放送バラエティー番組単独司会最多記録」の2記録。昼の番組中に認定式が行われ、タモリは誇らしげに盾を頭上に掲げた。金字塔を打ち立て国民的バラエティーは涙と笑いで幕を閉じた。

 

松本人志、絶叫 とんねるずとの共演に「ネットが荒れる~」

  

 フジテレビ系「笑っていいとも!」(月~金曜正午)が31日、最終回を迎えた。出演者が集まった大同窓会トークも“ありえない”豪華コラボが実現。さんまが出演時間を無視して長居したため、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがシビレを切らして同じステージへ。さらにとんねるず、爆笑問題、ナインティナインも登壇し、世代を超えた大物芸人が一堂に会した。

 ダウンタウンの松本人志(50)は不仲説がささやかれたとんねるずとの共演に「ネットが荒れる~」と絶叫。爆問の太田光(48)は「このメンバーで仲良くできるわけないだろ!」と爆笑を誘った。

 

いいともゆえの超豪華共演!太田「仲の悪い人と会うことができた」

 

  日本のお昼を彩ったフジテレビ「笑っていいとも!」が31日、東京・台場の同局から「笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号」(後8・00~11・14)として生放送され、司会のタモリ(68)と、新旧レギュラー、明石家さんま(58)、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、とんねるず、爆笑問題、ナインティナイン、笑福亭鶴瓶(62)、SMAP・中居正広(41)が同じステージに立つ夢舞台が実現した。

 タモリとさんまによる立ちトーク「タモリ・さんまの日本一の最低男」が復活。軽妙なやり取りを展開した。しかし予定時間をオーバー。しびれを切らした豪華メンバーが次々に現れ、ステージは“混乱”のるつぼと化した。

 ダウンタウンはとんねるず、爆笑問題と“不仲説”。松本人志(50)が「ネットが荒れるから」と爆笑を誘うと、太田光(48)も「このメンバーで仲良くできるわけがない。タモリさんのおかげで仲の悪い人と会うことができた」と猛毒を吐いた。

 

○『いいとも』フィナーレ、壮大な内輪ウケのうんざり感と、沈む大きな船には乗らないタモリ

 

  主要なテレビ番組はほぼすべて視聴し、「週刊新潮」などに連載を持つライター・イラストレーターの吉田潮氏が、忙しいビジネスパーソンのために、観るべきテレビ番組とその“楽しみ方”をお伝えします。

 壮大な内輪ウケの1週間がようやく終わった。「タモリさん、おつかれさまでした」の言葉とは裏腹に、タモリをさしおいて自分たちの感情論と世界観を広げようと躍起になるタレントやB級アイドル、芸人たち。それがまた時代遅れというか、オワコン感もたっぷり。ホント、こういうのは打ち上げで居酒屋とかでやってくれよ、という内容だった。何がって、『笑っていいとも!グランドフィナーレ』(フジテレビ系/3月31日放送)である。

 

 先週から最終回までの通常放送でも、記念写真撮るわ、出演者の思い入れだけで構成するわ、やりたい放題好き放題。視聴者は完全に置いてけぼり。それでも許されるのは「32年間単独司会者」「生放送8054回」という偉業があるからこそ。視聴者はこの数字によって、心のハードルを下げて、ちょっと優しい気持ちで見守るだけの余裕があったのかもしれない。好意的な目で観る人も多かったようだが、個人的にはなんかちょっと違和感。

 

 そもそもこれだけ盛り上がるくらいなら、視聴率も取れていたはず。裏番組の『ひるおび!』(TBS系)に流れたり、『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)派になった人が、急に「いいとも!終了」に乗じて、感動するフリをしているのだから。たぶんこういう人たちが佐村河内守のCD買ったんだろうな。

 

 生ぬる~く見守ってきたこの1週間だが、胸のすく瞬間はあった。

 

 まず、『いいとも!』派閥に属さないビートたけしの「猛毒表彰状」。これは外様だからこそ言えることであり、たけしだからこそ言えることでもあった。ぬるい温度でダラダラと内輪ウケしている流れに、ひと盛りの毒。かなり効果的だったと思う。

 

 同日のテレフォンショッキングでは、たけしとタモリで、先輩・大橋巨泉に罵詈雑言。テレビ局の玄関先でやたらと先輩風を吹かせて、売れている後輩に営業する巨泉のことを「玄関先で仕事するなんて、田舎のニワトリのようだ」と評したタモリ。しみじみ。タモリのこういう表現力がハッとさせるんだよなぁ。こはぜがのどを駆け巡る瞬間、である。●壮大な内輪ウケ感を醸し出す人々

 そして、『グランドフィナーレ』で延々と同じことをしゃべる明石家さんまには辟易した。ここ10年ほど、さんまを面白いと思ったことが一度もないし、タモリをねぎらうどころか「笑いの指導」までし始める始末。タモリもそんな昔のボケ作法など覚えているはずもないし、それを強要するとは。イライラ&うんざりが頂点に達し、チャンネルを替えようかと思ったその瞬間、ダウンタウンが出てきて鋭くツッコミ。この時ほど、胸がすいたことはなかった。ありがとう、浜ちゃん!! すっきりしたわ~。この時点でたぶん多くの視聴者の溜飲が下がったと思われる。その後、爆笑問題やらとんねるずが出てきて、またうんざりが上昇しはじめたのだが。

  吉永小百合が中継で出ようが、SMAPが微妙な歌声を披露しようが、特別感も感慨もなかった。涙腺もほぼ刺激されず。歴代レギュラーのスピーチも延々やることかどうか疑問。

 この壮大な内輪ウケ感を醸し出した人々は、ちょっぴり終焉の信号が点滅中でもある。沈みゆく船に乗っている人々。視聴者はうすうす気づいているけれど、この船に実はタモリは乗っていない。タモリは最初っから大きな船には無関心で、無頼派。タモリだけは初めから手漕ぎの小さな救命ボートに乗って、大海に浮いているのだから。

 しかし、関根勤の「芸能界的顔面オーバーリアクション愛想笑い」は職人技の域だよね。
(文=吉田潮/ライター・イラストレーター)

●吉田潮(よしだ・うしお):
ライター・イラストレーター。法政大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。「週刊新潮」(新潮社)、「ラブピースクラブ」(ラブピースクラブ)などで連載中。主な著書に『2人で愉しむ新・大人の悦楽』(ナガオカ文庫)、『気持ちいいこと。』(宝島社)、『幸せな離婚』(生活文化出版)など。カラオケの十八番は、りりぃの「私は泣いています」、金井克子の「他人の関係」(淫らなフリつき)など。

 

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 「笑っていいとも」グランドフィナーレを見ていて、改めてタモリさんって不思議な人だなあ、と思った。何か、「透明感」なんだよね。「透明感」を感じる。普通、あの立場はもう、芸能界の「大御所」なんでしょうけど、確かに、芸能界現場のピラミッド、頂点付近に居る人なんだろうけど、何か、あんまり「大御所」感がない。また、「親分」でもない。芸能界であれだけのキャリアを持ちながら、あれだけ後輩のタレント、芸人、俳優、ミュージシャンなどなどに慕われながらも、派閥の親分とかでは、全然ない。ギネスを受けて栄光に輝いても、何か、違うんだよね。「どうだ、俺はもの凄いだろう」ではないし。一代で築き上げた大会社の会長の退陣式とか、大物政治家が隠居になるとき、っていうのと違うんだよなあ。そのジャンルの超大物が退任、退官、去り行く儀式、とかっていうときの「大物」感とは、違うんだよなあ。先ず、「親分」ではないなあ。タモリに集まって来る人たちは、とても多いんだろうけど、タモリは派閥は作らないし、グループを作ってソコの親分に鎮座する、っていう人ではない。そういう意味では、「たけし軍団」の大ボスである、ビートたけしとは全く違う。落語家とか漫才師とか、旧芸人みたいに「一門」みたいのを作ったり、そういうものの上位に納まろうとする人、ではない。タモリという芸能人は、「弟子にしてくれ」と芸能界志望の若者が足元に来ることが、一番迷惑だったんじゃないかな。それが一番困ったことだったろうな、と思う。

 32年間の長期にわたって、お昼の一番組を単独司会進行を続け、ギネス記録で表彰されて、ゴールデン・プライム帯で記念行事的に3時間超の生特番を開いてもらうのが、これが例えば、みのもんただとか、他の大物芸能人だったとしたら、もっと、人間の脂ぎった欲みたいなものが垣間見えて、名誉欲とかが垣間見えて、もっとギドギド、ギラギラしてて、人間のいやらしいものが生々しく見えてしまって、そういう雰囲気が漂うものになってたんじゃないかなあ、とかって思う。タモリだから、そうはならなくて、そういう意味ではあっさりしてて、ドタバタしたけどお笑いバラエティー的に普通に見れたんじゃないかな、と思う。それはタモリはセレブだろうけど、タモリにはあんまり、金銭欲や名誉欲は感じられないんだよね。特に名誉欲は。まあ、あるんだろうけど、みのもんたとか他の大物芸能人とは違うような気がする。タモリはある意味、一人が好きなオタクでもあるんだろうし。まあ、友達は多いのかも知れないけど。ある意味、正体の見えない人だよね。

 タモリという芸能人は、昔からよく知的でシニカルって評されていたけど、昔はかなりアブナイ芸人だった。もともと素人だし、誰かの弟子に着いた訳でもないし、師匠である赤塚不二夫は漫画家だし、赤塚さんが何か教えた訳でもないし、一緒にバカやって遊んでただけだろうし。僕は昔は、タモリは早稲田の哲学科まで行ってて、素っ裸で地べたに這いつくばって、爬虫類の真似なんかする人だから、逆によっぽど頭の良い人なんだろうな、って思ってた。ある種リスペクト感を抱いて。「笑っていいとも」のMCをやり始めてからは、アブナイことはやってもスレスレセーフでやってた人だった、っていう気がする。境界ギリギリを見定めることができる人で、これまで、特に大きくは問題化しなかったように思う。その辺はやはり、頭良いんだろうなあ。ただ、筒井康隆のお祝いパーティーで昭和天皇の真似して、右翼に脅迫されたり、問題になったこともあったけど。発想が知的な人だったよなあ。今の若手芸人にも有名大学卒の芸人はいっぱい居るけれども、ビートたけしやタモリほどの芸人は居ないなあ。東大卒の芸人だって居るけど、タモリのような「才」はない。ああいう「才」は、今の人からは見当たらないなあ、と思う。

 そりゃあ、世間一般の人々でも、会社とかイロイロ社会の組織や集団に入るとき、程度の差こそあれ、自我を押し殺して、ある意味作った自分で、まあ、部分的には演じているトコロもあって、社会向けの作った自分で居るものだとも思うけど、特に芸能界という世界では、そこの芸能人たちは、メディア向けの作った自分で出て、演じている。また、その中でも特にタレントや芸人たちは、それぞれ自分なりの「キャラ」を作って持っており、今の時代は自分の「キャラ」を作り上げることが、彼らのかなり重要な戦略にもなっている、と思う。森田一義さんも芸能界で仕事してるときは、「タモリ」を演じていて、その「タモリ」キャラへのなりきりぶりは、徹底してるんじゃないのか、って気もする。「タモリ」は、職業・芸能人として演じきっているキャラなんだろうな。タモリという人は、頑張らない、とか、反省しないとか努力しないとか、みたいな、何かテキトー感みたいに感じられるようなコトを、よく口にしてるけど、あの、2012年のFNS27時間テレビを、66歳の年齢で、総合司会進行でやりきってしまう精神力は、自分の仕事に対して、責任感と真面目さと強い意志を持った、実は、かなりしっかりしてちゃんとした人なんだなあ、と思う。 

 

 

 



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